Ⅴ 真相
核心に触れます。メルーさんの意外な一面にも。
剣の鍛錬や修道が終わり、自由な時間を得た夕刻に。例の男を探しに向かった。
宿にいるかと思ったが、念のため昨日の酒場に向かってみたところ、町人と酒を酌み交わす黒髪黒眼の男の姿を発見する。余計に歩く手間が省けた。
「……おい、貴様」
「んー?」
すでに耳まで赤くしている男は、私を見るなり「やー、メルーちゃん。昼間ぶり。また会いに来てくれたのー?」と、酒臭い息を吹きかけてきた。
「話がある。来い」と、男を酒場から外に引っ張り出し、人目を気にせずに済む、建物の裏に引きずり込んだ。
「……おい、どういうことだ」
「何が?」
「お前、私に何もしなかったのか?」
教会の修道女があの場で嘘をつくはずもない。
男は首を傾げ、からからと不敵に笑う。
「何もしてないっていえば嘘だけど、何かしたのはホント♪」
この男は……! かっとなって剣の柄に手が伸びたが、掴むだけで抑える。
「真面目に聞いているんだ。天神フェリス様に誓って答えろ」
「うおう、怖いなー」
男はにやにやと口を横に伸ばしたまま、大袈裟に己の腕を抱く。
「……少なくとも。ほ、本番はしていないんだな?」
「……あらー。バレちゃった?」
野太い女言葉のようだったが、言質が取れた。
「……朝まで抱き合ったのは本当なんだな?」
「うん」
「だが最後まではしなかった」
「そゆこと」
…………。
頭の中で凍りついていた問題が一気に溶けるようだった。
純潔を破られていたら、辞職も致し方ない覚悟だったが。罪業の改悛で許されるだろう。
ああ、天神フェリス様。あなたは私を見放さなかったのですね。感謝いたします。
このメルゼルタ。淫行に身を投じた罪は、生涯をかけて償います。
「……貴様」
とりあえず。この大ホラ吹きは制裁しなければならない。
「この詐欺師め! 私を誑かして、婚約を迫ろうなど!! 怪魔のように下劣な男だ!!」
「あ、本気で考えてくれてたの? 結婚」
「今すぐ教会に来い! その愚かな罪を戒めるまで、外には出さんぞ!」
「え、監禁するの? いやー、それは困るなー」
呑気な返答に思わずぎっと奥歯を噛む。この不信者に、私は体を委ねてしまったというのか!!
「まー、よかったじゃん。聖騎士続けられてさ♪ 俺の理性に感謝してよ」
「フェリス様に感謝しろ。貴様に恩赦をかけてくださったのだ」
「フェリス様ねー。人想いでいい神様だけど、機嫌損ねるとむちゃくちゃ怖いらしいから、ちょっと苦手」
「……口を慎め。聖騎士の前で、我らの主を侮辱するのか?」
「んー? 違う違う、妬いてるの。しょーがないってわかってんだけどさ♪」
「?」
男はにへらと顔を緩めた。
「けど、メルーちゃん大きくなったよね。身長も俺と同じくらいか」
「……? 昔何処かで会ったか?」
「うん♪ 実はそうだったり。十五年くらい前かな? 顔を合わせたのも一回だけだし、覚えてなくても仕方ないけど」
「……」
「お父さんは今も元気?」
何故父の安否を聞かれる?
……彼は、父さんの知り合いか?
「父なら息災にしているが」
「それはよかった」
男はくすくすと細い笑いをする。
「……そのうちお父さんにも土下座しないといけないのかな。娘さんをくださいって」
「お前は私の父を怒らせたいのか?」
最後までしていないとはいえ、淫行は働いた。
私に手を付けたと父が知れば、どんな知り合いであれ激怒するだろう。
「正直本番までしなかったから物足りなくてさ。結婚すれば、メルーちゃんを俺の好きにできるかなって」
「頭の髄まで淫魔の術にかかっているようだな。やはり教会に来るといい。専門の解魔術師を紹介してやろう」
「急に言葉がマイルドになったけど、それつまり『頭おかしいから診てもらえ』ってことだよね?」
「怪魔に誑かされた者を救うのも教会の役目だ。フェリス教会は異教徒も無論信者も無下に拒むことはない」
怪魔の術の有無に関わらず、結婚結婚と呆れるような口説き文句ばかりを作るこの男の脳が少し哀れに思えてきた。
一夜を共にして調子づいているのだろうか? この男はおそらく女性の扱いに慣れているのだろうが、女心を読めているように思えない。
それとも私が男女の駆け引きというものに縁がないために、そう見えるのか?
「……もしかして、俺がメルーちゃんを知ってたってこと、信用してない?」
「ホラ吹きの素質があるようだからな。父のことも鎌かけか?」
「鎌かけじゃないよ。まー、お父さんも俺のこと覚えてないかもしれないけど。俺にとって、あの人は恩人」
恩人。なるほど。父は教会の治療師だからな。患者として怪我の手当てをされた覚えがあるなら、そう口にするのも頷ける。
「そして、メルーちゃんは俺の女神♪」
「は?」
男は突然、ぐっと私の背中を抱いて、唇を重ねてきた。
「……っ!? んっ!?」
酒の味がぬらりと口の中に広がる。
「……メルゼルタ」
甲冑の尻当ての中に手を差し込まれて、ぞわりと肌が泡立った。
……抱きすくめられた場合の脱出方法はある。
私はがっと腰を落として体を捻り、後ろに回される手が緩んだ隙に自分の腕を広げて、体を引くようにして抜いた。続いて、男の腕を掴んで背後に回り込み、ぐんと足を蹴って地面に倒す。
「痛て、痛ててててて!! ギブギブギブ!!」
「今のは非合意の淫行だな。ならば私も容赦はしない。痴漢には厳重な処罰を与えるべきだ」
「や、やだな、今のはちょっとした冗談でててて痛い痛い痛い痛いマジ痛い骨折れる!!」
みしみしと腕の付け根から軋むような音を鳴らして、男は悶える。
「天神フェリス様は罪を見過ごさない。貴様には神罰が下るだろう。その前に、我らがフェリス教会の"代罰"で悔い改めさせてやる」
「うわ、出たよ! フェリス教の代罰ってつまり拷問……って痛いよ痛い今も拷問だけど!?」
「神罰に比べれば軽いものだ。フェリス様は慈悲深き神。我らの代罰で少しでも反省しろ。天神フェリス様ならば償いの想いを汲み取ってくれよう!」
「なんかちょっとテンション上がってない? メルーちゃん実はドS気質なの? 実はそっち系の趣味あるの!?」
「食い逃げだ―――――――!」
店の中から大きな声がした。
私がそれに気をとられていると、身動きを封じられている男が腕立て伏せよろしく体を浮き上がらせ、四つ足で這いずる怪魔のようにカサカサと逃げ出した。
「なっ、待て!!」
店の入り口の方まで追ったが、それよりも食い逃げ犯を捉える方が先だと考え直し、店主が示す別の男を追いかけた。
走りながら剣と反対の腰に据え付けた長い鞭を手に取り、横から投げるようにびゅんと打つ。
食い逃げ犯は足を払われて転んだ。それを取り押さえ、辺りにいる一般民に他の聖騎士を呼ぶように依頼する。
応援が来て、無事、食い逃げ犯は捕縛した。犯罪者は代罰房に連行される。
……あの男の言う通り、私は代罰が嫌いではない。だが、過度な罰は与えない。残虐な手段を取ることもまた、教会の掟に背くことになる。
代罰は犯罪者を捉えた聖騎士が行う。私にとって久しぶりの代罰だ。早速被害者の店主から踏み倒された代金を聞き出し、どれくらいが適度かと、計算をしたが。
「全く、ツイてないよ、今日は。二人の客に食い逃げされてさぁ」
「……」
店主の言葉に、妙な罪悪感を覚える。
天神フェリス様。
私はあの男を呼びつけたことで、犯罪に加担したことになるのでしょうか?
次回は主人公の一人称です。