50.美少女騎士(中身はおっさん)と殿下(ちょっとお疲れ気味) その03
ルーカス殿下は自分の目を疑った。
視線の先に居るのはヴァンパイアを自称する少女。その背後、まるで何本もの鞭のように操られる真っ赤な血液の奔流。その先端が、弾かれ、千切れ、まるで無数の弾丸のように超高速で飛んでくるのだ。弾丸の照準の先は、殿下だ。
(こ、こんなことは、あり得ない。物理的にあり得るはずがない)
目の前の現実を、脳が受け付けない。明確な殺意をもって自分に迫る攻撃を前にして、ふたたびルーカス殿下はフリーズしてしまった。立ち上がる事すらできない。
(ウーィルがヤバイというほどの正真正銘の化け物? ドラゴンとかヴァンパイアとか、どうして私のまわりにはこんな化け物ばかり……)
絶体絶命のピンチだというのに、まるで他人事のように思う。
「ボクらだって、普通の人間とはいえないだろうに?」
どこからか、やはり他人事のように呑気なレンの声が聞こえる。
「殿下、もともとこの世界に生きる人々にとっては、ボクや殿下やウーィルこそが極めつけの化け物かもしれないよ」
……そう、この世界にとって非常識な存在は、ヴァンパイアだけではない。ルーカスを護るべく立ちはだかるもうひとりの少女こそ、ある意味ヴァンパイア以上に常識を超越した存在だったのだ。
ルーカス殿下を蜂の巣にするはずだった真っ赤な弾丸は、すべて空をきった。何もない空間をただ通過していった。ウーィルが、ルーカス殿下の首根っこを捕まえて、ふたたび跳んだのだ。
うひゃあ。
空中から少女を見下ろすルーカス。すでに恐怖は完全に消えている。
そうだ。そうだ。そうだ。相手がどんな化け物であれ、ウーィルがいてくれるのならば絶対に安心だ。
ルーカスがふたたび一息つく。しかし、そんな彼の視線の中、ヴァンパイア少女はニヤリと笑った。
「あーーはっはっは、バカのひとつ覚えみたいにピョンピョン跳び回りやがってぇ。こっちはそれを待っていたんだよ!」
ヴァンパイアの嬉しそうな叫び声。その背後、ふたたび真っ赤な鞭が鎌首をもちあげる。血液の奔流がウーィル目がけて伸びる。凄まじい速度で距離をつめる。
「空中に跳んでしまっては、その異常な素早さも活かすことはできまい!」
しまった。足場のない空中では、人はただ慣性に従うしかない。重力による自由落下以外の運動はあり得ない。
ルーカス殿下を抱えて空中を跳ぶウーィル。その速度は人知を超えるが、その軌跡は単純な運動方程式に厳密に従う。すなわち、放物線運動の未来位置を予測するのは簡単だ。
ヴァンパイアが操る血液の鞭の先端が、ウーィルの身体を目指して伸びる。ドリルのように渦を巻く。
「ウーィル!」
殿下の悲鳴。
おおっと!
まるで曲芸のように、ウーィルが小さな細い身体を空中で目一杯反り返る。そして、軌道がかわる。まるで空間が歪んだかのように空中で速度のベクトルが偏向、空中で急ブレーキ!
間一髪。ぎりぎりでかすめた血液の奔流が空を切る。そのまま森の大木を直撃。轟音とともに真っ二つにへし折った。
……ふう、あぶないあぶない。
わざとらしく額の汗を拭うふりするウーィル。そのまま真下に落下する。
「そんなばかなことがあるか! くそ、着地の瞬間ならどうだ!!」
ヴァンパイアの鞭は一本では終わらない。すぐにもう一本が迫る。着地体勢のウーィルは、今度こそ避けきれない。
ひいいいいっ!
殿下のすぐ目前に迫る地面。そして真っ赤な鞭。ルーカスは目をつむる。
バシン!
……だが、衝撃はこなかった。二本目の鞭も、ウーィルとルーカスには当たらない。
恐る恐る目をあけると、目の前にあるのはズタズタに避けた大木。
ウーィルに避けられた一本目の鞭がなぎ倒した大木が、『運良く』絶妙のタイミング良く倒れ、殿下達の盾になったのだ。
ウーィルと殿下のすぐ前、肩に白ネコを乗せた白髪の少女が、呆れ顔でつぶやく。
「……ウーィル。君は誇り高き公国騎士だろう? ボクのような善良でか弱くて眉目秀麗な普通の女子学生を盾として扱うのは、ちょっとどうかと思うよ」
ウーィルは初めから、レンの後ろに着地することを狙ってジャンプしたのだ。ちなみに、操り人形とされた生徒二人と殿下の護衛も、気を失ったままレンの後ろに庇われている。
「ははは申し訳ない、レンさん。……さすがにあのクラスの化け物を相手にするとなると、ひとひとり抱えたままではちょっとつらい」
えっ?
ウーィルの腕にすがりついていたルーカス殿下が、あらためて自分の騎士の顔をのぞきこんだ。
「わ、わたし、……重かった?」
顔を青くした殿下が、不安そうに問う。
「へっ? い、いえ、全然重くないですよ。そうじゃなくて、えーと、えーと、あの化け物を相手に、大切な人に傷ひとつ付けずに守り抜くのはちょっと苦労するという意味で……」
殿下の表情が一瞬にして変わった。ぱーっと笑顔になる。
「た、大切な人? 私が?」
こんどは顔を赤くして、両手で頬を多う。全身をくねくねしている。
はぁ……。
その横で、レンさんが大きなため息をついた。
「姉さん。いいかげんにしなよ。本当にウーィルに『面倒くさい奴』だと思われてもしらないよ。……こんな世界に男の子として生まれてしまってずっと気を張って生きてきてやっと心を許せる相手に出会ったのが嬉しいのはわかるけど」
「がーーん。やっぱり、わたし、面倒くさい?」
「だーかーら、姉さん、そーゆーのが……」
「お、おまえらぁ! 転生者共!! どうして闘っている間くらい緊張感を保つことができんのだぁ!!!」
激怒したヴァンパイア少女が叫ぶ。
「えーーと、レンさん。怒り狂ったあいつを退治するまで、殿下のことを頼みます。殿下……心配いりません。私は負けませんよ、あなたの騎士ですから」
自分で言ってからちょっと自分で照れるウーィル。その横、ちょっと頬を赤くする殿下。それを見て笑うレンさん。そして、ますます怒りに肩をふるわせるヴァンパイアの少女。
ばっ!
ヴァンパイア少女の両腕から、黒い霧が噴き出した。
……ちがう。霧じゃない。あれは魔力? 黒いオーラ? それが腕から下に展開する。まるでコウモリの翼のように。
「へぇ、さすが本物の化け物。……先手をとられると少々やっかいそうだな。いくぞ!」
殿下をレンさんに託したウーィルが、みたび跳ぶ。剣先をヴァンパイアに向け、一直線に迫る。
「バカめ! 私のこの翼を見ても空中戦を挑んでくるか?」
ヴァンパイア少女が上に跳ぶ。コウモリのように羽ばたき、ウーィルの一撃を避ける。
必殺の一撃を避けられたウーィル。地面を蹴る。方向を変える。あり得ない速度でヴァンパイを下から追いかける。そして、剣を振り上げる。空間の切断面、黒い刃が空を走る。
「あまい!」
少女が翼を広げ、身を翻す。
「うそ! ウーィルの剣を避けた?」
避けただけではない。ヴァンパイア少女は、空中で視界から消えた。残像だけを残し、まるで空間を転移したかのようにウーィルの正面に現れる。そして、恐ろしい力で抱きしめる。
「こう近づけば剣での攻撃は無理だな、守護者! このまま空高く持ち上げて、あの転生者の目の前に落としてやるよ」
牙が覗いた唇の端がつり上がる。
「やってみろ」
しかし、……持ち上がらない。ヴァンパイアが力の限り必死に羽ばたき、さらに魔力を全開にしているにかかわらず、ウーィルを持ち上げることができない。
「なに? どういうことだ??」
「ウーィルは時空の法則を司る守護者だといったろ、ヴァンパイアちゃん! 彼女は自分の体重を増やすことなど朝飯前なのさ」
地面にいる白髪の転生者のしたり顔がむかつく。
「くそ、化け物め。いったいどんなカラクリで……」
息がかかるほどの距離、自分よりも小さな顔の少女に向けて毒づく。
「化け物なのは否定しないよ。……と言っても、自分でもカラクリはさっぱりわからないんだけどな」
説明できないことを本気で申し訳ないという顔のウーィル。その裏表のない真摯な表情にヴァンパイアが一瞬あっけにとられてしまった隙、ウーィルも両腕で自らヴァンパイア少女に抱きつく。
「なにをする気……」
ヴァンパイアが驚愕に目を見開いた。すがりついた小さな少女が、一瞬にしてさらに凄まじい重さになったのだ。
「お、おちる! はなせ!!」
だが離れない。少女はますます重くなる。そして、天地がひっくり返った。
いったいなにをどうやったのか。瞬きする間もなく、空中でもつれ合った少女ふたりが回転し、ウーィルがヴァンパイアの上の位置をとった。翼をもっているのにかかわらず、空中でヴァンパイアが完全に翻弄されている。
「そう、ウーィルは慣性や重力の方向を制御できる。エネルギー保存則すら無視して時空を支配するウーィルが、ヴァンパイアなんかに負けるはずがないんだ」
この勝ち誇った声は殿下か。ついさっきまで情けない顔をしていた坊やのくせに!!
「そのまま押しつぶしちゃえ!!」
殿下の声に応えたのか、ウーィルの体重がさらに増加する。山のような重さがかかる。ヴァンパイアのすべての魔力を動員しても、とても支えることができない。
は、はなせ!
「悪いね。オレの主の命令なんでね、このまま潰れてもらうよ」
まるで流星のように、絡み合ったままの地面に落下する二人の少女。ヴァンパイアが首だけを振り向き下をみる。見開く目の前、凄まじい速度で地面が迫る。なんとしてでも逃げなければ、間違いなく潰される。死力を振り絞っての抵抗。しかし。
だめだ、にげ、ら、れ、……ない。
いったいどれだけ慣性質量が増加したのか。ウーィルの落下のエネルギーを火薬の量に換算すれば、とんでもない数字になっただろう。
ルーカス殿下とレンのほんの数歩先に、道路の幅よりも大きなクレータの中ができている。二人が無事だったのは、運が良かったからだ。
「「こ、これは、まるで……」」
前世で双子の姉妹だったふたりの感嘆がハモる。
「……コロニー落としみたいな」「……イズナ落としのような」
しかし、内容はまったく異なっていた。
「姉さん、あいかわらず例えがオタクだねぇ……」
「みき、じゃなくてレン、あなたの例えが古すぎるのよ」
そこに、ウーィルが穴から這い上がる。騎士の制服はちょっと埃にまみれているものの、本人はまったく無傷のようだ。殿下がとっさに駆け寄り、その小さな手をとる。
「ウーィル、……ありがとう」
「いやいや、殿下が無事でなによりです」
「……ヴァンパイアちゃんは?」
ちょっとだけ顔をしかめながら、レンが問う。
ぐちゃぐちゃに潰れてしまっただろうか。ちょっと可哀想な気も……。
「あーー、すまない。逃げられたらしい。確かに押しつぶしたはずだが、穴の底には肉片も血の一滴も灰すらも残ってないかった」
なぜか少しホッとした表情の元姉妹。それをみてウーィルは一瞬だけ不思議そうな顔をした後、表情を緩める。
「と、ところで、ウーィルとレン。……二人はどうして一緒だったの?」
殿下がおそるおそるそう切り出したのは、ウーィルによってレンとともに寄宿舎まで送り届けられる途中のことだ。現場では、駆けつけた騎士団などが検証を始めている。
「皇国大使館に行ってたんだ。ボクは皇国政府に少しだけ顔が利くからね。大使夫人にお願いして皇国料理を一緒に作っていたんだよ。……ちなみにたまたま帰り路でウーィルと出会って送ってもらうことになったのは偶然。なんといってもボクは運がいいからね」
どこに隠していたの知らないが、レンさんが布にくるまれた大きな四角い箱を目の前に掲げた。
「お重? わざわざ風呂敷に包んで……」
レンさんに促され、殿下が蓋を開けると、……それは、横から覗いたウーィルの目には、緑色の葉っぱにくるまれたピンク色のツブツブの塊がにしかみえなかった。不思議な香りがするこれは、皇国産のお菓子の一種なのか?
不思議そうな顔のウーィルに、レンが解説してくれた。
「ウーィル。ボクと殿下が前世で暮らしていた世界はね、この世界とはかなり違っている。魔法は存在しないが文明は百年以上すすんでいた。でも、ボク達の姉妹の前世の祖国と、こちらの世界の皇国は、なぜか文化も歴史もかなり似ているんだ。ボクはたまたまそんな皇国で生まれたから食べ物や風習にあまり苦労しなかったけど、公国に生まれてしまった姉さんは……」
「さ、さくら餅?」
お重の中身を見た殿下が素っ頓狂な声を発する。
「そう、さくら餅。大好物だったろ? ……これを作るの大変だったんだよ。砂糖はともかく、小豆や餅米やなによりもサクラの葉っぱをこの公国で入手するのにどれだけ苦労したことか。たまたま和菓子作りが趣味だった皇国大使夫人に協力して貰わなかったら、不可能だったろうね」
た、たしかに甘い物は大好物だし、美味しそうだけど、……どうして今日? 門限まで破って。
「何をいってるんだい。明日は、君がこの世界でうまれた誕生日だろ? お母さんの腕にはかなわないけど、前世からの大好物をどうしても明日までに食べて欲しかったんだよ、殿下、……じゃなくて、さくら姉さん」
そうだった。最近あまりの忙しさに、月末に公王宮で自分の誕生パーティがあることすらすっかり忘れていた。
はらはらはらはら。
殿下の瞳から、涙がこぼれ落ちる。あとからあとから止めどもなく。
「あ、あ、ありがとう。……本当にありがとう、みき」
「『転生者』とか、『この世界の存続を審判する』とか、姉さんは突然与えられた自分の立場に気負いすぎなんだよ。……もう転生して16年だ。そろそろ来訪者気分はやめて、この世界の人間の一人として生きていく覚悟を決めようじゃないか」
……うん。
2020.10.17 初出