Prologue Ⅳ
本日五話投稿4/5
殆ど三人称視点です。
「…。蚕。お主は反対側の出口から逃げるのじゃ」
謎の轟音と揺れが治まる。
すると、同時にジジイから意味不明な指示が飛んできた。
「逃げろ?」
初めて聞く単語だ。
いや。意味は知っている。
ただ、ジジイの口からこの言葉が出てきたのが初めてということ。
「そうじゃ。決して戻ってくるでないぞ?出来うる限り気配を殺し、山を降るのじゃ」
「な、なにを?いや。なぜ?」
ジジイは強いが、普段は好々爺然としている。
そのジジイが今はとてつもなく恐い顔をしている。
「なに。旧友が訪ねて来たまでじゃよ。良いな?振り向かず行くのじゃ」
「だから…」
続く俺の言葉に答えること無く、ジジイはいつもの出口へと向かって歩く。
その背中には問答無用の文字が浮かんでいる様な気がして、俺は掛ける言葉を失ってしまった。
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「龍は執念深いと聞いておったが、今は亡き番の為でもそうじゃったのか」
老人の眼前…いや、眼上と言うべきか。上空には巨大な蛇のような生き物が物理法則を無視して悠然と浮かんでいた。
「皆、やられたのかのぅ?」
『ギュォオオオッ!』
老人のその言葉に、龍と思われる焦茶色の大蛇が咆哮を返した。
胴体は蛇の様だが、顔はドラゴンの様な見た目。
その体長は100mを越え、顔の下の方には短いが手まで付いている。
「どうやら、残すは儂一人のようじゃの。茶色か。黒でないだけマシと考えるしかなかろうの」
以前、老人が仲間達と倒した龍は黒龍。
龍が産まれる時は皆白龍なのだが、強くなるにつれその色は黒に染まると言われている。
焦茶は灰色の手前。そして、灰色の次が黒である。
しかし、焦茶や仮に白であっても、龍は龍なのだ。
人の身でそれらと対峙するのは至難の業。
「何かの命を刈るということは、刈られることもまたあるというだけの話。
どちらが死ぬか。試す意味もなかろうが、易々と死んでやる気もないでの」
『ギュォオオオ…』
「いくぞ」
背水の陣で臨む老人。
最初から後先を考えず、全力である。
老人の身体から内なる闘気(魔力)が漏れる。
人々はバトルオーラを纏うその姿を見て、老人のことを拳王と呼んだ。
老人が全力の蹴りを地面に叩きつけると地は割れ、その反動で上空に佇む龍へと一瞬の内に迫る。
それを龍は大口を開き待ち構えるも、老人は中空を蹴り、その反動をもって自身の軌道を変えた。
「ハァッ!!」
三度中空を蹴り、勢いを増した身体ごと、龍の顔面を蹴り込む。
鈍い音と共に龍は浮遊の制御を失い、地面へと墜落していった。
ドォォンッ
龍の墜落した場所は、老人達の住む洞窟とは逆方向。
大木を薙ぎ倒し、砂塵を巻き上げて墜落したその場所は狙ったものか。
恐らく狙ったのであろう。
育て方が悪かったのか、口が悪くとも老人にとっては目に入れても痛くない可愛い孫であり、弟子を守る為に。
タッ
軽い足取りで地面へと降り立った老人だが、額には大粒の汗が浮かんでいた。
「この程度で堪えてくれれば楽なのじゃが……さて。今一度気合いを入れ直すかのう」
歳を重ねると、どのタイミングで力を入れれば楽なのかに気付く。
それは農作業でも家事でも同じ。
老人もまた、度重なる闘いを経て、力の入れどころは把握していた。
それでも、龍相手に抜くところは見つけられなかった。
故に、常に気を張っている状態。
年の功が通用しない程の力関係。
体力、魔力、精神力は、たった一度の攻防で大きく削られていた。
その一方で。
「何なんだ…あの化け物は…」
洞窟の陰から二人の戦いを覗く姿があった。
勿論、それは蚕である。
如何に師であり祖父の言葉であっても、逃げる選択を取ることなど出来なかったのだ。
「ジジイは、何を焦っているんだ?」
老人が蚕へ見せてきた戦闘スタイルは、年の功を遺憾なく発揮した老獪なもの。
初撃から後先のない全力攻撃など見たことがなかった。
「まさか…あの蹴りを喰らって…死んでいないのか?」
最初の龍の咆哮により、辺りには濃密な魔力が漂っている。
その結果、蚕の魔力探知能力では龍の状況が掴めないでいた。
『ギュォオオオッ』
「くっ…」
洞窟から遥か先の森の中。そこから衝撃波を纏い龍の咆哮が襲ってきた。
蚕は顔を腕で守り、その暴風をやり過ごした。
「ジジイは…」
蚕は既に気付き始めていた。
あの焦茶の生き物は強い、と。
もしかしたら、老人は負けてしまうかも、と。
故に、老人の姿を探した。
それは普段のものではなく、愛する大切な家族を心配しての行動だった。
「…いない。行ったのか」
老人の本気の蹴りを喰らっても、生きている。尚且つあの巨体である。墜落のダメージは計り知れないだろう。
龍とは、一個人がどうこうできる敵ではない。
蚕もそれに気付いていた。
だから
「ジジイは死ぬ気だ」
とも、気付いてしまった。
「何が旧友だ…俺が弱いからか?だから嘘を吐いてまで逃したのか?」
いや、本心では理解している。
家族だから、死んでほしくないから、逃したのだと。
蚕もまた同じ気持ちを抱いているのだから。
だが、それとこれとは別の問題も。
『俺が弱いから』
ここに蚕の本心が現れていた。
だから『共闘』することを選んではくれなかったと。
蚕にとっては、自分が死地に立たなければならないことよりも、その事実の方が辛かったのだろう。
故に、言いつけを破る。
「役に立たなくても…家族だろうがよっ!」
これまでの蚕の感情内は、忍耐というものが大部分を占めてきた。
時に嬉しかったり悲しかったり、はたまた寂しかったりも勿論のこと感じてきた。
それでも耐えること。それらを耐えることが蚕のこれまでだったと言える。
その蚕が耐えられなかった。
死出の旅への同行を許されなかったことだけは。
蚕が葛藤し戦地へと辿り着いた時には、既に死闘が繰り広げられていた。
龍からすればハエの様な人間。
しかしそのハエの攻撃は鋭く、龍へ鈍い痛みを与えられていた。
「はぁっはぁっはぁ…やはり…抜けぬ、か」
焦茶といえど龍の装甲は硬く、生身の攻撃手段しか持たない老人では決定打を打てずにいた。
龍を倒すには、やはり鱗をどうにかするしかない。
老人も頭では分かっていても、解決策は浮かんでこなかった。
「八大列強が聞いて呆れるでな…所詮人の輪の中だったか、と」
龍に動きは見られない。
これまでは精力的に攻撃していたが、老人の技術により物理攻撃は躱され、魔法攻撃はいなされていた。
故に、獲物が弱るのを待つことに決めた。
元々、龍から見ると人間は小さな的でしかない。
これまでは範囲攻撃で殲滅してきたが、稀に現れる強者は取り逃すことも多かった。
勿論、執念深い龍のこと。逃した獲物は必ず探し出し仕留めてきた。
この龍が老人を見つけたのも偶々ではない。
数十年も昔、番の黒龍が殺された現場の残香などから獲物を特定し、数十年の歳月を経て、漸く捜し出したのだ。
ここはこの世界でも辺境に位置する。故に、龍にとってこの老人は最後の獲物。
ここまできて取り逃すはずもない。
恐らく、かつて老人のパーティメンバーだった者達も皆餌食となったのだろう。
もしくは既に死んでいるか。
その者たちも皆強者である。
強者とは心も強い者のこと。
彼等もまた覚悟は出来ているはず。
だから老人も、そのことについては気に留めていない。
理解した時に、少しの寂しさが込み上げてきただけ。
だが、蚕は別だ。
自分では辿り着けなかった境地へと進めるだけの器。
それには多分に運も含まれていたかもしれないが、そこは関係ない。
自分の技術を伝えてきた相手。
無論全てではないが、その殆どは渡せただろう。
何よりも、大切な孫。
天涯孤独な自分に、神が遣わせてくれた天使。
苦渋を噛み締め手放すことは出来たとて、その未来を閉ざすことなど許容出来るはずもない。
「儂の…全てじゃ…」
老人がその生命力を燃やし、最期の一撃を準備しようとした矢先。
目の前が眩い光に包まれた。
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「な、なんじゃ…?」
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ドゴォォォンッ……
「ふ、ぐ…」
爆音と暴風が老人を襲う。
龍が墜落した影響と戦いの余波により、既に森は消し飛んでいたが、それでも残骸が宙を舞う。
「くっ…な、なにが…」
砂塵が収まると、老人の眼には衝撃の光景が映る。
『ギュ…グギュ…』
100m程離れた位置にいた筈の龍が、さらに200m程離れていた。
龍と自身の間には底が見えない程の大穴が開いており、龍の一部の鱗が消し飛んでいたのだ。
「何が……ハッ!?蚕ぉっ!」
老人は、大穴の横に倒れる蚕を見つける。
そして、瞬時に全てを理解した。
龍も老人も最強格である。
故に、自分達以外の存在を無視していた。
だから、蚕の存在に気付けなかったのだ。
その蚕は身を潜め、龍へと近づき魔法を放った。
それが目の前の結果で、老人にとっては悪夢でもあった。
「蚕ぉっ!バカモンが…何故じゃ…」
全力で駆け寄るも、思う様に身体が動いてくれない。
ここまで自分はノロマなのかと悪態をつくも、それは気持ちがせっているだけのこと。
戦いの中で、初めて冷静さを失くしてしまったからだ。
「蚕…目を開けてくれぃ…」
愛孫を抱き上げ、呼び掛ける。
それは水を掬い上げるかのように、丁寧に行われた。
「ジ、ジジイ…」
「蚕っ!?」
「耳元でデカい声だすなよ…」
老人には蚕の魔力が感じ取れなかった。
故に先立たれたものだと嘆いていたが、それは勘違いだった。
蚕は全ての魔力をあの一撃に込めた。
その所為もあり、一時的に気を失っていたのだ。
あれだけの魔法。周りの魔力も乱れ、さらには精神も乱され冷静さを欠いていた老人には、蚕の極微量に残された魔力を感じ取ることが出来なかった。
「お主…生きて…」
「当たり前だろ?ま。指一本動かせねーけどよ」
「ば…バカモンがっ!」
「ちょ…」
現実を受け入れた老人は、蚕を抱きしめる。
予想外な対応に面食らったものの、蚕は甘んじてそれを受け入れた。
魔力が枯渇状態になっても、普通の人であれば特に問題はない。
蚕や老人のように魔力に依存した戦い、または生活をしていると、魔力が失くなった時に身体が動かせなくなってしまうことがある。
蚕もその状態といったところ。
「龍は死んだか?」
このままこうしていても埒があかない。
そう思った蚕は、老人へと問う。
「まだじゃ。何。ここからは儂だけで充分じゃて」
「そうか。任せた」
「うむ」
今暫くは、蚕は動けない。
元より老人に任せる他なかった。
それでも蚕は満足そうだった。
自分でも力になれたのだと。
だが、運命は変えられなかった。
次回も最初の方は三人称視点となります。