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「好きです。離れていたって、いつだって大好きです。俺が、絶対幸せにします」
――どんな返事が聞けるだろう。
「こちらこそ……よろしくお願いします」
そう恥ずかしそうに、でもまっすぐにこちらを見て笑ってくれるだろうか――――、
「だあああっ、やっぱ無理! 言えない!」
顔を覆って身もだえる。そのまま恥ずかしさにベッドをゴロゴロと転がっていると階下から母さんの声が飛んでくる。
「隼人、うるさいわよ!」
「ご、ごめん!」
あわてて飛び起きると、ベッドのスプリングが小さく悲鳴を上げた。
「でも、言えないよ、やっぱり……」
ため息をついた俺は今度は頭を抱え込んだ。
俺、近藤隼人には喫緊の悩みがある。
――曰く、片思いをしている女子に告白するかどうかということ。
男ならそんなことで日和らず一直線に思いを伝えろ! という叱責が飛んできそうである。俺だって、それが簡単にできることならこんなに悩んでいないのだ。
悩みの種はただ一つ。
もし、告白が成功したとしてもその時点で遠距離恋愛が確定してしまうのだ。
彼女の進学先は東京。それに対して、俺の進学先は。
――まさかの、アメリカである。
もはや国内まで飛び出してしまった壮大スケールである。時差も果てしなく、文字通り同じ時間を生きることすらできない。
俺は、もちろんそんなことは覚悟している。しかし、告白される側としてはたまったものじゃないだろう。
勝手に告白されて、それを受け入れたら勝手に置いて行かれるのだ。
国が違えば、容易に会いに行く事なんてできないだろう。電話だって、時差を考えればどれほどの頻度でできるだろう。
俺は、彼女のそばにはいてあげられないのだ。どんなに、彼女が泣いていたとしても。どんなに、傷ついていたとしても。
そばにいてくれる人と笑い合う、それだけの当たり前の幸せを彼女から奪ってしまうことになる、そのことに躊躇してしまって一歩が踏み出せない。
「でも、それでも好きなんだよなあ」
そう。だからといって彼女を諦められないところまで俺は来てしまっていたのだった。
だから困っていた。彼女の幸せを願っているのに、その笑顔がこちらに向けばいいと思ってしまう。
『隼人!』
笑いながら俺の名前を呼ぶ、脳裏に焼き付いたその姿。
――今野紗矢。
高校三年間を同じクラスで過ごした、俺の好きな人だ。
***
「ねね、近藤くん」
後ろの席から突然呼びかけられ、振り向くとそこには手を合わせた今野紗矢の姿があった。
「軽音のライブ、チケット一枚余ってるんだけど買ってくれない?」
差し出されたチケットを見て、ああ、と納得する。
自己紹介で軽音楽同好会に所属していると言っていた人か。
「あ、うん。いいよ。何円?」
「ありがとう、三百円だよ!」
にこにこ笑顔で今野は答える。ポニーテールが揺れていた。
「五百円玉しかないや、おつりもらっていい?」
「うん、全然! ……ありがとね、近藤くん邦ロック好きって言ってたでしょ? 近藤くんが好きなアーティストの曲もやるかもしれないから楽しみにしててね」
なぜそのことを知っているのかとぽかんとしている俺を置いて、ほんとにありがとー、と笑ったまま今野はどこかへいなくなってしまった。
少ししてから、我に返る。
そうか、自己紹介で俺が自分で話したのか。それなら初めて話した相手が知っていたとしても何もおかしくはない。
「記憶力だいじょうぶか、俺……」
さすがに高校に入学したばかりで老化はやめてほしい、とずるずると椅子に沈み込んだ。
正直、あまり期待はしていなかったのだ。高校が始まってまだ一ヶ月ほどだし、バンドとしての活動だって思うようにできていないだろう。ただのお披露目ライブだと思っていた。
「……ボーカルなんだ」
薄暗いライブハウスの一角で、俺は今野がステージ上で声出しをするのを見ていた。
あたりには俺と同じく彼女に誘われたのだろう、同級生の姿がちらほらと見えた。みんな、ドリンクを片手に和やかに談笑していた。
不意に、エレキギターの音が鳴る。
俺は、聞き覚えのあるイントロにピタリと動きを止めた。
途端に静まりかえったライブハウスに、今野が息を吸う音が響いた。
ドリンクカップから、水滴が落ちる。
『午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい』
――いきなりバンプかよ!?
鳥肌が立つのがわかった。
バンドメンバーは信じられないぐらい演奏のレベルが高い。エレキはあの特徴的なメロディを完全に再現できているし、ドラムもベースも確実にビートを刻み、崩れない。
そして、何より。
『見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ』
今野の、ボーカルがずば抜けている。俺と話したときの声は高めだったのに、音域が広いのだろうか、原キーでしっかりと歌い上げているし、声がどこまでも広がっていくような不思議な伸びやかさがある。
『明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた』
心から楽しそうに歌う。その姿に、誰もが魅了されているように感じた。
『お集まりの皆さんは、ほとんどが私の強引なセールスでチケットを買ってくれた方々です。ほんとにありがとうございます』
照れくさそうに話す今野に、会場のあちこちからクスクスという笑い声が聞こえる。どうやら、この場所には俺の仲間がいっぱいいるみたいだ。
『今日は、初めての一年生の初めてのお披露目ライブということで二曲しかできないのが残念ですが、皆さんを後悔させないライブにしたいと思っています。あと一曲ですが、楽しんでいってください』
そして、後ろのバンドメンバーを振り返る。
『バンドメンバーを紹介します!』
一人一人の名前が今野によって紹介され終わると、彼女はまたマイクを握って観客の方を向いた。
『私達は、中学生の頃からバンドを組んで一緒にやってきた仲間です』
その説明で、驚異的なまでに息の合った演奏の理由がわかった気がした。彼女たちは、高校で初めて出会った四人ではないのだ。ずっと前から、練習を重ねてきたからこその音。
『ですが、お客さんの前でこうしてライブをすることは今日が初めてです。なので、私達自身も精一杯楽しみたいと思ってます』
今野は、バンドメンバーと目を合わせて頷く。
『それでは最後の曲、聴いてください。フジファブリックで、『若者のすべて』』
またしても、俺は自分の腕に鳥肌が立つのがわかった。
――俺のいちばん好きな曲じゃん。
会場内にフジファブリックを知っている人が何人いるかもわからないような状況でこの曲を選んだのか。
曲が始まっても、あたりは静まりかえったままだった。誰の何の曲なのか、全く聞き覚えはない。そんな人が多いのだろう。
それでも、今野の歌声にはすべてを押し流してしまうような力があった。気づけば、会場の全員がその歌声の中でひとつになっていた。
『最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよね きっとね いないよね
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ』
俺は、この情景を焼き付けようと目を精一杯見開いた。
その日の帰り、興奮冷めやらぬままに今野に連絡をした。演奏がすごかったこと、歌声に引き込まれたこと、そして見事に俺の好きなアーティストの曲ばかりだったということ。
その文面に対する返事は、『あーやっぱり同類だったかー』というものだった。
それからだ。自然と、話す回数が増えた。好きなアーティストの話で盛り上がった。彼女のライブにも何度も足を運んだ。いつの間にか、二人の呼び方が名字から名前に変わった。
そして、高二の夏が来た。
***
アメリカ留学のための資格試験のために放課後、先生との面接練習を終えて教室に帰ってきたときだった。
窓際に、誰かが座っていた。
ドアを開けた音で誰かが来たことに気づいたのか、肩をふるわせて恐る恐る振り返る。
「……あ、隼人かあ」
その声はいつもと違って弱々しい。
「……なんか、元気なくね。だいじょう、ぶ……」
紗矢のもとへ近づいていこうとすると、その大きな瞳から涙が一筋伝った。
「ご、ごめん。泣くつもりは、なかったんだけど」
あわててまぶたをこする紗矢に、俺は無意識のうちに手に持っていたノートをきつく握りしめた。
いつも笑顔の彼女の、初めて見る涙だった。
俺は、単純だし、馬鹿だから。
その姿を見て、すぐには何も言えなかったけれど。
ただただ笑っていてほしいと思った。そんなに悲しそうな顔を紗矢にはしていてほしくないと思った。
「……話、聞くよ」
俺は、紗矢が座る席の後ろの椅子を引いた。
「私、みんなとずっと歌っていたいの。大学に入っても、大人になっても、ずっとあのメンバーでバンドをやっていたい」
「うん」
その言葉は、彼女の本心なのだと思った。そして、あんなにも楽しそうに歌って、ライブで輝いている紗矢は、いつまでもその姿が似合うと思った。
「私、みんなでずっとバンドを続けられるならほかに何もいらないぐらい、それぐらい、バンドで活動するのは幸せなんだ。でも、みんなはそうじゃないみたいで」
また、その瞳から涙がこぼれ落ちていく。
「紗矢にはついて行けないって。卒業した後も続けたいなら他の人とやってくれって。自分たちは、もう続けるつもりはないって言われて。私、だけだったのかなあ。ずっと楽しかったのは、私一人だけだったのかなあ」
その声に、嗚咽が混ざる。
「幼なじみでずっと仲良くて、初めて四人でフェスに行った日からずっとバンドやろうねって、ずっと一緒にいようねって続けてきたの。それも全部、私のわがままだったのかなあ」
「……それは、違うよ」
考えるよりも先に、言葉が口をついて出た。
「紗矢と一緒にいるときの三人は、いつも楽しそうだよ。四人とも、いつも同じ顔で笑ってる。端から見てたってそうなんだ、そんなの紗矢が一番わかるだろ。あの三人の笑顔は絶対に嘘なんかじゃない」
勝手に決めつけるな、お前に何がわかるんだ。
そんな声が自分の脳内にこだまする。でも、それでも。俺の目には、いつだって紗矢たちの笑顔が焼き付いて離れない。なんて楽しそうに、なんて安心したように笑うのだろう。まるで、自分たちの居場所はここなのだと確信してやまないように。
「そうじゃなかったら、あんなに人を感動させることなんてできないよ」
その言葉に、紗矢の顔がくしゃりと歪んだ。手で顔を覆って止まらない嗚咽に崩れ落ちる。
「……うん、ありがとう。ありがとうっ……」
細い声が何度も漏れる。紗矢はそのまま五分近く泣き続けていた。
「……私、みんなとちゃんと話してみる。もし、この先バンドが続けられなかったとしても、これからも一緒にいたいって伝えてみるよ」
「……うん」
「隼人、ありがとうね」
泣きはらした顔ではあるが、いつもの笑顔に戻った紗矢がこちらを見つめる。
「ぜんぜん。俺には全然バンドのことはわからないけど。でも、話ならいつでも聞くからさ」
だから、笑っていてくれ。
口には出さなくとも強くそう思った。
「そうだ。……隼人は留学、するの?」
「あ、うん。したいとは思ってる。正直、俺なんかがどこまでできるのかはわかんないけど……」
思わず、手に持ったノートを後ろに隠そうとした。
「なんで! 絶対できるよ!」
その手を、紗矢がつかむ。
「え?」
「だって、隼人はすごいじゃん!」
「……え?」
なんだか、力が抜けるような言葉だ。それでも、紗矢は俺の手を握る手にぎゅっと力を込める。
「隼人はすごいよ。いつも一生懸命だし、責任感強いし、まっすぐな目をしてるもん。やりたいことがあるなら諦めちゃだめだよ。絶対、隼人なら叶えられるから」
――だから、逃げるな。
そのまっすぐな瞳が、俺にそう伝えていた。
勢いに圧倒されていた俺は何度も頷く。紗矢はようやく、俺の手を離した。
「頑張って。私は応援するよ」
そう言い切った彼女に何か言うより早く、下校時間を告げるチャイムが鳴る。
「……あ、ごめん、私また練習に戻らなきゃ! バタバタしちゃってごめん、また明日ね!」
慌てて立ち上がった紗矢はありがとう、と最後に告げると駆け足で教室を出て行った。
「……元気が出たんだったら、よかった」
一人取り残された俺は、先ほどまで握られていた手を見つめた。よっぽど力を入れて話してくれていたのか、うっすらと赤くなっている。
俺は、その手をそっと握りしめた。
ずっと、アメリカに行くのが夢だった。もっと大きな世界を見てみたいと思っていた。
紗矢のまっすぐな瞳を思い出す。ついさっきまで泣いていたとは思えないぐらい、力強い声だった。俺の胸に一直線に刺さってくるような言葉だった。
「……ギリギリまで、足掻いてみるか」
俺は、一人小さく頷いた。やってやる。どこまでだって。
***
高三になった。なんの縁か、三年間同じクラス、同じ出席番号となった紗矢とは相変わらず仲がよかった。
それでも、お互い忙しくなり前ほどには話せなくなっていた。
英語の資格試験、弁論コンテスト、留学のワークショップや大学の体験授業などのイベントが増え、目が回るような毎日だった。それでも、少しずつだが勝負できる力がついていくのは嬉しかった。
『絶対、隼人なら叶えられるから』
いつだって支えになるのは、その言葉だった。
そして、紗矢のバンドもどんどんとファンを増やし、こなすライブの数も格段に増えていた。
足を運べる回数は減ってしまっても、ライブに行ったときは俺の姿を必ず見つけてくれた。
ますます磨きがかかった演奏と歌声に、ライブハウスは熱狂の渦に包まれていた。
そして、高校最後の夏が来た。
***
高校生活の集大成とも言える学校祭を大成功に収め、その余韻も覚めやらぬまま。
紗矢たちのバンドの、引退ライブが行われた。
『皆さん、今日は私達の引退ライブに足を運んでくださり、ありがとうございます』
同期のバンドを集めて行われたライブ、そのトリを飾る紗矢たちは何曲か披露し、会場を包む興奮の中でライブ後半への幕間に入る。
『初めて皆さんの前に立ったのも、この場所でした。あの頃がもう二年前だなんて、信じられません』
そう言って、会場中を見回す。
『ここに来るまで、本当にいろんな事がありました。楽しいことも、嬉しいことも。もちろん、悲しいことや苦しいことだって。それでも、今こうしてここに立っていられるのは、皆さんのおかげです。本当に、ありがとうございます』
頭を下げる紗矢に、拍手が沸き起こる。
『そして、大好きなメンバーとここまで来れたこと。私には、それが何よりも嬉しいです』
四人が顔を見合わせて笑う。それは、最後まで変わらない四人の笑顔。
『私達は、このライブをもって解散します』
突然告げられた言葉に、会場内がざわめく。
無理もない。ほかのバンドは、受験が終わったら活動を再開することを公言していたのだ。その中での、解散発表。その人気は校内だけにとどまらず、校外、県外にまでファンを抱えるほどにまで成長していた彼女たち。その突然の終わりに誰もが動揺していた。
おそらく、そのことを知っていたであろう他バンドのメンバーからでさえ、こらえきれないように嗚咽が漏れていた。
しかし、紗矢はそんな会場の雰囲気を打ち払うように言葉をつなぐ。
『私達は、ずっとずっと仲良しの幼なじみです。それは、これまでもこれからも変わりません。ただ、進む道が変わってしまうだけ。私達はこれからも一緒にそれぞれの夢に向かって走って行きたいし、いつだって帰って来ることのできる居場所であり続けたい』
その顔には、悲壮感は全く漂っていない。
『だから、このライブをいつまでも忘れない思い出にしたい。みなさんに愛してもらえたからこそ、この最後の瞬間まで、みなさんと一緒に最高の時を共有したいんです』
その言葉を合図に、エレキギターの音が鳴る。
『だから、みなさん、今日は最後まで楽しんでいってください!』
笑顔で叫んだ紗矢に、バンドの音があふれ出す。
四人は顔を見合わせながら笑う。どこまでも鮮やかな音がライブハウスを包んで、紗矢が息を吸い込んだ。
『聴いてください、『wasted nights』!』
あたりがまたざわつく。そりゃそうだ、高校生のガールズバンドでワンオクをカバーしようなんて人はまずいない。
俺は思わず苦笑した。
『Must be something in the water
Feel like I can take the worid...』
芯のある低音が響く。誰もが、その姿を見つめていた。
『ねえ隼人! ここ、ここの発音!』
『え、これ? これは……』
『なんでそんなになめらかに発音できるの!?』
涙目になって発音を繰り返していた紗矢。最初こそ、正確に音を取りながら発音することに苦戦していたが、持ち前の耳の良さでどんどんと上達していった。
『Don`t be afraid to dive
Be afraid that you didn`t try...』
『バンドは、解散することになったよ』
悲しそうに、それでも前を向いて教えてくれた紗矢。
『These moments remind us why
We`re here, we`re so alive...』
『でもね、もう泣かないよ。私、みんなが大好きって気持ちは変わらないから』
どこからともなく、拳が上がる。音の奔流が、俺達を容赦なく飲み込む。
俺と目が合った紗矢が、大きく頷いた。
――頬を、温かいものが伝っていく。
『Let`s live like we`re immortal
Maybe just for tonight We`ll think about tomorrow when the sun comes up』
『だって、これが全部の終わりなんかじゃないもんね』
また、会えるから。
『`Cause by this time tomorrow
We`ll be talking `bout tonight』
『ね、そうでしょう?』
そう、笑っていた。
『Keep doing what we want, we want, we want
No more wasted nights』
涙で、目の前がかすむ。紗矢が遠くに、どこまでも先に、行ってしまうような気がした。
――どこにも、行くな。
俺の傍にいてよ。
そう叫びたかった。
『次が、最後の曲になります』
圧倒的なパフォーマンスに、誰も彼もが泣き崩れている中で、紗矢は息をつきながら続けた。
『もうすぐ、夏も終わります。私達の季節は巡っていきます。それでも、決して消えないものだって、必ずあります。私は、今日のこの日を、皆さんと歩んできたこれまでを、決して忘れません』
最後のチューニングを終えたギターが、静かにイントロを奏で始める。
『この曲は、そんな私達のすべてです。……聴いてください、『若者のすべて』』
俺は、最初のライブを思い出していた。
そして、紗矢と他愛ない話で盛り上がったことも。帰り道でコンビニに寄ったことも。
高二の夏、紗矢の涙を見たこと。俺の夢を初めて話したこと。
『私、歌手を目指すことにしたよ』
紗矢の夢を聞いたことも。
――ああ、もっと、一緒にいられたらいいのに。
もう、夏が終わってしまう。
『最後の最後の花火が終わったら』
『隼人!』
あと何度、その笑顔を見られるだろう。
『僕らは変わるかな』
変わりたくないのは、俺の方だったのか。
『同じ空を見上げているよ』
――――好きだ。
好きだ、紗矢。
ステージ上のその姿が、その笑顔が、どうしようもなく眩しかった。
曲の最後の一音が鳴り終わると、四人は肩を組んで顔を見合わせた。
「「「「せーのっ、ありがとう、ございました!!!」」」」
その満開の笑顔に、割れんばかりの拍手がいつまでも鳴り響いていた。
***
俺はそのライブ後、すぐに行われた留学のための試験で合格点を取ることができ、なんとかアメリカの大学に合格することができた。
『よかったね、ほんとに頑張ってたもんね! おめでとう!』
紗矢からは、そんな連絡が届いた。彼女は夏頃から本格的にレッスンに通い始め、その日も東京まで指導を受けに行っていた。
彼女の目指す養成学校の入学試験は、何度も行われるオーディションをすべて突破しなければならないものだったから、俺にできたことはただ静かに見守ることだけだった。
やがて、飛ぶように高校生活最後の年は過ぎていき――。
三月。紗矢の、合格が決まった。
***
「これでやっと、夢に一歩近づけたかな」
「本当に、すごいと思う。紗矢の努力の結果だよ。おめでとう」
卒業式前日、久しぶりに話した紗矢はまた一段と大人になっていた。厳しい試験を突破して、夢への切符を手にした彼女はただ前を見つめていた。
「私が頑張れたのは、隼人が夢に向かって頑張るのを見てたからだよ」
「俺こそ、紗矢の言葉のおかげで頑張れたんだ」
あの日の言葉がなかったら、俺は弱腰のまま途中で逃げ出してしまっていたかもしれない。
「そっか。じゃあ、お互い様だね」
雪もすっかり溶け、ぬるい春の風が紗矢のポニーテールを揺らした。
卒業式の後は、バンドメンバーと打ち上げをするのだという。
だから、伝えるなら今日だった。
そばにいてほしい。隣で笑っていてほしい。
ずっと、いつからかわからない頃から好きだった。
そう、伝えられたら、どんなにいいだろうか。そして、それを受け入れて笑ってくれたら。
でも、紗矢の隣にいればいるほど、その姿を遠く感じてしまった。
「……紗矢が友達で、本当によかった」
臆病な俺は、それしか言えなかった。
紗矢が、穏やかに笑う。
「うん、私も」
怖かった。その光を、俺が遮ってしまうことが。
眩しすぎる彼女のそばにいられる自信が、俺にはなかった。
そして、俺達は卒業を迎えた。
***
――その結末が、今のこの体たらくだった。
「情けねえ……」
俺は、何度目かしれないため息をついた。
紗矢を置いてアメリカに行くのが怖かったんじゃない。
いつか、自分が置いて行かれることが怖かったんだ。
それならそれで諦めればいいものを、往生際悪く俺はずっとその笑顔を想い続けている。
最初から、諦められるわけがなかったのだ。
彼女がいない未来など、描けるはずもなかった。
そんな単純なことに今更気づいたのだった。
「……あーもう!」
俺は、ベッドから飛び降りた。自分のふがいなさにどうしようもなく腹が立っていた。
「……紗矢」
いい加減もう決めた。俺は、彼女に会いに行く。
たとえ、断られたとしても、きっともう悔いはない。
それよりも、何も言わずに終わらせることの方が嫌だと思った。
俺は、スマホだけをつかんで部屋の外に飛び出した。
階段を駆け下りて、玄関に向かう。
靴をきちんと履くのももどかしく、つっかけたままで勢いよくドアを開けた。
「……え」
――そこには、驚きで目をまん丸にした紗矢が立っていた。
「い、いきなりドアが開いたからびっくりしたよ。もうちょっと近かったらぶつかってたかも」
隣を歩きながら、紗矢があははと笑う。
「それはごめん……落ち着きがなくて」
俺は、会いに行こうとしていた当の本人が目の前に現れたことが信じられず、何秒か思考が完全に止まってしまっていた。
我に返った俺は、母さんが顔を出す前にあわてて公園に向かうことにしたのだった。
卒業式からまだ一週間ほどしか経っていないにもかかわらず、紗矢に会うのはものすごく久しぶりな気がした。
何も、変わらないはずなのに、なんだか急に胸が苦しくなる。
「まだ、卒業した実感わかないんだよね」
「ほんとにな……、みんなそうなんだろうな、きっと」
高校という場所から巣立っていくはずの同級生はみんな、また明日も当たり前に会えるかのようにいつも通り別れた。
「みんな、それぞれの道に進むんだよなあ」
「そうだね。……寂しい?」
紗矢が、顔を覗き込むようにして尋ねてくる。
そのとき、胸に鋭く痛みが走った。
――無理だ。
紗矢がいないと、生きていけない。
そんな、声がした。
「……俺は」
息を、吸い込んだ。
「紗矢が、好きだ。会えなくなるのは寂しいし、隣で笑っている紗矢をもう見られなくなるのがどうしようもなくつらい」
紗矢の顔がろくに見られないまま、俺は自分の中の感情を言葉にする。
「でも、俺はアメリカに行くし、紗矢は歌手になるために忙しくなるし……でも、それでも一緒にいてほしいんだ。紗矢に、ずっと笑っていてほしい」
なんだか、ぐちゃぐちゃだ。でも、もう止まらない。
「俺なんかじゃ、全然頼りにならないかもしれないけど、それでも紗矢のことを好きな気持ちは誰にも負けないから、だから――」
まっすぐに、紗矢の瞳を見つめる。
「俺と、付き合ってくだ――」
最後まで言い終わらないうちに、紗矢が腕の中に飛び込んできた。
「え、紗矢」
「……私が」
いきなりの行動に動けない俺に、紗矢はこちらを見上げてにらみつける。
「私が、そんなことを言うと思ったの? アメリカに行く人なんて嫌だって、隼人なんて頼りないから嫌だって、そんなことを言うと思ってたの?」
「あの、なんか、ごめん」
「私は!」
紗矢の瞳が潤む。
「私は、隼人の一生懸命なところも、アメリカに行くって頑張って夢を叶えたところも、ずっとそばにいてくれたところも、一回もそんな風に思ったことない! 私は、ずっとそばで見てきたんだからっ」
その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「私は、そんな隼人が全部全部、好きだったんだからっ……」
――目の前が、真っ白になる。
「だから、隼人のことをそんな風に言う人は、たとえ隼人だろうと私が許さないんだからっ」
泣きながら、こちらをにらみつけてくる紗矢。
俺は、その小さな肩を抱きしめた。
「ごめん、紗矢、ごめん。もう、そんなこと、言わないから」
腕の中で嗚咽を漏らす紗矢を抱きしめる腕に、ぎゅっと力を込める。
「紗矢」
彼女が、顔を上げる。
「好きです。俺と、付き合ってください」
そして、紗矢は泣き腫らした顔でようやく、笑う。
「私も。こちらこそ、よろしく、お願いします」
俺の背中に回る腕に、ぎゅっと力が込められた。
***
「懐かしいなあ」
俺は、紗矢のラストライブの時に一緒に撮った写真を見てつぶやいた。
あれから、もう四年が経った。
俺は、アメリカで大学を卒業し、久々に日本に帰ることになっていた。
「俺、言えんのかな……」
『だあああっ、やっぱ無理! 言えない!』
四年前のあの日、部屋で暴れていた事を思い出す。
そして、紗矢に思いを告げてから幸せな日々が過ぎたことも。
会えなくても、なんの不安もなかった。
ただ、紗矢がいる。それだけで、何でも頑張れた。
そんな彼女は、一週間後の今日、メジャーデビューを迎える。
『一番に、祝いに来てくれるでしょ?』
少しだけ大人びた彼女は、画面越しにそう笑った。
「……ああ、もちろん」
いつまでだって、一番にその夢を見届けよう。
いつまでだって、大好きなその笑顔のそばにいよう。
そこには距離なんて、関係ないのだということを何度も学んだ。
俺は、机の上の小さな箱を手に取る。
もうすぐ、空港に向かう時間だった。
一週間後の今日。
今野紗矢はメジャーデビューを迎える。
――――そして。
「笑っていて、紗矢」
俺は、その日。
紗矢にプロポーズをする。
Fin.
作中引用楽曲
*BUMP OF CHICKEN/天体観測
*フジファブリック/若者のすべて
*ONE OK ROCK/wasted nights