42.美少女騎士(中身はおっさん)とイカ その02
『彼』が生きていたのは、光のない暗黒の世界だった。
いつ生まれたのか。いつからそこに居たのか。自分でもわからない。
巨大な目玉に映るのは深海魚が放つ儚げな光だけ。聞こえるのは海流のうねりと悲しげなクジラの歌ばかり。
彼は普通の生き物ではない。餌に出会う機会がほぼ皆無なこんな場所でも、母なる大地より魔力を吸収している限り死ぬことはない。
深海。途方もない年月を、そこで彼はすさまじい水圧とただただ退屈な時間に押しつぶされながら、生きてきたのだ。
あるとき、彼ははるか上の方角から、巨大な魔力と魔力のぶつかり合いを感じた。
それは、人間の物差しで数千メートルにもおよぶ莫大な量の海水を透してさえ、凄まじい量の魔力だった。
……上にいけば、何かが居る。膨大な魔力をもつ何かが。それは、さぞかし美味いだろう。
それが、人間の暦で十五年ほど前の出来事であった。
たどり着いた海面付近は、思いのほか快適だった。
無限に広い大海原。空から降り注ぐ眩しい光。騒々しい音。彩り豊かな生き物たち。
残念なことに魔力を感じることは滅多に無かった。しかし食うものに困らない。なによりもここは刺激的だった。
だから、彼はこの生活に満足していたのだ。……その日までは。
たまたま近づいた島。騒々しい音をたてながら海面を走り回るやたら大きな者ども。明確に向けられた敵意。そして感じた、莫大な魔力。もしかしたら彼自身よりも強いすさまじい魔力。
彼は飛びついた。魔力を喰らうために。
……イ、カ?
水面を突き破り、ロケットのように真上に飛び出したそれは、どう見てもイカに見えた。
イカ? 胴体だけで三十メートルのイカ? 腕の先まで測れば百メートルくらいあるんじゃないか?
警備艇のクルーにみなさんも全員が呆気にとられている。ということは、あんなでっかいイカは海の男から見てもやっぱり珍しいということなんだろう。
生物というはあまりに非常識な巨体が、水面を突き破りジャンプ。いや、それはジャンプというよりも弾道飛行と言うべきだろう。ジェット推進のように口から水流を吹き出し、その反動で一気に高度数百メートルまで巨体が飛び上がる。全身が強力な魔力で覆われた流線型のロケット砲だ。
「青白い顔して口から水流を噴き出すって、ウーィルちゃん先輩と同じっすね」
船酔いで真っ青な顔をしたオレを、ナティップちゃんがからかいやがる。
「あほぅ! オレはゲロ吐いた反動で飛んだりしねぇよ! ていうか、女の子が下品なこと言うな!」
それは船体のはるか上方を飛び越える。再び落下を始める。
「全員なにかに掴まれ!!」
イカは凄まじい速度で水面に突入。信じられないほどの波しぶき。その反動で船が大きく揺れる。
やーめーてー。ゆらさないでーー。
オレは、ブリッジの床の上をのたうち回る。
「機関再始動! いそげ。あんなの相手にできるか。全速で逃げるぞ!!」
オ、オレもそれが正解だと思うぞ、船長。そもそもなんなんだよあれ。普通イカやタコの化け物といえば、あの触手でウネウネと襲ってくるのがお約束じゃないのかよ。あんなジェット噴射で飛び上がって体当たりとか、どう考えても普通じゃないだろ。
警備艇のエンジンがうなりをあげる。必死で逃げる。
だが、イカは執拗に追ってくる。猛烈な速度で潜水とジャンプを繰り返し、機関砲で撃ってもあたらない。
あまり知られていないが、もともとイカは、……魔力などもたないごくごく普通のイカでも、ごくごく普通に空を飛ぶ。
この世界の生物のうち、魔力なしで、さらに滑空やジャンプではなく自力で地面から空にむけて飛翔可能なものは、それほど多くはない。
脊椎動物では、鳥類の多く、哺乳類のコウモリ、そしてハチュウ類では絶滅してしまった翼竜。それだけだ。ちなみにドラゴンやワイバーンなどの魔物の飛行は、魔力なしでは不可能といわれている。
無脊椎動物に目を向ければ、昆虫の多く。そして、軟体動物のイカだ。
イカの飛行は生物界で唯一無二、翼の羽ばたきによる推力を利用しない独特の飛行だ。水を体内に吸い込み、漏斗からジェット水流を吹き出し、その反動を推力として海面からジャンプ。さらにジェット水流は空中でも加速に使われる。
しかも、ウーィル達を追う巨大イカはただのイカではない。その膨大な魔力をもって、ジェット噴射をブースト。まるでアフターバーナーのように凄まじい加速が可能な化け物だ。
巨大なイカから逃げるため、全速でジグザクに走る警備艇。
ブリッジの中、さっきまで船酔いで真っ青だったちっちゃい方の少女騎士の顔は、いまや紫色になっている。……だが、もうしばらくは船から降ろしてやることは無理そうだ。可哀想だが我慢してもらうしかない。
くそ。どこまで追ってくるつもりだ。
船長が毒づく。
このままでは、海軍の連中が侵入禁止海域に設定したあの島に近づかざるを得ない。
「船長、船をあいつに寄せてくださいっす。私があいつの背中に飛び移ってぶん殴ってやるっす」
おおきい方の女性騎士がバカなことを言い出した。
「ばかを言うな。いくら魔導騎士だからって、そんな危険な事をさせられるか!」
「やってみなきゃわか……「船長!」」
割り込んできたのは通信士だ。
「通信が入ってます。海軍からです」
海軍? 助けに来たのか?
ブリッジから右舷をみれば、いつの間にか公国海軍の駆逐艦がいる。……左舷の遠くにも。遙か前方にいる巨大な艦は巡洋艦クラスじゃないのか? 空には航空機もたくさん集まってきた?
……これでは艦隊に包囲されているみたいじゃないか。あの島にいったい何があるというのだ?
「非常用チャンネルで緊急通信です。船長を出せと言っています」
沿岸警備隊は、戦時には自動的に海軍の指揮下に入ることになっている。ゆえにたとえ平時でも常に情報交換を欠かさない。公国の海を護る男同士、互いに尊敬し協力し合う仲だ。だが、いまはイヤな予感しかしない。
「いま取り込み中だと伝えろ」
「……て、停船命令です。『貴船は特別監視海域に接近しつつあり。停船せぬ場合は発砲する』と」
なんだと! 海軍はこの状況が理解できんのか!
船長にはわけがわからない。たしかにここは海軍が設定した進入禁止領域だ。しかし、あの島で何が行われているのか、彼は全く知らされていない。
期せずして、警備艇と駆逐艦がイカを両側から挟む形になった。駆逐艦は艦砲をこちらに向けている。
「ばかやろう! 砲をむける相手が違う!! おまえの眼にはあのイカの魔物がみえんのか!!!」
船長が無線で怒鳴る。
自分よりも遙かに年上の海の男に怒鳴りつけられ、駆逐艦の艦長も狼狽したのか。やっと砲がイカを狙おうと動きはじめる。
……と、ふたつの船に挟まれ行き場をうしなったイカが潜水。
やばいぞ。また下からくる。
「取り舵一杯!」
船長が叫ぶ。
しかし、イカのターゲットはこちらではなかった。
再び、イカが凄まじい速度で水中から巨体が飛び上がる。全長数十メートルの巨大な物体が、上空百メートルまで上昇。そして駆逐艦めがけてトップアタック。
まさか自分が狙われるとは思っていなかった駆逐艦が、慌てふためきながらも空中のイカに対して対空砲火を浴びせる。同時に、イカの身体全体が銀色に輝く。莫大な魔力で覆われる。
さすがにこの至近距離、対空機関砲の直撃を喰らえばいかに魔物といえど無事ではすまない。しかし、イカの膨大な魔力による防御力は強大だ。しかもこの巨体。直撃を数発喰らった程度では痛くも痒くもない。
巨大な質量と運動エネルギーを伴う魔力の塊が、真上から駆逐艦に突き刺さる。煙突から艦内に突入。そのまま機関を、そして鋼鉄製の船体そのものを貫く。
機関を破壊された駆逐艦は沈黙。数十秒後、眩しいほどの閃光。一瞬で爆沈。大音響が海原に響き渡る。
「いわんこっちゃない」
船長は見た。イカが駆逐艦に突っ込む直前、行きつけの飲み屋の丸テーブルほどもある巨大な目玉で、奴はこちらを見た。
奴にとって駆逐艦は邪魔だから排除しただけだ。理由はわからないが、奴の標的はこっちだ。次はこの船だ。
予想通り、きっかり五秒後、みたびイカが飛び上がる。銀色の巨大な凶器が空中に駆け上がる。
「総員、何かに掴まれ! 騎士様も……」
警備艇の乗員は仕方が無い。しかし、魔導騎士ふたりは客人だ。しかも若い女性だ。彼女達だけでもなんとか逃がしてやらなくては。
しかし、船長は言うべきことばを失った。彼の視線の先、ふたりの少女魔導騎士がブリッジの窓から上空に飛んだのだ。
「ウーィルちゃん先輩。いつまでゲロ吐いてるっすか! あの非常識なイカ、私が一発ぶんなぐるからトドメを刺して欲しいっす」
そんなこと言っても、……うわぁぁぁぁ!
ナティップちゃんがオレの身体を問答無用で掴みあげる。そして、窓から上空に投げ飛ばす。
いーーやーー。
なんという怪力。オレの身体が宙を舞う。落下を始めたイカと猛スピードですれ違う。そして上空、オレは見下ろした。正面からイカに立ち向かおうと自らジャンプするナティップちゃんを。
空中。イカの魔物はその巨大な目玉で目標を定めた。十本の脚を動かし姿勢を制御。ヒレ動かし軌道を修正。狙うのは真下。大きな音をたてて水面を走る固いもの。
それが何なのか彼にはわからない。しかし、そこには魔力の持ち主がいる。彼にとって生まれて初めて見るほどの、強大な魔力。
次の瞬間、視界の端、空中に小さな者を捕らえた。水中とは屈折率が違う空気中では、彼の巨大な目玉はハッキリものが見えない。
すれ違ってから気付く。
あれこそが、彼が求める魔力。
すれ違いざま、彼は必死に長い脚を伸ばす。だが、すでに落下を始めている彼の手は届かない。
そのせいで、彼は気づかない。目の前、落下する彼の正面に立ちはだかる別な者に。
警備艇のクルー達、そして周囲の海軍の軍艦に乗る水兵達は、全員が空を見上げていた。彼らのはるか上空、警備艇に向けて一直線に落下する巨大なイカを。警備艇からジャンプ、空中に踊り出した女性魔導騎士を。イカの頭のその先端を、正面から迎え撃つ彼女の正拳を。
「このイカ野郎、どっちを見てるっすか! うりゃぁぁぁぁ!!!!」
ナティップは空中で正拳をたたき込む。全身全霊全魔力を正拳に込め、イカの頭を正面からぶん殴る。
魔力と魔力、運動エネルギーと運動エネルギーのぶつかり合い。そして衝撃。イカの頭、魔力によりダイヤモンドより硬くなったその先端がぐちゃりと潰れる。三十メートルほどもある巨体が上方に吹き飛ばされた。
「……やっぱり全力でぶん殴ると気持ちいいっす! あーすっきりした。ざまーみろっす。あとは、ウーィルちゃん先輩に任せたっす」
涼しい顔で警備艇に着地するナティップちゃん。
一方で、水兵たちはみな一様に口をあんぐりあけていた。
ありえない。信じられない。……これが、これが、わが公国が誇る魔導騎士なのか。
だが、魔導騎士による巨大モンスター退治はまだ終わっていなかった。
ナティップにより上空に吹き飛ばされたイカ。その更に上空、剣をかまえる少女が空中で待ち構えていた。
めーがーまーわーるー。
ナティップにより雑に適当にぶん投げ飛ばされたウーィルは、空中で回転していた。
イカの巨体がウーィルに迫る。長い腕が空中でふりまわされる。
ウーィルは回転自由落下しながら、本能的に剣を握る。空中に鞘を置き去りに、剣を抜く。そして薙ぐ。
スパッ!
回転にあかせてイカの巨体を空中で二枚に開く。
スパッ!
もう一回転して三枚に。
さらに一回転で四枚に。五枚。六枚……。
数秒後、集結した艦隊の乗員すべてが食べても食べきれない量の膨大なイカ刺しが、海に落下していった。
うひーー。
直後、ウーィルは航空機とすれ違った。目の前の島の基地から発進したと思われる公国海軍の大型双発機。パイロットと目が合った。
き、気持ち悪い。もうダメだ。オレはあんなに揺れる船には帰りたくない。乗せていってくれ。
もともと激しい船酔いの上、ナティップちゃんの馬鹿力による超回転。とんでもない頭痛とめまいと吐き気により、ウーィルは正常な判断力をなくしていた。
その目の前に大きな飛行機が通りかかったのだ。彼女は無意識に手を伸ばす。体重と加速度を制御。翼の上に着地。そこに座り込む。
「た、たのむ。このまま波のない、動かない地面に連れて行ってくれ」
目を丸くしてしているパイロットを見つめ、必死に訴える。通じたかどうかはしらない。確かめる気力もない。そのまま彼女は、翼の上に横になったのだ。
海軍航空隊のパイロットは冷静だった。そして腕は確かだった。
突如として空中に現れた少女を翼に乗せたまま、彼女の船酔いを悪化させることなく、島の基地に無事着陸してのけたのだ。
「あーー、まだ地面が揺れているような気がするわ」
半日ぶりに揺れない地面に降り立ったウーィル。たくさんの人間が周囲に集まっているが、それどころではない。
……さて、と。これからどうしようか?
まだ頭の中と三半規管はグルグル回っているが、それでも面倒くさい事になったことは理解している。
始末書とレイラの怒号は確定として、……まずはどうやって公都まで帰ろうか。
たしかここは、かつてなんとか殿下が住んでいた無人島のはずだ。なのに周囲にはたくさんの建物。たくさんの人々。周辺の海域には海軍の大部隊。我が国だけではなく、王国や皇国など同盟国の船もいた。
きっと海軍の秘密基地か秘密研究所か、そんなところだろう。
渋い顔をしてこちらに向かってくる偉そうな男達は、やっぱり海軍の制服を着ている。銃を構えている奴もいる。
オレ、機密保持のため拘束されちゃうのかなぁ。みんなぶん殴って逃げだそうかなぁ。でも、あまりトラブルにはしたくないなぁ。……ていうか、よく考えたらこの島も艦隊もオレとナティップちゃんがイカのモンスターから護ってやったようなもじゃねぇか。礼を言われるのならともかく、文句を言われる筋合いなどない、……よね? ないと思う。ないんじゃないかなぁ、たぶん。
いまひとつ強気になれないウーィルの視線の先、滑走路の向こうから駆け寄ってくる少年の姿がうつる。
「ウーィル!! どうしてここに……」
おおお、天の助けとはこのことだ。
人垣をかき分け、目の前に現れたメガネの少年。線が細くて耳が長い。ルーカス殿下だ。
2020.05.23 初出




