ミッドナイト・イン・成増
「どうして 納豆の賞味期限 結構大事な事なのに 凄く小さな文字で書かれてるよ」
陽が窓から差し込む土曜の昼間。自作の歌を歌いながら冷蔵庫を開けると、見事に何も無かったので食事をとる事自体諦めた。
「諦めるな」
冷蔵庫をパタンと閉めて振り向くとシェムがいた、不法侵入にも慣れたもんだ。
「今日のイベントは夜19時からだ」
「随分遅いね、んでなんでここにいんの?」
「あぁ、お前に夜の遊び方のレクチャーをしてやろうと思ってな」
「夜の…遊び?」
私は首を傾けた、夜の遊びって、まさか、シン○ー?
「栞、何を勘違いしているんだ…」
「あっ、ちょっと、メンタリズムしないでよ」
「近くのレストランで飯でも食いながらレクチャーしてやる、行くぞ」
「えーもうここでいいよ、外行くのだるいし」
しかし、それに納得いかなかった私の胃袋がグゥと音を鳴らした。
「ふん、体は正直だな」
「エロ漫画みたいなこと言わないで!」
「なっ…」
「てかさ…」
私はシェ厶の格好をまじまじと見つめた。
「な、なんだ」
ここら辺はファミリー層が行くようなレストランしかないのに、こんな全盛期のGACKTみたいな格好したやつが入店してきたらメインのファミリー層が怯えてしまう、それはきっと社会的に良くない。
「言いにくいんだけど、その格好で近所のレストラン行ったら多分浮いちゃうんだよね」
「そんな訳あるか、俺は移動型パリコレクションだぞ」
シェ厶はこの格好の何が悪いんだと言いたげに手を広げて服を見せてきた。
「んー、悪くはないけどファミレスじゃないんだよ。こっち来て!」
ボロボロのタンスをめいっぱいの力で開けた、ぎぎぎ、と木の抵抗にあったが負けずに頑張った。こんなタンスもう嫌だ。
「あーこれこれ、あった」
イベントの時に海太君が選んだあの緑色のジャージを取り出した。
「これ、私には少し大きかったからシェ厶には丁度いいかもしんない、ほら、着替えて!」
「俺がこのマリモのようなジャージを着るのか?」
シェ厶にジャージを渡した、でも眉を八の字にして明らかに嫌がっている。こんな角度初めて見た。
「なんでちょっと嫌がってんの」
「…」
「ファミレスはこんなGACK○みたいな格好で行く場所じゃないの」
私はシェ厶の服を指さした。すると、諦めたようにシェ厶が頷いた。物分りのいい天使だ。
「よし。じゃあ、私はスウェットで行くから」
タンスから着古したスウェットを取り出してシェ厶の方を見ると、既に服を脱ぎかけているシェ厶がいた。
「やめて!ここで着替えないで!」
私は咄嗟に手で目を隠した、異性の裸なんて処女には荷が重たい。
「いや今着替えてって…」
「外で着替えてよ!」
「外…外か!?」
「外!」
「わ、分かった」
「その間に私も着替えるからいいって言うまで入らないでね!」
「あ、あぁ…」
「シェ厶ー、まだ?開けるよ?」
部屋と廊下を繋ぐドアに向けて声をかけるが、何も返事が返ってこない、まさかジャージの着方が分からないの?
「シェ厶ー?開けるよ?」
意を決して、ドアを開けた。しかし、そこには誰もいなかった。
「…え?」
まさかと思い、3歩で終わる廊下を過ぎて玄関を開けると、パッツパツのジャージを着たシェ厶がいた。
「外ってそっちの外じゃないんだけど!?」
「通行人に見られたぞ…」
「さ、最悪…!も、いいから中入って!」
シェ厶は中だったり外だったり忙しないなお前は…とブツブツ言って中に入った。
「あのね、世の中には、言葉の綾ってもんがあって…」
「言葉の綾?誰の二つ名だ」
「…だから、言葉をそのまま受け取らないで!ってこと!」
シェ厶が上を見あげてため息をついた、
「あ、ため息ついた!」
今度は下を向いてため息をついた、腹立つやつだ。
「栞、大体な…」
シェ厶が近づいてきたので思わず後ずさりすると、玄関と廊下の間にあるビミョーな段差に足を引っ掛けてバランスを崩した、くそ、こんな僅かな段差ならない方がマシだ、建築家は誰だ、そんな事を思いながら後ろへの落下の衝撃に備えると、私の心配は杞憂に終わった。
「…あれ?」
気づけばシェムが私の腕をぐっと掴んでいて、目の前には藻が広がっていて、背中に回された腕は紛れもなくシェムのもので…
「大丈夫か?」
いや…この体制はマズイ…。
「い、イヤッー!」
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「痛い」
「ごめんなさい…」
シェ厶はお冷を頬に当てて眉をひそめた。
「ハグとか…したことなくて、びっくりしちゃって…」
「だからと言ってビンタはないだろう」
「ほんとごめんなさい…」
ピチピチのジャージを着た奴がお冷で頬を冷やしてる状況なんて傍から見ればかなり面妖なのだろう。お昼時の井戸端会議をしていた主婦達が私達を見てザワザワしている。
「まぁいい」
シェ厶がお冷を置いた、まだ心臓がバクバク言っている、これが本当にゲームの時じゃなくて良かった。賞金がマイナスになるところだった。私は自分を落ち着かせる為にお冷を飲んだ。
「もう1回するか?」
「ぶっ」
吐きかけたお冷を無理やり喉へ通した、汚くて、顔が歪む。
「何言ってんの…」
「兄弟ならハグくらいするだろ」
「きょ、兄弟って?」
「お前はこの前、俺の事をお兄ちゃんみたいだと言った。」
「そ、そうだけど…」
「もし奴らが賞金欲しさにお前の純情を弄んであんな事やこんな事をしてきたら、賞金は1円も残らないだろうな」
「あ、あんな事やこんな事をしてきたら流石に止めてよ!」
「成増にもコンプライアンスはある、キスからアウトだ」
「そんな裏ルール別に知りたくなかった…」
「少し前までは良かったんだけどな」
「ど、どこまで…」
「…ここでは言えない」
そうこうしている間に頼んだ商品が来た。
「いいか、夜の遊び方についてだが…」
「花火とか?」
頼んだグラタンを解していると、もくもくと煙が上がった。シェ厶は意外にも和食を頼んでいて、味噌汁を掻き回しながらため息を吐いていた。
「まず夜の遊びってなんなの?」
「具体的に名前をあげると、クラブだ」
「クラブって、DJがCD回してるとこ?」
「あぁそうだ、いいかクラブってのはな…」
それから始まったシェ厶によるクラブの生い立ちとその歴史を聞かされた、けど、私はグラタンを食べるのに必死で話の10割を聞いていなかった。
「本題に入る」
長すぎた前説が終わり、やっと本題らしい。ここから耳を傾けることにしよう。
「クラブには色んな人間がいる、単に踊りが好きだったり、酒が好きだったり、はたまた、テイクアウトを狙う奴もいる。今回は一般客もいる中でイベントを行うから充分に気をつけろよ」
「はーい…で、クラブで何すればいいの…私は」
「大胆になってみるのもアリだろう、クラブではマジックが起きるんだ。薄暗い中でアルコールが入るといつもより異性が魅力的に見えるらしい。」
「なんか危ない薬でも撒いてるんでしょ、フロアに。クラブってそういうイメージしかないもん」
「偏見が強すぎるぞ」
「何かあったら助けにきてね」
シェ厶は頷いて、味噌汁を1口飲んだ。
「今回は、あざとく、大胆に行け。」
「無理だよ私田中みな○じゃないもん」
「そこまで求めてない」
「例えばこうだ」
「足当たってるよ」
「当ててるんだ」
「エロ漫画かよ」
「こうやって、秘密裏に二人の接触を楽しむんだ」
「こんなのが効果あんのかね」
私は今も尚ツンツンしてくるシェ厶の足を軽く蹴り返した。
「お前、髪の毛かなり長いだろ」
「長い方ではあるね」
「耳にどうやってかける?」
「こう、普通に」
私が耳をかけて見せると、シェ厶はチッチッチ…と人差し指を左右に揺らしてきた、腹立つな。
「耳かけはこうやるんだ」
シェ厶は右手を左耳へ持っていき、自分の髪の毛を耳にかけた。
「これはクロスの法則と言ってな、こうする事で色気のある仕草になるんだ。覚えておけ。」
私は練習がてらやってみた、腕が首に絡まりそうでかなり至難の業だ。
「ね、ところでさ、クラブってTPOあるの?」
「いや、特には」
「でも私の普段の格好だと浮いちゃうよね」
シェ厶は思い出すように斜め上を向いた。
「そうだな」
「買い物行かないと…」
「俺も付き合う」
私達はファミレスからショッピングモールへ移動した、店に入った瞬間にそういえば2人ともショッピングモールに相応しい格好をしていないと気づいて急ぎ足で服屋を回り、いつもの私じゃ絶対に選ばない少し派手な服を買って、シェ厶のお父さん車に乗り込んだ。
「シェ厶、ありがとね」
「構わん」
「めっちゃ見られてたよ…ジャージのせいかな」
「見とれていたんだろ。俺はどんな服でも着こなす、移動型パリコレクションだからだ」
「まぁいっか」
— — — — — — — — — — — — — — — —
約束の時間に近づいてきた、あれから少し仮眠を取って来るクラブに備えた。
「見て、どう?なんか…派手すぎない?」
「クラブには丁度いいだろう」
「オフショルダーなんか初めて着るんだよ、露出多くない?大丈夫?てか、スキニーピッチピチなんだけど…」
「薄暗いからなんとかなる」
「薄暗さへの信用すごいね。…あっ、髪の毛も巻かなきゃ、メイクもいつものじゃダメだよな…」
シェ厶がふっと笑った。
「何ー?!」
「いや、すまん…」
「慌てる私見て何が面白いの」
テーブルの上にある鏡とポーチを開いた、横から熱い視線を感じて、視線を移すといつの間にかシェ厶が私の隣であぐらをかいていた。
「何…」
「人が化粧をする姿を余り見た事がない」
「そりゃそうでしょ」
「そういうのはどこで覚えてくるんだ」
「私は20になるまで全く興味が無かったんだけどね、リエちゃんっていう私の親友がそろそろ不味いよって言って全部教えてくれたの」
「良い友達を持ったな」
「でしょ、でもアホの裸族と付き合ってんの」
メイクはいつもより少し濃ゆくする事を意識して、淡々と進める、もう慣れたもんだ。
「面倒見が良い女ほどそうなるんだ」
「リエちゃんは面倒見が良い運命論者なの。そのアホの裸族の事を運命の人だって本気で思ってる」
「あぁ、面白いな」
シェ厶が笑った。
「ほんとに良い子なのに、勿体ないよ。ありゃいつか泣かされるね」
ポーチの中を漁って仕上げのリップを取り出した。
この前シェ厶がくれた、嘘みたいに赤いリップ。濃すぎないように指で調節しながら、何もしなくてもどうせ落ちるのになんかもったいないなと思った。
「こんな言葉がある」
「ん?」
「マスカラを落とすより、口紅を落とす男を選びなさいってな」
「…え、どっちも嫌なんだけど。なんで勝手にメイク落としてくるの?」
「栞…違うんだ」
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「皆さんお揃いのようですね」
慣れない靴のせいで早速靴擦れを起こしそうだ、天使の話も耳に入って来ない。
「今日はミッドナイトイン成増…いつもとは違う大人の成増です…!」
「ホテルの名前みたいだね」
ヤズ瑛さんがぼそっと呟いた。
「ですよね。てか、マジでいつもと違う」
横にいた海太君が私をちらっと見た、私は海太君の足を軽く蹴った。
「馬子にも衣装」
懲りてないようなのでもう一度蹴った。秘密裏に2人の接触を楽しむってこういうことかな。
「さぁ早速、クラブヘ参りましょう!」
全員でシェ厶のお父さん車に乗り込んだ。
「栞ちゃんはクラブに行った事ある?クラブつっても、仲良しクラブとかじゃないよ!」
相も変わらずセンター分けの河野さんが聞いてきた。アホ面で笑っている。
「無いですよ、今日が初めてです」
「俺がクラブでの遊び方を教えてあげるよ、手とり足とりね」
「キショいなぁ」
海太君が呟いた。
「なんだと?…ん?藤原さん、大丈夫?」
後ろを向いた河野さんが藤原さんの異変に気づいた。
「藤原さん、どうしたんですか?」
私も振り返って見てみると、藤原さんが顔を真っ青にして震えていた。
「…クラブって…あの、クス○売ってるとこですよね…そんなとこに連れて行かれるなんて…」
「考えすぎだよ!」
ヤズ瑛さんが笑いながら言った。
「お金欲しいからって…こんな危ないゲーム参加するんじゃなかった…」
それは言えてる。
「別にそんな危ない場所じゃないから、大丈夫だよ。あ、そういえばさ、栞ちゃんいつもと雰囲気違うね」
「クラブのTNPに合わせてきました。」
「似合ってるよ、可愛い」
私は動揺して窓ガラスにおでこをぶつけた。
「なんか凄い音したけど、大丈夫?」
「ヤズ、お前のせいだろ、つかTNPになんか言えよ」
— — — — — — — — — — — — — — —
「いいか、家に帰るまでがクラブだ。怪しい連中には近づくなよ」
引率の先生のように話すシェ厶に各々好きに返事をして、全員でクラブへ乗り込んだ。
「藤原さん、大丈夫だって」
「おおおおおおおお…」
海太君が今にも崩れそうな藤原さんの腕を抱えている、この前の旅行の時と言い、あいつはなんやかんや面倒見がいい。
身体検査を終えて、中に入ると音楽や人が作りだす爆音に耳がやられそうになった。
「うおー!死ぬー!」
耳がイカれそうだと危機を感じていると、ヤズ瑛さんが私の耳に触れない程度に手を添えてきた。
「お手製ノイズキャンセリング!」
「有難いけど意味無いです!」
尚も爆音に苦しめられる私を見てヤズ瑛さんは笑っていた。
「ヤズ、ここぞとばかりにお前は…」
河野さんが腕を組んでため息を吐いた。
「栞さん…平気ですか…」
ぶるぶると震えている藤原さんが少し屈みながら私に話しかけてきた、心配してくれてるようだ。自分以上に焦っている人を見ると何故だか落ち着いてくる。
フロアを見ると、髪を振り回して踊る人々がいた。キスするんじゃないかと思うくらい近い人やもうキスしてる人、薄暗い雰囲気と知らない曲の重低音がいつもと違う世界を演出していて、確かにこれなら大胆に行けそうだと思った。
「藤原さん」
「…栞、さん」
「大丈夫ですよ、楽しみましょう」
私は震える藤原さんの手を取り、群衆の中へと飛び込んだ。
「栞さん!?」
「いいいからいいから」
連れ出したはいいものの、何をすべきかは分からない。
「ほらほら」
とりあえず見よう見まねで踊ると、藤原さんが軽く微笑んだ。
何か言っているけど、音楽のせいでよく聞こえない。
「え?」
藤原さんの上着の襟を軽く掴んで首を下げさせた。
「しししし、栞さ」
「おっとーそこまで」
間に割って入ってきたのはヤズ瑛さんだった。
私の手は直ぐに彼の大きな手に取られて、荒れ狂う群衆の中を凄い勢いで抜け、気づけば階段を昇っていた。
「もー、いい感じだったのに」
「俺といい感じになるのはダメなの?」
こんな中でもはっきりと聞こえる声に戸惑いながら、腕に力は入れないままでいた。
「ここで座って待ってて」
「は、はい…」
私は言われた通りに座った、1人用のソファが2つ、目の前にはテーブル。
「どこにも行かないでね」
私の後ろでヤズ瑛さんが囁いた、ダメだ、こんなの勝てっこない!正気になれ栞、奴は勘で酒を作るエセバーテンダー!そんな奴にときめくなんておかしい!
頭を抱えて唸っていると、肩をつつかれた。後ろを向くと
「お姫様、助けに来たよ」
薄暗い中でウインクをしている河野さんがいた。
「いつの間にここにいたんですか」
「急いで追って来たんだよ2人のこと。ささ、俺と行こ」
河野さんは私の手を取った、抵抗する間もなくまた人の波をかき分け、少し遠くのソファへ。騒ぐような人はいなくて、静かにしっぽり飲んでいる人がほとんどだ。
「栞ちゃん、あんま人混みとか好きじゃないでしょ」
「まぁ…」
「実は俺もなんだよね」
「意外です、毎日でも通ってそうなのに」
「もうちょい若い頃はヤズに連れられて行ってたけど、本当は得意じゃないんだよ」
「うっそだ〜!」
「本当だって」
「港区男子が人混み嫌いって、犬が散歩嫌いって言ってるようなもんですよ」
「なんだその例え、港区男子って言っても俺はうっ」
突如現れた海太君が河野さんの頭をチョップした、センター分けが崩れないか焦っている河野さんの顔が面白い。
「栞ちゃんはっけ〜ん」
「海太…テメェ」
河野さんが必死にセンター分けを戻している、情けない姿だ。
「どんだけ探したと思ってんの、ほら行くよ」
「さっきからずっとタライ回し…」
「もう回されないよ」
「なんで」
「オレが離さないから」
「キモ海太」
「なんだと?」
海太は私の腕を取って歩きはじめた、これと言ったアピールもまだできてないのに。仕方ない、コイツにすこしでも報いよう。
「1階は盛り上がってんなぁ」
海太君が立ち止まって、手すりの向こうに見える人混みを見下ろした。
「ホントだね」
私は少し大袈裟に海太君に近寄った、肩が触れるくらいの近さで、向こうがどう出るかを待った。
「ほら、見て。人がゴミのようだよ」
どこかで聞いた事のあるセリフを言いながらサラッと私の腰を抱いた、こいつ、やり手だ。
震えながらシェ厶の教えを思い出した、クロスの法則、そうだ、今こそTENG○の包装を…。
しかし、男慣れしてない体が上手に動かない、左手で何とか右の髪の毛を耳にかけようとするも上手くかからない。
「ん?どうしたの?」
うわきまず!見られた、恥ずかしい!
「髪の毛が邪魔なんだ」
海太君はそう言って、私の髪の毛を慣れた手つきで耳にかけた。や、やられた!奨学金が、奨学金が!
今海太君の顔を見るわけにはいかない、覗き込んでくる顔を避けながら1階に目をやると、
「藤原さん…?」
ノッポの藤原さんがBboyに絡まれているのが見えた、それも1人ではなく2人、3人…。
「あらー絡まれてんなぁ」
「助けに行かなきゃ」
「栞ちゃんはここで待ってて、オレが行くから」
「でも…」
「河野さんのとこ戻れ、危ないから」
そう言って海太君はとっとと行ってしまった。
1人残された私は、どうしても気になってしまい藤原さんの元へ行くことにした。
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慣れないヒールで階段を駆け下りて1階へ行くと、さっきよりも酷い人混みがあった。人をかきわけてかきわけて進むと、顔を真っ赤にした海太君と、それを支える藤原さんがいた。
「ちょっと!どうしたの?」
私は2人の元に駆け寄った。
「来んなって言ったじゃん…」
「酒臭ッ!」
「栞さん!海太君が、僕を助けるために…」
「だから違うって、テキーラバトルに誘われて、ノッただけ」
「なるほどね、なんとなく理解した。で、誰と戦ってんの?」
海太君が顎で指した先にはさっき藤原さんにイチャモンつけてた3人のBboy達、その中で1番偉そうなふとましい奴がグラスをどんどんテーブルの上に重ねていっていた。
「どんだけ飲みました?」
「…多分3杯くらいですね…」
「藤原さんは海太君連れてソファ席に行ってください」
「そんな、置いていけるわけ…」
「いいから」
私は藤原さんの背中を押した、そんなにお酒は強くないのか、海太君の意識は朦朧としている。あれは水を飲ませないとまずい。
「邪魔すんなよ」
代表のふとましいBboyが私の足元に空のグラスを投げつけてきた、パリーン!と小気味よい音を立ててグラスが割れた。なんて奴。育ちが悪い所の話じゃない。
怒りで震える唇を何とか抑えながら腕を組んだ、じゃないと手が出そうだ。
「選手交代。アンタは何杯飲んだ?」
「そんなのいちいち覚えてねぇよ!アイツ酒よえー癖に出しゃばってきてオモロかったわ、で?お姉さんは?強いの?」
正直めっちゃくちゃ弱いが、今はこのBboy達をなんとかぎゃふんと言わせたい、その気持ちでいっぱいで後先考えず、
「成増付近で1番強い」
と柄にも無いことを言ってしまった。
「おもしれぇ、おら、こっち来いよ」
バーカウンターの向こうでバーテンダーらしき人が待ってましたとばかりに腕を激しく動かした、やがてギラギラと輝く液体は小さなグラスに封じ込まれて、お盆に載せられ、私の元へ。もう今更逃げられない。テキーラって、アルコール何パーだっけ、100だったら、消毒液と変わらないよね。
色々考えたってもう仕方ない。私は覚悟を決めて差し出されたソレを飲んだ。
「…ん?」
おかしい、これはりんごジュースだ。もしかして、バーテンダーが気を利かせたのか?いや、そんなわけない、きっと奴らのグルだ。バーテンダーの顔もよく見たらBboyっぽいし。
「テキーラは初めてか?」
そう言ってBboyが勢いよくテキーラを飲んだ。ぶわぁと酒臭そうな息を吐いてるのが腹立つ。
何気なく2階に目をやると、シェムがコチラをジッと見つめていた。あぁ、なるほど。
全てを理解した私は、テキーラを運んでるスタッフから奪った。
「今の内に救急車呼ばなくちゃ」
「もう限界か?」
「アンタ専用よ」
テキーラ、もといりんごジュースを勢いよく喉に流し込んだ。ジュースなら、何杯でもいける!
いつの間にか観衆が増え、フロアは変な熱気に包まれて、私のお立ち台と化したテーブルがきしりと音をたてた。
「どんとこーい!」
私がそう言ってグラスを天井へ突き上げると、観衆はおぉー!と盛り上がった。今ここでコールアンドレスポンスしてくれたらノってくれそうな勢いだ。そんな私を見てふとましいBboyはつまらなそうな顔をした。
「…おい、俺らも選手交代だ」
「は?ずるくない?」
「テメェら3杯で交代しただろ!」
「そういえば」
「変われ」
選手がふとましいBboyからかなり細っこいBboyに変わった、え?俺ですか?という顔をしている。
「俺らは3人で1人だろ。おい首降んな、お前勝たねぇとリュージ君に言うから」
「ぐっ…うっ…」
「泣くんじゃねぇ!Bboyだろ!」
もう1人のBboyが言った。
Bboyは泣くことも許されないのか…。残酷な世界だ。
私はそんなやり取りを見ながらスタッフが持ってきたグラスを受けとり、飲もうとしたら、鼻をつんざくアルコールの香りがして不意に手を止めた。
「…え?」
りんごジュースだったはずなのに。あの魔法が効いていない。まさか、シェムの身に何かあったのだろうか。
私はさっきまでシェムがいた2階の方を見つめた。
「あー…」
シェムはその面の良さからハイテンションな女共に捕まり、魔法どころではない状況だった、あともう少しで胴投げでも始まるんじゃないかと思うくらいの人数がシェムを取り囲んでいる。
シェムとパチリと目が合い、何かを言いたそうに口を動かしていたが解読はできず、揉みくちゃにされながら奥の方へ消えていった。
手に残ったマジのテキーラを眺めていると、異変に気づいたのかふとましいBboyがおいおいおいと煽ってきた。
「やっと酔いが回ってきたか?」
「ベンチに戻った癖に態度がデカイ」
「あ!?んだテメェ!」
「栞あまのだ、覚えとけバーカ!」
「さっさと飲めよバーカ!」
特に特徴がない3人目のBboyが煽ってきた。
「言われなくても飲むわバーカ!」
ここは、飲むしかない。私が手を出した戦いだ。最後までやりきらないと…。
1杯くらいなら大丈夫でしょ…。
私はグラスを口に向けて傾けようとした、その時。
「しっつれーい」
長い足を巧みに使って、ヤズ瑛さんが軽々とテーブルの上に登ってきた。
「美味しそーなもん持ってんね」
「ヤズ瑛さん!」
何よりも大きな手がグラスを奪っていった。
「あー、うま!」
ヤズ瑛さんはやはり飲み慣れているのか、度数が強いはずのテキーラを体に流し込んでも何事もないようだ。そしてちゃっかり、私の腰を抱いている。彼はよっと、言いながらお立ち台から降りてグラスを置いた。
「栞ちゃん、こんなチマチマ飲んだって仕方ないよ。ウイスキーは瓶で行くもんだから。」
「これ、テキーラですよ」
「…俺もう味も忘れたわ」
Bboy達は突如として現れた妙にガタイのいいオダギリジョ〇に恐れを成したのか少し後ろへと下がった、怯んだのは一目瞭然だ。
「なんか胡散くせぇ奴来たぞ」
それはそうかもしれない。ヤズ瑛さんのおでこにピキっと怒りマークが入ったのが見えた。意外と気が短いんだ。
「つか、おかしいだろ!ちゃんと酒作ってんのか!」
ふとましいBboyはバーテンダーにケチをつけ始めた。
「栞ちゃん、お酒強いんだよね」
ヤズ瑛さんがこっちを見た、いつもは下から見上げているからこの視線はレアだ。
「…まぁ、成増付近で1番ですよ」
「今度俺とも勝負しようよ」
ふとましいBboyは両手でグラスを持って一生懸命飲もうとしているほそっこいBboyに蹴りを入れた。
「しゃきっとしろよテメェ全世界に晒すぞ!」
「嫌な責め方ね」
「リュージ君…リュージ君…」
ほそっこいBboyはちまちまとテキーラを飲んでいる、見ていて可哀想だ。なんだかリエちゃんが昔飼ってたハムスターが水を飲んでいる場面を思い出してしまう。
「立派なバーテンダーだね、俺みたいに勘で作らないんだろうな〜」
「大体の人が勘で作らないと思いますよ」
「そうだよね…ん?」
ヤズ瑛さんが頭を抑えた。
「ヤズ瑛さん…?どうしたんですか?」
お立ち台を降りて、ヤズ瑛さんの顔を覗き込んだ、目がぼーっとしていて、まるで夜勤明けのような顔をしている。
「栞ちゃん…眠いとか、無い?」
「いえ全く」
「そっか、良かった…」
そう言うとヤズ瑛さんは私の方に倒れてきた。
「大丈夫ですか!?」
咄嗟に支えるが身長180を優に超える男を平均的な身長かつ奨学金を背負っていて猫背の私には上手く支えきれず、2人して倒れ込んでしまった。
「ヤズ瑛さん!起きて!」
あの酒になにか入れられてたんだ、私はバーテンダーの方を睨んだ、素知らぬ顔で酒を作っている、その顔がむちゃくちゃ腹立つ。
ほっぺを叩いても応答は無い。このままじゃまずい。
「あんだけいきがってた癖に、ダセェなぁおい!」
「…アンタらやっぱグルね、眠らせてどうする気!?」
ヤズ瑛さんの頭を抱えながらなんとか上体を起こすと、ふとましいBboyがほそっこいBboyが今まで一生懸命飲んでいたグラスを奪い、振りかぶって私達の方に投げてきた。
ヤズ瑛さんを庇うように抱き締めたら、空中でグラスが止まって不自然に下に落ちた。辺りはザワザワとし始めている。
「そろそろ終わりだ」
群衆の中から突然シェムが現れた、どこかから引っ張ってきたであろうテーブルクロスを持って。
「シェ厶、大丈夫だった?」
「胴上げされずに済んだ」
シェ厶が私達をテーブルクロスで隠した。すると、一瞬で目の前が暗くなった。
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目を開けると、いつの間にかアパートの前に座り込んでいた。
ヤズ瑛さんは眠ったまま、まだ私の腕の中にいた。
「栞、体は大丈夫か」
「うん、なんともない。それより、藤原さんとか海太君は?」
「オレも元気だよ」
私の後ろから海太君が現れた。ヤンキー座りがさまになっている。
「良かった、心配したんだよ…なに、モジモジして。トイレ?」
「ちげぇよ!いや…まぁ…うん…ありがとう…」
頭を掻きむしりながら言葉を選んでいる海太君に不覚にもキュンとしてしまった。
「いいんだよ別に」
目覚める気配のないヤズ瑛さんの頭を取り敢えず太ももの上に置いてみた、いわゆる膝枕というやつだけど、硬いコンクリートの上で寝るよりかは幾分かマシだろう。
「今度奢るよ、パチンコ勝ったら…」
「いつになるかな」
「栞さん…」
「藤原さん、大丈夫でしたか?」
「…ほんとにすみませんでした、元々は僕のせいで2人を巻き込んでしまって、イベントも…終わってしまって、皆さんに迷惑を…お掛けしました…」
藤原さんは深深と頭を下げた。
「気にしないでください、あれはシェ厶のリサーチ不足です」
ひょこっと天使が現れて言った。
「そうだ、プレイヤーが気負う必要は無い。」
「…ありがとうございます。でも、今度は絶対、僕が栞さんを、助けますから…」
言葉尻がすぼんだ藤原さんに、海太君がえ?と言った。
「大丈夫ですよ、なんかあったらシェ厶もいるし」
「俺はお前のガードマンか」
「そっちの方が安心だな。…てかヤズ、お前いつまで寝たフリしてんだバカ」
河野さんがヤズ瑛さんの頭をとんがった靴の先でつついた。そう言えばこの前、ネットで港区男子の靴の先が尖っているのは求愛行動だって言ってる人いたな…。
「おーよく分かったな」
「何年一緒にいると思ってんだよ」
「起きてたんですか!?」
「なんか起きるの勿体ないなと思って」
ムクリと起き上がったヤズ瑛さんは欠伸をして立ち上がった。
「ごめんな栞ちゃん、俺カッコ悪かったわ」
「そんな事ないですよ、助けてくれてありがとうございました」
「栞ちゃんが変なの飲まなくて良かったよほんとに…でも、もう無理すんのはダメだよ、何かあってからじゃ遅いから、ね」
ヤズ瑛さんが私の肩に手を置いて言った。この人には有無を言わせない強いオーラがあると思う。
「分かりました…」
その強い瞳に自分が映っているのが見えると、まるで囚われてるようで怖くなる。
「てか…この能力あるなら毎回車で移動しなくてよくない?」
私は咄嗟に話を逸らした。
「いやダメだ。」
「俺も思ったよ、テレポートの方が楽じゃん」
河野さんがセンター分けにした前髪を後ろに撫でながら言った、腹が立つ。
「車内の会話があいの○みたいだと天使達の間で評判が良いんだ」
「…そういう事」
アホの海太が明日は1パチだと去って行き、藤原さんが頭を下げて去って行き、ヤズ瑛さんも仕事だーと唸りながら去って行った。
「栞ちゃん」
「なんですか?」
こうして河野さんと2人でいると、駐車場が広く感じる。あ、今日の月は満月だ。
「見てください、今日満月ですよ。満月に向けて財布を開くと臨時収入が…」
「俺の事も見て」
「へ?」
突然月が見えなくなったかと思えば、ドアップで河野さんの面が。
「…臨時収入入りますか?」
「そういう事じゃなくて…ていうか俺大変だったんだよ?!褒めてよ…」
「何が大変だったんですか?」
「栞ちゃんは知らないだろうけどさぁ!運転手さんから栞ちゃんの状況聞いてる時に、ギャルい女達が、こうヴワァ!って運転手さんに…」
要約すると、シェムがたまたま近くにいたヤズ瑛さんと河野さんに私がテキーラバトルに巻き込まれた旨を話していた、すると突然シェムがギャルい女達の苛烈な逆ナンに合い、魔法どころでは無くなった為、河野さんが間に入り、10人のギャルい女達の相手をした、その隙にヤズ瑛さんが私を助けに来たという事らしい。
「アイツ、俺は酒弱いからここで女の相手しとけって…いっつもいいとこ取りされんだよ…」
「なんか競ってるんですか2人で」
ヤズヤズヤズヤズ…この人はずっとそうだ。
「競って、はないけど…そういうゲームだろ」
「まぁ」
「…ぶっちゃけ、栞ちゃんってヤズの事どう思ってる?」
「…勘でお酒作るヤバいバーテンダー。」
「…だよなー!」
河野さんはセンター分けを翻してスキップしながら帰って行った。
「…何あいつ」