Prologue Ⅱ
本日五話投稿2/5
「じーじ!でっかいたぬきとれた!」
舌足らずな言葉。
蚕の歳は漸く五つを数えるかどうかといったところ。
あれから四年以上の時が流れ、蚕は順調に成長し、老人もまたしっかりと衰えていた。
「…蚕よ。それは狸ではないのう」
「えっ!?ちがうのっ!?」
「それは熊という生き物じゃ。まあ食えば一緒じゃが、少々生臭く捌くのが手間じゃな」
言葉足らずな幼子ではあるが、老人の手によって普通ではなくなっていた。
年寄りとの二人暮らし。
ましてやこれまで孤独だった老人との二人暮らしである。通常の家庭よりも会話は乏しく、そういった成長はやや遅めとなってしまう。
代わりと言えばそれもおかしいが、戦うことに関して言えば世界最強の五歳児といえよう。
何せ、既に熊を倒し、引き摺りながらもここまでその巨体を運んでいるのだから。
そして会話からもわかる様に、老人もまた世間一般からはズレていた。
「蚕っ!拳の握りが甘いというのが、まだわからんかっ!」
老人の鉄拳が蚕の脳天へと落ちる。
人の身体から発せられてはならない音とほぼ同時に、蚕は頭を抑えて蹲った。
「っ〜!!?いってぇなっ!ジジイっ!何しやがんだっ!?」
「慢心しておるからじゃ!形稽古こそ基礎にして奥義なのじゃ!疎かにしてはならんっ!」
「クソジジイっ!死ねっ!」
蚕は更に成長し、既に成人男性の平均的な体格へと近付いていた。
その蚕から見ても老人は頭一つ大きく、年寄りとは思えない体格をしている。
その蚕から目にも留まらぬ速さで回し蹴りが放たれる。
目標は老人の胴体。
的は大きければ大きいほど当たりやすく、躱しづらい胴体をしっかりと狙っていた。
「甘いわっ!」
回し蹴りの特性の一つに、直線的な蹴りよりも躱す場所が限定されることがあげられる。
直線的な蹴りであれば左右に躱す選択もあるが、回し蹴りには存在しない。
故に老人は下がるか受けるか。
そのどちらかだと蚕は考えていた。
が。
「がっ!?」
老人は蚕へと向かい飛び込んできたのだった。
それもカウンターの膝蹴りを蚕の鼻っ柱へと向けて。
モロに膝蹴りを喰らった蚕は、鼻血を撒き散らしながら倒れる。
これは蚕が十二才の時の記憶であった。
蚕が十二にして、成人男性の体格を得ていた理由。
それは食にあった。
この世界には魔力という地球には存在しない未知のエネルギーが存在している。
それは万能ではないものの、生物的弱者である人を野生動物よりも強くすることができる素晴らしい力ではあった。
であるならば。
世間一般的に、食に困ることなどないのではないか?
これは違う。
その最たる理由は『魔物』の存在にある。
人が魔力を使えるのならば、他のモノが使えない道理なし。
全ての生き物が魔力を有しているが、野生動物はそれらを意識的に使うことはしない。
使い方のわからない武器や防具を持ち腐れているわけである。
しかし、魔物と呼ばれる生き物は別だった。
中には人よりも使い慣れ、地球で喩えるならば『戦車』や『戦闘機』に匹敵する脅威の魔物も存在する。
そんな魔物が彷徨く世界。
地球人に毛が生えた程度の強さの一般人が彷徨くには危険が多すぎたのだ。
故に、牧畜は地球ほど盛んではなく、運送についての手段も乏しく、自給自足のような環境が多いのが現状だ。
勿論、ただ魔物にやられてばかりの人間ではない。
強い人間達が魔物を狩れば、食肉としたり、皮や鱗を素材として活用している。
中でも『魔石』という全ての生物が保有している魔力を帯びた石の活用には、目を見張るものがあった。
魔力はエネルギーなのである。
それらを魔石から取り出し、人々は動力源として活用しているのだ。
何故、この様に小難しい話を始めたのかと言うと、蚕がそれらを学んでいる最中だったりするわけで……
「あれ…?でも、ジジイ。魔導具なんて見たことがないのだが?」
「当たり前じゃ。ないのじゃからのう」
「……そうか」
無いのなら仕方ない。
わけないだろっ!?
「何処にでもあるって書いてあるじゃねーか!?何で一つも持ってないんだよ!?」
「しつこいのぅ……最初は持っていた。灯りの魔導具然り、防虫の魔導具然り…」
「…どこにやったんだよ?」
あったんじゃねーかよ。
「…壊れた」
「は?」
「じゃから、壊れたんじゃ」
その口ぶりだと、一つや二つじゃないんだろ?
「いやー。人の作るものとはなんと脆いことか」
「ジジイが怪力なだけだろっ!?」
「ジジイ、ジジイと言うでない!老師と呼べといったじゃろうがっ!」
なんだと!?
やるか小僧!?
二人のじゃれあいに終わりはなかった。
ところで老師。それは壊れたというのではなく、壊したというのではないだろうか。
「くそっ!勝てねぇ…」
森の中。荒い呼吸をあげながら大の字で倒れる蚕の傍には、涼しい顔をした老人が立っている。
「…当たり前じゃて。(儂に勝てば既に八大列強に名を連ねていることになる…此奴の頭の悪さは八大列強じゃがな)」
「こんな、棺桶に片足突っ込んでるジジイに勝てないなんて…(これじゃあ恥ずかしくて人の街になんていけないな…何が八大列強を超えて最強になるだ。過去の俺、ぶっ飛ばしてぇ…)」
「両足を突っ込むまで負ける気はせんのう(今日もギリギリじゃったわい…なんという戦いの才能…)」
どうやら、痩せ我慢を年の功によって隠していただけのようだ。
蚕はこの二年で更に成長し、来年でこの世界の15歳を迎える。
体格は既に老人と並んでおり、体力だけではあるが、既に老人を凌駕していた。
未だ神板に名が刻まれているこの老人に、である。
そんな中、老人にも変化があった。
それは老いではなく、成長。
そう。この歳で更に成長したのだ。
それは勿論体格などではなく、技術的な面で。
日々強くなる蚕。その成長スピードは老人をもってしても目を見張るものがあり、老人は焦りを覚え始めていた。
この歳になり漸く出逢えた強者。
いや、強者とは幾度も邂逅してきた。
が、自身を脅かす程の逸材とは出会ったことがなかった。
(強き者はいた。それこそ儂に匹敵する程の。が、此奴は底が見えぬ。どこまで強くなるのか、皆目見当がつかぬわ)
老人もまた、初めての経験(子育て)と初めての逸材(蚕)を前に、新たな気付きを得ていた。
そこから試行錯誤した結果、自らの残された伸び代に気付き、老いに今一度打ち勝っていた。
ここまでの境地には、一人では辿り着けなかっただろう。
内心で老人は感謝していた。
独り身の自分に守らねばならぬ愛する家族が出来たこと。
口は悪いが、こんな自分を尊敬し、師と仰いでくれる弟子がいること。
そして、内心で老人は日々懺悔していた。
本来であるならば、人里へ返し、普通の暮らしをさせなければならなかったと。
(此奴は必ず儂を超える。それを目に焼き付けるまでは死んでも死に切れぬのう)
弟子の、孫の成長は嬉しい。
しかし、老人の人生の殆どは、自身の強さだけに費やしてきた。
故に……
(儂がその八大列強だと知れば、此奴は間違いなく調子に乗る。というより。もし知った上で儂が負ければ…なんかムカつくんじゃ)
プライド。
自分は一人でここまで辿り着いた。
そのプライドから、蚕に対して並々ならぬ僻みと妬みも感謝同様に抱いていた。
『儂がいなければ、お主は井の中の蛙』だと。
確かにそうだろう。
拳王という偉人から、金を積んでも受けられない修行を二十四時間付きっきりで受けてきたのだ。
才能がなくとも一流程度には誰でも辿り着けている。
老人が長年情熱をかけて積み上げてきた技術。蚕に如何に才覚があろうとも、そこへ辿り着くには長い年月を犠牲にしなくてはならない。
それをただ教えられてきた。
それに、どれ程の価値があるのかも知らずに。
故の嫉妬。
故に、この程度の悪戯は許されるだろうと、老人は蚕へと自身の強さを教えないことに決めていた。
「ジジイっ!死ねやぁっ!」
近距離では歯が立たない。
蚕は身近にあった石を手に取ると、老人へ向けて全力で投擲した。
投擲は人が人を殺す為に有効な手段として、地球でも世界中で用いられてきた歴史がある。
その観点から、蚕の行動は理に適っているように思うも、相手が悪かった。
「へぶしっ!?」
蚕の投擲は真っ直ぐに老人へと向かう。
老人の動体視力と運動能力を持ってすれば、躱すことは容易い。
そして、老人には蚕にない技術があった。
蚕の投擲に合わせ、老人も一瞬遅れて投げ返したのだ。
もちろん、蚕も動体視力は良く、運動能力も申し分なく、その軌道から身を躱した。
しかし、老人の投げた石は弧を描き、避けたはずの蚕へと着弾した。
そう。変化球である。
「此奴は本当に儂を尊敬しておるのだろうか……怪しいのう」
老人の呟きを拾う者はいない。
気を失っている蚕の横で、老人は目覚めるまでその疑問と闘うこととなった。
それは、長らく他人と関わることのなかった老人にとって、修行よりもつらいことになるのは明らかだった。
所謂三人称視点で進めてきましたが、これより主人公の一人称視点へ切り替わります。
また所々で三人称視点へと戻ることもあるかと思います。
よろしくお願いします。