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63.ボーイ(?)ミーツ おっさん


 それは五年ほど前。ある日のこと。




 ざーーー。


 細い細い糸のような雨が降りしきる中、ルーカスは傘も差さず立ちすくんでいる。目の前には花壇。鮮やかなハイビスカスの花が咲き乱れている。


 その日、公王宮は静まりかえっていた。


 正門は閉じられ、普段ひっきりなしに訪れる内外の要人も、政治家も、もちろん観光客やマスコミも含め、ほとんど人の出入りがない。ときおりあわただしく訪れるのは、公王家に極近い親族や友人のみ。


 公王宮だけではない。公都、いや公国全土いたるところに半旗や弔旗が掲げられ、多くの国民が悲しみに暮れている。


 昨日夜半、公王妃殿下、……ルーカスの母が病死したのだ。




 公式の国葬は5日後と決まった。つい先ほどまで、親族だけで最期のお別れをしていたはずだ。


 なのに、ルーカスは庭園にいる。


 いつ母の亡骸からひとりはなれたのか。いつの間に庭園に来たのか。ルーカスは、自分でも記憶がない。気がついたらここにいて、雨に濡れるハイビスカスを眺めていたのだ。


 ルーカスは、今の自分の感情がわからない。現実感がない。悲しさのあまり自分が狂ってしまったのか、とさえ思った。


 突然の妻の死に茫然自失の父。泣き崩れる他の親族。沈痛な表情の政府閣僚達。誰もが悲しみにくれながら、それでも大人達は、母を亡くした幼い自分に気を使ってくれる。


 こんな時、この国の公王太子である自分は、いったいどうすべきなのだろう。


 それが思いつかず。ただボーッと、雨粒が鮮やかな真っ赤な花を見ていた。雨粒が花びらから流れ落ちる様を、見つめていた。




 ふと、自分の周りの雨がとまっていることに気づく。見上げると黒いマント。ふりむくと、いつの間にか人がいた。


 大人の男性。見上げて目につくのが無精ヒゲ。身長だけならば父とそう変わらないはずだが。とにかく大きく見えた。


「……殿下。風邪をひきます。そろそろ中へ」


 低くもなく渋くもなく特徴のない声。しかし、とてもやさしい口調。安心できる。


 この制服は、騎士。公国魔導騎士だ。





 魔導騎士ウィルソン・オレオが、庭園にルーカス殿下の姿を認めたのは、偶然だ。


 公王太子妃殿下急逝の報道に、公国の全国民が驚き、そして悲しみにくれている。だが、騎士団に休みはない。混乱に乗じたテロを警戒し、対テロ、要人警護の訓練をうけた専門の公王宮守備隊の面々が、宮の周囲の警備を固める。


 さらに、魔導騎士も動員されている。理屈が通じない魔物相手が専門の彼らは、守備隊が見落とした警備の穴をひとつづつ潰しつつ、個々の裁量で宮の内外を巡回していた。そしてウィルソンは見つけたのだ。花の前で佇む少年を。


 雨に濡れる真っ赤な花。その前で僅かに震えながら立ちすくむ少年。


 メガネ。線の細い、小さくて、華奢で、まるで少女のような、ルーカス公王太子殿下。


 十歳にして公王陛下や政府の信頼あつく、すでに公務の一部を担う存在。非公式とはいえ公都大学の研究室に出入りする資格を得、すでに国際的な学会に論文すら提出していると聞く。


 ひと言でいって天才。未来から転生してきたという噂すら、真実味がある。世界的な大恐慌。噂される二回目の世界大戦。国際的な危機的状況に翻弄される公国を救うと期待されている、我が国のプリンスだ。


 しかし、……十歳だ。ウィルソンの目の前のいるのは、ただの線の細い少年にしか見えない。


 殿下が見ているあの花は、公王妃殿下がよく世話をしていたものだ。母と子が庭園で泥だらけになりながら、仲睦まじく花の世話をしている姿は、政府広報映画、あるいはゴシップ雑誌の記事にもよく掲載されていた。公王宮にくることがあまりない彼でも、存在だけは知っている。


 ウイルソンがすぐ後ろにたっても、少年は気づかない。


 徐々に雨が激しくなる。このままでは風邪を引く。そろそろ宮の中でも殿下が居ないことに気づいて、騒ぎになるかもしれない。


 ……しかし、ウィルソンはわからない。母を失ったばかりの少年に、なんと声をかければ良いのか。


 彼は、繊細という単語とは対極の存在だ。立ち塞がる敵を筋力と魔力で叩きのめすことを職業としている人間だ。目の前の少年は、声をかけるだけで消えてしまいそうなくらい、儚げな存在に見えた。


 しかたがない。彼は黙ったまま少年の後ろに立つ。マントで雨を遮る。





「……殿下。風邪をひきます。そろそろ中へ」


 それは、ふたりの目が合ってから数分の沈黙の後、無精ヒゲの騎士がやっとのことでかけてくれた言葉。そして、おそらく精一杯のやさしい微笑み。


 だけど、私はここから動けない。


 ダダをこねるつもりはない。この騎士様だけじゃなく、他の多くの人に迷惑をかけるとわかっている。ただ、身体を動かす気力が湧いてこない。


 心の中は、自分でもおどろくほど冷静だ。自分の心理を分析する余裕すらある。なのに、身体が動かない。


 いまは誰とも会いたくない。話したくない。ここから動きたくないだけ。母が愛したこの花に、引き留められているような気がして。


 そんな自分を前にして、無精ヒゲの騎士様も動こうとしない。彼の体格ならば、強引に私の身体を抱えて宮に連れていくことも楽々できそうだが。私が自分から動くのを待っていてくれるのか。


 ……いや、違う。この騎士のおじ様は、私を前にして何を言うべきかわからないだけだ。単にどうすればいいのかわからず困っているのだ。


 ルーカスは、心の中で笑ってしまった。そして大人の男の不器用な優しさに甘えてしまう。





 ……エルフである母は、この花が好きでした。


 ルーカスの口が、本人の意思とは関係なく勝手に言葉を紡ぎだす。


「公都には緑が少なすぎるといって、父に無理に作ってもらった花壇なのだそうです」


 視線を花壇に戻す。雨がますます強くなる。


「母と私は、よくいっしょにこの花壇のお世話をしました。母によると、エルフは自然とともに生きる種族。ハーフエルフである私も、花の世話をすることで心身のリフレッシュになるでしよう、と」


 私は、まったく面識のない騎士のおじ様に、何を語ろうとしているのだろう? 自分でもわからない。でも、騎士のおじ様は何も言わない。黙って話を聞いてくれる。


「父は優しくて頼りがいのある人ですが、あくまでも公務優先です。次期公王である私に厳しくあたることもあります。私が、プレッシャーに押しつぶされそうになるたび、いっしょに花の世話をしながらなぐさめてくれたのは、母でした」


 雨はすでに土砂降りだ。騎士様がマントで覆ってくれるが、それでもメガネが雨に濡れる。真っ赤なハイビスカスが見えないほどに。


「母と一緒にたわいのないおしゃべりをしながら花の世話をするのは、とても楽しかった。この世界で唯一、本当の私に戻れる瞬間であるような気がして」


 ……ああ、そうか。いま、自分で口に出してみて、初めて理解してしまった。


 私は『本当の私』に戻りたかったんだ。


「幼い頃、……前世の知識を披露して父に誉めて貰うのは単純に嬉しかった。でも、いつの間にか政府や軍や周囲の人々から過大な期待されるようになって。マスコミに追いかけ回されたり、議会の一部から次期公王がハーフエルフであることが批判されたり……。私は公王になりたいなんて思ったこともなかったのに!」


 こんなことを今さら言ってもどうにもならない。自覚している。でも、とまらない。


「こんな文明の遅れた世界にむりやり転生させられて、しかも男の子の身体にされてしまって、そのうえ公王太子! 私の唯一の味方だった母がなくなったのに、大声で泣き叫ぶことすらできないなんて! 」


 それはほぼ絶叫だった。大きくなった雨の音に染みこんでいく。






 数秒間の沈黙の後、騎士のおじ様が無精ヒゲに囲まれた口を開く。


「殿下。一介の騎士でしかない私には、殿下の事情はわかるはずもありませんが……」


 驚いたルーカスが視線を向けた先、頭をかきながらおっさんが語る。転生云々については、聞き流してくれるとありがたいのだけど……。


「私にも殿下と同じ歳の娘がいます。娘の母親は数年前に亡くなりました。その時、娘はオレの前では涙を流しませんでした。今の殿下と同じように、必死に悲しみに耐えていました」


 私と同じ歳の女の子……?


「オレはダメな父親ですが、さすがにこの時の娘の気持ちはわかりました。自分で言うのもなんですが、オレは極端な愛妻家でしてね。だから、妻が亡くなった時、娘の前でそれこそ狂わんばかりに取り乱してしまった。……娘は、そんな私の気持ちをおもんばかって、オレの前で泣くのを、取り乱すのを、必死に耐えていたのです。まだ十歳足らずのガキの女の子のくせに」


 おっさんの表情が、やや沈痛なそれにかわる。


「ああ、ご、誤解しないでくださいね。オレ、……私の言いたいことは、泣くことを我慢した娘の自慢じゃないんです。……えーと、オレは娘に気を使わせちゃう本当にダメな父親ですが、それを自覚したからこそ、格好つけることをやめたんです。そして娘に頼んだのですよ。オレと一緒に泣いてくれ、と」


 えっ?


「それから三日三晩、父娘で泣き続けました。悲しみを我慢せずに。……それで立ち直ったとはいいません。立ち直れるわけがない。でも、それでなんとか、オレたちは現実を受け入れることができました」


 ルーカスを見つめる、無精ひげの照れた顔。その顔は、確かに頼りがいがあった。ルーカスがこの世界に生まれて初めて見るほどに。


「殿下。いいんですよ。悲しいときは泣いちゃって。男も女も関係ない。公王太子殿下が取り乱しちゃだめだなんて、誰が決めたんです。大丈夫、私は秘密を守ります」


 涙がおちた。一滴。一滴。メガネの奥から、次から次へと。止めどもなく。雨に流されるよりも速く。


 号泣。そして騎士様に力一杯抱きつく。泣きじゃくる。


 この世界に産まれてから、前世の記憶を取り戻してから、ひとりで何度も泣いた。でも、人前で、そしてこんなに声を上げて泣いたのは、これが初めだ。


 ルーカスは、ウィルソンの胸元で泣き叫ぶ。まるで女の子の様に。この世界に生まれてからのすべてのつらさ、悲しさを洗い流すように。






 いったい何分間そうしていたのか。ウイルソンを呼ぶ声が聞こえた。


「ウィル!」


 同僚騎士のレイラだ。息を切らせて駆け寄ってくる。


「こんなところでなにしているの?  緊急事態よ。ルーカス殿下の姿が宮中に見当たらないの。一緒に探しに……」


 ウィルソンが返事をすべきか迷っている間に、レイラはすがりついて泣きじゃくる殿下に気づいた。一瞬だけあっけにとられた顔。つぎに、なにもかも納得した顔に。


 そして微笑む。ふだんおっかないこの女騎士の、こんなにも優しい顔を見るのは、初めてかもしれない。


「……わかったわ。私から報告しとくから。殿下に風邪を引かせちゃだめよ」


「ああ」




 公国魔導騎士のウィルさん……。


 大きな胸に顔を埋め泣きつづけながら、その名が、その顔が、ルーカスの頭に刻み込まれた。



 

 

2022.08.07 初出

 


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