6話 断罪の時
「くそッ!! どこへ行きやがったんだ、あのクソガキ!」
「ちょっと、あまり大きな声出さないでよ、子供たちに聞こえたらどうするつもり?」
「ふんっ、構うものか! どうせ聞こえたとしてもアイツらは薄汚い孤児だ。ここ以外に行き場なんてないんだからな」
昼だというのに、酒の入ったグラスを片手に、教会の私室でネトラは荒れに荒れていた。
レムがいなくなって半月、レムの最愛――アンリの存在もあることだし、最初はどこかほっつき歩いているのだろうとしか考えてなかったネトラも、今の時点になってようやくレムが完全に出て行ってしまったのだと気づく。
この数年間、レムの稼いだ報奨金の一部を使って豪遊していたネトラからすれば、これは由々しき事態であった。
ネトラを咎めるアンリはというと、その心の中は複雑であった。
たしかに、彼女自身もレムの稼いだ金でネトラと豪遊していた。
だが、ネトラとは違い心のどこかで罪悪感を抱いていた部分もあったりしたのだ。
この教会のトップであるネトラに合わせておけば、自分は甘い蜜を吸える。
だからこそ、ネトラと二人きりの時は彼に合わせ、子供たちを薄汚いと嘲笑するフリをしていた。
ネトラの前でのガサツな振る舞いも、どちらかといえば、彼に合わせるために作り上げた人格――否、むしろ彼が不快だったからこその素の対応だったのかもしれない。
だからこそ、レムは死友ノ宝玉に映し出された映像を見て、アンリとネトラの仲を勘違いしたが、彼女はネトラに肌を許したことは一度もない。
レムといえば……彼はアンリがこの教会に来て、初めて赤子から育てた孤児であった。
そんなレムに対し、いつしか自分が本当の親のような気持ちを抱くようにもなっていた。
それからは、レムを母として愛する自分。
ネトラに合わせ、彼を裏で薄汚いと嘲笑する自分。
そんな二つの人格の狭間で、アンリの心は揺れ動いていた。
そんな日々を送っていたある日のこと、レムが霊装騎士の力を発現した。
『アンリ、レムを色気を使って誘惑しろ』
レムが力を発現した夜、ネトラがアンリに下した命令だ。
母として彼女を敬うレムに、いったい何故そんな真似を……?
ネトラの言うことに、初めアンリは困惑した。
「霊装騎士の力は強力だ。冒険者にしたてれば、近い将来レムは大成するだろう。うまくいけばAランク冒険者にもなれるやもしれん……。そうなった時、ヤツにひとり立ちされては困るんだよ……」
(ああ……この男はやっぱり最低だ)
ネトラの思惑を知ったアンリは、改めてそのことを実感した。
神父として、孤児に対し愛をもって接しなければならないはずの立場の男が、よりにもよって、その孤児を金儲けの道具にしようと考えているなんて……。
だが、アンリにそれを拒む術はなかった。
ネトラに逆らえば、自分はこの教会にいられなくなるかもしれない。
神に仕えることしか生きる術を知らない彼女にとって、それは致命的だ。
一度教会を追い出されたシスターなど、迎え入れてくれる場所もないだろう。
それに……アンリはネトラの語る快楽的な未来図を想像し、それに負けてしまった。
彼女は生まれてこのかた、質素な生活しかしたことがなかった。
レムが大成すれば、毎晩飲んだこともない高い酒が飲める。
したこともない遊びも、他の街に行けばこっそり楽しむことができる……。
そんな、話をネトラに囁かれたのだ。
その日から、アンリはレムを誘惑し始めた。
彼の前で、修道服の裾をわざと上げ、脚を組み替えるような真似に始まり。
彼を私室に呼び出したことを、うっかり忘れ、着替え姿を見せつけてみたり。
一人で湯浴みを出来る歳になったというのに、一緒に湯浴みをさせてみたりと過剰なまでに……。
(やぁんっ、ドギマギするレムくん可愛い〜!!)
まぁ……そんなレムに対し、うっかりクラっときてしまうという、自爆行為にもなっていたりいなかったり……。
ネトラの命令した卑劣な行為が、アンリがレムのことを〝大切な子ども〟から〝もう少し大きくなったら本気で食べちゃいたい〟……的な背徳認識に変えていってしまっていることに、当のネトラが気づくことはなかった。
そんな中、ネトラの思惑よりも早い時期に、レムを金儲けの道具として使える好機が訪れる。
大魔導士の娘――当時十三歳であったマイカが、使者とともに現れたのだ。
十歳にして霊装騎士として目覚めた少年がいる――
その噂はネトラが思うよりも広い範囲で伝わっていた。
そしてその噂は救世の旅に出ようとしていたマイカとその関係者に伝わっていたのだ。
(どうしよう、レムくんが連れて行かれちゃう……)
一瞬、アンリの心にそんな言葉過ぎった。
「いやぁ、勇者様に目をつけられるとは! 私も育ての親として鼻が高いぞ、レム! 一生懸命頑張るんだぞ?」
「はいっ、神父様!」
そんなアンリを他所に、神父は使者との話し合いを終えると、作り物の優しい笑顔を浮かべてレムを送り出そうとする。
レムも教会――アンリのために戦うことができるという事実に、屈託のない笑顔を見せた。
(そうだ。これはレムくんが望んでいることなんだ。だから私は悪くないんだ……)
ネトラの命令で、レムを誘惑したというのに、アンリは都合のいい解釈をし、彼を送り出してしまった。
結局は自分の立場や金銭欲に目が眩んだのだ。
そのことを、この二年の間に幾度となく後悔した。
そのせいもあったのだろう。
彼女は酒にどんどん溺れていった。
他の街にある顔立ちのいい男どもに接待してもらえる店にも通うようになった。
彼女自身美しい女性だ。
店の男の方から、体の関係を迫られることも何度もあった。
初めは誘いに乗ろうとするアンリではあったが、その度にレムの愛らしい笑顔が頭に浮かび、肌を許したことはなかった。
罪悪感が心を蝕み、アンリは自業自得ではあるが、苦しむようになっていた。
そんな折に、二年ぶりにレムが帰ってきた。
彼の姿を見た瞬間、アンリの心はときめいた。
たしかに、レムはもともと愛らしい少年だった。
だが、二年経って帰ってきた彼は少しではあるが背も伸び成長を実感させた。
そして、戦いに疲れた表情は彼の銀髪銀眼と相まって、より儚げな印象をアンリに与えた。
(あぁ……二次性徴する前に食べちゃいたい……)
帰ってきたレムを見て、最初に抱きやがった感想がそれだった。
気づいた時には、レムの顔を自分の修道服越しの胸の中に埋めていた。
気づいたらメスの本能が働き、体が勝手に動いていたのである。
危うくベッドに連れて行きそうになるところであったが……。
それは、彼が勇者パーティを追放され、帰ってこざるをえなかったという事実を聞き、冷静さを取り戻せたことで回避される。
(レムくん、いったいどこへ――)
酒を煽り荒れるネトラを前に、アンリはそんな風に思考を巡らせていた。
ネトラは見るその視線は、まるで汚物を見るようなものであった。
この半月、レムが行き先を告げぬままいなくなってしまったことで、アンリはようやく正気を取り戻そうとしていた。
二年ぶりにレムが戻ってきた時に覚えたときめき……。
だというのにその日の内にいなくなってしまった……。
そこで、ようやくアンリは彼のことをどれだけ想っていたのかをしっかりと自覚したのだ。
それに伴い、レムの稼いだ金を遊びに使い、子どもたちに質素な生活を強いていた罪悪感、レムを利用していたことに対する罪悪感を改めて自覚した。
そして、それは今まで罪悪感に言い訳をしていた彼女の心を初めて更生させた。
事実、レムが出ていった後、アンリは一滴も酒を飲んでいない。
今はネトラが怖くて行動には移せていないが、彼の隠し持つレムの稼いだ報酬も、どうにか子どもたちの食費に充てられないか画策している段階だ。
コンコンッ――
ネトラがグラスに酒を注ごうとした、そんな時……。
部屋の扉が静かに叩かれた。
急いで酒を隠そうとするネトラだが、そんな暇を与えるまもなく扉は開かれた。
「そんな……どうして、あなた達が……!」
来訪者の姿を見て、酒で顔を赤くしていたネトラから一気に血の気が引き青くなる。
来訪者は全部で四人。
どれも屈強そうな筋骨隆々の男達だ。
そして、その誰もが教会の修道士の服を着込んでいる。
しかし、色がおかしい。
アンリの修道服が深い藍色をしているのに対し、男達の修道士服は血に染まったようなドス黒い赤色をしている。
この服は、教会のとある組織に所属する者だけが着るものである。
その組織の名は〝裁きの使者〟――
教会に所属しながら神の教えに背く行為を行った者を断罪する組織だ。
「ネトラ神父、それにシスター・アンリ。貴様らを神の教えに背く者として断罪する。証拠はこれだ」
四人のうちの一人――特に大柄な男が機械的な口調で言うと、懐から黒い水晶玉を取り出す。
そして次の瞬間、半月前の夜中のやりとりが水晶玉の中に映し出された。
そう、水晶玉の正体はレムがエリスに送った死友ノ宝玉だ。
動かぬ証拠を見て、教会がネトラたちを断罪しようと動いたのだ。
「う、嘘だぁぁぁぁ! こんなのデタラメだ! きっと誰かが私を貶めようと作り出したものに違いない!!」
「ネトラ神父、事実かどうかは関係ない。我々は巫女エリス様に貴様らを断罪しろとの命を受けている。貴様らの処分は〝奴隷落ち〟だ」
「ひぃぃぃぃぃぃぃッッ!?」
裁きの使者の言葉を聞き、ネトラが発狂したような声を上げる。
教会に仕える者にとって一部の例外を除き、巫女エリスの言葉は絶対だ。
一度断罪と決定されてしまってはそれが覆ることは無い。
それをネトラが知らないわけがない。
今まで甘い蜜を吸っていた彼が、奴隷に落とされるなど耐えられるはずもない。
そんな中、意外にもアンリは穏やかな表情を浮かべていた。
(あぁ……そうか。私は断罪を求めてたんだ……)
レムと他の子どもたちに対する裏切り――
犯してしまった罪を裁いてもらえることを、アンリは望んでいたのかもしれない。
抵抗する神父を傍目に、彼女は大人しく裁きの使者たちに連れて行かれるのだった――