愛しのサリー
休日は布団から出ない、予定の無い日は1日中スマホを弄る。こうすることでお腹も空かないから一日一食で済む。まさに貧困ライフハック。厳しい日本社会を生き抜く術。…でも本当は奨学金さえ無かったら、手取りが20万を優に超えていたら皆が言うルミ○に買い物に行って、月イチで髪を整えてみたり、ネイルだってしてみたい、片方の中指だけでもいいから。全部にすると生活が出来なくなるし。あと、おしゃれなカフェで無意味に高いラテを頼んでみたい。
「…ん?」
布団にぐっと重みを感じた、なんだ?奨学金か?
ガバッと起き上がると、そこには可愛らしい女の子が私を跨ぐように座っていた。
「…えっ」
「初めまして、サリーだよ。」
まずは自分の頬を引っ張った、古典的だけど夢かどうか確かめるにはこれが一番手っ取り早い。
「痛いな」
私は布団を押しのけて廊下まで逃げた、アパートが狭くて良かった、この独房みたいな間取りに初めて感謝する。
玄関のドアを開けようとしたら、トントン、と肩を叩かれた。振り向くと、そこに居たのはシェムだった。
「逃げるな、まず俺の話を聞け」
寝巻きの首根っこを掴まれて独房へと戻された。
「突然ごめんね。栞ちゃん。」
サリーと名乗った少女は元からいたかのように私の部屋に馴染んでる、ソファが好きなのか座って何度もバウンドさせて、白いワンピースがヒラヒラと生き物のように動いている。
「サリーは成増を初回から見ている、いわゆるファンだ。今回は司会の天使もいないし、お前達に良い刺激になると思ってゲストとして連れて来た。」
成増を初回から?趣味が悪いな。
「そんな事ないよ〜、成増はずっと面白いよ。ねーシェ厶!」
「あぁ。最近はジリ貧だがな」
こいつもメンタリズムしてくるのか…厄介だな…。
「見ての通りサリーは男が好きそうなTheあざと女子みたいだろ?今回はお前とサリーでどちらが本物のファム・ファタールなのか争ってもらう。」
「負けないからね!」
どうでもよ過ぎるな、しかもそんな話聞いてないし…。
サリーはちょこまかと動き回り、カーテンをめくって外を見たり、私の数少ない家具をぺたぺたと触って頷いていた。初めて夢の国に来た幼い子供のように目が輝いている。
「お前またアプリの通知を切ったのか?」
あぁ…忘れてた。
「…栞、会話をサボるな」
アプリを見ると、確かにゲストの存在と11時から水族館に行くことが明記されていた。
「はぁ、準備するか。」
時間を確認すると、あと30分しかなかった。
「あ〜忙し忙し、はい出ていって!」
「えー!人間の身支度見てみたい!」
シェ厶は黙って部屋から出て行った。
「別に見ててもいいけど、なんの面白みもないよ」
「メイクはねー、全部のパーツに力入れすぎてもダメなの。浮いちゃうから。」
「なるほど…」
私はポーチを漁りながら毎度の如く決まりきったメイクをしていく。サリーはメイク道具が気になるのか、これは何?と何度も聞いてきた。
妹がいたらこんな感じかと考えたら、少し可愛く思えてきた。
「このリップ可愛い!」
サリーは私が600円で買ったリップを手に取った。
「付けてみていいよ、安かったし、てかあげる。」
「え!?いいの!?」
「あんまり使ってないから、お古で良ければ」
「やったー!」
サリーの唇にのったリップは600円とは思えないポテンシャルを発揮した、私の時はそんなに色付かなかった癖に!
「いいじゃん、似合ってるよ」
「ありがとう!」
鏡と睨めっこするサリーを横目に、私は下着姿になりクローゼットを見ながら悩んだ、ここは無難にワンピースでいいか。
ワンピースを手に取り、着替えるとサリーが目の前を手で隠していた。律儀な奴。
「え?!ここで着替えるの?!」
「そんなに気にしなくていいのに」
「…きっ、気にするよ〜!」
1着で全てのコーディネートが片付くワンピースは便利。オールインワンクリームみたいなもんだ。
「ほら、もう着替えたからいいよ」
仕上げに髪の毛を巻こうとコテのスイッチを入れたら、サリーが不思議そうに眺めてきた。
「やってみる?」
「…うん!」
私は自分のを終わらせたあと、サリーのサラサラの金髪を手に取って、毛先だけ軽く巻いてあげた。
「うわー!可愛い!!」
それだけでサリーは大喜び。天使はコテを使わないのだろうか?
バックにポーチやハンカチを詰めていると、シェ厶が戻ってきた。
「お前ら随分と仲が良さそうだな」
「妹ができたみたいで楽しいの」
「だがサリーはお前の敵だぞ?」
「…忘れてた。」
「今回は特別ルールだ。サリーが4人をときめかせれば、お前の現在の報奨金が減っていく。だがあとはいつも通りお前が4人をときめかせれば報奨金は増えていく。最初と最後で報奨金の額が増えていたらお前の勝ち。1000万円をプレゼント、減っていたらお前の負けだ。反対に1000万円を引く。」
「とんでもねぇイベント用意しやがって…」
「これもお前の成長の為だ。ちなみに、サリーはただのゲストとして紹介するから、お前との対決の事は誰にも言うなよ」
「ねー早く水族館行こーよ!」
サリーはシェ厶の腕を掴んで上目遣いで訴えた。
「そろそろ時間か」
どうやら今回の敵は手強そうだ、前回のときめいたら落書きされるだけのイベントがどれだけ平和だったのか分かる。
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「栞ちゃーんおはよ」
いつも通りシンプルな格好をしたヤズ瑛さんが階段を大袈裟に揺らしながら駐車場に来た。
「…隣の方は?」
「サリーでーす、よろしく!」
「あー、アプリに書いてた。遠橋ヤズ瑛です、よろしく」
「おにーさんカッコイイね、オダギリジョ○みた〜い!」
「マジ?よく言われる〜」
「おはよ〜」
The港区成金ファッションをした河野さんも現れた、可愛らしいサリーを見て目を輝かせている、男の人って単純だな。
「アプリの子かな?よろしく」
「サリーで〜す、よろしく!」
語尾にハートがつきそうな勢いだ、河野さんの目は既にハートになっている。
「ね、アボカドとか好き?」
お、口説き始めた。
「わかんな〜い、食べたことな〜い」
「じゃ今度俺と一緒に行こうよ」
「手癖わっる」
いつの間にか海太君と藤原さんもいた。
「…栞さん、おはようございます…」
サリーには目もくれず、藤原さんは私に挨拶をした。人見知りだからなにかきっかけがないと挨拶ができないのだろう。
「おはようございます、藤原さん」
「おはよ栞ちゃん。ゲストっしょ?隣の子」
「そうそう」
「サリーでぇす、よろしく〜!」
「可愛いね、今度俺と1パチ行こうよ」
「1パチってなぁに?」
「楽しい遊びだよ、手取り足取り教えてあげるから」
ゲボやりとりを見せられて不快だ、そうこうしてる内にサリーは藤原さんに目をつけ、挨拶を交わした、いつの間にか4人で仲良く喋っている。
サリーはミルクキャンディーのような女の子だ。真っ白なワンピースにとびっきり似合う金髪のボブヘアー。口の中に入れたら甘さを残してじんわり溶けていきそうな感じがある。それに、軽やかに動く体はしなやかで、華奢だ。顔だってもちろんカスタムドールみたいに可愛らしい。私とは真反対。
シェムが自分の肩でくっと私の肩を軽く押した。
「お前、このままじゃ負けるぞ」
耳元でささやかれるとモゾモゾするからやめて欲しい。
「…分かってるし」
「なにか対策はあるのか」
「…」
「サリーはモテるからな。気を引き締めろよ」
「シェムもサリーの事可愛いと思ってるんだ」
「そりゃあな」
「ふーん」
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人数の都合でいつものお父さん車には乗らず、天使の謎の力により一瞬にして水族館に着いた。
「ある程度自由に行動はしていいが、はぐれるなよ」
チケットをシェムに貰い中に入った。サリーは我先にとスキップをしながら一番に中に入っていき、焦ったシェムが、待て待てと追いかけた。
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小学校の遠足ぶりに来る水族館は中々見応えがある。
「…栞さん…魚、綺麗ですね…」
「そうですね、ほらあれとか美味しそう!」
「…あれはマグロ、ですね」
「へー捌かれる前のやつ初めて見た!」
藤原さんは人見知りだから初対面のサリーの元へは行かない、残りの3人と違って。
サリーは3人を引き連れてなにやら楽しそうにしている。今回はターゲットを藤原さんに絞るというのもアリだ。
「ねぇ、藤原さん…」
「藤原さ〜ん、この魚なんて言うの?」
いつの間にかサリーは藤原さんの間合いに入っていた、なんたる素早さ、並の女ではできない動きだ。
「…マグロ、です…」
「あの美味しいやつ?藤原さんマグロ好き?」
「…まぁ嫌いではないですけど…」
「今度食べてみたいなぁ」
獲物を突然横から奪われた気分だ、むしゃくしゃする、私は藤原さんを置いてさっさと前に進んだ。
「…あっ、栞さ」
「私達も行こ!」
サリーはぐっと藤原さんの腕を華奢な腕でホールドした。もういいよ、アンタがファム・ファタールだよ。かないっこない。
はぁ、とため息をつくと、シェムが手招きしている姿が目に入った。小走りで向かうと、
「どうだ、手強いだろ」
と言ってきた、その顔は何故か嬉しそうだ。
「奴のテクニックはこれまでの成増・ファム・ファタ〜ルから得たものだ、お前にも過去の収録分を見せてやらんことも無いが…」
「結構!」
なんでシェムはあんなに嬉しそうなの?
アホ面で泳いでる傍観者のマグロを見てさらに腹が立った。捌いてやりたい、そう思ってマグロを睨んだらぴゅーっと逃げていった。
「うおやべぇ魚群だアッツ…」
海太君は水槽に手をついて目をキラキラさせている、絶対なにか別のこと考えてるんだろうな。
「アッツやべぇ!」
「水槽が熱いの?手を離せばいいのに」
私が言うと、ヤズ瑛さんが
「魚群か、そりゃアツいわ、大当たりだもんな」
と笑いながら言った。やっぱりパチンコのことか。
呑気で羨ましい。はぁ、とため息をつくと、ヤズ瑛さんがおいで、と私の手を引っ張って、別の水槽の前まで来た。
「ほら、栞ちゃん見て、サメだよ」
「あれサメなんですか?変な頭の形してるけど」
「多分、おそらく…まあ八割くらいサメ!なんか昨日調べてきたけど全部忘れちゃった!あ、あと、クジラって品種改良されたイルカらしいよ」
「絶対嘘でしょ」
だはは!と笑うヤズ瑛さんはいつも通りで安心する。
「あれとあれ、戦わせたら良い勝負すると思いませんか?」
「いいね、ウオキングだね」
「…ってかあれ」
「ん?」
「ヤズ瑛さん、手…」
私とヤズ瑛さんの手が恋人繋ぎになってた、ウオキングなんて言うからそっちに気を取られて気づかなかった。
「…ヤズ。」
「うお、なんだよ河野。今いいとこなんだよ。しっしっ」
「流石にそれはダメだろ、恋人繋ぎは絶対ダメだろ、付き合ってからだろ」
「嫌がってねぇじゃん、ねー、栞ちゃん」
「え、あっはい…」
水族館が薄暗くて良かった、普通の場所だったから顔赤いの、絶対バレてる。
「暑い?」
ヤズ瑛さんが繋いだ手と反対の手を裏返して、私の頬に軽く当てた。
「えっええええ!?」
私は一連の動きが衝撃的で思わず声を上げた。
「おぉ、ビビった〜」
「ヤズ、お前あんまいじめんなよ」
「…いじめてーねよ」
ヤズ瑛さんは私の手をさらりと離して、美味しそうな魚を見つけに行こうと笑った。
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お昼時になったのでランチを食べに移動した、移動先でもサリーは皆にべったり。
あの藤原さんも固結びから解かれた紐のように柔らかくサリーに接している。
私はお盆を持って皆の輪から外れて1人でアイスコーヒーを飲んでいたシェムの元へ向かった。
「ねぇ、ズルしてるでしょ」
「なんだ、藪からスティック。」
「今そういうのいいから。水槽にぶち込むよ。」
「言っておくが、サリーにそんな力はない。あれは全て成増を見た結果だ。本人の努力だ」
「随分サリーの事気に入ってんだねー」
「当たり前だ。」
「…もういい、知らない」
私はさっさと食べ終え、シェムの元を去った。もうアイツ無しで頑張る、私だってやれば出来るんだから。皆と合流する前に少し気合いを入れるため、化粧直しにトイレへ向かった。赤いリップを塗れば嫌でも気合いが入る、女の子は誰でも魔法使いに向いてるという歌詞を脳内にリフレインさせた、戦場における法螺貝みたいなもんだ。
普段外に出ないからなかなか使う時がないコロンを手首に一振。でも中に入ってるアルコールのせいで使ってないのに勝手に減っていってる。
鏡を見たら確かに魔法使いがいたので、安心して深呼吸、のち、外に出た。
「あれ…?」
トイレから出ると、皆がいなくなっていた。
「おかしいな…」
辺りを見渡してもいない、別のエリアに行くと、サリーが1人でクラゲを眺めていた。
「あれ?皆は?」
私が話しかけると、サリーはギクッと肩を揺らして、バツが悪そうな顔をした。
「…逃げてきた」
「え?なんでよ」
笑いながら聞くと、サリーは、いいよなぁ…と呟いた。
「何がいいの?」
「自由に動けて、羨ましい。」
「私はアンタが羨ましいけどねー藤原さん人見知りなのにもう懐いてんじゃん、このままじゃ負けるわ」
「…違うの。私は勝ち負けとかどうでも良くって」
「え?」
「ただ、自由になりたいだけなの」
サリーが水槽を見つめる瞳は何処か悲しげだった、そういえばリエちゃんもあんな瞳をしている時があった。
「なんかリエちゃんみたい」
「誰、それ」
「私の親友。高校生の頃アンタと全く同じ事言ってた。」
「…ね、私をここから連れ出して」
サリーの零れそうなほど大きな瞳がぐらっと揺れて、私を捉えた。
「何言ってんの、シェムが困るよ」
「いーの、大丈夫!水族館だけじゃやなの。せっかく下界に来れたんだから…」
「シェムに言ってまた連れてきてもらえばいいじゃん」
「無理だよ…簡単に来れる場所じゃないんだから人間と違って」
「おーいたいた」
後ろで海太君の声がした、振り向こうとした私の手を取って、サリーが走りだした。
私の制止も聞かずに人並みの中を駆けていくサリーの顔は何処までも真剣で、まるでなにかに追われてるようにも見えた。
その顔があの頃のリエちゃんそっくりで、私は握られた手を離せなくなってしまっていた。
サリーはちょっと休憩…と呟いて人目につかないところで座り込んだ。
「ねー、戻ろうよ」
私が言うとサリーは首を横に振った。
「水族館くらい、いつでも来れるよ」
「だから、下界は簡単に行ける場所じゃないんだってば…」
「下界?」
「人間達が暮らしてる、私達とは違う世界の事。」
「ふーん…でもシェムは毎回来てんじゃん」
「シェムは許可を貰ってるし、私と違って長く天使やってるから。でも、許可を貰うのも簡単じゃない、成増があるから来れてるの。」
「就労ビザみたいなもんなのね」
「本当は下界に関与するのもタブーだけど、シェムはいざという時の為の力を持ってるから許されてる」
「あーあのメンタリズムとか?」
「あれは天使なら皆できるよ。でもシェムは人の記憶に関与できるの。かなり珍しいんだよ」
「もし不都合なことでもあったら記憶消せばいいから、関与することを許されてるんだ」
「栞ちゃん、意外と理解早いね」
「意外?アンタねぇ…」
「…あ、2人とも…皆探してま」
肩をぜぇ、はえと動かしている藤原さんがいた。
「うわっ、逃げろー!」
サリーはそう言うと、また私の手を引っ張って駆けだした。
「…うわって…う、うわって…」
振り向くと項垂れている藤原さんが見えた。
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「あともうちょっとで出口だ」
サリーは壁に隠れながら言った。
「私必要だった?」
「必要だよ、逃避行は友達とするもんじゃん」
「友達〜?」
「私、友達が欲しかったの」
白く綺麗な手に、ぎゅっと手を握られた。
「栞ちゃんは私の友達、ね。」
「…分かったよ」
「でも出口まででいいから。外に出れたらあとは1人で大丈夫。」
「その後はどうすんの?生活とかできんの?」
「…分かんないけど、どうにかなるでしょ」
「生活は大変なんだよ〜、一人暮らしするとね、親のありがたみが分かるよ…何度ホームシックになったことか…」
「ホームシック?」
「うん、地元と実家に帰りたくて堪んなくなるの。無性に寂しくなってね、何も出来なくなっちゃう。」
「ふーん…あ、その、リエちゃんだっけ?リエちゃんはなんで自由になりたかったの?」
「んー、地元はド田舎で、何にもないし、誰が何したって話が筒抜け。親は厳しくて、遊びにも中々行けなくってね。そんな環境が嫌になって、ひたすら勉強して、奨学金借りて東京の大学に行ったってワケ。」
「フーン…」
「ちなみに私もそんな感じだったよ、リエちゃん程親は厳しくなかったけど、地元にずっといるのはなんか嫌でさ、冒険したくって」
「選択肢があるって、いいね。私はずーっとつまんない天界にいなきゃいけない、毎日楽しみは成増だけなの…。」
「だから自由になりたいのね」
「俺も実は埼玉出身なんだよ…自由を求めて港区に来たって訳。ちなみに、親がめっちゃ東京に憧れてて、だから名前が汐留なんだ」
「うわっ聞いてもないのに!」
「栞ちゃん、うわって…」
いつの間にか横にいた河野さんを撒くため、気づけば私はサリーの手を取って走り出していた。
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「ホントに行くの?」
「うん、栞ちゃん、ありがとう」
「なんかあったらドン○に行きな、大抵のことはどうにかなるよ、メガって書いてる方がより便利だから」
「うん、覚えておく。ほんとにありがとう…じゃあね」
無事出口にたどり着いた私は、サリーの手を離した。
「サリー。」
そんな私達の前にシェムが立ちはだかった。
「やっぱバレちゃったか…」
「こんな事になるだろうと薄々思っていた。戻るぞ。」
シェムはサリーの腕を掴んだ。
「やだ、戻らない!」
「ちょっと、離しなよ」
私が言うと、シェムは首を横に振った。
「どこまでいっても天使は天使で、人間は人間だ。天界は天界、下界には下界のルールがある。今逃げだしたって、ここでお前が存在できるとは到底思えない。」
「誰の力も借りない、1人で生きてくから!」
サリーが腕を引っ張るけど、シェムは離れない。
「ちょ、見られてるから…」
なんとか2人を宥めて、端っこに追いやった。
「いいじゃん、サリーは1人で生きてくって言ってんだからもうアンタには関係ないでしょ」
「天使が下界に居続けると、穢れて天界に戻れなくなる、持って2日だ。サリーはまだ未熟だから、1日でも危ないかもしれない。時間が過ぎればこいつは天使でも人間でもないただの化け物に成り下がる、誰からも認識されず、重たい体を引きずって存在することになる。…運良く戻れても、行先は地獄だ。」
そう言うと、サリーの目から涙が零れた。
「嫌だ…」
「俺もそんなお前の姿は見たくない。天界に戻るぞ。」
「…それも嫌だ」
地獄って、やっぱり怖い場所なんだ。サリーの足が震えている。
「あと何百年の辛抱だ、年数が経てばお前も自由になれる。」
「何百年、か…。長いねぇー」
私はため息混じりに言った。
「お前たち人間からしたらそうだろう、でも天使の何百年は割とスグだ、少し我慢すれば…」
「我慢我慢って、いっつもそればっかり!」
「お前はたった2日の自由の為に化け物に成り下がる気か?」
「たった2日でも、自由になれたらそれでいいよ!」
「バカ言うな!」
シェムが声を荒らげるところを初めて見た、いっつも冷静で、じとーっとした目で周りを見てるから。
シェムがそんなになるほど、あの子の事が大切なんだ、そう考えると何故か心臓がズクっと重量を増した。
「…でも分かるよ、サリーの気持ち。私も受験で初めて東京に来た時帰りたくなかったもん。ホテルから抜け出そうかなとか思ってたし…。けどそんな馬鹿な真似しなくて良かった、東京も意外と治安悪いし、どうなってたか分かんない。だからサリーも自由になる為に、まずは自分のこと大事にしな。動けなきゃ自由もクソもないんだから」
「そうだな、まずは自由になる為の自由を得なくちゃ」
横にヤズ瑛さんがいた、少し後ろを見ると皆揃っていた。
「お前ら、悪いな。イベント中なのに…。サリーお前も謝れ。」
シェムがサリーの背中を軽く叩いた。
「ごめんなさい…」
「戻るぞ、カットすれば編集でどうにかなる」
「ちょっと待って。サリー、アンタ行きたいとことかないの?」
私は肩を落とすサリーに聞いた。
「え?」
「行きたいとこに行こうよ、せっかくここにいるんだから」
「賛成〜。水族館も飽きたし。魚群はアツいけど」
「…じゃあ、海!海が見てみたい」
サリーは真っ青な空を見上げて言った。
「ったく…撮れ高は任せたぞ、栞」
「えー!?」
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「うわぁ〜!!!」
サリーは海についた途端、靴を脱ぎ捨てて走り出した。
「ちょ、まだ遊泳禁止だよ?!」
私が言うと、サリーは頬を膨らませた。
「泳がない!足だけ足だけ!」
「オレも入ろっと」
「河野ー貝拾って食おうぜ」
「こういうとこのって食えんの?」
「…密漁ですよ…」
私も靴を脱いだ、靴下も脱いで、決して手放しに綺麗と褒められない海に向かった。
「見て、空と海が同じ色だよ」
サリーは私に笑いかけた。
「ほんとだね」
私はサリーにぴょいっと水をかけてみた。
「あ、冷た!」
「ほれほれ」
連続でかけると、後ろから私にも水がかけられた。
「バカ海太!サリーも協力して!」
「うん!」
2vs1で海太に水をバシャバシャとかけまくった、気づけば陽は落ちていて、砂浜に向かうと、優しげな目でシェムがサリーを見ていた。
「栞ちゃん、私貝殻探してくる!」
「うん、行ってら」
休憩がてら座り込んだ。
砂のクッションはそのままのめり込んでしまうような不思議な感覚。まるでyogib○みたいだ。座ったことないけど。
「栞」
「ん?」
シェムが私の隣に座った。
「ありがとう」
「…何が?」
「あの子のワガママを聞いてくれて」
「別にー。てか、これからも連れてくればいいんじゃない?」
「俺達天使は下界にいすぎると体調が悪くなるんだ」
「天使って意外としょぼいね。」
辺りは暗くなっていた、ワイワイと話す声が祭囃子のように聞こえてきた。
「ここは俗っぽいからな、俺達は神聖な存在で…」
「はいはい、てかさっきから下界がーとか体調がーとか、ちょっとアンタら私達のこと下に見てるよね?」
「下に見てるというか、下だ。人間は支配するモンだ」
「はー?支配ってなによそれ、アンタらだって神様の使いなだけじゃん」
私は淡々と語るシェムに少しイラッときて、つい売り言葉を販売してしまった。
「試してやろうか」
シェムの顔がグイッと近づいた、私はビックリして後ろに逸れようと思ったら体が突然動かなくなった。
「えっ…あ、なんで」
息はできる、でも体の自由が効かない、操り人形になった気分だ。
シェムが私の頬に手を伸ばして、髪の毛を退けた。
「栞、怖いか?」
「…シェム?」
「…何やってるんですか…」
ぱっと体に自由が戻ってきて、振り向くと、スマホの懐中電灯を下からあてて幽霊みたいになっている藤原さんがいた。
「…ゴホン」
シェムはわざとらしく咳をして立ち上がり、サリー達の元へ向かった。
「サリー、そろそろ帰るぞ」
「…うん。あと何百年の辛抱だよね」
「安心しろ、瞬き程の速さだ。俺もそうだった。」
シェムとサリーの会話が遠くから聞こえて、少しぼーっとしてしまった。
「…栞さん?」
藤原さんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「…あっ、私達も行きましょっか」
「…はい」
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シェムが指パッチンをすれば、海から一転。
ボロアパートの駐車場だ。
「さぁ結果発表の時間だ」
「え?なんの?なんかしてたっけ」
ヤズ瑛さんが首をひねらせてうーん、うーんと考えているが無駄なのでやめた方がいい。
「まさか魚群が…」
海太君の目がキラーンと輝いた。
「それは関係ない。お前らには言ってなかったが、今回ゲストのサリーと栞は勝負をしていた。サリーが4人をときめかせれば栞の残高から減っていき、それが最初の残高を下回れば負け。-1000万のペナルティ。反対に栞が最初の残高をキープ、もしくは上回ることが出来たら+1000万のインセンティブ。」
「…つまり今回僕たちは、試されていた、と…」
「結果次第では皆さんをしばきます」
私は祈りのポーズをとった。
「結果は…」
サリーはそんな私を尻目にのほほんとした面をしている。呑気な奴、根っからのファム・ファタールはやっぱり違うよ。
「…栞の勝ちだ」
「え?」
おーっと安堵した声が4人から聞こえてきた。
ほっとしたのはいいが、足からぐっと力が抜けそうになった。
「おっと、大丈夫?」
サリーが咄嗟に私を支えてくれた、あざといだけじゃないんだ。
「ありがと」
「ううん。こちらこそ、ありがとう。海に行けたの楽しかった。」
「まぁほとんどシェムのお陰だけど」
「また会おうね、今日の事は一生忘れないから」
私とサリーはどちらからともなく握手を交わした。
すると、ぐっと腕を引かれほっぺに柔らかい感触が…。
「私のファーストキッスだよ!」
小悪魔のように笑うサリーはバイバーイと言いながら、足元から消えていった。
私は呆気にとられた。
「…女の子からチューされたの初めて」
「サリーは男の子だろ?」
河野さんが言った。
「違いますよ、だって…」
「あぁ、男体の天使だ。」
「え?」
「俺の弟みたいなモンだ。」
私の中で、シェムとサリーが点と点で繋がった。
「あっ…あー!!」
「近所迷惑」
海太君が私の肩をぽんっと叩いた。
「もしかして、私以外の4人は…」
うんうんと皆が頷いた。知らなかったのは私だけ…?
「着替え見られたっ…」
「マジ?!今度会ったら俺がしばいとくよ」
「そんなの絶対忘れてるから無理ですよ」
私が言うとヤズ瑛さんは眉をハの字にして笑っていた。
╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶ ╶
「てかシェム、最初に言ってよ…」
部屋に戻り、ソファに座ってシェムと今日の反省会。
「お前も勉強になっただろ。人はライバルができると途端に強くなるからな。これを活かして、次も頑張れよ。」
「そりゃ可愛いと思ってるよね…弟分だもんね…」
「あぁ。大事な弟分だ。」
「そりゃそうだよね…はぁ…」
あれ、なんで私…。
居てもたってもいられなくて、ソファからすくっと立ち上がった、なんか足がムズムズする、心臓も形がはっきりわかるくらいドキドキ言ってるし、体から飛び出そうで少し怖いくらい。
「栞」
同じくソファに座っていたシェムも立ち上がった、私に視線を合わせるため、少し屈むと、シェムの手が頬に伸びてきて…。
「えぇぇえ」
グイッと手で拭われた。
「口紅がついてた、サリーのだな」
「…もー帰って!」
私はシェムの背中を押し出して、玄関に追いやった。
「じゃあな、栞」
「二度と来るなァ!」
「な、なぜだ…」
そう言うとシェムは音を立てて消えた。
私はしばらく壁に背をつけて体育座りになった。
また長い1週間が始まる、でも、シェムからしたら瞬き程の一瞬の、出来事か。
その壮大さに思わずクシャミをした。