67.戦闘狂と絶対不死 その01
「なんだよ、ルーカスの奴。たまに放課後校外に外出しないと思ったら、となりのウイルの部屋に入り浸りかよ」
男子寮の一室。部屋の主であるガブリエル・オーケイは、ひとりベッドにふて寝していた。もう消灯時間だというのに、ルームメイトであり親友であるルーカスがさっぱり部屋に戻ってこないからだ。
「ふん。親友が失恋のショックで寝込んでいるというのに慰めてもくれないなんて、親友がいのない奴だな」
ガブリエルが一生分の勇気を振り絞り、クラスメイトのメル・オレオ嬢を誘ったのは、つい数時間前。寄宿舎での夕食の直後のことだ。
いつもメルといっしょにいる白髪の留学生がなぜかいない、千載一遇のタイミングだった。しかし、……ルーカス殿下の誕生日パーティにパートナーとして一緒に出席してほしいというガブリエルのささやかな願いは、メルに受け入れられることはなかった。
「ごめんなさい。先約があるの」
本当に残念そうな、申し訳なさそうな顔でメルが答える。
「……え? そ、そうなんだ。出遅れちゃったな。もしよかったら誰なのか教えてくれる? ここここの学校の人?」
……なぜ声が震えるのか、自分でもわからない。
たかが誕生日パーティのパートナーだ。心に決めた相手がいると言われたわけじゃない。だけど……。
「同級生じゃないよ。えーと、……おねぇちゃんの同僚の騎士様なんだ」
メルは少しうつむいて、ちょっとはにかんで、そして顔をあげれば眩しい笑顔。
普段から他人の感情に鈍くて空気を読めなくて何事にも超楽天的なガブリエルも、さすがにその顔を見てわかってしまったのだ。その騎士様とやらは、メルにとって『たかがパーティーのパートナー』ではないことが。
「失恋というものが、こんなにこたえるとは思わなかった。俺、……けっこう本気で彼女に惚れていたんだな」
きっと彼女は明日からも変化なく俺に接してくれるだろう。それが、それだからこそ、俺はつらい。
つらい。
つらい。
つらい。あああ、本当につらい。こころが重い。ひとりでいたくない。誰かに側に居てほしい。ルーカスの奴は何やってるんだ?
「……つまり、自分は意外とあのハーフエルフのルームメイトに依存していたということか」
今さらながらそれを自覚したガブリエル。
ルーカスは、隣の部屋の転入生と、いったいなにを話しているんだ?
堂々と隣の部屋のドアをノックすればいいのだが、それはヤキモチを焼いていると思われそうでちょっと気が引ける(実際、ヤキモチと似たような感情なのだが、それはあえて無視する)。
……少々危険だが、窓から壁を伝って隣の部屋を覗いてやろうか。
それは、思い立ったガブリエルが顔をあげ、窓を見た瞬間だった。周囲の空間に違和感。
え?
なぜ、窓があいている? いつのまに? そして、人? 人が立っている? 空中に?
「こんばんわ」
窓の外。月の光をバックに、少女が宙に浮いている。
白いブラウス。スカート。学園の制服姿の少女。眼を隠す仮面のせいで顔はわからない。
謎の少女が、ゆっくりと宙に浮いたまま、窓から部屋の中へはいってくる。ガブリエルの目の前に。
「こ、こんばんわ。君は……」
律儀に挨拶を返し、問い掛けようとしてガブリエルは気付いた。口がひらかない。身体が動かない。ただ目玉だけが、視線だけが、少女を追いかける。
「あなたはね、私の操り人形になるの」
こ、こ、これは、……ヴァンパイア?
身体が震える。生物としての根源的な恐怖。被捕食者として本能に刻まれた絶望。
ヴァンパイアとは、人類にとって最悪の敵対種だ。彼の故郷である新大陸にはわずかしかいないと言われているが、それでもその恐ろしさと対策は義務教育ですべての国民に教え込まれている。
ましてやここは『剣と魔法の国』公国。とんでもない魔力を秘めた残忍なヴァンパイアがうろうろしていてもおかしくない。
仮面の向こうに光る金色の目を見てはいけない。わかっている。わかっていても、その瞳に吸い込まれる。
少女は、いつのまにか目の前にいた。手を伸ばせば触れる距離。
動けない。
少女が少し背伸びしてガブリエルの首に腕をまわす。
逃げられない。
顔が近づく。なめずる真っ赤な舌。牙。白いうなじ。いいにおい。
近づいただけで心が侵食されていく。恐怖が薄れていく。自分から首筋を差し出している。
俺は、……この方の、操り人形になるんだ。
「まつっすよ」
ヴァンパイヤのうごきが止まった。
ゆっくりと振り向く。月明かりをバックに、新たな人影が。窓枠に腰掛ける新たな女性。
「……なんだ、貴様?」
返答する前に、人影は動いた。決して広くはない部屋の中、絨毯の上に軽やかに飛び降りる。
黒いマントに黒いシャツ。膝丈のスカート。ブーツ。腰にサーベル。背中で無造作に編んだ長い髪。
「見ての通り、魔導騎士っす」
な、に?
「殿下を狙って失敗したら同室の子を狙うなんてわかりやすすぎるっすよ、ヴァンパイヤちゃん」
罠、だったというのか? この私を、罠にかけたと? 人間どもが……。
「さてヴァンパイアちゃん。あなたの正体を教えてもらうっすよ。まずは、その仮面を外して……」
ナティップが言い終わる前に、ヴァンパイヤは跳んだ。まったく予備動作なしのまま、後ろにいた騎士に向かって飛びかかる。
同時にナティップも後ろに跳ぶ。ふたりは空中でもつれるように窓の外に飛び出した。
深夜の学園、誰もいない運動場に轟音が響いた。ヴァンパイア少女が背中から叩きつけられたのだ。
ぐはっ、……なんだ、今の技は?
土煙の中、自らの身体で穿たれたクレータの底で、ヴァンパイアはうめく。
地面に叩きつけられた瞬間、数秒のあいだ呼吸ができなかった。この絶対不死の肉体を、よくも。
「ただの巴投げっすよ。たしかにちょっと変則的だったけど、受け身も取れないっすか? ヴァンパイアちゃんは身体能力に頼りすぎじゃないっすか?」
息ひとつ乱すことなく、しれっと言い放つ女魔導騎士。その見下した態度に、身体中の血液が逆流した。
「人間風情が、なめるな!」
ヴァンパイアが再び飛びつく。魔導騎士に正面から向き合う。刹那、凄まじい速度の抜き手を放った。そしてパンチ。蹴り。裏拳。
「ほら、ほら、ほら、人間とは生物としての格が違うんだよ! いつまで避けられる?」
ヴァンパイア少女の目にもとまらぬ連続攻撃。
だが、……魔導騎士には当たらない。ナティップは軽やかに、しなやかに、ほとんど身体を動かすことなく、最小限のうごきだけでヴァンパイアの攻撃を躱わしていく。
「だから、貴方達モンスターは、身体能力に頼りすぎって言ってるっす」
安い挑発だ。しかし、ヴァンパイアの頭に血が昇るには十分だった。
ヴァンパイア渾身のパンチ。魔導騎士に向け、その細い腕を振り回す。
フェイントなし。技術もなし。だが、自他共に認めるこの世界最強の魔物がくりだすその技は、凄まじい速度とエネルギーを秘めていた。
衝撃波を引きずりながら、常人には絶対に見えない速度で拳がせまる。騎士の顔面に直撃したかに見えた瞬間、しかし拳は空間を素通りした。
ヴァンパイアは勢い余って半回転。直後、まるでハンマーでぶん殴られたかのような衝撃をくらう。同時に数本のあばらが粉砕された。
騎士の拳? 私の繰り出すあの攻撃をかわし、カウンターを撃ち込まれただと?
しかも、そのパンチを放ったはずの騎士が視界の中にいない。
どこだ。相手をさがす視線の端に影が走る。逆方向から跳んできたブーツの踵だ。またしても避けられない。
ぐしゃ。
厭な音ともに、頭蓋の側頭部が砕かれる。
ぐはっ。
脳漿が飛び散る。潰れて飛び出した目玉で睨む。ぐしゃぐしゃになった顎。潰された喉の奥から呪いの声を絞り出す。
き、き、き、きさま、人間ごときがぁぁぁぁぁ!
「ははは、さすがヴァンパイアっす! これを喰らっても死なないっすか!! でも、……接近戦の技の応酬でこの私に勝とうなんて、100年は早いっすね」
や、やかましぃ、人間! 私は今年で300歳だ!!
……軽口をたたきながらも、ヴァンパイア少女は内心で戦慄していた。
顔面を殴られた。腕を折られた。脚を引きちぎられた。肋骨はバラバラに砕かれた。
ただの人間に、肉弾戦でここまで圧倒されたのは初めてだ。人間という生物は、人間であるままで、ここまで強くなれるものなのか。
もちろん、身体の破損部分はあっという間に再生している。このまま戦い続けても、少なくとも負ける事はない。
魔導騎士といえども人間だ。いつかは体力が尽きる。持久戦にもちこめば、最終的には絶対不死の存在が勝つに決まっている。
「し、しかし、私はヴァンパイアだ。夜の王だ。人間ごときに舐められるわけにはいかなんだよ!」
破壊された頭蓋骨はすでに完治した。致命的な蹴りを喰らってから30秒もたっていない。間髪入れず、ヴァンパイアは飛びかかる。騎士に休む暇を与えてはならない。
だが、当然のごとく魔導騎士もそれを迎撃する。顔面を狙って正拳を放ってくる。
そんな大ぶりの拳があたるかよ! 正面から力尽くで切り伏せてやる。
拳の軌道を見切り、身体を捻ってそれを躱す。同時に、こんどはこちらがカウンターを、……と、目の前に顔。顔? なぜ、ここに顔?
「フェイントにかかり放題で楽しいっす!」
息がかかるほどの距離。密着した女性騎士が目の前でニコリと笑う。同時に、胸に手の平が当てられた。
なっ!
「わが流派に伝わる奥義を見せてやるっす! これを喰らっても再生できるっすか?」
なんだと?
「奥義・魔導ハッケー!!」
ぐっ!!!!!
一瞬で胴体が蒸発、煙にかわった。ヴァンパイアの胸から背中に灼熱が貫通したのだ。
2022.12.25 初出