1-3
「ふぅ…一体、あとどれだけ掛かるのやら…」
登り始めて丸一日が経った。
下にいるであろうカレン達の姿が確認できなくなってから、更に同じくらいは登ったと思う。
「この雲の先に頂上があることを願おう」
ザッ
この剣を岩肌へ突き立てる作業が、塔登りという行動の辛い部分の大半を占めている。
故に、降りる時はそれ程の苦労がないとも考えていた。
それでも、寝ずに丸一日が経った。
体力というよりも、集中力の問題が直面していた。
「今日辿り着けなければ、朝日と同時に降ろう」
恐らく登りの五倍くらいの速さで降れるはず。
そこまででなくとも、明日の日暮までには下に降りられる。
「よし!終わりがハッキリしたぞ!」
人は終わりが見えて初めて頑張れるのかもしれない。
俺は意気揚々と、先の見えない雲の中へと進んでいくのであった。
「くっ!!」
これまでも天敵は風だった。
何故か魔物は空にも地上にも現れなかったのでそれはそれで良かったのだが、想像していた以上に風というのは厄介だった。
その風が雲の中では桁が違った。
「指先の力を緩めたら、飛べないのに飛んでいってしまいそうだ」
壁登りに慣れた段階で、指は殆ど使わなくなっていた。
つま先だけ蹴り込むように穴に差し込み、指先には殆ど力を入れてこなかった。それが俺がここまでに習得した楽に登る技法。
しかし、この環境はそれを許してはくれなかった。
それでも、終わりというものはいつかやってくるもので。
「抜けた…え?」
分厚い雲を抜けると、そこに塔はなかった。
つまり、登り切ったのだ。
しかし、驚いたのはそこではない。
登頂を目指していたので登れたことは素直に嬉しいが、諦めなければ登り切れることはわかっていたので驚きはないのだ。
驚いたのは、手を差し伸べられていることに対して。
「…誰だか知らないが、ありがとう」
悪意を持っているのであれば、手を差し伸べず蹴り落としていただろう。
なので、見知らぬ誰かの手を握り、引き上げてもらう。
「凄いな…大きいと分かっていたが、まるで空の上に浮かんでいる島のようだな」
この塔はどうやら真円のようだ。
直径数百メートルはある真円がそのまま目の前にある。
その外側には青い空と白い雲を眼下に見ることができ、この絶景は恐らくここだけのものだろうと、浅学ながらに感動を覚えた。
「……自己紹介がまだだったな。俺は蚕 早乙女という」
・
・
・
「名前を教えてくれないか?」
何だ?
手を差し伸べてくれたくらいだから良い人なのだろうと思ったが……
「ああ?そういう文化?」
「文化?…よくわからないが、名前は?」
手を差し伸べてくれたのは、アンジェリカのように真っ白な髪をした青年だった。
歳は俺より少し上と思われるが、気になるところが多々ある。
先ずは着ている服。
それも真っ白なのだが、素材が丸っ切りわからない。
布ではないが鉄でもない。わかるのは硬質な何かだということくらい。
そして、魔力の高さ。
意図的に抑えているのだろうが、俺よりも遥かに高いのは隠せていない。
こんな化け物が何故こんなところに?
見た目は身長175くらいで細身の童顔。雰囲気が年上っぽいくらいか。恐らく20前。
「名はないよ」
「え?名がない?」
「そう。名付けもされず、親から見放されて天涯孤独の身だよ」
…どういうことだ?
いや、何なんだコイツは?
「ところで、何故ここへ?」
今度は向こうの番。
「理由などないが、強いて言うのなら好奇心だな。勿論、ここを壊そうなんて考えていないし、誰かに吹聴して回る気もさらさらない」
「そう。じゃあ殺さなくても大丈夫かな」
「是非そうしてくれ。今の所、逆立ちしても勝てそうにない」
姿勢や魔力に乱れは見られない。
あまりにも自然体。だからこそ、確定的な死を突きつけられた気がした。
コイツの強さに興味はあるし、最強を目指しているのだから逃げてばかりではいられない。
それでも、今ここでコイツと争うのは馬鹿のすること。
越えなくてはならない相手は増えたが、それは目標が増えたことと同義。
それはいずれ越えればいい。だが、今ではない。
興味本位で斬りかかろうとした考えに蓋をし、ゆっくりと抜き身のままだった剣を腰に戻した。
「じゃあ、仲間が下で待っているんだね?」
最強を目指して世界を旅していると、若干の嘘を混ぜつつ説明をした。
次の質問は俺の番だが、おかしな所に既に気付いていた。
コイツは確実に俺よりも強い。
何ならリーリャやアークベルトに勝るとも劣らない実力があると睨んでいる。
それなのに、何故八大列強ではないのか。
俺が知る限り、名前のない…例えば『名無し』だったり『アンノウン』のような表記がなされた八大列強は存在しない。
そして、身元不明の者もリーリャとアークベルトくらい。
「そうだ。今度はこっちが質問してもいいか?」
「何が聞きたいの?半分くらい答えに気付いてそうなのに」
抑揚のない声。
生気を感じられないほど真っ白な肌。
この男が只人ではないことくらい気付いている。
「人じゃないのか?」
「そうだよ」
「悪魔でもないよな?」
やはり人じゃなかったか。
人であれば八大列強に名を連ねているはず。
そうでないなら、人じゃないか、悪魔か。
「悪魔ってなに?」
「…いや、それは話が長くなるからまた後で説明する。じゃあ、アンタは一体何者なんだ?」
「龍だよ」
龍か。なるほどな。だからそんなに強者のオーラがだだ漏れなんだな。
…って、なるかいっ!?
「待て待て。龍って、あの…馬鹿でかくて白から黒まで色があって、それにより強さが決まっている…あの龍か?」
「そうだけど?君、面白いね。じゃあ、これならどんな顔を見せてくれるのかな?」
俺が一人焦っていると、その男は漸く無機質な表情から俺が慣れ親しんでいる人の顔を見せた。
が……
次の瞬間、目の前の男から魔力が溢れ、その姿は人々の恐怖の対象へと変貌した。
「りゅ…うだ…」
『ギュオォォ…』
目の前には白龍が佇んでいる。
その圧倒的な存在感は、俺の知るものではない。
ジジイと共に戦ったあの龍すらも圧倒していた。
「どうだった?ははっ。思った通り、驚いてくれたね」
龍の姿では言葉を話せないのか、男は先程の人型へと戻ると、悪戯が成功した子供みたいに嬉しそうに俺を観察した。
「…白龍は最弱だと聞いたが?」
あの焦茶色の龍は龍の中でも上位の存在だと聞く。であるならば合点がいかない。
「そうらしいね。でも、僕は突然変異ってやつみたいだよ。他に人型になれる龍なんて知らないし。いや、なろうとしないだけなのかな?わかんないや」
「そうか…質問の続きをしてもいいか?」
「まあいいよ」
龍は魔物の一種。人々の間ではそう考えられているし、事実そうであるとしか思えない。
強さこそ魔物の中で最強格だが、その習性は魔物や獣に多く見られるからな。
「何が目的なんだ?」
龍は縄張り意識が強く、仲間意識も高い。
この辺りは人と似ているが、人よりも極端であることも知っている。
ここはこの龍の縄張りで間違いない。
俺を殺すというのなら、逃げの一択だが、どうもそれだけじゃない気がしてならない。
これ程の龍だ。もしかしたら近辺の街や国すらも……
「ないよ」
「ん?何が?」
「だから、目的」
……目的がない?
「…質問を変えよう。何の為にここにいるんだ?」
「静かだから?後、住み心地いいし」
この辺りは恐らく龍脈の一つ。
神域の森ほどではないにしろ、魔力が多いことに間違いない。
それが住み心地に直結しているのだろう。龍は龍脈を好むからな。勿論、魔物も。
「あ…そうか。だからこの辺りには魔物が居ないのか」
「魔物?ああ、僕の気配に気付けた奴はね。気付かなかった奴は僕の餌になったよ。これからもね」
「俺も餌か?」
コイツと争った場合逃げの一択だが、どうも逃げ切れそうにない。
よく考えなくともここは天空の塔。
ここから飛び降りても龍になったコイツには容易く空中で捕食されてしまうだろう。
故に、俺はこの意思疎通が可能な魔物に対し、二人を見逃してもらえないかお願いすることに決めた。
「今、お腹空いてないんだよね」
「そこを頼む。俺は兎も角、下の二人は見逃してくれ」
実際のところは一人と一匹なのだが。
特に女の方はガリガリで不味いぞ。
「うん。だから、お腹空いてないから食べないよ」
「そうか…やるしかないか…」
「君、話聞かないタイプ?」
仕方ない。散る時は潔く、そして派手に散ってやる。
俺は要らない覚悟を決めたのだった。
なんだかんだ戦いたいだけの気が……
いえ、蚕は脳筋ではありません。断じて…