出張!成増・ファム・ファタ〜ルSP2
「起きろ、起きろ栞」
「うーん、ボナペティ…」
「起きろ!」
「はは、は!」
「なんだ」
「ハレンチ!」
私は布団を被り直した、寝相悪くて、浴衣もはだけている乙女の寝室に入り込んでくるなんて、いくら天使であろうと許せない。
「出ていけ!助平天使!」
「おい、誤解だ!」
「なんの!」
「昼過ぎても起きてこないから心配で…」
「…昼過ぎ」
「あぁ、もう14時だ。イベントは無いからいいものの、お前だけ朝も昼も食べていない。」
はだけてる浴衣の事なんて忘れて、私は布団から出た。
「もうそんな時間なの…あぁ、一日無駄にした…」
「奴らが誰が起こしに行くかじゃんけんで決めていた。流石に寝起きを見られるのはどうなんだと思ってこうして先に起こしに来てやったのに…」
「そ、それはごめん…ありがとう」
「ほら、早く支度しろ。見張っててやるから」
シェムはそう言って部屋から出て行った。なんやかんや優しい奴。
支度を済ませて部屋を出ると、シェ厶とヤズ瑛さんがいた。
何か話してるみたい、運転中以外は話を聞いてくれるんだ。
高身長の2人が壁によりかかっていると、かなり絵になる。スマートな金剛力士像みたい。
「あ、おはよ?こんにちは?栞ちゃん」
「おはこんばんにちはです…」
「便利だねそれ、てか、昼過ぎまで寝てるってよっぽど疲れてんだね、大丈夫?」
サラッと肩を抱かれた。えぇ、朝から、そんな。
…良かった、寝起きのお陰であまりドキドキしない。心臓も休息を望んでいる。
「カフェラテ企業なもんで…」
「なにそれ?」
「ブラックだかホワイトだか分かんないんです…」
「大変だ…」
シェ厶はいつの間にか消えていた。
「いただきます…」
スマホを取りに部屋に戻ったヤズ瑛さんと別れて、食堂についた。
席に座ると天使がお盆を持ってきてくれた。
お盆の上にはthe日本の昼食がのっていて、私の食欲をこれでもかと言うほど刺激した。
「白米、味噌汁、焼き鮭、漬物、美味しそう…」
「出来たてがいいでしょう、明日からは早く起きてくださいね!」
「はい、ごめんなさい…」
すると、河野さんが入ってきて、隅っこに坐る私を見つけて真横に座ってきた。
「あれ?河野さんどうしたんですか?」
「俺もお昼まだなんだよ。どうせなら栞ちゃんと食べたいじゃん?せっかく一緒に来てるんだからさ」
「こ、河野さん…」
「トキめいた?」
「考える事一緒かよー」
海太君と藤原さんもやって来て、私の前に座った。
「しかも横取られてるし」
海太君は河野さんをひと睨みした。
「出遅れたな」
河野さんがセンター分けを撫でつけて言った。
「はいはいごめんねごめんね」
音もなく現れたヤズ瑛さんが私のお盆をズラしてひとつ隣の席に行くように促した。
「え、あ、あの、ヤズ瑛さん」
「隣、座りたいからさ。ダメ?」
「ダメではないですけど…」
「お前強引過ぎんだろ」
とは言いつつも結局河野さんもひとつ隣に移動した。
私も何故か逆らえず自然に席を動き、ヤズ瑛さんが私の隣に座った。
その様子を見ていた私の前に座った2人がコソコソと何かを話していた。
「あぁいう強引な男ってどうよ藤原さん」
「…僕が女性なら近づきたくもないですね…」
「2人とも聞こえてるよ」
ヤズ英さんが笑った。するとシェ厶が現れて指を鳴らした。
「お前ら、そういう事だったのか。人間は面白いな。予定変更だ。」
「え?」
私が食べようとしていた和食が消えた!跡形もなく!
「たまにはこういうのもいいだろう」
「ご飯は普通に食べさせてよ!」
「ルールを説明します。」
あの後、天使もホワイトボードを引連れてやってきた、何をする気だ、旅館の床に傷をつけるなよ。
「皆さんにやっていただくのは…お料理対決です!」
天使が一生懸命ペンでホワイトボードにお料理対決と書いている、その間にシェ厶がまた腹の立つ指パッチンをすると、多種多様な食材がテーブルの上に並んだ。
「この食材を使って栞さんの舌を満足させることが出来た優勝者にインセンティブが入ります!裏にあるキッチンを好きに使ってください、まぁ…狭いんですけどね。なんとか譲り合いながら、奪い合いながら1時間で!完成させてください!では、スタート!!」
「お、お腹すいた…」
「ふっ、だろうな」
私の前に座ったシェ厶が鼻で笑ってきた。
怒る気にもなれず、机に突っ伏した、まさかこんな事になるなんて…。
「これに懲りたら、朝は早く起きる事だな」
突っ伏したまま頷いた、早起きは三文の徳って言葉を体に彫ろうかな。
「…シェ厶、シェ厶」
「何だ」
「お腹すいた…」
「我慢だ我慢」
「もう無理、飢えだよ…」
「…分かった、ちょっと待ってろ」
シェ厶が席を外して数分後、戻ってきた彼の手にはラップに包まれた歪な形の白いおにぎりがあった。
「ほら。」
シェ厶が私の隣に座って、おにぎりをぽんと目の前に置いた。勿論、迷わず飛びついた。
「いいの?!ありがとう!」
「お前の胃袋は広そうだしな、このくらいならなんともないだろ」
「余裕だよ、いただきます!」
ラップを開いて白飯に食いついた、あぁ、美味い、これだよこれ、日本の味、心安らかなり。
「栞、ここ」
「ん?」
「ついてる」
シェ厶が自分の口元を指さしながら教えてくれているが、イマイチ場所が分からない。
「ど、どこ?」
「もう少し右だ、あぁ、そこじゃない…はぁ…」
すると、シェ厶が私の頬に手を伸ばした。
「どう食ったらこんなとこにつくんだよ」
取った米粒はシェ厶が指を鳴らすとどこかへ消えてしまった、ってか、今…。
「か、顔触った!?」
「触った。」
「しょ、少女漫画みたいなことしないでよ…もう!」
「…おい、処女漫画ってなんだ、そんな卑猥な漫画がこの世にあるのか、おい、栞、そっぽ向くな」
「やっぱ助平じゃん…」
「違う!」
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「皆さん、1時間が経過しました!」
天使が声をかけると4人が出てきた。
しかし様子がおかしい、特に河野さんがボロボロだ。
「あれ、料理してただけなのになんでそんなセンター分けが乱れてるんですか?」
「まな板の奪い合いしてた」
人の争いは、醜い。
恐らく相手は海太君だろう、彼にも若干目の疲れが見える。
「全然離さねぇからマジこいつ」
「年上に向かってこいつとは何だ!こいつとは!」
「さぁさぁさぁまずは河野さんから、どうぞ!」
遮られて不満気な河野さんが裏から皿を持ってきた、そこには美味しそうなトマトパスタが。
「どう?美味しそうでしょ。パスタが嫌いな女性なんていないから、無難にこれがいいかなと思って…ん?栞ちゃん聞いてる?」
「んんんーんん・んーんん」
「ボボボーボ・ボーボ○?なんて言ってんの?」
「ボーノ!」
「絶対それ以上言ってたでしょ、まぁいいや、皆悪いね、一発目から正解出しちゃって」
「…口に運べばわかる、パスタとトマトの絡み合い。これは作り慣れてないとできない所業ですね。
お互い初対面なはずのパスタとトマトを短時間で竹馬の友のようなコンビネーションに仕上げる…河野さんはまさにINFPだ…」
「普通に仲介人って言ってよ」
「さぁ次は、ヤズ瑛さんです!」
「これ美味いと思うよ」
ヤズ瑛さんが持ってきたのは、豚キムチだった。
「おつまみにもいいんだよ〜、あんまレシピ覚えてなくて勘でやっちゃったけど」
「お前はこんな時でも勘かよ、栞ちゃんの口にそれは通用しな」
「美味い…」
何か喋ってる河野さんを尻目に私はそそくさと豚キムチを頬張った。
「美味いんかい」
「豚肉とキムチが織り成すコラボレーション…フィーリングだけでこの素晴らしいコラボを実現させてしまうヤズ瑛さんはまさに天性の料理人…カムサハムニダ、豚キムチ、サランヘヨ…」
「良かったな、ただの勘をフィーリングってカッコよく言い直してもらって」
「なんだっけ河野は。IKKOだっけ?天性の料理人の方がカッコイイな」
「テメェ…」
「お次は〜!海太さんです!」
海太君が持ってきたのは、スープカップだった。
中をよく見てみると、茶色い粉が入っている。
「そろそろ固形物にも飽きたっしょ、これはね、栞ちゃんとオレが一緒にお湯を入れる事で完成するんだよ」
「海太君」
「ん?」
「もしかして、料理苦手?」
「…苦手というか、したことない。」
海太君はそう言うとキッチンから急須を持ってきた。
「大丈夫、お茶っ葉は入ってないから。」
「う、うん」
「ほら、こっち持って」
言われたとおりに少しだけ急須を持って、お湯を注いだ。
「よし。分量通り。飲んで飲んで」
軽くスープカップを揺らして1口飲んだ。
「コンソメだね」
「他の感想は?」
「著しく、コンソメだね」
「オレにはないの?仲介人だとか、IKKOだとか」
「…ない、ね」
「お世辞でもいいからなんか、褒めてよ」
「ごめんね、思ってるけど言わない事はできても、思ってもない事は言えないの…」
「て、テメェ…」
「ごめんね、お世辞のひとつも言えない口で…」
「さ、最後は藤原さんですー!」
藤原さんが気まずそうにとぼとぼとキッチンからお皿を持ってきた、そこに乗っかっているのは卵焼きだった。
「…祖父から教えてもらった卵焼きです、お口に合うか分かりませんが…どうぞ…」
「いただきます!」
「…ほんと無理だったら…吐き出してください、僕食べるんで…」
「あ、出汁が入ってて少し甘い!美味しい!これは素晴らしいですね…。もし、母親とこの卵焼きが溺れていたら、この卵焼きを助けます。」
「お、お母さんを助けてください…」
「嫌です」
「さぁ、栞さん。優勝者を1人!決めてください!」
「うーん…どれも美味しかったけど、優勝は藤原さんかな!」
「…ありがとうございます…」
「し、栞ちゃん」
「は、はい?」
センター分けが崩れた河野さんが私の肩を掴んだ。
「じゃあさ、俺とヤズだったらどっちが美味しかった!?」
「えっ」
その答えは用意してない、どちらも甲乙つけられないレベルで美味しかったし、ジャンルが違いすぎて比べ物にならない…。
「りょ、料理に関してはただ私が和食好きってのが大きかったので、ヤズ瑛さんと河野さんのは比べられないって言うか…」
「どっち?…どっち!?」
「えっえっ」
「オラ、バカ河野。栞ちゃんがビビってるだろ」
ヤズ瑛さんが河野さんと私を引き剥がしてくれた、「カムサハムニダ」
既に椅子に座っていた海太君が鼻で笑った。
「往生際が悪ぃなぁ。でもまぁ、2人が比べられなくてもワーストなら決めれるっしょ。ね、栞ちゃん」
「ワースト?ワーストは海太君だよ」
「…あ、オレ?」
「うん」
海太君は右手を回しながらキュインキュインと言って自分の世界に閉じこもってしまった。なんだか申し訳ない事をしちゃった。
すると、シェ厶が指を鳴らした。
「お前ら、昼まだだろ。」
一瞬にして人数分のお盆とご飯がテーブルの上に。
「あ、やったー!さっきのじゃん!」
私はすぐに席に着いた。
「そういや腹減ってたんだった、忘れてたよ」
私の隣にヤズ瑛さんが座った、椅子取りゲームかと思うくらい俊敏な動きだ。その横に河野さんが不満げに座った。
「…海太君…食べましょう…」
藤原さんが私の前に座って、横にいる海太君の肩を慰めるように叩いた、海太君はキュイン、とだけ呟いて箸を取った。
「シェ厶とか天使は食べないの?」
「俺達は人間とは違うからな。」
「天使、おいで!」
私はホワイトボードの近くにいる天使を呼んだ、せっかくこの世にいるのに和食の美味しさを知らないなんて勿体ない!
「お呼びですか?」
「アレルギーある?」
「いえ…人間ではないので」
「そっかぁ。じゃあ口開けて!」
「な、何をする気ですか!?」
「いいから!白米食べてみなって!美味いんだよこれ!」
私は光り輝く白米を見せつけた、米農家の努力の結晶だ。心做しか天使の目も輝いているように見える。
「分かりました…んぐ」
割と素直に開いた口に白米を箸でぶち込んだ。
「よーく噛んでご覧」
「…あま〜い!」
それまで浮いていた天使は羽を下ろしてテーブルの上に着地した。
「でしょ!」
「初めて食べました、私もよそってきます…」
天使はポンと姿を消して直ぐに戻ってきて、海太君の隣にお茶碗を置いた。
「いただきます!」
「白米だけ?おかずもあるけど」
海太君はそう言って天使の口に焼き鮭を運んだ。
やはりこいつ、育ちが良い。私より箸の使い方が上手い。
天使の顔が綻んでる。
横から唾液を飲む音が聞こえた、シェ厶だ。
「シェ厶は食べないの?」
「…俺に食事は必要無い。天使だからな。飢えも無い。」
「まぁまぁ、そう言わず。ほら、あーん」
「栞ちゃん、積極的だねぇ」
ヤズ瑛さんがそう言って味噌汁を啜った。
「運転手さん、据え膳食わぬは男の恥って知ってる?」
「河野さん、そんな難しい言葉知ってるんすね」
「海太テメェ…」
「…お、落ち着いて…」
「ほら、シェ厶。口開けてよ」
シェ厶は諦めたように口を少し開いた。私はそこに箸を突っ込んだ。
「…美味い。」
「でしょ!?」
シェ厶は指を鳴らした。シェフでも呼ぶつもりかと思ったら、天使の前にお盆が現れていた。そして、隣にも。
「シェ厶、ありがとうございます」
「へー、優しいじゃん」
「当たり前だ、俺は天使だ」
そう言ってシェ厶は天使の隣に座って私達と同様食事を始めた。
「こうやってやりゃいいんだよ」
箸に苦戦している天使とシェ厶に海太君が熱烈指導をしている。
「海太君ってさぁ」
「ん?」
「意外と面倒見いいよね」
「おう。惚れ直した?」
「別に」
自分の胸からキュインって、聞こえた気がしたので頭を振って誤魔化した。
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夜になると、また呼び出しがかかり、広間へ行った。今度は何をやらされるんだ。
「よし、全員揃いましたね」
「まだなにすんの、眠いよ」
「今から皆さんには肝試しをしてもらいます!」
「肝試シーサイドホテル…」
ヤズ瑛さんがこっちを見て何か言ってる、無視を貫こう。
「一人一人この懐中電灯を持って、旅館周辺へ放置します。無事に帰ってこれたらクリア、1位の方にはインセンティブが入ります。今回は驚いたらアウトです、その時点で1円ずつ引かれていきますからご注意ください」
「え?放置?」
「はい。何か問題でも?」
「問題しかないでしょ何かあったらどーすんの?!」
「ご心配なく、かなりの数のスタッフが見守ってますから。見えないだけで」
「逆に怖いわ」
「質問質問」
「はい、海太さんどうぞ」
「途中で出会ったら一緒に行動していいの?」
「大丈夫です、ただし、同時にゴールした際はインセンティブが2人に入るので、1人あたりの値段が減ります」
「じゃあできるだけ1人でゴールした方がいいか」
「そうですね。では、懐中電灯をお渡しします」
シェムが懐中電灯を私達に配った、何故か私にだけスイッチをオンにして顔に当ててきた、ムカつく奴だ。
「何お前!」
「やり方教えてやったんだ」
「懐中電灯くらい使った事あるわ!」
「そうか。じゃあ健人に祈る」
「誰に祈ってんの、健闘を祈るでしょ」
「さぁ皆さん、深呼吸して、目をつぶってください…」
— — — — — — — — — — — — —
「目を開いてください」
どこからか天使の声がして、目を開くと、明かりのない真っ暗闇の中にいた。
「え?マジで放置?」
仕方なく懐中電灯をつけた。道路の真ん中のようだ。放置する場所が危なすぎる。ただ元より人が寄り付かない場所なのか、人の気配はおろか、音さえも聞こえない。
ただ突っ立っているのは性にあわないのでとりあえず歩く事にした。普通の道路だ、なんの変哲もない。
「ん?」
少し先にトマレと書いている、横断歩道がある訳でもないのに。なにかの仕掛け?
とりあえず止まらずに歩こう、これも奴らの作戦かもしれない。
「うわっ!!」
トマレを無視すると、前を動物のような何かが横切った。
「あ、びっくりしちゃった…」
深呼吸して、これから来る恐れの全てに備える事にした。
息を吸って、吸って、吸って…
すると横からガサガサッと音がした、私は吐く事を忘れたまま走った。
「おおおおおおおおおお」
ただ道を走る走る、後ろから足音が聞こえるけど構わず走る。
「おおおおおおおおおお」
「栞ちゃん!待って!」
「おおおお、ん?」
振り向いて、懐中電灯で照らすと、そこには息を切らした河野さんがいた。
「俺、こういうの苦手なんだよ…」
「でしょうね」
「ね、俺と一緒に行動しようよ」
「えー嫌ですよ、インセンティブ減るし」
「それに女の子一人じゃ危ないよ、いくらスタッフがいるからって。こんな山道」
「…それはそうですね」
仕方なく私はひとりぼっちのパーティに河野さんを加える事にした、なんかあったら生贄にして逃げてやる。
「生贄さんは…」
「いや俺、河野なんだけど…」
「あ…、河野さんは…」
「もしもの時俺を捧げるつもりでしょ、やめてよ」
「足止めさんは…」
「いや汐留ね。俺置いて逃げないでよ」
ツッコミのスピードが尋常じゃない、このスピードを活かして港区で遊び散らかしているのだろうか…。
「河野さんは最初どんなとこにいたんですか?」
「俺はね、目開いたら、獣道みたいなとこにいたんだよ、さすがに怖くて光が見える方に行ったら栞ちゃんがいたってワケ」
「ふーん…」
そのまま何も話す事無く歩いていると、道は行き止まりになっていた。
「んー、旅館とは逆方向に来ちゃったのかな」
「かもね、戻ろうぜ」
私と河野さんは踵を返して歩き始めた。
「そうだ、今思い出したんですけど、ヤズ瑛さんのLINEのアイコン、コケた河野さんでしたよ」
「あぁ…あれね、って、どんな会話してんだ2人で…。変えろってずっと言ってんだけど全然変えないんだよ、怖いだろ…」
「2人は仲がいいんですね」
「腐れ縁だよ。元々親同士が仲良よくてさ」
「本当はヤズ瑛さんの事好きな癖に」
「俺他にも友達いるから!」
「港区でプイプイ言わせてますもんね」
「モルモットじゃねぇよ」
しょうもない会話でただ時間を浪費していると、竹林にたどり着いた。
「…竹林か」
「河野さん、ビビってます?」
「そんな事ないよ。栞ちゃんこそ、凄い震えてるよ。手繋いであげよっか」
「結構!」
「恥ずかしがり屋だなぁ、手ぐらい誰でも繋ぐよ」
「…」
そうなんだ…。私は生まれてこの方、異性と手を繋いだ経験と言ったらお父さんしかない、リエちゃんはあるのかな、あるに決まってるか、下も繋いでるに決まってるか。
「俺で良ければ、ファーストハンズマンの相手に…」
「嫌です!」
私はどんどん歩を進めた。
「置いていかないでよ〜もう言わないから」
竹林が風で揺れる、いつもはうるさい河野さんが何故か押し黙っている、港区に肝試しの文化は無いらしい。
「…昨日、ヤズ瑛さんから聞いたんですよ」
「え、な、何を?」
「昔の河野さんは凄い大人しかったって」
「あいつ…はぁ…」
「昔の河野さんの話聞きたいです」
「もう忘れたよ、何十年も前なんだから。そんな事よりさ、ヤズから何もされてない?大丈夫?」
「大丈夫ですよ、河野さんと2人きりになるより安心しました」
「やっぱヤズか…」
「冗談ですよ!」
せっかく持ち出した話題も尽きてしまった、竹林の音だけが辺りを支配していて嫌になる。
「…俺の話ちょっと聞いてよ、この道も長そうだし」
「いいですよ」
「…小学生の頃はさ、足が速い奴がモテるじゃん」
「そうですねぇ」
「中学生の後半になると、今度は頭が良い奴が徐々にモテだすんだよ」
「そうなんですか?」
「え?違うの?」
「私が住んでたとこは、皆野生に近かったので高校生になっても足が速い奴が1番モテてましたよ」
「…変わった地域だね。んで、俺が初めて女子から告白されたのが中2の冬休みだったんだよ。そんでさ、やっと勝てると思った、ヤズに」
「勝ちたかったんですか?」
「そりゃ勿論。あいつと一緒にいる限りは誰も俺の事なんか見なかったし。友達である以上はあいつと対等になりたかった。だから俺モテる為に色々頑張ったんだよ」
「様子がおかしくなった時期ですね」
「それもヤズの入れ知恵だな。んで、中3の受験シーズンに、好きな人が出来たんだよ」
「初恋ですか?」
「うん。同じクラスの子。よく話しかけてくれたから、それで好きになっちゃった。俺、その子と離れたくなくて、志望校もその子と一緒にした。正直、付き合えると思ってたからね。雰囲気も悪くなかったし。高校に合格したらその子と青春送れるもんだと思ってた。」
「凄い情熱…」
「だろ?でもな、受験直前に失恋した」
「えー?」
「その子は俺じゃなくてヤズの事が好きだったんだよ。俺は踏み台」
「あ…」
「あいつ、頭は悪いけど、スポーツ万能で、いるだけで周りを明るくするし、誰にでも優しくて…マジで少年漫画の主人公みたいな奴。その子もヤズの性格に惚れたんだってよ。…んで、俺がその子に告白する前に、ヤズの事が好きなんだけどって相談されて、初恋は終了」
「てか、ヤズ瑛さんやっぱ頭は悪かったんですね…」
「うん」
河野さんは何かを噛み締めるように笑った。
「初恋が終わった後にすぐ受験でさ、恥ずかしい話、初めての失恋だったから思うように問題が解けなくて、ケアレスミス連発して、高校は落ちた。そんで、第2志望の公立に行った。その子は志望校に合格したんだけどね。」
「えぇ…」
「でね、受験の後、その子はヤズに告白したんだけど、振られたんだよ、泣きながら俺に電話してきたからそれで知ったんだけどね。結構可愛い子で、頭も良くて、学年1モテた子なのに。なんで振られたか分かる?」
「単純に、好みじゃないから?」
「部分的に正解。」
「アキネータ○か。」
「ヤズは俺にあの子は好みじゃないからーって言ってたけど、本当は俺のプライドを傷つけない為にわざと振ったんじゃないかなって俺は思ってるよ。あいつはそういう奴だからさ。」
「あ、じゃあ、ヤズ瑛さんは、河野さんがその子の事が好きって知ってたんですか?」
「そうそう、初恋で舞い上がって、ヤズには色々喋っちゃったから。付き合えるかもとか、言ってたし。でも振ったって話聞いた時、俺、キレたんだよヤズに」
「どうしてですか?」
「…八つ当たりみたいな感じだよね。俺が本気で好きだった子を、そんな言葉一つで振るとかどうかしてる!って」
「ガチの八つ当たりですね」
「だろ、冷静になってからヤズに謝ったら、なんの事?ってケロッとした顔で。それで、あいつは許してくれたんだよ」
「それほんとに忘れてた可能性ありますよ」
「どうだろうなぁ…でもそん時に思ったよ、俺こいつには勝てないなって。そもそも、親同士が仲良いだけなのに、こんな卑屈で、暗くて面白くもない奴と未だに仲良くしてくれてるって時点でもう…」
「河野さん、それはちょっと違いますよ」
「え?」
「別に親同士がーとかじゃなくて、本当に
河野さんといるのが楽しいから、仲良くしてるんだと思いますよ」
「そんな訳」
「大人になってまでそんな親同士の仲なんて気にしませんから!」
「いや、あいつは」
「河野さんと一緒にいるのがただひたすらに楽しいんですよ、ヤズ瑛さんは。じゃないと、何十年間も仲良くできません。」
「俺はてっきり、あいつが、同情とか、優しさだけで仲良くしてくれてるもんだと…」
「ないない、絶対ない!」
押し入れでヤズ瑛さんが言ってた事をそのまま伝えたいけど、でも、それはなんとなくヤズ瑛さん本人から伝えるべきな気がするし…。
「いや、やっぱそうだよ、じゃないとこんな俺みたいな奴と何十年も」
「だから!」
ヒートアップしていたら、下にある小石に気づかず、コケてしまった。
「いった…」
「大丈夫?」
「うわ、結構深い…」
懐中電灯で照らしてみると、細々とした石が傷に入り込んでいて、かなり痛々しい。血も出ている。
「病院行った方がいいな、これは。…そういや、スタッフは?誰かに声掛けないと」
「いえ、大丈夫ですよこれくらい」
立ち上がると、思ったより足に力が入らずよろけてしまった。
それを河野さんが受け止めてくれたお陰で事なきを得た。
「これは大丈夫じゃない、港区ではなかなか見ないレベルの怪我だよ」
「どういう事ですか…とりあえず進みましょ、私は大丈夫ですから」
「いや、ここで待機な、危なすぎる」
「もう、大丈夫ですって!1位逃したらインセンティブ入らないんですよ?私も河野さんも」
「今更金なんてどうでもいいって!人が来るまで待機!」
「そんなの待ってられません、私は行きます!」
「…分かったよ、じゃあせめて」
「なんですかそのポーズ、セミの真似ですか?」
「俺の背中に乗れって意味だよ!おんぶするから」
「嫌です!そんなハレンチな!」
「おんぶをハレンチと思う方がハレンチだよ!」
「嫌ッー!」
「悲鳴あげないで!勘違いされるから!」
「じゃあもう私はいいですから、河野さんだけで行ってください!」
「…栞ちゃん、俺の事どう思ってんの?」
「はい…?」
「俺の事、こんなとこに女の子1人置いていけるヤバい奴だと思ってる?」
セミのポーズのまま私を見る河野さんの目が有無を言わせないという雰囲気を纏っていて、少し怖い。
…なんか怒ってる?
「いえ…」
「じゃあ乗って」
「重たいですよ、覚悟してくださいよ」
私は恐る恐る背中に身を預けた。
「軽いじゃん、嘘つき」
河野さんはなんて事ないように立ち上がって、歩を進めた。
「あの、怒ってます?」
「若干な。心外だよほんとに」
「…でもヤズ瑛さんも同じ気持ちだと思いますよ」
「なんで今あいつ?」
「いつか分かりますよ」
「中々つかないね…」
「竹林が長すぎるんですよ…」
あれからかなりの距離を歩いたはず、なのにいつまで経っても竹林に終わりが見えて来ない。
「…あれ、河野さん」
「どうした?」
「これ、さっきの私がつまずいた小石じゃないですか?」
「似てるだけだろ、道を曲がっても無いし」
私は懐中電灯で小石を照らした、すると周辺の地面に残る少しの血痕を発見した。
「ほら、地面に血が…」
「…じゃあ、同じ道を何回も通ってるって、事?」
「かもしれないです、あ、びっくりしちゃダメですよ」
「う、うん、いやッそれは厳しい」
ガサガサッと音がしたので、懐中電灯で恐る恐る音がした方向を照らしてみた。
「え?なんで?こんな時間に…」
「なに、栞ちゃん何!?」
「お、女の子が!女の子が!」
「おおおおおおおおおおおおおおお」
私がそう言った途端、河野さんが叫び声を上げながら物凄いスピードで走り出した。
向こうからしたらこっちのが怖いかも。
すると、目の前が光に包まれた。
河野さんの逃げ足が早すぎて、ついに光速になったのかとアホな事を考えていると、天使の声がした。
— — — — — — — — — — — — —
「2人とも余りにも戻ってこないから強制送還しました。」
目を開くと、心配そうにこちらを伺うシェムがいた。
「あれ…」
上体を起こすと、膝の痛みが無いことに気づいた。
「膝なら治しておいた。」
「そんなこともできるんだ…ありがとう。…河野さんは?」
「隣で寝てる」
隣を見ると、眉を顰めた河野さんがいた。
「河野さん、起きて起きて」
河野さんは凄い勢いで上体を起こした。ワンダーコ○か。
「はっ…あれ、竹林は…」
天使が訝しげな表情を見せた。
「竹林?…ここの周辺にそんな場所は無いですよ。」
「いやだって俺らさっきまで、ね…」
「マップで確認しますか?本当にこの辺に竹林は無いんですよ、びっくりさせようとしてるわけじゃないですよ」
天使が見せてきた地図には確かに竹林などなく、辺りは田園や、民家など、どこにでもある普通の地域だった。
「じゃ、じゃあさっき見た女の子も、竹林も…」
私と河野さんは顔を見合せた。
「おおおおおおおおおおお!!!!」
「びっくりした!2人とも!はいアウト!」
— — — — — — — — — — — —
温泉から上がって自販機でジュースを買っていると、いつのまにか横にシェムがいた。まだ起きてたのかと軽く怒られ、引率みたいで面白いと言ったら、俺は大卒だと言われた。そういう意味じゃないんだけども。ってか天使の世界にも大学ってあるんだ。
「…部屋まで送る、お前は1人にすると何をしでかすかわからないからな」
「うん、ありがと。ねぇ、私達が帰ってきたのって何時?」
「12時過ぎだ。他の3人が酷く心配していて、こっちは大変だったんだぞ」
「それ見たかったな…」
「呑気な奴だ、化かされたと言うのに」
「ちょっと、やめてよ怖い!」
「真相は分からんがな。誰が、何のためにお前ら2人を惑わせたのか…。まさに藪の中だな。」
「何それ?藪の中?」
「真相が分からない事を藪の中、と言うんだ、お前の国の言葉だろう」
「日本語は日本人でも上手く使えないほど難しいんだよ!」
「やり取りを円滑に行う為のツールがそんな分かりづらいもんだと困るだろ」
シェムが鼻で笑った。
「そう、だから誤解が生まれるんだよ」
私は、あ、と思った。
もしかして、河野さんとヤズ瑛さんの間を邪魔してるのって、言葉かな。
言わないと伝わらない事もあるけど、言ったら言ったで、形が変わって伝わる事もあるし、難儀なものだな。
もし当たり前に人がテレパシーを使えたのなら、河野さんはコンプレックスにさいなまれずに済んだのかな。
「栞、どうした。まだ膝が痛むか」
「いや、大丈夫、考え事してただけ」
「河野の事がそんなに気になるか」
「…分かってるなら聞くな」
そうか、こいつらはテレパシーみたいな力を使えるんだ、じゃあ誤解や争いなんて起きないのかも。
「雨降って地固まるという言葉もある」
「そっか、それもそうだね」
気がつけばもう部屋の前だった。
ってか、強制送還してくれれば良かったのに。
「甘えるな」
デコピンされて、反射的に目を閉じてしまった。開くともうシェムはいなかった。
心の声が全て聞こえるのも大変だろうな。
私は部屋に入り、流れるように布団へ横たわった。あ、ジュース飲んでない。