18.美少女騎士(中身はおっさん)と下っぱ吸血鬼 その02
「ヴァンパイアか……。この身体の能力を試すには、格好の相手だな」
目の前に音も無く空から降ってきた少女。自分をヴァンパイアと知っていてなお、まったく恐れることなく微笑んでさえいる。
「ただのガキ、……じゃなさそうだな。魔導騎士か」
小さな少女だ。どうみても中学生くらい。だが、黒いマント、黒いシャツ、膝丈のスカート、確かに公国騎士団魔導騎士小隊。その恐るべき魔力と剣をもって、公国に出現する魔物狩りに特化した武装組織。多くの魔物にとって天敵ともいえる存在として知られている。
だが、彼はヴァンパイアだ。ただの魔物とは違うのだ。いかに魔導騎士といえども、彼の敵ではないはずだ。
「……たとえ騎士でも、所詮は人間だろ? オレの血肉になってもらうぞ」
「やれるものならやってみろ。……これだけの人間の命をもてあそんだんだ。覚悟はできているんだろうな」
可愛らしい顔をしているくせに、平然とそう言い放つ。その大人を舐めきった態度がしゃくに障る。背中には長すぎる剣を背負っているものの、鎧すらみにつけていない。ヴァンパイアを舐めているのか?
「覚悟? 乳臭いガキの血でも好き嫌いせずに飲み干す覚悟なら、できているよ」
言うと同時に、ヴァンパイアは抱きかかえていた女性警官の身体をウーィルめがけて投げた。
女性とはいえ人間ひとり分の質量を、まるでぬいぐるみのよう片手一本で軽々と投げ飛ばす。ウーィルは、ほんの最小の動きでそれを避ける。そして、消えた。
ヴァンパイアの腕力で投げ飛ばされた女性警官は、凄まじい速度で迫るレンガの壁を見た。この速度では受け身すら取れない。だが、死を覚悟し目をつむった次の瞬間、自分の身体がフワリとなにかに受け止められたのを感じた。
水?
空中に水の塊。訳がわからない。彼女の肉体は巨大な水滴に横から突っ込み、その勢いを減じた。そして落下。
ずぶ濡れの彼女が目を開けると、男に抱きかかえられていた。目の前で優男が微笑む。
「大丈夫ですか? お嬢さん」
優男は、公国騎士ブルーノ・クアドロスと名乗った。水の魔法で彼女を受け止めたらしい。最初にヴァンパイアに襲われた女も、彼の足元にいる。
「き、騎士団? 助けて! おねがい、仲間がみんなあいつに。私が、私が、はやく信号弾を撃たなかったから……、私が……」
「落ち着いて! 誰のせいでもありません。……あなただけでも助けられてよかった」
騎士がそっと抱きしめる。深呼吸を三回。それだけで彼女は警官としての自分を取り戻した。
「ご、ごめんなさい。もう大丈夫。……あ、あの少女も騎士なの? でも、相手はヴァンパイア。本物よ。危険だから逃げるように言って!」
「心配いりません。我々は公国魔導騎士、ヴァンパイアごときに遅れはとりませんよ」
女性警官を弾丸かわりに投げ飛ばしたヴァンパイアは、それがウーィルに命中する前に動いた。
人間を遙かに超越した身体能力をもって、まっすぐに突進。まだ空中にある警官の身体の後ろから、ウーィルの顔面めがけて拳をたたき込む。
相手はただの警官ではない、騎士だ。魔導騎士にだけは油断しないよう、あの方にもきつく指示されている。だから初めから全力で殺しにいく。……だが、渾身の力で振り抜いた拳は空を切った。
消えた?
月明かりの下、少女がいたはずの空間に闇だけが残る。きこえるのは風の音だけ。
下か!
足元に潜り込まれた。少女の小柄な体躯を視認する前に、真下から何かが爆発的に吹き上がる。ウーィルがヴァンパイアの顎を蹴り上げたのだ。
ウーィルは自他共に認める剣士であるが、剣による闘いにこだわってはいない。むしろ接近戦においては、自分の肉体も含めありとあらゆる物を武器として闘うことが、少女の姿になる前からの彼の性分だ。もともと得意だった魔力による筋力ブーストと、それに加えて少女の身体の人間離れした反応速度をフルに活かした蹴りが、ヴァンパイアの顎を下から撃ち抜いた。
ヴァンパイアの端正な紳士面が、情けなく後ろにひっくり返る。
騎士ブルーノに抱かれたままウーィルの闘いを見ている女性警官、かろうじてウーィルの動きを目で追うことができた彼女は、あまりの出来事に目を見開く。
凄い! 何という速さの蹴り。私達が手も足も出なかったヴァンパイアの身体能力、それに真っ向から対抗できるなんて……。
しかし、騎士とヴァンパイアとの闘いはそう簡単には終わらない。普通の人間なら、それがたとえ屈強な軍人であっても間違いなく一撃で昏倒するはずの蹴りを喰らってなお、闘い続けるのだ。
蹴りにより後ろにひっくり返ったヴァンパイアの身体が、ぴょんっと飛び跳ねた。一瞬で垂直に立ち直る。ふたたびウーィルと正対する。一度だけ目玉がくるりと周るが、もとどおりの端正な顔。驚いてはいるのだろうが、しかしそれだけだ。まったく平気。少女はそのまま距離をとる。
「うんんん、ちょっと効いたかな。さすが魔導騎士、魔力で反射速度を強化しているのか? ……ちがうな。空気抵抗も慣性すらも無視したその動き。まさか、時間や空間を操る魔力とでもいうのか?」
「……さあな、この身体の能力についてはオレが聞きたいよ。なんにしろ、剣を使うまでもないとは、手応えがなさ過ぎるぞ」
「ほざけ。たとえ空間を操る魔力だろうと、私からみればちょっと素早いだけだ。そんな蹴り、ヴァンパイアにはきかないなぁ」
わざとらしい挑発の直後、彼はふたたび前にでる。ウーィルにむけて腕を伸ばす。まったく無造作な動き。しかし、その速度はさきほどのウーィルの蹴りにも匹敵した。
目の前にせまる拳。ウーィルは身体を後ろに倒して避ける。そして、腕をつかむ。飛びついて、足を絡める。
「か、関節技?」
ウーィルは倒れながら関節を極める。体重をかける。身長が倍もあるヴァンパイアが、コロリと転がる。
くっ!
ぼきっ!!
一切躊躇することなく、ウーィルはそのままヴァンパイアの腕を折った。肘の関節そのものを逆に曲げた。闇夜の中、半ばめくれ上がったスカートからはみでた足の白さがなまめかしい。
「ぐわぁ」
「……オレはヴァンパイアにはちょっと詳しいんだ。おまえ、見たところヴァンパイア化してせいぜい五年の若造だろ? これ以上痛い思いをしたくなかったら、さっさと降服した方がいいぞ」
男の腕に絡みついたまま、少女がつまらなそうにつぶやく。
「人間風情がぁ! なめるなぁ!!」
ヴァンパイアはまたしても立ち上がる。力尽くでウーィルが極めたままの腕を持ち上げ、振り回す。
うそ!
格闘技の心得がある警官が悲鳴をあげた。
ぶち!
関節が逆に曲がった腕が、完全に千切れる。自らの力で引きちぎった腕を、ウーィルごとぶん投げた。
「……へぇ、やるじゃん。それでこそヴァンパイアだ」
平然と着地したウーィルが、スカートについた泥を落としながら微笑んでいる。自らの足元にある千切れた腕を、ブーツの踵で踏みつけながら。
くんくん。
ヴァンパイアが、腕の千切れた肘の部分を自分の顔に近づける。すでに半ば再生しかけているその部分を、わざとらしく臭いを嗅ぐ。
いったい何をしているんだ?
「へー、この臭い。……魔導騎士、おまえ処女だろ?」
「へっ?」
ウーィルは、一瞬なにを言われたのか理解できなかった。数秒間、口をひらきポカンとするだけだった。
「技をかけられた瞬間にわかった。私は感触と臭いで処女を見分けられるのだよ」
ドヤ顔でかたるヴァンパイア。
そして三秒後、ウーィルの表情が劇的にかわった。魔物が何を言っているのか、やっと理解できたのだ。顔を真っ赤にして叫ぶ。
「うううううるさい。うるさい。うるさい。おまえには関係ないだろ。この身体は十六歳なんだから、あたりまえだ!」
もともとウィルソンは人とのコミュニケーション能力に問題があった。とりわけ異性が苦手だった。亡くなった妻と出会えたのは奇跡以外のなにものでもないと、今でも思っている。要するに、いい歳をして純情なおっさんなのだ。
さらに、彼は自分がこの身体になる前のウーィルの過去について記憶はないが、最近すこしだけわかってきた。ウーィルという少女は、基本的に正義感あふれる熱血少女であるが、同時に男性に半裸を見られただけで動けなくなる男性経験皆無の純情少女であるらしい。
そんな純情少女の身体に、純情おっさんの魂がやどっているのだ。ヴァンパイアの下品な下ネタひとつだけで顔が真っ赤になる。挙動不審になってしまうのも仕方がない。
「へぇ、……いい臭いだ。たまらない」
ヴァンパイアは、そんなウーィルの様子が面白いらしい。ニヤニヤしながら、わざとらしく自分の腕の臭いを嗅ぎ続ける。
「やめろ! 嗅ぐな」
その異様な光景に、少女が震えながらのけぞる。
「ばかやろう。へんたい! やめろ! やめてくれ」
いつのまにか、ウーィルは涙目になっていた。
2020.01.12 初出
2020.05.03 いただいた誤字報告を適用しました。報告ありがとうございます。