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短編集  作者: 因美美果
10/12

短編・10

 今年も花見ができなかった。


 桜の価値も団子の美味しさもよく分からない。

 それでも青空の下、友人と一緒にご飯を食べるなんて考えただけでも楽しそうじゃないか。


 小さい頃、近所の公園に一本だけ桜の木があった。

 その木が着飾る季節になると、ベンチに腰掛けて惚けるお年寄りや、シートを敷いて手製の弁当を食べる家族がよく見られた。


 それがとても幸せそうに見えて、いつかそんなことができたらと密かに思っていた。


 桜の木が青葉へ衣替えした頃、公園で遊んだ子どもたちの一人が木登りをして落っこちたらしい。

 その親が酷く子の悲劇を上手に訴えたのだろう。

 唯一の桜は伐り倒されてしまった。


 木陰の消えた公園の春は翌年から寂しい西風ばかりが吹き抜ける。


 世界中に桜の名所はたくさんあって、小さな公園の一本より立派な桜もたくさんあるに違いない。

 別に未練なんて無い。

 そもそも誰の桜でもない。


 今年の春、友人と遊ぶ約束をした。

 ついでに大きな公園に立ち寄って桜並木でも歩こうとも。


 花見も遊ぶ約束も遂げられることはなかった。


 遊びだろうと仕事だろうと、外に出ることを世間が憚るように示した。

 外に出て日を浴びるよりも家の中でだらけることを推奨した。


 今まさに世間は大変な大雨に見舞われている。


 傘の代わりにマスクを身に付け、傘を差しているかのように人と間隔を測りながら道を歩く。


 行く予定だった公園は入り口を簡素なバリケードで封鎖されている。


 その雨で桜が散ることはないけれど、見る人は誰も居ない。

 桜だけじゃない。

 根元に咲いた菫も、池畔に並ぶ枯れかけの水仙も、人の居なくなった世界で散ることなく生きている。

 誰かに見られるために咲いたわけじゃないだろうけれど、どうせ綺麗なら誰かが見てあげたほうが良い。


 テレビを眺めて想像する。

 ガスと煙草の匂いが溢れるスクランブル交差点は誰も入り混じることなく信号だけが入れ替わり続ける。


 少し前まで街には人で溢れていた。

 まるで滅亡してしまったみたいだ。


 いつか伐られた桜の木はどう思うだろうか。

 今は公園で遊ぶことすら後ろ指差される世の中だ。


 こんな世界ならあの桜も少しは生きやすかったのかな。

 ざまあみろと言われても何も言い返せないな。


 けれど、本当に滅亡したわけじゃない。

 桜はずっと咲き続ける。


 きっと次の季節には他にも楽しいことが待っている。

 それまでの辛抱だ。


 大丈夫。

 人間の発明にはマスクというものがある。

 どうせ花粉の季節なんだ。

 不便だなんて思わないよ。



   〇   



 今年も花火が見られなかった。


 小さい頃、三階の窓から見えていた打ち上げ花火はいつしか建てられた高層マンションの陰に隠れてしまった。


 散る火の花弁の一つでも見えないものかと、窓辺に身を乗り出しては母親に怒られていた。

 結局、窓辺には光に置いてかれた音しか辿り着けない。


 爆ぜる音にその色を思い馳せても、いつか見た記憶の花にはどうしても及ばなかった。


 マンションさえ消えてくれたら、なんて思っても高給取りたちを抱えたままマンションが崩落してくれるはずもない。


 だから、今年は見に行こうと思っていた。

 自分の足であのマンションを越えて、花の麓でその色を確かめようと決めていた。


 花火大会が中止になり、街に横たわる夏の川は閑散としている。


 今まさに世間は土砂降りの雨に打たれ続けている。


 人工衛星が明滅しながら流れる空は一昨日の夜から晴れ通しだ。

 本当ならここにはたくさんの露店が並び、家族連れや学生たち、カップルなんかも往来するはずだった。

 青く染まる河川敷に人々は空を見上げ、目も耳も肌も花火に奪われるはずだった。

 ただただ楽しい宵になるはずだった。


 人々の喧騒はなく、聞こえるのは蝉の合唱ばかり。

 街灯で明るくなった街に彼らはまだ日が照っていると思い込んでいる。

 夜になっても鳴くようになった蝉たちはもはや一週間も生きられないらしい。


 花火が見たいと泣いているのかな。訴えているのかな。

 残念だけれど、今年は花火大会は無いんだ。


 蝉たちには今も降り続ける雨に気付けないのだろうか。

 夏を越せないなんて可哀想だ。


 きっと次の季節には他にも楽しいことが待っている。

 それまでの辛抱だ。


 大丈夫。

 人間というのは当たり前だが蝉じゃない。

 雨が降ったって一週間では死なないようにできている。



   〇   



 今年も旅行へ行けなかった。


 行ってみたい場所はたくさんある。

 国内であれ、外国であれ、素敵な場所はたくさんある。

 それら全てに出会うことは叶わなくとも、せめて一つくらいは堪能させてもらえないだろうか。


 免許は持っていないけれど移動なんてどうにでもなることだ。

 大して貯金も無いけれど近場でだって良い。


 安い観光バスに乗って、安いホテルに泊まって、コンビニで買い集めた料理で宴を開く。

 途中、道に迷ったりしても良い。

 日常では決して味わえない贅沢だ。


 ただそれだけで良かった。

 歩き慣れた街を抜け出して、知らない通りに戸惑ってみたかった。


 小さい頃、乗り物酔いが酷く、どこか遠くへ行くことが決して嬉しいことだとは思えなかった。

 車にせよ、電車にせよ、新幹線にせよ、窮屈な空間に澱んだ空気が行き場を無くして腐っているようで、呼吸をすることにさえ嫌気が差した。


 今も乗り物は得意じゃないけれど、どこかへ行ける喜びの前では些細な苦しみに変えられる。

 観光ツアーだって万端に予約していた。


 今まさに世間は酷い豪雨に襲われている。


 一時期小降りになった雨も束の間、すぐ様雷雲を呼び戻して落雷の犠牲者の数を伸ばし続けている。

 それにより、小雨に合わせて推奨された旅行キャンペーンも知らん顔でどこかへ行ってしまった。


 旅行のために休みを確保し、旅行に向けて体調も整えていた。


 先日、旅行会社からツアー中止と詫びのメールが届き、ケータイを見つめて肩を落とした。

 返ってきたのは支払った金だけ。


 やるせない気持ちに押し潰されそうになり、せめてもの反抗で外を散歩してみる。


 しばらく外を歩いていなかったからだろう。

 見慣れた街がとても楽しげに見えた。

 何も変わっていない街なのにこんなにも新しく感じられる。

 記憶は知らぬ間に錆びていたらしい。


 日は既に眠り、街灯に照らされた道だけがどこまでも伸び続ける。

 この道を辿れば行くはずだった知らない街にも辿り着けるのだろうか。


 夜風も強くなり始め、ふと空を見上げる。

 星なんか見えない。

 星の光じゃ足りないからこそ街灯がある。


 きっと雨はこれからもっと勢いを増す。

 それでも良い。

 その時は、安全な家があるうちはひたすら閉じ篭るだけだ。

 そうして晴れ間が差した時、また錆びた記憶と一緒に街を歩きたい。


 きっと次の季節には他にも楽しいことが待っている。

 それまでの辛抱だ。


 大丈夫。

 人間は嫌なことを簡単に忘れられたりできない。

 忘れた時は幸運くらいに思っておこう。



   〇   



 今年も新年を迎えられてしまった。


 迎えたくなかったわけではないけれど、正直無理だと思っていた。

 年明けに失業した時はもうおしまいなんだと腹を括った。


 一応足掻こうとはしたけれど、再就職先も見つからず、耐え凌ぐためのアルバイトも十分に働かせてもらえない。

 いつか大きな買い物をしようと貯めてきた口座の残高は、ひと月経つごとに削れていく。

 それなのに日々の出費は容赦なく襲いかかる。


 このままならいずれ家賃も払えず途方に暮れる。

 実家も裕福なわけじゃない。

 今更でかい子どもを一人置いておけるほど両親も余裕はないだろう。


 要は迷惑をかけたくない。


 ホームレスなんて縁のないものだと思っていたけれど、こんな簡単に距離が縮まるものなんだな。

 家が無くなったら少しはシフトも多く組んでもらえるかな。

 そもそも住所の無い人間って雇い続けてもらえるのかな。


 屋根のある場所で暮らせなくなっても、生きていかなくちゃいけないなんて無茶言わないで。

 今がどれだけ辛くてもそれでもいつかはなんて、言っている暇があるなら今救ってよ。


 そこまで面倒見てくれるほど他人は優しくない。


 だから、年明け前に死んでやろうと思った。

 それこそが一番の方法だと思った。


 今まさに世間は止まない雷雨に怯え続けている。


 見えない雷に打たれて亡くなる人が増え続けていく中で、同時に自ら死を選ぶ人も増えているらしい。

 案外珍しいことでもないようで、なんだか大勢で心中するような気分でいる。


 二次災害と呼ぶのかは分からないけれど、傘を差してもマスクをしても身を守れるとは限らないということだ。

 この雨の下、本当に安全なのはもう働かなくても良い人だけなんだ。


 だから、春から少しずつ終活を始めていた。

 世に言う終活とは、違うのだろう。

 けれど、死に向かう準備は整えていた。


 もちろん就活の方も頑張ってはみたけれど、そちらは芳しくない。

 かと言って、終活の方も結局上手くいかなかった。


 人生最後の思い出に、花見をしようと思っていた。

 人生最後の思い出に、花火を見ようと思っていた。

 人生最後の思い出に、旅行へ行こうと思っていた。


 全て叶わず思い出作りすら許されないまま、ゆるゆると終わりへ向かうばかりだった。


 どうしてだろう。

 どうして明るく死なせてくれないのだろう。

 こんなにも無理して笑っているのに。


 切り詰めた生活も終わりだといよいよ覚悟する。

 馳せる人生でもなかったなと、少し虚しくなった。


 お金を使い切ったら。

 それが終わりの合図。


 早る気持ちで散財することもしなかった。

 それでも年内中に使い終わるはずだった。


 ぎりぎりあぶれ損なったのは、思い出作りをしようとしてその度に使えずに残ったお金があったから。


 きっと今頃、世界中がカウントダウンを明くる新年に向けて叫んでいるのだろう。

 テレビも売り払った部屋では時計だけがいつもの調子で秒針を刻む。


 気付いた時には年明けから既に五分が経っていた。

 死に損なったわけではない。

 生き長らえたとも言い切れない。


 五分前の去年を乗り越えても誰かが助けてくれるわけではない。

 依然として飢える生活は避けられていない。

 新年を迎えたって首を括ろうとする気持ちに変わりない。


 何にせよ、遅かれ早かれ行き倒れる運命なんだ。

 はみ出た余生を楽しむだけだ。


 そんなことを考え続けていたらいつの間にか眠っていたらしい。

 やけに早く起きてしまい、ご来光を待ってみる。


 顔を見せて幸せそうに笑う曙光が眩しいばかりで鬱陶しく思えた。

 人の気も知らずに、なんて思ったけれど、身を焦がして光る太陽を幸せそうだなんて言うのも無責任なんだろう。


 ふと、遺書を書いていないことを思い出す。

 終活だなんだと言っておきながら、らしいことは一つもしていなかった。


 きっと色んな人に迷惑をかける。

 謝罪の一言とせめてもの愚痴くらい残しておこう。


 適当な用紙を取り出し、少し思案した後にペンを滑らせる。


 しかし、ペンのインクが切れていて掠れてしまった。

 とことん上手く行かない。


 仕方なく近くの百均へ足を伸ばし、黒ペンとついでに便箋も買う。

 どうせならそれらしい形を遺して死にたい。


 死ぬための遺書にお金を費やすくらいなら野菜でも買って食い繋げと怒られるかもしれない。

 そう思ってすぐに笑えてきた。

 一体誰が怒ってくれるのだろう。


 家に帰り、早速便箋を開く。

 そうして書くことの少なさに戸惑う。

 一応文字を並べてみるけれど、便箋半分にも満たなかった。


 こんなに薄い人生だったっけ。

 わざわざ捨てる価値さえ見出せない。


 便箋を封筒に入れ、どこに仕舞っておくか少し悩む。

 何せ家具類はテレビに限らず全て売るか捨てるかしてしまった。

 考えることさえ意味のないことのように思え、戸棚を開けた真ん中に置く。


 さて、そしたらどうやって終わろうか。

 そう考えながら部屋を見回すと、ケータイの充電器のコードが目に入った。


 首吊りで良いや。


 こんな短いコードで大丈夫かと心配したけれど、選り好みができる状況でもない。

 どこに吊るそうか部屋の中を見渡してみる。

 四畳半の一部屋が随分と広く感じられた。


 その時、近くでサイレンの音が鳴り響いてきた。

 サイレンはアパートの前の通りで立ち止まる。


 何事だろうと窓から外の様子を窺ってみる。


 すぐに分かったことだが、隣の部屋の住人が首を吊って死んだらしい。



   〇   



 今年も死ななかった。


 隣人も似たような状況だった。

 お金が底を尽き、働くこともままならず、早いうちに諦めてしまった。


 興醒めしてしまったなんて言ったら、怒られてしまうだろう。

 けれど、首吊り死体の監察が行われている隣で、後を追うように首を括るなんてできなかった。


 ややこしいことにも発展し兼ねないし、迷惑にもなるんだろうなと、こんな時でさえ気を遣ってしまう。

 得てして人が死ぬことに迷惑は付き物だけれど。


 何よりせっかくの自殺を誰かの死と一緒くたにされることが嫌だった。


 一人だけ特別に見てもらおうなんて思っていないけれど、お隣さんが亡くなって冷静になったのかもしれない。


 気付いてしまったのだ。

 雨に篭る生活さえできずに自決する人が世間には溢れている。

 そりゃもう、隣にだって居るくらいに。


 今まで少しも気にならなかった。

 生き辛い今生を捨てることに、何の疑いも無かった。


 それなのに今はどうだろう。

 潔く死ぬことがこんなにも惨めに見えるなんて、想像さえしていなかった。


 雨の中を必死に歩いている人が居て、雷を恐れながらも足掻いている人が居て、その果てに報われなかった人が居る。

 明日の生活が見えなくなっても、帰る家さえ失くしても、今も生きようとしている人が居る。

 雨も降らない荒れた土地では、百年も前から雨に打たれる子どもたちが居る。


 綺麗事なのかもしれない。

 頑張って生きようなんて、同じ辛さを持つ人に押し付けたりなんてできない。


 それでも、桜は今年も咲くだろうから。

 花火はいつか打ち上がるだろうから。

 知らない場所はいつまでもあるから。

 どうせ勝手に死ぬ日が来るから。


 今年叶わなくとも来年は。

 来年叶わなくとも再来年は。

 その時まで生きているかは分からないけれど、少なくとも首を括ることはないはずだ。


 この部屋に居られなくなったらバイト先の事務所にでも泊まろう。

 それがダメなら実家に帰って親に迷惑を掛けてしまおう。

 いつかゆっくりと恩を返そう。


 綺麗事でも、死ぬ前に気付けて良かった。

 お隣さんにも教えてあげたら良かった。


 今まさに世間は果てしない雨に生きている。


 もしかしたら明日止むかもしれない。

 驟雨だと期待するには待ち過ぎたけれど、いつかは飽きる生活がきっとまた蘇る。


 充電コードの輪を解いてフリマアプリで出品した。

 給料日はまだ遠いけれど、大丈夫。


 死にたい気持ちは山々だ。

 けれど、弱音を吐いたら少しだけ落ち着いた。

 明日もきっと大丈夫。


 次の季節にはずっと楽しいことが待っている。

 それまでの辛抱だ。


 本当に、大丈夫。

 人間だって死ぬ時は死ぬ。

 今すぐ決めるようなことでもない。

 自分で決めるべきことでもない。



   〇   



 今年も花見ができなかった。


 理由は去年と同じだが、それ以外の理由もあった。

 何にしても大してショックは感じていない。


 結局あれから地元に戻って、実家に居座らせてもらっている。

 親の迷惑になりながらバイトと就活に勤しむ毎日だ。

 両親二人とも小言を言ってくるが、それがどこか安心できた。


 母親にはお金の使い方が下手くそだと一度叱られた。

 もう少し上手に生活していたら、あの四畳半のアパートにももう少し長く居られたのだろうか。

 世間のせいばかりにしていたのも、今にしてみれば身勝手だったのかもしれない。


 近所の公園を通りかかった時、伐り倒された桜が居た場所に新しい苗が植わっていた。


 小さなその苗が立派に花を着飾るのは一体いつになるのだろう。

 その頃には雨も止んでいるだろうか。


 結局、この街に桜の花弁が散ることはなかった。


 今年も花見ができなかった。

 きっと花火も見られないだろう。

 旅行だって行けないだろう。

 来年も、再来年も、何もできないかもしれない。


 なぜだかそれが少しだけ嬉しかった。


 次の季節にも楽しいことなんて何も待っていないかもしれない。

 辛抱がいつまで続くかも分からない。


 それでも、やっぱり大丈夫。

 人間は慣れてしまう生き物だ。

 今は今で楽しんでいる。

 何も死ぬほどのことじゃない。

 

『冠』

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