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読心少女  作者: 朔日
1/1

彼女は――人の心が読める。

人の心が読めたら便利だろうと思ったことは一度や二度ではなく、思い返えしてみると本格的に人間関係を意識し始める小学生のときからそんなたわいもない空想に思いふけっていた気がする。

 別に親の教育が悪かっただの今更無粋な文句を言うつもりはないが、もう少しだけ俺が社交的な性格になるような教育方針を掲げていたのであれば俺の性格も少しは変ったのだろうかと、たまにそんな益体もないことを考える。

 そんなつまらない人生を当然のように着々と歩み続けてきたつまらない俺だが、期待をしなかったかと言うと嘘になる。

 例えばだが、ある日突然超能力に目覚めたり、悪の組織と戦ったりなどベタベタでテンプレ万歳な出来事がいつか俺を中心に起こるのではないかと本気で期待したりもした。可愛いものだよな、本当はそんなことは起きないとちゃんと理解しているのに、そんな非現実的な事は物語の中でしか起きないフィクションな存在であると認めているというのに、どうも俺は心の片隅でこれらは現実にしっかりと存在しているもので、自分以外の誰かがこんな面白展開を実際に体験していて、いつかは俺に順番が回ってくるのではないかと、そんな空想に浸って現実を諦めきれていなかった。

 一般的な人間がそれらの夢を捨てて大人になるように、俺もいつしかこんな空想をすることは無くなった。けれど、今でもたまに俺が超能力に目覚めて大活躍する妄想にふけるときもあるが、まぁ頭の中で繰り広げる分には人様に迷惑を掛けるわけでもないので許してもらいたい。

 皆もするだろ?

 一応俺にもつまらない人生を現在進行形で着々と歩んでいるということについては自覚はある。むしろなかったらそれはどうしようもないアホなのだが、自覚がある分俺はまだましなのだと一人愉悦に浸っている寂しい俺をだれか助けてくれ。

 つまり、俺は何に嘆いているのかというとそれは言うまでもなく俺の人間関係の貧困さが原因で面白い人生を送れていないかという話だ。友人は少ない、休日は家でだらだらといたずらに時間を過ごし、趣味もこれといってない。もはやダメ人間のオリンピックがあれば日本代表選手に抜擢されるレベルのダメっぷりである。周りの輝かしい人生を送っている人間に対したら俺の目ははるかに濁っているだろうさ。

 だからといって、別にこれから先の人生について諦めているわけでもない。昨夜を使ってどうしたら良い方向へと俺の人生が舵を切るのか考えてみたのだ。

 そこで行き着いた答えを、放課後の日差しが差し込む教室で友人の白石悠太に話してみた。

「俺は、部活に入ろうと思う」

 するとどうだろう、悠太はまるでこの世のものとは思えないほどのおぞましい生物を見つけたときのような驚愕に満ち溢れた表情を見せたのだ。

こうも驚かれてみろ、地球に来たエイリアンの気持ちが少しわかったきがするぞ。

「驚いたな、青葉が部活に入ろうなんて。明日はきっと隕石が降り注ぐよきっと」

「俺は宇宙を操る能力に目覚めた記憶はないぞ」

 すると悠太は爽やかに笑ってみせた。

「はは。でも、いいんじゃないかな。部活。青春してる感は出ると思うよ」

「なんだよ青春してる感って、結局してないじゃないか」

 本日は四月の二十日。高校入学して三日目のことである。新しい教室で新しいクラスメイトたちと簡単な自己紹介を済ませ、新しい教材を配られたりなんかして数日が過ぎたが、今日から本格的に授業が始まって大半の一年生は憂鬱な気分に差し掛かっている頃合いだ。それは俺も例外ではなく当然のように、いや、むしろ年中憂鬱な気分でいるのが俺という人間なのだが、それは置いておいて、今は俺が部活に入ろうかという話である。今週は部活動見学という時間が一年生には与えられていて、いろんな部活を放課後に見学できるのだが、俺はまだどこの部に見学しに行こうなどどいう計画を一切立てていないのでそれを含めて悠太に話したのである。

「なんの部がいいと思う」

「うーん。青葉は運動神経がないから運動系はだめだよなぁ……」

 ありがとたいことに真剣に考えてくれているらしい。しかしさらりと俺をディすったのは気のせいだろうか。

「まぁ、文化系が妥当なところか」

「そうだね」

 悠太は小さく頷いた。

「僕は帰るけど、青葉は見学していくのかい?」

「あぁ、そうだな。適当に見学してく。先に帰っててくれ」

「了解」

 悠太がわざとらしくあざとらしく手をおでこにピシッとあてて敬礼してきたので無視しようかと思ったのだが、それはちょっと可哀そうだと思ったので軽く鼻で笑っておいた。

「じゃあ青葉。おもしろい部活があったら僕にも教えてね。じゃあね」

「あぁ、じゃあな」

 悠太が教室から出るのを見送って、俺は自分のリュックを肩にかけて放課後の廊下を無作為に歩き出した。

 夕日が差し込む校舎の雰囲気は嫌いじゃない。こうして誰もいない放課後の校舎を歩いているとどこぞのアニメの主人公になったような気分になる。

 誰もいないと安心しきっていたのだろう。俺はこんなことをつぶやいてしまった。

「青春してぇ……」

 そこに偶然通りかかった担任にすべてを聞かれ「青葉くんは青春したいんだ」と小さい子供の面倒を見るかのような目で優しく、半分からかいを含めた口調で言われた。

 俺の顔がマグマのように火照り赤くなったのは言うまでもない。


「で、青春したい青葉くんは何の部活に入ろうかと迷っていたところなんだね」

 担任である大河原陽子先生に事情をすべて話し、「じゃあ私がおすすめの部活教えてあげるよ」とのことなので今は職員室にいる。

「さっきのこと誰にも言わないでもらえますか……」

「どうしよっかなー」

 にこにこと楽しそうだなこの人。茶髪のショート、大きな瞳は幼さを強調させる、それと裏腹にグラマーな体は大人の色気を醸し出している。

 童顔のため制服を着たら生徒と見分けがつかないレベルだ。是非とも一度は拝見してみたい。

「うふふ、言わないよ。安心して」

「はい……」

 この人は世間話程度に無意識のうちにぽろっと言いそうだなぁ不安だなぁ……。

「で、部活動なんだけど、文芸部ってのはどう?」

「文芸部ですか」

 これまた無難な部だ。運動系の部活に比べて特別な知識も経験もいらない誰でも入れるハードルの低い部だ。それに楽そうだ。

「文芸部には部員が一人しかいなくてね。誰か入らないかなぁって思ってたんだよ」

「大河原先生は文芸部の顧問なんですか?」

「うん、そうだよ」

「で、どうする? 入る?」

 こうも簡単に選択を迫られると容易に答えてしまいそうになるが、しかしこれは中々に重要な決断だと思うのだ。就職活動のとき給料やら年間休日を一切把握せずにその企業に応募するか? 否である。ここはより詳細な情報を求めることにしよう。

「休日は活動するんですか?」

「いいや、休日は休み。私も休日まで学校に来たくないからね」

 教師がそんなこと言っていいのか……。職員室には当然ながらほかの教師もいるでもし聞かれていたりしたら大河原先生の立場が心配になるところだ。

 しかし大河原先生はそんなことを微塵も気する様子はない。

「主な活動内容は?」

「うーん。部員の子はいつも読書してるかな」

「文芸部って本を読む部なんですか」

「他にもあると思うけど、特にやることはないみたいよ」

「それは部活動と呼べるのでしょうか」

「知らない」

 あんたほんとに顧問か。と思わずツッコミを入れたくなったのだが相手が年上で我が担任であることを思い出し胸にしまいこむ。

「どうする?」

「そうですね……」

 正直悩むところではある。俺が部活動に所属しようと考えていた理由が学生生活を少なくとも以前よりは面白くする。あわよくばリア充へとランクアップするためだったのだが、こんなことを言っては全国の文芸部員に失礼だが文芸部という部活はどうも活気のある部活かと問われればそうでもない気がするのだ。

 と、俺はその一人という部員の存在が気になった。

「文芸部に入っている人は誰なんですか?」

「面白い子だよ。二年生の子なんだけどね」

 大河原先生は俺の目を見て、またもやからかうような目つきに変わる。

「けっこうな美人さんだぞ」

 身を乗り出し俺の耳元で囁いた。近いしいい匂いするし近い。

「さぁ! どうする」

 今日何度目かの決断を強いられた。

「……部室の場所を教えてください。とりあえず見学だけでもしてみます。入るかどうかはその後ってことで」

「ふふふ、素直じゃないなぁ」

「よく言われます」

 よく考えてみてほしい。大河原先生が言うにはたった一人しかいないその部員は美人らしく、当然俺が文芸部に入ることになれば放課後は合法的に美人な先輩と二人きりという状況を生み出すことが可能だ。年ごろの男子たる俺だって期待をしないといえば嘘になるし、むしろ期待しまくりなのだが、まぁ部に入るかどうかは実際にその美人な先輩を確かめてからでも遅くはないだろう。

 素直じゃない? 当然さ。年ごろ男子の思考なんて捻くれまくっててむしろそれが正常なまでもあるからな。これが平常運転なのさ。

 俺は高校が始まって以来もっとも軽い足取りで文芸部の部室がある四階の空き教室へと足を運んだ。


 文芸部の部室の前まで来て、俺は冷静さを取り戻した。

 美人? どうも嘘くさい気がしてきた。俺をうまく入部させるための口実だったのではないか? 必ずしも美人である確証はないのに心を躍らせてしまった数分前の俺の頬をだれかつねってくれ。

 期待と失望は仲良しなのだ。期待をすれば失望も一緒にやってくる。俺の十六年間ばかりの人生で得た教訓なのだが、これは意外に的を得ていると思う。

 期待していた心を撲殺し二度と湧き上がってこないように錘付きで沈めておく。

 しかしまぁ部室の前まで来て帰るというのもせっかく四回まで来た苦労が無駄になるので、俺は部室の戸をノックした。

「…………」

 返事がない。

 一応場所の確認をしておく。四階の空き教室。たしかにここであっているはずだ。

 戸はスモークガラスになっているため中の様子は窺えない。これはどうしたものか、部員がいないんじゃ見学もできないのは当然で、俺はこのまま帰るしかないのだろうか。

 でもまぁ見学期間はまだ数日あるから後日出直せばいいか。

「……はい」

 と、俺が踵を返し帰宅の決意を固めたとき、物音一つない静寂の中でなかでなければまず聞き逃すであろうボリュームの声が聞こえた。

 それが俺のノックに対する応答であろうことに数秒気づかなかったのは俺が悪いのではく明らかに返答時間が遅すぎるせいだよな。

 応答があったということは入室してもいいんだよな。妙な不安感を抱きながら俺はゆっくりと戸を開けた。

 中にいた少女を見て、俺は文字どうり絶句した。

 黒艶のある髪は腰あたりまで伸びていて、清楚な顔立ちに少し大きめの黒縁眼鏡をかけている。夕日が差し込む部屋で読書をしている少女の姿は、どこぞの有名画家が描いた絵画じみていた。

 正直に言おう。俺は眼鏡女子が好きだ。特に黒縁眼鏡。俺の好みを余すことなく当てはまったこの少女に見とれてしまった俺を誰が責められようか。

「何か用かしら?」

 どうやら俺は棒立ちで相当間抜けな顔で見つめていたらしい、数秒気づくのが遅かったらその間抜けずらをこの少女にみられるところだった。

「部の見学に来たんですが」

 すると少女は困った顔をした。

「見学……困ったわね。特にこれといって見学してもらうことがないのだけれど」

「あなた、新入生よね?」

「はい。宮城野青葉といいます」

「そう。悪いのだけれど、私はここで本を読んでいるだけだし、とくに面白いものを見せられそうにはないのだけれど。それでも見学する?」

「見学させてください」

 今更帰るのもあれだ。なんなら見学させてもらおう。主にこの人を。

「適当に座って」

「はい」

 部屋に足を踏み入れる、すると部屋の全貌が見える。通常の教室より半分ほどの部屋には長机が一つと向かいようにパイプ椅子が二つ。そしてこの部屋であれば一番値打ちが高いであろう大きな本棚が堂々たる姿勢て構えている。本棚の中には文庫本でびっしりと埋め尽くされていた。

 俺が椅子に腰を掛けると、少女は窓側にあったポットで湯を入れてお茶を出してくれた。ありがたく頂戴します。

 こんな美人に入れてもらったお茶を一瞬で飲み干してしまうのはもったいない、少なくとも三日はかけて飲み干そう。

「ありがとうございます」

 少女は先ほどまで座っていた席に戻り、俺がお茶を飲んで一服するのをまってから口を開いた。

「自己紹介をしましょうか。私は二年一組の多賀城いろはよ」

「多賀城って苗字、かっこいいですね」

「……そうかしら、私はあまり好きではないのだけれど」

「なんでです?」

「ごついイメージがあるのよ」

「あー、なんとなくわかる気がします」

 苗字名前に悩みを抱いている人間は少なくない。俺だって宮城野という苗字で同級生から「長い」と言われるのはもはや宮城野一族にとって必ず通る道なのだ。自分の名前を書く時にも長いと疲れるしな。もう少し簡単な苗字がよかったな。田中とか。

「申し訳ないのだけれど、もう一度自己紹介してもらえるかしら」

「はい。一年五組の宮城野青葉です」

「宮城野くんね……。長いわね」

 ほらな。

「好きなように呼んでもらって構わないですよ」

 この人にだったらどんな呼び方されてもいいと思えるね。たとえそれがくそ虫でも。

 いや、それはさすがに嫌だな。

「そう。じゃあ、青葉くん……でいいかしら?」

「大歓迎ですよ。むしろありがとうございます」

「なぜ感謝されるのかわからないけれど、どういたしまして」

 先輩女子にくん付けで呼ばれるのが俺のひそかな夢だったわけで、それが叶ったともなれば礼の一つは当然である。

「じゃあ俺は多賀城先輩って呼んでいいですか」

 すると少女は難しい顔をした。

「私自身あまりその苗字を好んでいないのよ。そうね、青葉くんも私のことを好きなように呼んでくれて構わないわ」

 じゃあいろはちゃんはどうです? とは言えず。

「じゃあ、いろは先輩でいいですか」

「えぇ。構わないわ」

 悠太よ。俺も一概に成長したらしいぞ。美人な先輩相手に臆せず自分らしく会話を続けていられる。たいした事ないかもしれないが俺にとってはかなりの進歩といっても過言ではあるまい。

 それに出会って一時間も経っていないのにお互いを名前で呼び合う関係にまで登り詰めたのだ。まぁお互い苗字名前に不満があったおかげなのだが、それでも事実には限りないので俺は素直に喜んでもいいだろう。やったぜ。

「それで、見学のことなのだけれど」

「はい」

「いつもどうりにすると私はただ読書をしているだけなのよ。そして今ちょうどいいところで止まっているの」

 いろは先輩は読みかけの文庫本を指さした。

「いち早く私は続きが読みたいの。申し訳ないのだけれど、読書を再開してもいいかしら?」

「構いませんよ。急に押しかけてきたのは俺のほうですから」

「そう。ごめんなさいね」

 いろは先輩は途中だった文庫本を手に取り読書を再開した。読書をしているいろは先輩の顔はいたって真剣で、たとえこの世が崩壊したとしてもいろは先輩はまったく気にせずに読書をして続けるのではないかと思ってしまうほどに身動き一つとして感じられない。それほど集中しているということだろう。

 そんな先輩の読書タイムを邪魔するわけにもいかず、暇を持て余した俺は本棚から一冊適当に文庫本を手に取って読んでみることにした。

 どうやら俺が無作為に選んだ小説は以前ドラマ化されたものだったようで犯人がだれだか知っていた。犯人を知っているミステリー小説は面白さに事欠けると考えていたのだが、いざ読んでみるとこの著者の文章力がすさまじいのなんのって気づけば俺もうこのミステリー小説の虜になってしまった。

 時間を忘れること数時間。既に日は沈み下校時間が近づいてきた頃合いに、俺は心臓が口から飛び出るほどびっくりした。

 静寂が支配していたこの部屋に突然無機質なアラームが鳴り響いたのだ。一体何事かとあたりを見回すと、いろは先輩が笑いを堪えて肩をプルプルと震わせていた。

「ごめんなさい。びっくりさせるつもりはなかったのよ」

「マジでびっくりしました。なんですか?」

 いろは先輩は自分のカバンからスマートフォンを取り出しだ。どうやら六時になるようにセットしたアラームらしい。

「私、本を読むと時間を忘れてしまうから。こうして下校時間にアラームをかけているのよ」

「なるほど。たしかに集中しまくってましたからね」

「おもしろいわよ、これ。青葉くんも是非読んでもらいたいわね」

「どんな話ですか」

「人が不幸になる話」

「大好物です」

物語にリアリティを求めるのはお門違いなのは重々承知しているつもりだが、だからこそフィクションにリアリティを混ぜ込めばたちまち意外性のバケモノが出来上がる。割と好きだったりする。まぁ世間的には受け入れにくいが。

「さて、帰りましょうか」

 いろは先輩は読んでいた文庫本を本棚に戻し、帰り支度を始めた。

 俺も残っていたお茶を惜しい気持ちで飲み干し、読んでいたミステリー小説を本棚に戻した。

「この本って全部いろは先輩のものですか?」

「いいえ、半々ってところかしら」

「そうですか。先輩は読書が本当に好きなんですね」

 いろは先輩はカバンを肩に背負った。

「えぇ。物語は、嘘はつかないもの」

 その声音にどこか寂し気な雰囲気を感じ取ったのは俺の気のせいだろうか。

 いろは先輩はすでに戸まで歩き始めていて表情は窺えない。

「さ、帰りましょう」

「はい」

 俺もリュックを背負って部屋を後にする。

 人生で初めての部活動(仮)が終了した。意外と悪くない気分だ。むしろ上機嫌なまでもあるな。きっとお茶が美味しかったからだろう。野暮なことは考えてはいない。はは。


 部屋に戸締りをし、俺といろは先輩はすでに日が沈んだ校舎を二人肩を並べて歩き出す。

 誰か、誰でもいい。この状況を写真に収めてはくれないか。人生でここが一番ピークな気がしてならんのだ。思い出ぐらい作らせてくれたって誰も文句は言うまい。

 しかし都合よくカメラマンがいるはずもなく。俺といろは先輩は静寂に支配された廊下を淡々と歩く。

「どうだったかしら。文芸部は」

 静かなおかげでいろは先輩の声がよく聞こえる。

「面白い部活だとは思いませんでした」

「しょ、正直ね……」

 いろは先輩は困ったように笑った。

「けれど、楽しかったですよ」

 楽しくないわけがない。美人な先輩と二人きりだぞ? これを楽しくないと思う男子がいるのであればそいつは悟りを開いた仙人か何かだ。

「そう。まぁ、部活は他にもたくさんあるわ。まだ日はあるでしょうから、慎重に決めなさいね」

 ありがたいアドバイスだ。

「わかりました。慎重に考えさせていただきます」

 いろは先輩は優しく微笑んで小さく首肯した。薄暗い廊下でもそれはよく見えた。

 それから会話はなく。昇降口まで来た。この沈黙は気まずいものではなくどこか心地よいと感じるものだった。

「私は鍵を職員室に返しにいくから。今日はこれで」

「はい。今日はありがとうございました。さようなら」

「さようなら」

 いろは先輩が胸の前で小さく手を振ったので、俺も軽く右手を挙げて答えた。

 なにあれかわいい。録画して大画面で見返したいレベル。さすがにきもいな。

 しかし、大人っぽい見た目をしているわりに時折みせる子供っぽい仕草もなかなかくるものがある。これがギャップ萌えか。やべぇな。

 下駄箱から靴を取り出し、履き替えていると職員室へと向かったはずのいろは先輩はまだそこにいて、俺に声をかけた。

「……その。青葉くん次第なのだけれど。もしよかったら連絡先を交換しないかしら」

 そのとき、俺の脳内に稲妻が走った。

 来た。とうとう来た。今まで生きてきた中で女子から連絡先を聞かれるなんてことは物語の中だけのスピリチュアルな出来事だと思っていたがとうとう現実に起こってしまった。それも美人な先輩女子にだぞ?

 俺は今にも声をあげてガッツポーズをしそうになるのをなんとか堪え、なるべく平穏に。

「い、いいです、よ」

 とぎれとぎれになってしまったが仕方ない。今はそれよりも連絡先の交換だ。

 いろは先輩はスマホを取り出しメッセージアプリのIDを俺に見せた。すかさず俺はそのIDを自分のメッセージアプリに登録して友達追加をした。なんてことだ、今まで家族と悠太しかいなかった連絡先に美人先輩女子が追加されたのだ。もう一度言うぞ、美人先輩女子だ。

 いろは先輩は俺が友達追加されたのを確認すると小さく微笑んだ。

「ありがとう。呼び止めてごめんさい。それじゃあ」

 今度こそいろは先輩は職員室へと向かった。俺はそのまま座り込み、夢だという可能性を排除するために自分の頬をつねったり全力で叩いてみたりしたのだが、普通に痛かったのでどうやらこれは本当に現実のようだ。俺は人生で一番の高揚感と充実感と満足感を味わいつつ。帰路についた。

 と、ここで、物語などで使いまわされた常套句を言うのは気が引けるのだが言わせてもらう。

 この後、いろは先輩から届いた一件のメールが要因で様々な事件に巻き込まれるのを、今の俺は知る由もなかった。


 さて、俺は家に帰ると撮り溜めしていたアニメを一通り消化し、夕飯ができるまでの暇な時間を動画サイトでゲームの実況などを見ていたずらに時間を過ごしていた。

今日は初めての授業がありいくつか課題を出されたのだが、課題を真面目に消化しようと思う気持ちなんぞ俺には一ミクロンも存在してはおらず、明日悠太に課題を写させてもらうなどとよこしまで念密で完璧な計画を実行することにして俺は思う存分だらだらすることに決めた。これは既定事項だ。今決めた。

 次の動画を再生しようとしたとき、見慣れたメッセージアプリから通知のお知らせが届いた。

 アイコンをタップし、起動させる。

 すると、メッセージを送ってきた相手は悠太でも家族でもネット通販の公式アカウントでもなかった。送り主は、多賀城いろは先輩だった。

 内容はこうだ。『突然ごめんなさい。夜分に申し訳ないのだけれど、今から少し時間をもらえないかしら』と。

 内容を確認し無言で歓喜のガッツポーズを掲げたのは言うまでもない。

 生まれて以来一番強く握りしめた拳を高く天へと掲げ。俺は急いで家をでた。


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