シェムだけがいない森
仕事を辞める気なんて到底ないのに、つい出来心で転職サイトに登録してしまった。こんな天気のいい週末になんてことをしてしまったんだと罪悪感や後悔に苛まれながら、1時間に3回掛かってくる転職サイトからの電話に逃れるように布団の中にくるまっていた。
「ひっ…!」
呼出音がなり、スマホを見ると見覚えのない電話番号、恐らく転職サイトが電話番号を変えて電話をかけてきたんだ、自分が悪いのは分かってる、でももう辞めてほしい、こんなに電話をかけてくるなんて思いもしなかった、もう家にも来そうな勢いだ、凸られたらどうしよう、つい出来心で…と決まり文句のような謝罪をするしかない、でも1時間に3回も電話をかけてくる執念深い会社にそれが通用するだろうか。
「栞、おい栞、いい加減起きろ」
「はっ…シェム!」
布団から勢いよく出た、そこにはシェ厶がいた、妙な安心感に包まれる。
「シェ厶〜…」
私は布団から飛び出てシェ厶に飛びついた。
「な、なんだ」
「出来心で転職サイトに登録したら電話めっちゃかかってきて…」
「なんだそんなことか、着拒とやらをすればいいだろ」
「それが電話番号を変えてかけてくるんだよいちいち!」
「ほう、それじゃ困るな」
「でしょ…どうにかしてよ、もう家にも来そうな勢いなんだよ…」
再び布団に包まり唸ると、シェムがよし、分かった、と言った。
「スマホを貸せ」
「え?なにすんの?」
「いいから」
丁度いいタイミングで電話がかかってきた。私は戸惑いながらもシェムにスマホを渡した。
「俺だ、栞あまのだ…いや、女だ。どっちが苗字なのかは今どうでもいいだろう。そんな事より、迷惑してるからもうかけてくるな。いや、登録したのは確かにあのバカかもしれないがな…お前なんだその口の利き方は、社会人かほんとに」
「ちょ、喧嘩しないでよ!」
「反社会勢○じゃないのかお前ら、そんな言葉を使うなんて、おい、いいからもう電話はかけてくるなよ、メールもダメだ、LIN○もダメに決まってるだろう、メールがダメなのになんでLIN○はいいと思ったんだ」
「反○とか言わないでよぉ…」
「…切れた。」
「…これで良かった、のかな?」
「いいだろう、今回のイベントはこのスマホが必要不可欠なんだ、邪魔が入ればお前が苦労することになる」
「イベント?なにやんのまた」
「今日はかなり厳しいぞ。詳しい内容は現地で天使から聞け」
「んで、それでなんで私が苦労すんの?」
「俺がいないからだ」
「え…?」
シェムが、いない…?
「な、な、な、なんでよ!!」
「少し用事がな。そもそもずっと俺がプレイヤーに付きっきりの状態がおかしいんだぞ、今までの成増ではこんなこと無かった」
「でもそれは、私が恋愛経験ないから…」
「あぁ、そうだ。だが、少しは1人で頑張らないといけないだろ。」
「そんな、シェ厶がいないと…」
完全な味方、という訳ではないけど近くにいて色々なアドバイスをしてくれるシェ厶は心強い、言うなれば初めてのバイト先で初めて仕事を教えてくれた教育係の先輩みたいなもんだ。
私の脳裏にこれまでのシェ厶との思い出がリフレインする。
「…女性のお洒落は利便性よりも華美性だと聞いた」
「ンなわけあるか!バスケやるならやるって言え!それでまた服は変わるんだよ!」
「なんかあったか?」
「別に何も?」
「なにもってお前…ミステリーにラブコメは付き物だろ。同時進行でちょっといい感じになっていく2人を見るのが楽しいんだろ。」
「そんな事ないよ、何見たらそう思うの」
「相○」
「見とれていたんだろ。俺はどんな服でも着こなす。移動型パリコレクションだからだ」
「…スク水?」
「サイズは丁度いいはずだ」
「なんで私のサイズ知ってんの?」
「…天使だからだ」
なんか1人でもいける気がしてきたな。
「あー、まあなんとかなるよ、私も1人立ちしなきゃね」
「…不安になったらこの電話番号にかけてこい」
「ありがとう」
一応紙を受け取ると、シェ厶は手をヒラヒラと振って消えた。
「奨学金奨学金…」
私は気合いが入る魔法の言葉を呟いて、ほっぺたを叩いた。
あのアプリを開いてみると、今日のイベントについて記載されていた。
「絶対にときめいてはいけない24時…」
私は嫌な予感に瞼をピクつかせながらも集合時間や持ち物を目に通し、軽く準備をして再び眠った。
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駐車場にて一番乗りで待っていると、河野さんが一番にやってきた。
「河野さん、こんにちは」
「こんにちは栞ちゃーん、会いたかったよ」
河野さんがバックパッカーのような荷物を抱えている。もしかして私が知らないだけでどこか遠い国のキャンプ場に行くのかな。
「…なんか荷物多くないですか?」
「キャンプって聞いて色々持って来ちゃったよ。俺自然大好きだから」
「え、意外…港区男子なのに」
「おっす〜1人で盛り上がってんな河野」
「ヤズお前相変わらず荷物少ねぇな」
ヤズ瑛さんは大きめのバック1個だけ、ちなみに私はこの前シェムがくれたバックに色々詰め込んできた。24時間という事で帰れるのは明日のお昼頃らしい。
化粧水も乳液もそのままぶち込んだ。小分けにする物なんて持ってない、それもそのはず、旅行なんてした事ないから。奨学金のせいで。
「栞ちゃん〜おひさ」
「お久しぶりです」
先週以来だけど、ヤズ瑛さんの中ではやっぱりだいぶ前のことに感じるんだろう、これ以上期間を開けたら私の事なんて忘れていそうだ。
続々とメンツは揃った、1週間ぶりに見る顔ぶれは一切の変化無し。
ただ違うことがあるとするならば、シェムがいない事くらい。
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「皆さんお集まりですね」
天使がぽわっと現れた、うさ耳をゆらゆらと揺らしている。
「今日はキャンプ場に向かいます、そしてそこで24時間自然を楽しみながら過ごして皆さんの絆を深めてもらいます!」
それで深まるもんなのかな絆って。
「スローガンは『one team〜一致団結、絆を深めよう〜」です!」
シェムはまた人間の要らない知識を身につけたのか、どう考えてもこれは林間学校のソレだ。
「そして、今回限りの特別ルールがあります。」
「特別ルール?そもそも普通のルールって、なんだっけ」
「ヤズ瑛さん。本来の目標を見失ってはいけませんよ…。ゴホン。えー、まあときめいてはいけないのはいつも通りなのですが、ときめいたら報奨金の減額だけではなく、顔に落書きをさせていただきます!」
「えー?最悪…」
やっとこさ覚えた化粧が台無しにされる、今日はトキメキそうになったらどこかに隠れた方が早い。
「その落書きは誰がするの?」
河野さんが聞いた、天使はぴっと短い腕を上げて私がやりますと言った。
「最初はほくろのような落書きしかしませんが回数を重ねる事に酷くなっていきますからね、ご注意ください。」
「落書きしたまま口説いたって、ねぇ…」
河野さんは私をチラッと見た。
「そのままで口説かれてもなんとも思いませんよ」
「今日はシェムが野暮用でいないので今から皆さんを現地に転送します、さあ目をつぶって」
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視界がぐわっと歪んだ、足元が覚束無い。
「着きましたよ、目を開けてください」
空気が一気に変わった、目を開くと、私達の前にコテージがぽつんとあった。
後ろは木だらけ。あとはBBQができそうなテーブルとチェアがあったり、水道もある。融通の効きそうなキャンプ場だ。
「プログラムをアプリに転送しています、まずはコテージの中に入って時間までゆっくりしてください」
そう言うと天使は消えた。
アプリを開くと、13時からBBQになっていた、BBQと言えばあの皆でシェムを欺いた日の事が脳内にリフレインする、そう言えばあれからだいぶ世間は暑くなった。
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コテージの中には部屋が2つとリビングが1つあった、トイレも風呂も2つずつある親切設計だ。キッチンも広々としていて使うかどうかはさて置いて、あれば便利な代物だ。
ベットが1つだけある方を譲ってもらい、私は荷物を持って部屋に向かった。
窓から見える無数の緑がみずみずしい。えげつない数の虫がいそう。
コンコンとノックが鳴った。
「栞ちゃん、いい?」
「どうぞ」
ドアを開けるとお菓子を持った海太君がいた。
「やっほー、気になって来ちゃった。これあげる」
「ありがとう、チョコ好きなんだよね」
「マジ?これこの前のパチンコの景品」
「…」
私は袋から取り出してチョコを食べた。
「窓の外めっちゃ綺麗じゃん」
海太君が外を見て言った、私はからかいたくなったので
「そんな情緒あったんだ」
と言ってみた。
「…栞ちゃん」
海太君がヅカヅカと私に迫ってきた、え?怒ってる?
「な、なに急に…」
背中が壁についた、ダメだこんな近距離、車なら煽り運転だ。
痛い程の目線が突き刺さる。逸らそうとしたら、顎に手を…俗に言う顎クイ…。
仕留めるように横に手が置かれた、このまま雰囲気に流されたら大きな損失を産んでしまう。特に今日はシェムもいないんだから慎重にならないと。
私は咄嗟に海太君の腕の下に潜り込んで
「おいっちに、さんっしっ」
腕に当たらないように交互にスクワットをした。
「えぇ…」
「これね、生活習慣病の予防になるの」
そう言うと、海太君は首を傾げたまま部屋を出て行った。作戦大成功!
「ヨシ」
「さぁ皆さんお待ちかね、BBQの時間で〜す」
イェーイと軽くテンションを上げつつ私の視線は肉に釘付けだった。
「もう変なゲームとかないよね」
「警戒してますか?でも大丈夫。今日は普通に食べられますよ」
「はぁーよかったよかった」
私はハッとした。安心してる場合では無い、点数を稼がなくては。
「…肉は私が焼きます!全て!」
「ど、どうしたの栞ちゃん…俺やるからいいよ」
トングを持った河野さんがカンカンカンと音を鳴らしながら言った。こいつ、わざとか?
「僕も…焼きます…栞さんは座っててください…」
「お、藤原さんも手伝ってくれるの?」
「栞ちゃん、河野はBBQ慣れしてるから大丈夫だよ、任せちゃいな」
海太君は私をチラッと見てニヤッと口角を上げた。
「はっはーん、率先して肉を焼いて気遣いができる私って訳ね…」
「性格悪すぎんだろパチンカス、テメェに肉が回らねぇように私が焼くんだよ…」
私達はメンチを切った。
「ほらほら、栞ちゃんはここ」
ヤズ瑛さんに腕を引かれ、あれよあれよという間に座ってしまった、いけない、このままでは。
「栞ちゃん、これあげる」
私の手首にヤズ瑛さんがブレスレットのようなものをつけた。
「これは…」
「虫除けだよ。俺とおそろい」
「藤原さん。肉ってのはな、これ生だろって時が1番美味しいんだよ」
「…やっぱり私焼きます!」
「え?座ってなよ」
ヤズ瑛さんはそう言うけど…。
「私、奨学金と同じくらい食中毒が嫌いなんです」
肉を焼いていると、チラチラとこちらの様子を藤原さんがうかがってきた。
「栞さん…食べれてますか?僕も…焼いてるんで…座っててください…」
「いえいえそんな、藤原さんだけにやらせるわけには」
「僕、火が…好きなんですよ」
藤原さんの光の無い目に映る炎は明々と輝いていた。
「なんか、危ないですね…」
「火を見ると…もっと、燃やしたくなって…」
「…海太!テメェ手伝え!」
「んだよもー」
私はいてもたってもいられず藤原さんに戻ってもらった、何をしでかすか分からない。
「じゃ、海太君と藤原さんは交代で…」
「栞さん…」
「あの、火を好きな人が火を扱うのは怖いんです…」
私が言うと藤原さんは一礼して席に戻って行った。
「人使いがあれーんだよ」
海太君はなんやかんやいいながらもちゃんと焼いてくれてる。
「…栞ちゃーん」
「なに」
「こっち向いて」
私はアホの海太を無視して焼き続けた。
「おーい…あ、スゲェ1万円が」
「え!?なに!?」
反射神経で海太君の方を向いた。すると口にジューシーな肉がいつの間にか入り込んでいた。
「ちゃんと食べろよ」
…これはまさか、アーンってやつでは?
「栞さん、アウトー!」
「海太ァー!」
「オレ悪くねーし」
海太のせいで天使に裏に連れて行かれ、目の下にほくろを書かれてしまった、この程度でほんとに良かった。
ヤズ瑛さんに代わってもらい、肉の味を楽しんでいると隣に河野さんがやって来た。
2人用のキャンプチェアに重さが加わり、ぎしっと音を立てた。
「楽しんでる?」
「はい、勿論」
私は焼き係の2人の口に肉や野菜を突っ込んでいるヤズ瑛さんを見て言った。
「あ、ビール飲んでる、意外」
「俺普段何飲んでると思う?」
「名前が難しいワインとか」
「港区男子だから?」
「はい」
河野さんは少し酔いが回っているのか頬を赤くしてぽやぽやとしている。
「俺ねー、ほんとはビールが1番好きなんだよ。BBQも大好きだし、ツーリングも大好き」
「バイク派なんですか?」
「うん、ほんとはね?でもさー…女ウケ悪いじゃん」
「そうなんですか?」
「車じゃないと女の子乗れないしね」
「…なんか、河野さんって」
「自分がない?」
「お、よく分かりましたね」
「モテたくて女ウケばっか気にしてたらこうなっちゃった。持ってきたキャンプ道具もさー、最近全然キャンプ行ってなかったからダメになってて…」
「頭に葉っぱついてますよ」
「マジ?取って」
「触ってもいいんですか?大事な頭に」
「いいよ、栞ちゃんなら」
河野さんは大人しく私に頭を差し出してきたので、葉っぱを取った。そのままセンター分けの前髪に手を伸ばしてみた。
「センター分けも女ウケするから?」
「うん」
笑いながら頷く河野さんの前髪をくしゃ、と崩してみた。いつもなら怒るはずなのに、今日の河野さんはあははと笑って無抵抗、されるがままの犬みたいだ。
「可愛い」
「…え?」
「あ、ごめんなさい、犬みたいで…可愛いなって」
「はい、河野さん、ヤズ瑛さんアウトー!!
「俺は分かるけどさぁヤズはなんでだよ」
「2人のやり取り見てたら…なんか…なんか!!」
焼き係が河野さんとヤズ瑛さんに代わった。軽口を叩き合いながら焼いている。
私は1人で2人掛けを使うのも忍びないので1人用のチェアに移動し、もくもくと肉を味わっていると隣に藤原さんが来た、後を追うように海太君が来て私の隣に座った。わざわざチェアを別のとこから持ってきて。
「…栞さん、美味しい、ですか」
「はい、人の金で食う肉ってサイコー!」
「…僕もそう思います」
「人の金でやるパチンコも最高なんだよ」
「マジでクズ」
ピン!と頭に衝撃が走った、そう言えば、シェムがこんな事を言っていたような気がする。
「今回はあざとく、大胆に行け」
「無理だよ私田中みな○じゃないもん」
「そこまで求めてない」
「例えばこうだ」
「足当たってるよ」
「当ててるんだ」
これだ!運がいい事にちょうど隣にターゲットがいる、2人も!勝負を仕掛けるなら今だ!
でも、どうやってする?足を大きく開いて…いやそんなのは様子がおかしい。
そうだ、これだ!
私は早速足を組んだ。
「…っ、うっ」
これ、両方ともツンツンできてる?足って組んだら短くなるんだ、知らなかった…。
足が変に絡まる、これ、今どうなってんの?テーブルを押してチェアを傾けてみた、でもダメ、2人の足に届かない…。
「…栞さん?」
「は、はい?あ、あっー!」
バランスを崩してチェアごとひっくり返りそうになった。でも、藤原さんは私を、海太君が椅子を支えてくれたおかげで後ろに倒れずに済んだ。
「ご、ごめんなさい…」
もう馬鹿な事はしません…と付け加えて謝罪すると、海太君が笑った。
「なんだっけ、ほら、シェムだっけ、あいつからの入れ知恵だろ。テーブルの下で足をツンツンしろって!ふりぃよ!いつの時代の合コンだよ」
「…え?古いの?」
「ツンツンしたいなら…僕の足をぜひ…どうぞ…」
「いやあの、バレてたら意味無くって…」
「そーだよ藤原さん、栞ちゃんはね、古い合コンテクニックを使ってオレらを騙そうとしたんすよ」
「やめてよ恥ずかしい…」
「はい、藤原さん、アウトー!!」
天使の高らかな声が響き、藤原さんは裏に連れて行かれてしまった…。
その後も何故か私は何もしていないのに藤原さんの顔には落書きが増え続け、最終的には色まで使われてしまっていた。
「凄いねー藤原さん、俺こんなの美術の教科書で見た事あるよ」
片付けをしながら河野さんが愉快そうに笑っている。
私はそんな会話を尻目に水道で皿を洗っていた。
「あー、袖が」
「降りてくんだろ、長袖なんか着るから」
隣で一緒に洗っている海太君が小馬鹿にしたように言った。
「だって半袖着て日焼け止め塗ったら勿体ないし。UVパーカーなら着るだけで済むもん」
「貧困ライフハックだな」
「栞ちゃん、いい?」
後ろからヤズ瑛さんの声がした。
「そのままで」
後頭部に人特有の暖かみを感じた、するとぬっと後ろから大きな手が出てきて、私の袖を丁寧におりあげていった。
「ありがとうございます…!ん!?」
振り向いてお礼を言うと、ヤズ瑛さんの顔は落書きだらけになっていた。
「いつの間に…私何かしました?」
「俺も分かんないんだよね、心霊現象じゃないの?」
色こそまだ使われてないものの、ヤズ瑛さんのオダギリジョ○似のハンサムなお顔は完全に天使のキャンバスと化していて好き放題されていた。
唇と眉毛を太くされたり、眉間にシワを書かれていたり、おでこに魚と書かれてるし…よく見てみたらほっぺに寄せ書きもある。
「短い間だけど楽しかったです、先輩と甲子園行けて良かったです…ほんとに寄せ書きみたい」
「でもそんな顔の人よくオレの近所のパチンコ屋にいますよ」
「どこのパチ屋?俺絶対行きたくない、当たんないでしょ」
一旦部屋に戻り、暗くなると皆でたこ焼きパーティーをした。
ありがたい事に天使が既に準備を終えており、あとは焼くだけだった。
今度こそ…と思い焼き係に立候補するも、祖父がたこ焼き屋さんだったという藤原さんに役割を奪われてしまった。
「藤原さーん、焼かせてください…」
「…たこ焼きを焼くのが好きなんですね…」
「…焼いたことないです」
「僕が、教えますよ…」
「こうやって、少しだけ液をいれて…タコを入れて…」
藤原さんは手際よくたこ焼きを形成していく。
「凄いですね!」
「藤原さんアウトー!」
「またか」
海太君が言うと、藤原さんはバツが悪そうな顔をした。
藤原さんのやった通りにたこ焼きの形成を試みるが、どうしても上手くいかない。
「んー、ダメだな…」
「ここを…こうして…」
藤原さんが私の手を取った。綺麗な指だ、真っ白で、器用そう。
「…はい、出来ました…あ、すみません手が」
「藤原さん、アウトー!!」
「もう近寄らない方がいいんじゃね?」
海太君が眉を顰めながら言った。
「ヤズ瑛さん、アウトー!」
「だからヤズ、お前関係ないだろ」
「どうなってんだ俺」
たこ焼きパーティーを終えたと同時にゲームも終わったようで、落書きは綺麗さっぱり消えていた。
それぞれ自室に戻り風呂を済ませて、私は寝る準備をしていた。
向こうからはワイワイガヤガヤと楽しそうな声が聞こえてくる。
布団に入ると、今日1日の事が走馬灯のように脳に映る。
そういえば、シェムを一度も呼ばなかったな。それも進歩か。
そんな事を考えていたら向こうの部屋も静かになり、私も寝ようとしていた。
「…ピッピッピッピッ」
なにか、電子音が聞こえる。
誰かの携帯?でもそれなら気づいて止めるはず。
「ピッピッピッピッ…」
一定速度を保ったままなり続ける音は、アレに似ている。
「まさか…爆弾…?」
私は布団から出た。こんなコテージに爆弾を仕掛ける奴なんていないと信じたいが昨今の世の治安を鑑みるに、コテージに爆弾があってもおかしくはない。
扉をガチャ、と開けると、向かいにある部屋のドアもガチャと開いた。そこにいたのは河野さんだった。
「あ、河野さん…」
私は小声で声をかけた。
「栞ちゃんも聞こえた?」
「聞こえました、絶対爆弾ですよ」
「爆弾!?こんなコテージに?」
「とりあえず、私は音の出処を探しに行きます」
「危ないから戻りな」
「いや、部屋にいても爆発したら終わりなんで」
「もう爆弾確定なんだ」
「ピッピッピッピッ…」
音を辿ると、キッチンにたどり着いた、
「…ここだ」
河野さんがキッチンの引き戸を開けた。
「ピッピッピッピッ」
さっきよりも音が身近に感じる。
携帯で引き戸の中を照らすと真っ黒な箱のような物があり、そこの液晶画面に10分と書かれていた。
「やべぇ、カウントされてる」
「え、マジで爆弾ですか」
カチッと音がして部屋の電気がついた。
「なにやってんすか2人とも」
海太君とまだ眠眼のヤズ瑛さんと藤原さんだった。私は爆弾物を取り出して、藤原さんに渡した。
「藤原さん、爆弾です!」
「…僕?」
「はい、なんか爆弾に詳しそうなんで」
「いや…初めて…見ました…」
「そりゃそうだわ。…ん?なんか紙が」
海太君が爆弾物の下に白い紙が貼られていることに気づいた。
「…えー、love or money…だってさ」
「英語読めるんだ」
私は思わず感心した。
「うっせ、オレ現役なんだよ」
「そっか、留年してたんだった。あれ、なんかある」
覗き込むと爆弾物である黒い箱の下に、小さな穴が2つ空いていてそこから赤と青のコードがこんにちはしていた。
「…赤はLove。青がmoney…」
「あ、そういう事。藤原さん賢いねー」
ヤズ瑛さんが感心していると、河野さんが爆弾物を手に取り真ん中に置いた。それを中心に私達は輪になった、残りわずか8分。
「どっちか切れって事ですよね、映画でよく見るやつ」
私はため息をこぼした。
「こういう時の8分って長いよな」
河野さんが言った、私は強く頷いた。
「俺は愛か金かだったら、迷わず金だな」
「私もです!河野さん、珍しく気が合いますね」
「よく分かってんね、栞ちゃん。金が無いと愛も生まれないからね」
「いや、違うね」
海太君がチッチッチッと人差し指を使って腹立つあの素振りをした。
「人は金があっても愛がないとダメなんすよ」
「どの口が、パチンカスが言っても説得力無いのよ」
「…僕も、愛だと思います…」
藤原さんが手を挙げて言った。すると海太君が藤原さんと肩を組んだ。なんかこの2人って意外と仲良いよな。
「そう思う根拠は?」
私は海太君に詰め寄った。
「愛ってのはその人の為に何かしてあげよう!って思う心の事じゃん?例えば、金は無いけど相手の為に何かしてあげるほうが愛を感じるっしょ?」
うんうんと藤原さんが長い髪を振り乱した頷いた。
「いやでも、金が無かったら何かしてあげる事もできないじゃん、この世にはお金が無いと出来ない事はいっぱいあるけど、愛が無いと出来ない事なんて0に等しいんだよ?」
海太君は黙り込んだ。
「ほら、やっぱ金じゃん」
チッチッチと河野さんが海太君の顔の前で人差し指を左右に動かした。こんなメトロノームがあったら腹立つな。
「追い打ちをひとつ。俺は金が無いまま結婚して幸せになった夫婦を見た事が無い、大半が数年後に離婚してる。」
「成田とかまさにその代表格だよな、借金エグいらしいぞ」
ヤズ瑛さんと河野さん共通の知り合いなのだろうか。
「返すあてもないのによく借りたよ、生活苦しくなるだけだろ」
河野さんの一言がグサッと刺さった。
「…耳が痛いです」
「あっ…ごめんね栞ちゃん…でも、まあ奨学金は仕方ないから」
「河野お前空気読めよ…」
無駄に謝らせてしまった。
「…ゲームの主催者が爆弾物を仕掛けたのはもう決まりきった事です…だからメタ的に考えると正解は赤です…これは皮肉なんです、最終的には金より愛だと、TV的なオチをつけるつもりなんですよ…しかも本当に爆発するとは思えません…成増はあくまで番組ですし…」
「そ、そうだ、藤原さんの言うとおり!大体借金がなんだよ!奨学金がなんだよ!」
「いや、シェムならやりかねないですよ、人間の常識は通用しないから。この前だって、打ち上げ花火じゃなくて、手持ち花火を私達に見せてきたじゃないですか」
「そっか…天使、でしたね…」
「あと、海太君、借金あるんだっけ。誰かを愛しても借金は減らないんだよ。」
「栞ちゃんはなんも分かってねぇな、愛より金を選ぶようになったら人間は終わりなんだよ!獣だ獣!そんなの獣なんだよ!奨学金の獣と港区の獣!」
「あ!?んだテメェー!?」
「俺は港区の獣で結構、愛より金だ!」
私と海太君は立ち上がった。
「お、落ち着いてください…時間が6分を切りました…」
「こうなると、ヤズ次第だな、お前はどっちだ?愛か、お金か。」
「俺赤の方が好きなんだよね」
「…それは…love派という事ですか…?」
「いや単純に赤が好き!かっけぇから!」
「ダメだ話になんねぇわこいつ」
河野さんが頭を抱えた。
「ヤズ瑛さん、愛かお金だったら、迷わずお金ですよね?」
私は真剣な瞳で脳に直接語り掛けた。
「どっちも!」
笑顔でそう答えるヤズ瑛さんの顔をひっぱたきたい。
「一旦ですよ、一旦、ヤズ瑛さんを犠牲にしませんか?」
「マージ、俺!?」
「栞ちゃん犠牲にしようぜ、爆弾ぐらいじゃ死ななそうだし」
「なんだァテメェ、さっきからよォ…」
「つーかテメェこそなんなんだよ、人の借金にケチ付けやがって…」
私と海太君は互いの襟元を掴み合って揺らした。もはや爆弾の事なんてどうでも良くなってきた。
「2人とも落ち着いてください…!」
「ヤズ、お前足速いんだからどっちかテキトーに切れよ」
「切るのと足速いのとどう関係があるんだよ」
「お前が切ってる間に俺らは逃げる」
「それって、お前も俺の事見捨てる気か…!?」
「人聞きが悪ぃな、信頼してるんだよ」
「いやちょっと待て、お前今めっちゃ悪い顔してるぞ」
「なんだ悪い顔って、お前こそ胡散臭い顔してるだろ!勘で仕事しやがってエセバーテンダー!」
「俺そこまで言ってねぇぞ!嘘っこセンター分け!ほんとはツムジ2個あるくせに!」
「ツムジが2個あるからなんだよ!鳥頭!」
「ピッピッピッピッピッピッピッピッ」
「…あの皆さん、爆弾が…」
「河野のバーカ!受付嬢口説くの失敗して俺が勘で作った酒飲んで泣いてた癖に!」
「あれも勘かよ!」
「金!」
「愛!」
「…爆発する…」
私達は藤原さんの方を一斉に向いた。
「あと…1分です…」
このままじゃ仕方がない。私は手を挙げた。
「…私に案があります」
「ロクでもなさそうだけど言ってみろよ」
海太君がやっと私から手を離した。
「コテージを犠牲にして、私達は外に逃げるんです。」
「ピッピッピッピッピッピッピッピッ…」
「…栞ちゃん、ほんとにロクでもねぇな。でも名案かも」
「じゃあ皆、せーので逃げような、玄関の道狭いから、俺足遅いし置いてかれ」
河野さんが爆弾を少しでも遠くにやろうと持った瞬間、
「せーの!!」
私が言うと皆一斉に走った、運動神経の良い2人が案の定一番に外に出て、それを追いかけるように残りの私達が外に出た。
「ピッピッピッピッピッピッピッピッ」
「…まだ爆発しないみたいですね…」
藤原さんの眼鏡がズレている、必死こいて走ったのだろう。
でも、外に出ても爆弾のカウントが聞こえてくる。
「コテージから離れよう」
河野さんの言う通りに少しコテージから離れると、白い大きな箱があった。
「…まさか」
私は震える足でそれに近づいた。
「音がこっちからしてます!」
ガムテープで封じられた大きな箱の中から、あのカウントが聞こえる…。
それはどんどん速度を上げている。
「栞ちゃん、離れて!」
ヤズ瑛さんにグッと腕を捕まれた。その時、
「パーン!!!」
白い箱から、なんとシェムが出てきた。ご丁寧に、クラッカーまでぶちかまして。
「栞、お前の努力をずっと見ていたぞ」
「…用事は?」
「あると言ったな、あれは嘘だ。」
シェムはよっこらせと言いながら白い箱から出てきた、よく見ると、学校でよく使ってた何処で売ってるのか分からない巨大な方眼紙を持っている。
「本当に爆発するわけないだろ。さあ全員スローガンは守れたか?one team〜一致団結、絆を深めよう〜ほら、言ってみろ」
方眼紙には細い字でスローガンが書かれていた。
私達は白い目でシェムを見つめた。
「方眼紙って1人で持つときついんだな」
シェムはそう言いながら白い箱の中に雑に方眼紙を仕舞うと、どうしたんだと言いたげな顔でこっちを見てきた。
「どうやら一悶着あったらしいな、あとで映像を確認させて貰おう。で、どうだ、スローガンは」
「シェムのせいで絆もクソも無くなった!」
私達は一斉にシェムに掴み掛った、藤原さんを除いて。
「オラ!箱に押し込め!戻れ戻れ!」
海太君がノリノリで箱にシェムを戻している、シェムは圧力に負けて箱の中に入った。
「なんだお前達!逆襲か!?」
「ガムテープでもう1回塞ごうぜ」
河野さんが提案した、シェムはどうして?という顔をしている。
「シェム、アンタが悪いの!ビビらせやがって…」
「そうだよ、栞ちゃんがシェ厶は天使だから人間の常識は通用しないって…って、あれ?」
河野さんがなにかに気づいた。
「…じゃあ悪いのって、栞ちゃんじゃない?」
この馬鹿、余計な事に気づきやがった。
「…そうっすよね、おーい栞ちゃん。」
私は咄嗟にヤズ瑛さんの後ろに隠れた。
「かくまってください…」
「いいよー、おいで」
「ヤズ瑛さん…ありがとうございます、私、ヤズ瑛さんのこと生贄にしようとしたのに…」
「え?そうだったっけ」
— — — — — — — — — — — — — —
あのポロアパートに転送され、気づけば駐車場にいた。
「…栞ちゃん、さっきはごめんね」
「私もごめんね…借金の事言っちゃって」
大人の癖に冷静さをかいていた。私と海太君は仲直りの握手をした、中指だけで。
海太君は明日はパチンコと大学だからと相反する2つの行為にかこつけてそそくさと自室に戻って行った。藤原さんも一礼して戻って行った。
河野さんとヤズ瑛さんは未だに言い争っている。
「帰らないんですか?」
「…あともうちょい」
ヤズ瑛さんが言った、河野さんはそれを聞いてニヤついた。
「実は久々の喧嘩なんだよ、もうちょい楽しんでくわ」
河野さんはぐちゃぐちゃのセンター分けを後ろに撫で付けた。
「…ふーん、じゃ、お先に」
男の人ってよくわかんない、私は自室に戻った。
部屋に戻ってソファに座ったらどっと疲れが。
「はぁ…」
「栞」
横にいつの間にかシェムがいた。もう驚くことでもない。
「映像を確認したが…アレはないだろう」
「だって…」
「だってもこうもない。お前にはまだしばらく俺がついていないとな」
「そーだよ」
「そーだよってお前な、少しは独り立ちする意志を」
「やだ。」
「はぁ…」
「シェムにずっと教えてもらうから、私、シェムがいないとダメなの」
「…そういう可愛げはヤツらの前で見せろ」
シェムが私のおでこを指でピン!と叩いた。