Prologue I
本日五話投稿1/5
「死ぬなっ!ジジイっ!」
目の前が黒く染まる。
そして、先程まで暖かった存在から温もりが消えてゆく。
俺の視界を黒く染めるのは血液。
その血は腕の中の年寄りのものだけではないだろう。言葉通り、辺りは血に染まっているのだ。人一人の血液だけではこうはならない。
「蚕…」
僅かに唇が動き、消え入りそうな声で俺の名を呼ぶ。
「ジジイっ!起きろ!死んだら殺すぞ!」
このジジイが簡単に死ぬはずがない。
こんなただ『腹に穴』が開いているだけで。
「蚕…生き、ろ…」
「ジジイっ!?」
それきり、ジジイは動かなくなった。
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鬱蒼と木が生い茂る山奥。
人の営みの気配が感じられないその場所に、一人の老人が住んでいた。
彼は強さを求めるあまり人の世に馴染めず、またその強さに周りがついて行くことも出来ず、孤独に暮らしていた。
「今日も今日とて、世界は変わらぬ。が、儂は老いていく一方じゃな」
今日まで鍛錬を欠かしたことはない。
それでも老いには勝てず、日々弱くなる自身を嘆いていた。
「泣き言では腹は膨れぬのぅ。さて。今日の飯を調達しに行こうかの」
ここには老人一人しかいない。より正確に言うと、見渡す限りの山々を含むこの周辺には人がいない。ここでは外敵が強すぎるあまり、弱者である人は生活していけないのだ。
それ即ち、自身がサボれば食事にもありつけない環境ということ。
「最近は肉が多かったからのう。今日は魚の気分じゃ。ちと、足を伸ばすかのう」
独り言も増えた。
誰に言うでもなく、返ってくることも期待していない言葉。
それでも言葉を忘れない為なのか、老人の独り言は続いていく。
距離にして50キロ程だろうか。
老人が辿り着いた河は対岸が見渡せない程の大河であった。
「ここまで来るのに二時間もかかってしまったわい」
地球でいうフルマラソンに換算すると、世界記録は楽に超えている。それも整地されていない山の道で。
それでもこの老人にとっては、これもまた老いを感じる要因の一つに過ぎない。
「どれ。のんびりしていては日も暮れてしまう。さっさと獲ってしまおうかの」
老人が見据える先の大河は茶色く濁っている。
これは先日の大雨の影響なのだろう。故に河の流れも速くなっている。
「お。中々の反応じゃて」
河は濁っており、魚影などを確認することは出来ない。
それでも老人には見えていた。
いや、感じ取れているのだ。
全ての生き物が持つ『魔力』を。
「大漁、大漁。先ずは焼いて食おうかの」
自身の家である洞窟へと帰ってきた老人は、身の丈よりも大きな魚を眺めながら愉快そうに告げる。
「海から遠く離れたあの河へ、まさか銀鮪が紛れておるとはの。ツイておったわい」
その魚は名前の通り、銀色に輝く鮪のような見た目をしている。
地球でよく見られる鮪から黒色の部分を取り除いて、さらに銀色を濃くしたかのような見た目をしていた。
「半世紀前に食べて以来じゃな。今から涎が止まらんわい」
半世紀前、一度だけ口にしたことがある。それでも忘れられないくらいには美味であるらしい。
「さて。現実逃避もこれくらいにしておかねばな」
老人が河で手にしたモノは、何もこれだけではなかった。
「子供に聞かせる童謡でもあるまいに…どうしたものかの…」
「ほぎゃ?」
「おお。お主も困るよのぉ。そうか、そうか。儂らは似たもの同士だのう」
大魚を見つめる老人の傍には、竹を編んで作られた小さな籠があった。
その中には赤子が一人、白い布に包まれ寝かされている。
「先ずは名前がいるのう」
大河には人っ子一人見当たらなかった。
河は濁っており、激流。
普通の人であれば、その危険度から河が落ち着くまでは近寄らないだろう。
つまり、この子の親は近くにいないということ。
故に持ち帰る他なかった。
偶々激流から逃れ、流木に引っ掛かっていたこの籠を見つけなければ。
中身を確認しなければ。
中身が赤子でなければ。
どれか抜けていれば、老人はこの窮地に身を置く必要などなかったのだ。
「う…む。その姿…まるで蚕のよう」
老人の通り名は『拳王』。国の君主以外で王と名の付く通り名は易々と使えない。殆どの君主制国家では、それだけで罪に問われてしまうからだ。
それでもこの老人は今日まで罪に問われていない。
つまり、この老人は認められているのだ。数々の国の王にまで、その武勇を。
その拳王が慌てふためいている。
この何の力も持たぬか弱い存在に。
「其方の名は『蚕』じゃ。良かろう?」
その人生で、強くなることだけを見つめてきた。
故に致し方ないといえよう。
この様な安直な名付けも。
「八大列強に名を連ねる儂の命名じゃ。お主もきっと強くなれようぞ」
世界には神板と呼ばれる黒い石板が点在している。
誰が何の目的で置いたものかは定かではないが、そこには八人の名が刻まれている。
始めは何の意味があるのかわからなかったが、後に人々は気付く。
『これは現存する強者の名前では?』と。
それから、その神板へと名を刻まれた者達のことを、人々は畏怖と尊敬の思いからこう呼んだ。
『八大列強』と。
「蚕よ。ここでは二人きりじゃ。邪魔はない」
老人が感じ取れることが出来る魔力とは、大きく分けて二通りの使い方が存在している。
一つは、老人の様に体内で使用し、肉体を活性化させる方法。
もう一つは、体外へと放出して、そのエネルギーを何らかの形で使用する方法。
「儂はとうに限界を迎えておる。これからは下り坂じゃ。しかし、お主は登ることしか出来ぬ!今暫くはのう」
自身の衰えとは嫌なものだ。
特に、高みを目指し続けてきた者にとっては。
しかし、ここにきて老人は気持ちが若返る。
そう。新たに目標が出来たからだ。
この歳になっての新たな目標。ワクワクしないわけがない。
「八大列強などと呼ばれておるが、それは所詮人の輪の中の話。それも、儂は最高位が三位じゃ」
神板には、名前の前にそれぞれ番号が振ってある。
その三番目、序列三位には拳信 早乙女の名が刻まれている時代もあった。
現在は七位にその順位を落としているが、それでも人類七番目の強さを誇っている。
「お主は今は蚕でしかないが、羽化した時、どうなっておるのかのう…今から楽しみじゃて」
老人は久しく忘れていた笑みを浮かべ籠に話しかけるも、返事はない。
しかし、それに気を悪くすることもなく、高らかに宣言をする。
「ここに人類最強の蚕ありっ!」
子供とは、可能性の塊である。
良くもなるし、悪くもなる。
それは周りの環境次第と言えるのではないだろうか。
そして、ここに弱者はいない。
この蚕がどんな蛹となり、どのような美しい羽を羽ばたかせるのか。
その行く末は、老人次第なのかもしれない。
読んでいただき、ありがとうございます。
長編の予感…