ⅩⅤ_信愛(ラティロ視点)
木の上にいるとそよ風が冷たい。わたしの守護精霊に戦勝の祈りを捧げて、「もうちょっと厚着をすればよかったかな」と思いつつ、くわぁと静かな欠伸をする。
この神域は、山地は岩だらけだ。麓はまばらに木々が生える、ちょっとした森のようになっている。死神戦のために、一昨日マイフと一緒にあちこち罠も仕掛けておいた。
スロスにはわたしたちがどう動くか伝えていない。スロスと死神が記憶を共有しているからだ。だから作戦を立てても、死神には筒抜け。不意打ちも罠を張るのも、スロス抜きで計画しないと意味がない。
スロスには罠の仕組みと解き方を教えてあるから、間違えて引っかかっても抜けられる。その代わり、死神も解除の方法を知っている。今回の罠は狩猟の要ではない。成果は労力に見合わない。
でも、作れるのがたった数秒だけの隙でも。
獲物を狩る時には黄金の時間だ。
落ち葉を踏みしめる音がした。月明かりに慣れきった目で辺りを見渡すと、わたしの登っている木からおよそ五メートルと少し離れたところに、一直線に走るスロスが見えた。
クロスボウを構える。スロスのやや後ろに、黒い影がいる。奴だ。
照準を死神の進行方向に合わせ、待ち伏せる。「ここだ」と思ったタイミングでトリガーを引いた。
びゅっと矢が風を切り、死神の肩にドスリと突き刺さった。
「!? った……!」
死神が呻く。ざっと木から飛び降りて、さらに標的に近づいた。
木の陰に潜んでいたマイフがわたしを追い越して死神に近づき、腕を狙って槍を突く。
死神は片手で大鎌を握り、がりっと槍の軌道を受け止めて流した。
その隙に、わたしは死神の横へ回りこみ、足を狙って射撃。
黒い影は跳ねるように後ろに飛んで、躱した。ざあっと靴で土を挽き、止まる。
死神はわたしの方に顔を向け、続いてマイフのいる場所に顔を向け、
「……何だ。お前らかよ♪」と、嘲笑うように呟いた。
「生きた足止めね♪ ラティロとマイフ♪」
「……」
「……」
「どっちか人質に取れたら面白いんだけど♪ 無理か? これがスロスの妨害作戦?」
「……」
「……」
「まあいいや♪ あんたらは一応、スロスの味方だし? 遊びの仲間にも入れたげる♪」
標的に向かって攻撃を続行。明るい調子でいる死神は、わたしの矢やマイフの槍を避け、または大鎌を振るって弾く。
わたしは相手の足や肩を狙っているが、掠めもしない。スロスもこのクロスボウの矢を軽くはたき落せるから、死神にも見切られているのかもしれない。
「何で交互にしか攻撃しかしないわけ? 隙を作ってるつもり? それとも俺にビビってんの?」
死神が大鎌をくるんと回しながら言う。
「そんな警戒しなくてもいいのにさ♪ ちょっとくらいなら仲良くするよ?」
「……」
「……」
「スロスも大袈裟だな♪ 大事なものを奪われたくないって、びくびくしてんの♪ それが孤独を加速させてるのにさ♪」
「……」
「……。それはお前のせいだろう?」
わたしが言うと、死神はにやりと笑う。
「もちろん♪ 俺はスロスの不運だ。あいつの大事な物は壊す主義♪ あいつの欲しいものは無くす主義♪ あいつの希望は落とす主義♪」
「……」
「……」
「しかもスロスはさ、俺のせいで神様になれなかったって思ってんの♪ ざまあみろ♪♪♪ あっはははははははっっ!!」
全くもってその通りだと思うが。
何が面白い?
怪魔は嗜虐趣味だから、人の苦痛こそに甘美を覚える。だから笑えるわけか?
でも。前から感じていたけれど、この怪魔は普通のものとは違う。
人の社会的知識や文化を前提として会話ができる怪魔は、精神攻撃をメインとするタイプか、相当長生きで高知能なタイプのみに見られる。上位にランクづけされる種に多い。怪魔は集団として纏まるための社会性があっても、人の文明を細かく知っていることは少ない。
例えば、怪魔は金品を集めることがあるが、金目のものに価値を見出しているわけではない。それは人を釣るための餌なのだ。金貨の計算方法や、使い方は知らない。
スロスの記憶を読み取る怪魔。この死神は人の知識が幅広いだけではなく、性格も人臭い。嗜虐心とはまた違う、歪んだ感情のようなものまで拗らせてる。
わたしたちがほとんど言葉を発しないのは、変に刺激しないためだ。普段、この死神の調子は軽いが、本気にさせたら尋常じゃない力を発揮する。まるでスロスのように。
いや、本当に。
顔つきも口ぶりも、スロスにそっくりだ。
「お前らも本当は怯えてるんだろ? スロスに関わったら面倒だなって♪」
「スロスがそう思っているのかい?」
わたしが聞くと、
「そうだとしたら?」
呆けたような口ぶりが返る。
「スロスはあんたらのこと、心の底からは信用していない。だから微妙な距離を取る。濁すための嘘をつく。お前らはただの道案内役で、スロスにとって保険なの♪」
「……」
「……」
「だからこそ、ラティロとマイフにはいつ裏切られてもいいってさ。例え二人が死んでも怖くないって。そう思ってるよ♪」
……実際、そうだろうね。スロスは軽いから。何かと秘匿主義で、いつも調子のいいことを言って、わたしたちに心を開いてくれているように感じない。
きっとそれは、信じても裏切られるか、奪われるから。その不安は、この不運が生み出している。
スロスはこんな不気味な怪魔に取り憑かれながらも、明るく振舞っていられる。すごいと思う。わたしだったら耐えられない。
しつこく追い回されては暴力を振るわれ、本音を読まれては暴露され、自分の周りをめちゃくちゃにされながら生きるなんて。気が狂ってしまいそうだ。
……だから。信じてもらえなくて結構!
信用の見返りなんか必要ない。あいつは女癖最悪でちゃらんぽらんでテキトーすぎる屑だけど、何かあれば人に手を差し伸べようとする。わたしはその折れない信念に憧れたんだ。
彼は「能力を二度と使わない」と言いながらも、またわたしたちを頼りにくる。誰かを助けようとするから、この不運を呼ぶ。
わたしはスロスの力になりたいから、ここにいる。
口に出すと死神の神経を逆撫でするかもしれないから、言い返したい気持ちはぐっと堪えた。
「さて♪ お話はこれくらいにして? そろそろお前らの首をスロスの手土産にしようか♪」
マイフが死神から距離をとった。わたしもさっと茂みの中に身を隠す。
死神を倒すのは難しい。ただでさえ並以上の実力を持つスロスと、張り合うくらいの強さなのだから。
でも、わたしとマイフは怪魔狩りのプロ。ハンターとしてのプライドがある。ノーダメージでここを通せるほど、わたしらも弱い存在ではない。
「ケィラティロ♪ まずはお前だ♪」
マイフは身軽でものすごく足が速いから、死神に簡単に捕まることはないだろう。それは相手もわかっているのか。
けれど、自然の地形はわたしにとって有利だ。小さな体も。聴覚の鋭いエルフの耳も。頭を低くしながら、地面を這う小動物のようにさささと、草陰へ、木陰へと、移動する。
「ちょこまか逃げんな、このドブネズミさんめ♪」
妙にお茶目な言い回しをしながら、大鎌はばしばしと茂みを切り裂いていった。
わたしは死神の攻撃を避けるために、中腰で走り回る。時々がん! と音がするのは、マイフが死神に立ち向かって、槍を大鎌にぶつけている音だろう。死神の注意をわたしから逸らそうとしてくれている。
「……はあ。逃げるだけかよ。面倒くさくなってきた……」
死神がわたしを追うのをやめた。急いで距離を取り、キョロキョロする死神の姿を草の隙間から確認する。
ぱっと視線を移し、マイフの位置も確認する。木の陰に体を張り付けて身を隠している。
マイフと目があった。するとマイフは槍から片手を離して、拳から親指を立てる。次に人差し指も立てて、二本の指の先を閉じるように合わせた。
『あいつを』『攻める』
怪魔ハンターの間でよく使われる手信号だ。声で自分の位置を標的に悟られないようにするためのハンター語。
「茂みのせいで見えないだろうな」とは思いつつ、わたしも人差し指と中指を揃えて、くっと自分の頭の上まで大きく振り上げ、マイフに返事を送る。
『了解』
数拍の間の後、マイフが死神の前に躍り出て、連撃に挑んだ。死神は「おっと♪」と大鎌を両手で広く握り、がんがんと振るわれるマイフの怒涛の攻めを受け止める。
ふぉんふぉんふぉんと槍で風を切り裂きながら、徐々にマイフの動作スピードが上がっていった。
素早い動きで相手のペースを崩すマイフの持ち技、"疾風舞"。スロスでもマイフの動体視力と運動神経に錯乱されるくらいだから、死神にも有効だ。
疾風舞に呑まれて、死神は防戦一方になる。わたしは自分の場所を変えながら、標的の膝上を狙って何度も矢を放つ。そのうちの一本が太腿の裏をざしゅっと深く引っ掻いて、死神をよろけさせた。
よし! 思わずにやりとほくそ笑んだ。
「っ……」
死神の表情がだんだんと崩れてくる。
マイフもそれに気がついたのか、二回ほど急所を狙っては、防がれ、死神からばっと離れた。
「……何だ。やっぱ怯えてんのかよ♪」
死神はにやっと笑って、構えを解く。
「そろそろスロスもあっちに着いたみたいだし? もういいや。じゃあね♪」
死神がスロスの走り去った方向に行こうとする。
マイフは死神に視線を向けたまま、また『あいつを』『攻める』と示した。
さらに小指を上に立ててからぐっと拳を握る『お前は』『動くな』という手信号を追加すると、死神を素早く追いかけて槍を振るった。
がきんと槍と大鎌が噛み合う。
「……何だよ。もういいって言ったじゃん。お前殺されたいの?」
ぞくっ、と。死神の言葉に、背筋が震えた。
「っ、マイフ!!」
わたしが声を張り上げたその直後、マイフはさっと身を引いた。
死神の背中が遠ざかっていく。
わたしがマイフの傍に駆け寄ると、「何叫んでんだ馬鹿野郎」と、半ば怒り気味に言われた。
「オメェが死神に位置バレてねェから、もうちょっと追撃しようと思ったのによォ。最後のチャンス逃したじゃねェか」
「ご、ごめん……」
今のはわたしが悪い。「これ以上は危険だ」と判断して、マイフを止めようとしてしまった。
でも、マイフは死神の"本気"を買って追われても、逃げ切れる自信があったのだ。だからあの攻めに出たのだろう。
「……まァ。無茶が禁物なのはわかってるけどなァ。あの怪魔はスロスの分身みてェなもんだからよ」
マイフはごきりと首を鳴らして、「はァ」とため息をついた。
「結局、オレは一撃も当てられなかったな」
「でも、マイフの疾風舞のおかげで足を手負わせることができた。わたし一人だったら絶対に無理だ」
死神は怪我をする。傷は次の復活まで癒えない。漏れ出る血は何故か真っ黒で、煙のような気体になる。痛みも、あることにはあるようだ。
普通の怪魔も、流血したり怪我をしたりはするけれど、それとは少し違う。神殺しの怪魔と謳われるだけあって、やっぱり普通の怪魔ではないのだろう。
……死神の肩と足の傷が、少しはスロスの有利になってくれるといいけれど。
「追うぞ」
「うん。二人に近づきすぎないようにね」
空気だったマイフが大活躍。
この回を見る度に、ついハンター語をやってしまいます。いつか図解でハンター語特集を書きたいですね。
次回。スロスvs……




