刺繍の完成と制服の仕立て 後編
アルファータ様とアレク様へのご挨拶を終えると、エレノグレース様はクレア様に商品の注文をした。相変わらず、クレア様が言い当てて「そのとおりよ」とエレノグレース様が答えるだけなのだけど。
アレク様はアルファータ様の注文に合わせて、はしごに登り天井に釣り下がるドライフラワーのように乾燥した植物を手に取ったり、引き出しから素材を探したりしている。
わたしはカウンターの椅子に座らせてもらっていた。手伝えることもないので、誰かの読みかけであろう開きっぱなしの本を覗き込んだ。前世の記憶が戻る前から、損はないとばかりに文字の読み書きもきちんと学んでいたため、極端に難しい専門書などでなければ十分に読める。
大きな本に小さな文字がびっしりと並んでいるので、わからなくならないように指で辿りながら読み始めると、アルファータ様が近づいてきた。
小さな声で話しかけられる。
「読めるのか?」
上から聞こえてきた声のトーンに目を瞬いて、アルファータ様に視線を合わせる。先ほどの挨拶とは違いなんだか威圧的な態度だ。物言いも声も冷たい。
「読めるのかと聞いている。答えなさい」
「読めます。あの……随分態度が違いませんか?」
高圧的な言い方にカチンときたわたしは、躊躇いつつも態度が違うことを指摘すると、アルファータ様は「物事を円滑に進めるためには使い分けることが必要だろう」と言い切った。
なっ!なんなのこの人!さっきの態度は社交辞令ってことか!
思わず、じろりと睨む。そんな態度に屈するつもりはないと目に力を込めまっすぐ睨み続けると、アルファータ様の眉間に皺が刻まれていく。
「そのような態度だと、魔法学院ではやっていけないぞ。私より偉そうな奴は講師にも生徒にも腐るほどいる」
その言葉に、エレノグレース様の話を思い出す。身分の違い。孤児であるわたし……。例え、この人が気に入らなくても我慢しなきゃならないことがあるんだ……。
「エレノグレース様は君を守るために、ご自分の権力を使って宣言をしてくれただろう。それでも、学院の中まで干渉することはできない。学び身に付けなさい、自分を守る術を」
アルファータ様はそう言って、わたしから離れた。アレク様の方へ向かっていく。
この人、教えてくれたんだ。なんて!なんて、不器用なやり方!
喧嘩売られているのかと思ったよ!
とても見えづらい優しさだが、心が温かい気持ちになる。
再び本を読んでいたわたしは、クレア様に呼ばれて顔をあげた。夢中になっていたようで、いつの間にかアルファータ様もいない。あれ?エレノグレース様もいない?
「リリマリア様、お待たせしました!エレノグレース様はアルファータ様とお話があるそうで、わたしが制服の仕立てのお手伝いを仰せ使いましたよ!さぁさ、行きましょう!」
「エレノグレース様とアルファータ様がお話ですか?」
「そのようです!ちょっと寂しいかもしれませんが、わたしで我慢してください!」
クレア様はそう言って、わたしの背中を押しながらお店の扉に向かった。
扉を出ると賑やかな街中だった。当たり前のことなのだけれど、いつも扉の間直結だから、とても不思議な気分。人通りも多く活気もある。ちらほらと見かけるローブ姿の人はみんな魔法使いなのだろうか?
「ここは、風の国で一番魔法関連のものが集まる街なのですよ!とても遠いのに、エレノグレース様が最果てにうつられたので、みんなここに集まってしまったのです!エレノグレース様のことが大好きな方々が集まる街ですから、ここに危険はありません!安心して散策も致しましょう!」
わたしの手を握ったクレア様は、軽い足取りで歩き出す。クレア様もエレノグレース様が大好きで追いかけた方に違いない。
クレア様は、仕立て屋さんに着くまでの間、いくつかのお店に顔を出してはわたしを紹介してくれた。どのお店の人もわたしがエレノグレース様の弟子だと知っているようで大歓迎の雰囲気だ。え?いつの間にこんなに広まっているの?エレノグレース様の権力って、どんな権力なの?想像を超えているのだけど……。
そして、クレア様のお店からわりと離れた場所に仕立て屋さんはあった。こじんまりとした、温かい空気の感じるお店だ。入口の側には植木鉢が並び、どれもきれいに手入れされ花が咲き乱れている。
そっと手を掛けて、クレア様が扉を開ける。優しく微笑んだ老夫婦が揃って出迎えてくれた。
「今か今かと待ち望んでおりましたよ、リリマリア様。ようこそいらっしゃいました。クレア様、ご案内ありがとうございます」
「はじめまして、リリマリアと申します。魔法学院の制服の仕立てをお願いいたします」
お辞儀をしたわたしは、老夫婦の柔らかい笑顔に田舎で農家をしていたおじいちゃんとおばあちゃんを思い出した。おじいちゃんたちの作る野菜は新鮮でみずみずしくて美味しかったな。ほっこりしながら二人を見ていると老紳士が話し始めた。
「エレノグレース様からお話はうかがっております。一度着替えていただいて、はじめましょう。ローブの裏地用の布もお預かりいたします」
裏地用の布はクレア様が持っていてくれたようで、手渡してくれた。それを広げた老紳士は、魔法陣の刺繍を確認して突然笑い出した。
「はっはっはっ!エレノグレース様は相変わらずですね。刺繍はリリマリア様がしたのですか?」
「は、はい。あの……やっぱり強すぎるのですか、その魔法陣は……」
「エレノグレース様の愛情を感じます。大切にされていらっしゃるのですね。自己紹介が遅れました。ロワンと申します。妻のターニエと二人、仕立て屋を営んでおります。さあどうぞ、あちらでお着替えになってください。ターニエ頼む」
「はじめまして、リリマリア様。ターニエと申します。腕によりをかけて、制服をお仕立ていたしますわ」
言われるがまま生成り色のワンピースに着替え更衣室を出ると、店内は様変わりしていた。隙間はすべて布で塞がれ、カーテンが閉められている。外の光が入ってこないぶん、薄暗くなってしまった店内の明かりを補うように蝋燭がいつくかつけられていた。大きな鏡が出され、正面に丸い台が置かれていてる。側に黒い布と裏地用の刺繍をした布が積まれていた。
ロアンさんはヴァイオリンをターニエさんは魔法使いの杖を持って台を挟むように立っていて、クレア様は鏡の奥で椅子に座って目を輝かせていた。
「羨ましいです!羨ましいです!ロワン夫妻に制服を仕立ててもらえるなんて!あ!そうです!リリマリア様は魔法に興奮いたしますので、お気をつけくださいませ!」
「そのお話もうかがっておりますよ。それでは、リリマリア様。こちらの台にお願いします」
ロワンさんに促されておそるおそる台にのぼると、ロワンさんはヴァイオリンを構え、ターニエさんは魔法使いの杖を振り上げる。
そして、二人は音楽を奏で始めた。ロワンさんはなめらかに指を滑らせながら、ヴァイオリンを弾き、ターニエさんは美しいソプラノで歌いながら、魔法使いの杖を指揮棒のように振るう。
台に乗ったわたしに、星屑みたいな金色の光の粒が降り注ぎだした。
積まれた布がふわりと広がると、わたしの周りをくるりと廻り長さを決める。浮かんできた裁断用のはさみがさくさくと布を切っていき、糸は自ら針穴に通り端から布を縫いあげていく。
「わあぁ!すごい!すてき!」
自分の周りを飛ぶ裁縫道具と布に目を奪われながら、心臓が高鳴っていくのを感じる。顔に熱が集まり始めて、慌てて我慢するけれどうまくいかない。
耳に響く心臓の音の奥からクレア様の手拍子が聞こえ、ロワンさんのヴァイオリンとターニエさんの高い声は歌い響き、繊細なメロディーが流れていく。
目尻に涙が溜まりだし、身体が震え始める。音楽は最高潮とばかりに音も光も高く昇っていく。わたしを包むように出来上がっていく制服が濡れないように歯を食いしばるけれど、大粒の涙が一粒零れた瞬間涙腺は崩壊した。
滝のように流れ始めた涙に苦く笑ったロワン夫妻だけれど、そのまま演奏を続けた。終わるころには、熱が上りすぎてぐらぐらするわたしは立っていられず、慌てて抱きかかえたクレア様が長椅子に寝かせてくれた。
「リリマリア様、お疲れ様でした。冷たい飲み物を用意しますので休んでいてください」
演奏を終えたターニエさんがそう言って下がると、ロワンさんはカーテンを開け、店内を片付け始めた。長椅子に横たわっているわたしが見えるように仕立てあがった制服がトルソーに着せられている。……わたしの制服。魔法学院の制服。トルソーの肩に掛けられているローブの裏地にはちゃんと刺繍した布が使われている。
……あ、まずい。また涙が……。
制服に感動していたらまた涙がこぼれ始めて、上から覗き込んだクレア様がふにゃりと微笑んだ。
冷たいお茶を飲んで熱を冷ましながら休んでいると、エレノグレース様が「遅くなってごめんなさいね!」とお店に入ってきた。瞼を腫らし横たわるわたしを見て困ったように笑うと、ゆっくりと近づいてトルソーに着せられた制服に触れた。
「きれいに仕立ててもらえてよかったわね、リリマリア。ロワン夫妻の仕立ては素敵だったでしょう?」
得意そうに言ったエレノグレース様はわたしの頭を撫でると、魔法使いの杖で治療をしてくれた。
治療で熱も下がり、瞼の腫れも収まったわたしはロワン夫妻にお詫びとお礼を言って制服を受け取った。魔法で仕立ててもらった制服を胸に抱いてお店を後にする。
予定通り、クレア様にほうきで送ってもらうためにクレア様のお店に戻るのだ。
「エレノグレース様。アルファータ様となんのお話だったのですか?」
初対面のはずのアルファータ様と急に話をするなんて重要な内容じゃないかと心配になってしまう。わたしの先生になる人なら、わたしに関係する話の気がするし……。
「うーん。少しね。リリマリアが光の魔力保持者であることはすぐにわかってしまうことだから、今のうちに魔法学院内に味方が欲しかったの。彼は、教えてくれたでしょう?」
「……聞こえていたのですか?」
「わたしの大事な弟子に話しかけているのだもの」
朗らかに微笑んだエレノグレース様はわたしの頭を撫でるとクレア様のお店の扉を開けた。三人で埃っぽい店内に入ると、アレク様がカウンターで熱心に本を読んでいた。……あれ?既視感。
「じゃあ、お屋敷で待っているから、気を付けて帰ってらっしゃい。荷物は思ったより多くなっちゃったから、制服以外は私が持っていくわ。クレア、アレク!いつでも遊びにいらっしゃい」
「……は!エレノグレース様!」
アレク様が顔をあげたときには、エレノグレース様は扉の間に消えていった。
「姉さん、帰ってきたなら声掛けてよ。はぁ……。リリマリア様、制服は仕立てられましたか?」
恨めしそうにクレア様に言ったアレク様は、わたしに向き直ると目線を合わせるようにしゃがみ、ふにゃりと微笑んだ。穏やかで癒されるなあ。
「まさか魔法で仕立てると思っていなかったので、とても心躍る光景でした!」
「ロワン夫妻の仕立ては、魔法使いの憧れなのですよ。羨ましい限りです」
はぁ……と感嘆のため息を漏らしたアレク様はぽうっと頬を赤らめている。魔法が好きな人に悪い人はいない!
「リリマリア様、そろそろお屋敷へ向かいますよ!準備はよろしいですか!」
「アレク様、本日は失礼いたします」
クレア様の急かす声に、アレク様へ挨拶をすると扉に向かう。振り返るとアレク様はひらひらと手を振って見送ってくれた。
外はもう夕焼けで急がないと暗くなってしまうと焦りが生まれるが、こんな空を飛べるなんてと期待も膨らむ。賑やかだった街は人通りも少なくなっていた。ほうきを構えたクレア様へ近づくと「リリマリア様はこちらですよ」とほうきに括り付けられた縄を指差した。
……え?
その縄は、ハンモックのように編まれていて、ちょうどわたしが吊るされるのにいいサイズ……。どういうこと?
「あの……クレア様……これは……えっと、」
動揺を隠せないわたしは、なんと言葉を続ければいいのかわからず、ぼそぼそと呟く。
「リリマリア様を乗せて飛ぶには体格が足りないのです!申し訳ないのですが、吊るされてください!結構快適ですよ!さぁ!座ってください!」
クレア様はほうきに跨って「飛行」と唱えた。大人しくハンモックに収まったわたしはふわふわと浮かび始めるほうきによって吊るされていく……。
ほうきは空高く浮かびあがる。吊るされるわたし……、吊るされるわたしぃ。せっかく魔法で空を飛んでいるのにテンションが上がらないどころか悔しさのあまり、涙がにじんできた……なんで、なんでなの!
「どうしてこうなるのおぉぉぉ!」
オレンジ色の夕焼けに染まる森の中にわたし悲痛な叫びがこだました。