40話 侯爵令嬢とデート
「んぅ……」
次の日の朝――
窓から差し込む日差しと、小鳥の囀る声で、レムの意識が覚醒してゆく。
そんな彼の顔を……むにゅんっ! と、柔らかな感触が包み込む。
(……あれ? いつもと違うような……)
柔らかさを感じた瞬間、いつもと同じように一緒に寝ていたアリシアが抱きしめてくれたのだと思った……のだが、その柔らかさにレムは違和感を覚える。
「ふっ、レムちゃんの寝顔……本当に可愛いな……♡」
「――ッ!?」
聞こえた声に、レムの意識は一気に覚醒する。
そして顔を上げれば――
「ヤ、ヤエさんッ!?」
そう、ヤエだ。
アリシアではなく、ヤエがレムに添い寝し、彼の体を抱きしめていたのだ。
「おはようレムちゃん。まだ朝も早い、私の胸の中で眠っているが良い」
「うむぅっ!?」
何が起きているのか理解出来ずとも、慌ててヤエの胸から抜け出そうとレムは試みるのだが……抵抗虚しく、再び彼女の胸の谷間に強制ダイブさせられてしまう。
アリシアよりも筋肉質で芯を感じるような胸の感触。
だがやはり柔らかい。
それに、とても良い香りがする。
上級貴族ともなれば幼い頃から肌のケアを施されていて当たり前だ。
きっとヤエも湯浴みの時など、昔から肌に香り高いボディオイルを肌に塗り込まれてきたのだろう。
騎士鎧の上からではわかりにくかったが、こうして密着すると何とも高貴な香りを感じることが出来る。
「ぷはぁっ! ヤ、ヤエさん、何を……というか、どうしてぼくの家に……」
「む? アリシアから聞いていないのか? レムちゃんは今日、私と〝デート〟するのだぞ?」
「なっ……!?」
ヤエからの返答に絶句するレム。
だが、すぐに考える。
今、彼女は「アリシアから聞いていないのか?」と言った。
そして昨日の記憶を思い出す。
確か風呂を出た後、アリシアは少し用事があると出かけて行った。
そして小一時間後に、随分とご機嫌な様子で帰ってきた。
どこへ行っていたのか聞いても小さく「ふふっ、秘密です♡」と微笑んで誤魔化すのみだった……。
風呂の最中、不敵な笑みを浮かべたのも気になるところ。
(アリシア……何か余計なことをしたな……)
目的は分からないが、ヤエがレムとデートする気になっている。
それがアリシアの目論見である事が分かり、レムはげんなりとした様子で溜め息を吐く。
ヤエがこの部屋にいるのも、レムが起きる前にアリシアが手引きしたからだろう。
「ヤエさん、アリシアはどこですか?」
ヤエの腕を払いながら、レムは軽い身のこなしで彼女の抱擁の中から抜け出す。
「むぅ、私のおっぱいに屈しないとは……。レムちゃんは思ったよりも身持ちが硬いのだな……」
「当たり前です。ぼくは肌を許すのは生涯でアリシアのみと決めています。それよりもアリシアはどこへ?」
「くっ……! 幼いのに考えまでしっかりしている! ……アリシアなら下の階だ。アンリと朝食を作ると言っていたぞ」
レムの一途さに、ヤエは歯軋りしながら答える。
レムは再び溜め息を吐きながら、下の階へと向かう。
それを見て、ヤエも慌てて彼について行くのだった。
◆
「アリシア、どういうつもり?」
「おはようございます、ご主人様♡ どういうつもりも何も、今日はご主人様にヤエさんとデートしていただこうかと思いまして♪」
ダイニングキッチンへと降りてきたレムを、アリシアが笑顔で迎える。
レムが不機嫌そうに問い詰めても、あっけからんといった様子でそんな返答をする。
「おはよう、レムくん。そんな顔しないで。これもレムくんの為にアリシアさんが考えたことなのよ?」
「シスター……どういうこと、ヤエさんとのデートがぼくの為になるなんて……」
隣でアリシアと一緒に朝食の準備をしていたアンリの言葉に、レムはさらに疑問を抱く。
一体どういうことだろうか。
「それについては実際にデートしてみれば分かります♪ わたしがご主人様の嫌がるようなことをしたことがありますか?」
「それは……ないけど……」
「ふふっ、でしたらヤエさんとデートしててください♪」
どうやら、アリシアにはちゃんとした考えがあるようだ。
それにアリシアの言う通り、彼女はレムの嫌がる事を決して――いや多分しない……。
その辺はレムも理解している。
何の為にデートするのかまでは教えてくれないが、アンリでさえもこの件に関しては賛成のようだ。
結局、朝食を終えたところで、レムはヤエと出かける羽目になるのだった。
◆
「ふっ、どうしたレムちゃん? 顔が赤いようだが、もしかして照れているのか?」
「そ、そんなことありません。日差しが強いので日焼けしたのかも」
「ふふ、素直じゃない。まぁいい、レムちゃんとこうして腕を組んでいられるだけで、私は幸せだからな」
「…………」
都市の表通りを歩くレムとヤエ。
ヤエの言う通り、レムの頬はほんのり赤く染まっていた。
無理もない。
今、彼らは腕を組んで歩いている。
なぜかアリシアとアンリに、そう歩くように強制されたからだ。
幼いレムと、女性にしては高身長のヤエには身長差がある。
こうして密着して歩いていると、レムの肩や頬に彼女の豊かなバストがぽよぽよと当たってくるのだ。
その上、今日のヤエはいつもの重鎧姿ではなく、上質な生地で出来た純白のワンピースを着ている。
今日は朝から日差しが強い。
彼女の起伏に富んだ魅惑のシルエットが、ワンピース越しに透けて目の毒だ。
幼いとはいえ、レムも男だ。
美しい容姿を持つヤエがそんな姿で密着しようものなら、照れてしまうのも仕方ない。
「おい、あれって冒険者レムと……」
「あぁ……侯爵令嬢のヤエ様だ」
表通りを歩いていると、レムとヤエの耳にそんな囁き声が聞こえてくる。
その声に、ヤエは小さく「ふふっ」と笑う。
そんな彼女の反応に、レムは……。
「……ヤエさん。もしかして、ぼくたちがデートする狙いって……」
「ほう、気づいたか。レムちゃんは察しの良い男の子だな」
……ヤエの――というか、アリシアの目論見に気づいたレムを、彼女は感心した様子で見つめる。
「ならば話は早い、このまま貴族区まで行くぞ。他の貴族達にタップリと私たちの姿を見せつけてやろう」
そして、レムの腕をさらに強く引き寄せると、ヤエはそのまま貴族の暮らす区画へと歩を進める。
◆
「な、なんてこと……!?」
「こ、侯爵家のヤエ様とレム殿が一緒に歩いている……だと……ッ!?」
レムとヤエが貴族区へとやって来ると、早速そんな声があちこちから聞こえてくる。
下級貴族の令嬢と思しき娘が顔面を蒼白させ、同じく下級貴族と思われる壮年の男が苦虫を噛み潰したような声で唸る。
そんな反応の数々に、レムは(あぁ、やっぱりそうか……)と自分の予想が当たっていた事を確信する。
「これだけ私たちがラブラブなところを見せれば、商人や貴族も迂闊にレムちゃんには近寄って来れまい」
そのタイミングで、ようやく今日の目的をヤエが口に出す。
つまり、今日のヤエとのデートは、これが目的でアリシアがセッティングしたのだ。
昨日、貴族や商人に言い寄られたレムは心底疲れた様子を見せた。
そんなレムを心配したアリシアは、少しでもレムの心労を軽減しようと、レムとヤエが仲睦まじい様子を見せる事で、他の有象無象が手出し出来ない状況を作り出そうと考えたのだ。
彼女の目論見は成功だ。
今も道ゆく下級貴族達がレムたちに声をかけようとしては、やはりやめた方が正解だと思い出した様子で引き下がっていく。
ヤエは侯爵家の令嬢であり、侯爵家はこの都市の領主家――つまりこの都市の最高権力を誇る家系だ。
そんな侯爵家の令嬢の恋路を邪魔するような真似をすれば……。
下級貴族やぽっと出の商人の結末は想像に難くない。
「良いんですか、ヤエさん。侯爵家を――ヤエさんを利用するようなことを……」
これでレムの心労は減るだろう。
だが、その為にヤエを利用するような事をしてしまい、レムは少しの罪悪感に駆られる。
「なに気にするな。アリシアにはご褒美をもらう許可をもらっているからな」
「ご褒美……? 何のことですか?」
「何って……ほら、〝本当の目的地〟はここだ」
ご褒美とは何のことだろうか――
疑問に思うレムの言葉にヤエはとある方向を見て答える。
「な――ッ! ここは……!?」
目を見開くレム。
思考に集中するあまり、彼は周りの景色が変わったことに気づかなかった。
目の前には〝宿泊施設〟が連なる通りが広がっていたからだ。
「さぁ、レムちゃん! 今日のお礼に私の〝初めて〟を奪ってもらうぞっっ♡」
「ちょっ……! やめっ……犯罪だぞ、この変態!」
「ひゃうっっ♡ ひ、昼間から公然の場で変態呼ばわりするなど、レムちゃんはどれだけ心得ているのだ!? もっとお願いしますッッ!」
「……っ!?」
レムの腕をガッシリとホールドしながら、一番立派な宿泊施設に引き込もうとするヤエ。
レムは罵倒を浴びせて逃げ出そうとするも、その罵倒にすらヤエは興奮する始末だ。
(く……っ! こうなったら!)
ヤエの暴走を止められないと判断したレムは奥の手に出る。
敢えてヤエとの距離を詰める。
レムに顔を近づけられた彼女は「ひゃっ」と、小さな悲鳴を上げる。
年上ぶっていても、まだまだ乙女の可愛らしい反応だ。
そして顔を真っ赤にした彼女の頬……そこを目掛けてレムは――パチン!
と、甘いビンタをくれてやる。
「ひゃうぅぅぅぅッッ♡ 男の娘かりゃのビンタしゅご――」
そこまで言ったところで、さらにレムは反対の手をヤエの尻に――バチィィィンッッ!
……叩きつけた。
「――〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜――ッッッッ♡♡」
その瞬間、ヤエは言葉に出来ないほどの声を上げ、その場にガクガクと膝を震わせながら崩れ落ちた。
ヤエの扱いにも随分と慣れたものである。
流石にこんな場所に放置するわけにもいかず、一応侯爵家に運び込むのだが……。
とんでもない表情を晒す娘の顔を見て、侯爵とカスミ夫人が「よくやった!」とレムを褒め称えた。
散々なデートの終わりである。




