ⅩⅥ_露呈
ラティロたちが足止めをしてくれたらしい。ものが風を切る音、シニガミの呻き、金属のぶつかり合うが聞こえて、俺は一瞬、速度を緩めて振り返ったが。すぐにまた走り出した。
俺の後ろには誰もいなかった。逆に不安になった。シニガミがラティロたちの"遊び"にノったってことだから。
大丈夫かな。極力、直接戦闘は控えて欲しいってのが俺の本音なんだけど。でも「心配だから」って戻ったら、二人を裏切ることになる。俺のために作戦立てて、戦ってくれてるんだから。
二人が指定していた罠だらけの環境にやってきて、息を整える。
地形は記憶済み。けど、何処にトラップがあるかわからない。木の近くにはあまり寄らない方がいいよね。
……ま、シニガミもそれはわかっているだろうけど。
罠は俺のためというより、ラティロとマイフが獲物を狙い撃ちするためのものだ。
俺がかかったら、逆にシニガミの気を引いてくれる。ハンターは気配を消すのがうまいから、姿を隠しながら援護してくれるわけだ。
「任せた!」と、はっきり言いたい気持ちはある。信じたい気持ちはあるんだけどさ。二人の勇気を尊敬しつつ、上から目線の不安ばかりを頭に浮かべてしまう。俺以外の人がシニガミの相手していると思うと、気が気でならない。
「……――――い!」
「ん?」
何か聞こえた気がした。シニガミの声じゃない。
「お――――――い! 誰か――――! いないか――――!?」
人? 怪魔か? 剣を抜いたまま、声の主を探してうろうろとする。罠には注意しながら。
……がさがさと大きく木が揺すられる音がした。そこに向かう。大きな影がある。
「お――――――い! 助けてくれ――――い!」
ギガス族のように大きな体を持つ男のようだ。どうやら括り罠に引っかかり、逆さに吊り上げられてしまったらしい。片手を地面につけて、倒立のような体勢になっている。
「おい、大丈夫か!?」
「ひ、人か……? 助けてくれ、動けないんだ」
「すぐ解除するから、暴れるな」
俺は「よいしょ」と木に登り、枝に引っ掛けてあるロープを探し当てた。「外すから、気をつけて」とより戻しを動かすと、どすんと男が地面に倒れこんだ。
「……つぅ――――……!」
怪魔ハンターか? この時間帯に神域に人がいるとすれば、そうとしか考えられない。
呻く男の傍にしゅたっと降りて、「あれ?」と思った。見覚えのある顔だ。
うん、めっちゃ見覚えある。
アーロガンだ。
……え? いや、え?
何で貴族騎士様がここに?
「おお、助かった。歩いていたら妙な罠に……」
目が合った。はたとアーロガンの声が止まる。
「……あのー。アーロガンさんですよね? どうしてここに「この鬣犬があああああああああ―――――――――――っっ!!」
いきなり吹っ飛ばされた。頬ではなく体ごと、大きな平手でばしーんとはたかれる。
何が起きたのかわからなかったが、とりあえず戦いの癖ですぐ立ち直り、相手から適度な距離をとって身構えた。
アーロガンは闘牛のように鼻息を荒くしていた。目の白いところは血管が目立っていて、俺を凝視している。顔は赤く、額に青筋がびきびきと浮き出ていた。
……あー。うん。
たぶんだけど、バレた?
「お前がスロスか!? アイニーに手を出したんだってな!?」
「……ええっと? すみませんが、何のことやら……」
「惚けるな! アイニーが白状した!!」
あ。これはアウトだ。
「一昨日、アイニーが私のいない間に外に出て、お前に会いに行ったそうだな?」
「……」
「あいつは礼をしに行っただけと言っていたが、どうして商人に聞き回ってまで、旅人に会いに行く? 私を通して『会いたい』と言えばいいものを、何故私に黙って会いに行った? おかしいだろう!!」
「……それで、浮気したって思ったんですか?」
「問い詰めたらそう答えた。神域にアイニーが行ったのも何故だ? お前らがアイニーを攫ったからじゃないのか!?」
「いやー、それはないです……」
「じゃあアイニーは何故神域にいた!!」
自殺のためです。
……なんて、本人は言わないよね。
「わかってるんだろうな! 私の、このアーロガンの"妻となる女"に触れた罪は重いぞ!」
罪って言われても、俺は何も裁かれないけどね。婚姻関係にない男女の浮気は罪にならない。不倫だったら犯罪になるけどさ。フェリス教会の基準だと、不貞行為は証拠が取られれば鞭打ち百回か、全裸針刺しだったはず。
さすがに俺も、人妻には手を出さないよ? けど、アイニーちゃんは"まだ人妻じゃない"。
そもそもさ。男女の仲に運命か否か、真実か不真実かを問うのはナンセンスじゃん? 何故なら、異性と意識した時点で何らかの縁があり、そういう仲になったのは客観的事実になるからだ。
関係を法で縛るのは、現実問題の財産や子供に関するトラブルを防ぐためであり、愛がナントカっていうスピリチュアルな話はほぼ関係ない。
俺は流れ者の遊び人。金と信用は最初からないも同然。自分自身に価値を持たない分、社会的に失うものは何もない。
けど、"愛"に縛られて苦しんでいたアイニーちゃんには、真っ黒でも純度のある心をあげたくなった。正義を語るつもりはないが、少しだけ手を差し伸べられたんじゃないかって。俺は思ってる。
アイニーちゃんとは一夜だけのつもりだった。結果としては二回だけど。ただ慰めてあげたいと思っただけで、奪い取るつもりなんてさらさらなかったよ?
マイフじゃないけどさ。アイニーちゃんも俺の甘い誘惑に、自分から選んで乗ってきたんだ。気の迷いとして俺を卑下するか、僅かな時の夢として思い出にするかは、アイニーちゃん次第だけど。
何事も、決めるのは自分自身だ。
……これは開き直りか?
俺の恋愛論は屁理屈か?
一途の愛なんて、理想的ではあっても現実的じゃない、って思うのは。
……ラティロの「下衆野郎」という言葉とマイフのため息が、何気なく頭の中で聞こえた。
「アイニーを垂らし込んだのはお前か?」
「まー、はい……誘ったのは俺です」
「あとの二人は何処だ? 背の低いエルフ耳のリーダー格と、ピアスの男だ。『助けたのもたまたま』と、大ボラを吹きやがって!!」
「それはホントです。俺と一緒にいた人たちは何も知らないですよ」
「そんなはずはないだろ!!」
「俺があいつらの目を盗んでヤったことなんで」
今更仲間を庇いたくなるのは、半分は己の保身。いや、でも本当にあの二人は関係ないし。
あいつらには悪いと思ってる。最初から二人に面倒をかけるってわかってた。わかっててヤッた。
愛は誰もが望むもの。俺も孤独を恐れてる。本音を隠して口八丁になり、中途半端に人を求める。人のぬくもりや、信用の見返りに飢えて、期待してしまっている。
全て失うことは前提で。
「人に裏切られるのは当たり前」と思っている俺は、何もかもがいい加減で、狂っているのかもしれない。
何はともあれ。敵に回したのがまあまあ偉い家の人だし、「事実上犯罪じゃないから!」という言い訳は通じないよね。
この大陸のほとんどの国は、国法よりも教法が強い。高貴な人でも一般民でも、ただの恋愛のゴタゴタはフェリス教会の代罰の対象にはならないが……アーロガンが私的恨みを募らせて、刺客を放つ可能性は高い。
「バレなきゃしょうがない」主義のラティロとマイフも、これ以上俺の脅迫尾行が増えたらブチ切れるかもしれない。
対策? まー、あるよ?
……追われる前に逃げるのみ!!
撒こう。俺は夜闇に姿を晦まそうと、再び走った。どすどすどすと地響きが鳴って、新たな追っかけっこが始まる。
……そもそも、何でアーロガンが神域に来てるのかがわからない。一昨日アイニーちゃんにちらっと予定を話したから、俺がここにいるってわかったんだろうけど。騎士という武に長けた身分の人とはいえ、単身で怪魔のいる場所に来るか? しかも夜中に? どうしてわざわざ?
「待ちやがれえごらぁああ――――――!!」
ちょ……思ったより早っ!!
って、そりゃそうか。百八十センチ程度の人族に比べたら、四百センチ以上ある男の歩幅は大きすぎる。
でも撒かないと本当にやばい! いや、恋愛の修羅場のことだけじゃなくてね!?
シニガミがいる時に、誰も俺に構ってはいけないんだ!!
「喧嘩なら後で買いますから! だから今は――」
「喧嘩もクソもあるかあああ――――――!! お前が人の女に手え出したのが問題なんだろうがああああああ――――!!」
「そうですねその点は正論です!!」
宿を荷物置き場にするのはお金が勿体無いってことで、引き払っておいてよかった。これじゃー、シニガミを殺っても、町に戻るのは無理だ。
説得は不可能と判断して、シニガミの件が終わるまでまた何処かのトラップに吊るしておこう……と、木を注意深く見ながら走り回ってみた。
でも、思うように引っかかってくれない。一、二回は、見つけたところの上に誘導して括り罠が発動したけど、元々対巨人用じゃないせいか、足にうまく嵌らないようだ。むしろ何で最初は引っかかったの?
"幸運を操る"べきか? ちょっと思った。一週間分……いや、二週間分くらい使えば罠にかかるかも。こんなことで能力発動するのもアレだけど、シニガミがラティロたちの襲撃を振り払ってこっちに迫っているかもしれない。たった二週間。されど二週間……。
「って、うおっと!?」悩んでいるうちに俺がポカした。
しゅるっと罠に足を獲られ、視界がぐるんと百八十度回転。体が宙に浮いた。
ぐっと空中腹筋して自分の足を掴み、剣を持った腕を伸ばして、ぴんと張っているロープをすぱんと切り落とす。
そのまま頭から落ちて、肩ででんぐり返しをするように受け身の着地……をして、すぐに。アーロガンに皮球のごとく蹴っ飛ばされた。
ギガス族は巨人である分、人族より力が強い。俺は木にがんと背中を強く打ち付ける。ごろごろとお腹と背中で転がった後、体を起こしたら、アーロガンの広い手で木にばしんと押しつけられた。
「捕まえだぞ! この盗人が!!」
手の平で力任せに胸が圧迫される。バキバキと自分の肋骨が折れる音と共に、「うぉぇっ」と強い吐き気を覚えた。
やばい。やばいやばいやばいやばい!
これ内蔵潰れる。背骨も折れるって!
剣だけは落とさないようにと、腕に力を込める。
逃れるのは簡単だ。斬りつければいい。
でも、下手に剣の跡をつけるのはまずい。俺が本当の意味で加害者になってしまう。
逆に、アーロガンが俺に怪我をさせても大した罪にはならない。信用ゼロの浮浪者で無宗教者の俺は、教法が助けてくれない。
「ぐ……た、頼む、から、離してくれ!」
最後の説得。これでだめなら幸運を使うしかない。
「おーおー命乞いか? 命乞いだな? ぶわははははははは!!」
「そうだけどそれだけじゃ、ないから! 死にたくなければ、離せ……!」
「何やってんの?」
冷えた声。表情を失ったシニガミが、大男の近くに立っていた。
次回。死神がヤンデレモードを発動します。




