3話 崩れ去る想い
夜――
虫たちの奏でる音色の中、レムはスヤスヤと寝息を立てる。
夕食の場で、ひとしきり泣いた後、彼はアンリに連れられ客間へとやってきた。
今日のところはゆっくり眠れるように、客間のベッドを使わせてもらえることになったのだ。
泣き疲れ、それに旅の疲れもあったのだろう。
ベッドに横になると、レムはすぐに夢の世界へと旅立った。
「ん……っ」
そんなレムが小さな声を上げる。
どうやら目が覚めたようだ。
まだ夜中ではあるが、救世の旅路では野宿も多く、眠りは交代制でとっていた。
その頃の癖は、ひと月経った今でも抜けることはなかった。
そして、それは故郷であるこの教会に戻って来ても、変わらないようだ。
カツ、カツ――
眠気まなこのレムの耳に、扉の向こうの廊下から足音が聞こえてくる。
(この足音はシスターのだ。こんな夜中にどうしたんだろう?)
救世の旅路は常に死と隣り合わせだった。
そんな状況の中に二年も置かれれば、聴覚だって研ぎ澄まされる。
扉越しの足音だって、誰のものか聞き分けることだって出来る。
(こっちを通り過ぎたってことはトイレってわけじゃないよね、シスターの部屋とも逆方向だし……)
レムのいる客間はトイレがある場所とは違う位置にある。
アンリの私室とも逆方向だ。
あるとすれば神父であるネトラの私室だけだ。
こんな夜中に、いったい彼に何の用があるのだろうか?
(なんだか気になるな……)
レムは言い様のない胸騒ぎを覚えた。
そして、彼は自分の直感にはなるべく従うようにしている。
聴覚だけじゃない。
過酷な旅路のお陰で、レムは直感までもが研ぎ澄まされていた。
嫌な予感を覚えた時、大体それは現実のものとなる事がしばしばある。
例えば……ここで野宿するのはなんとなく嫌だ……。
そんなことを思った日の夜に、強力なモンスターの襲撃を受け、あわやパーティ壊滅の危機に陥ったこともある。
特に、今はシスターの動向が気になってならない。
ここまで気になるのだ。
少し気は引けるけれども、彼女の跡をつけさせてもらおう――
レムはそう決めると、目を閉じ、意識を集中させる。
「《眷属召喚》……!」
そして小さく言葉を紡ぐ。
すると、彼の足元に小さな黒紫の幾何学的な紋様が浮かび上がった。
紋様の正体は魔力を持った召喚術式――通称〝魔法陣〟だ。
霊装騎士であるレムの能力は、アンデッドの特性を武装として具現化するというもの。
だが、それとは他に、中級までのものであればアンデッドを眷属として〝召喚〟し、使役することができるのだ。
『チューッ!!』
そんな鳴き声とともに、魔法陣の上に黒紫の光が構築されていく。
輝きの中から現れたの骨――
正確に言えばネズミの形をした小さな骨格だ。
これの名は〝スケルトン・ラット〟。
ネズミ型の下級アンデッドだ。
戦闘力は皆無だが、この眷属には使いようがある。
どんな使い方かというと――
「〝闇魔法式次元格納庫〟、オープン」
ベッドの隅に置いてあった外套に手を入れ、そんな言葉を呟くレム。
すると彼の手にした外套が黒い靄のようなものに包まれたではないか。
無造作にレムは外套の中から手を引き抜く。
先ほどまで何も持っていなかった手のひらに、黒い水晶玉のようなものが握られている。
闇魔法式次元格納庫――通称、アイテムボックス。
過去、この世界は〝魔神の黄昏〟と呼ばれる、魔神軍と人間たちによる大戦争が起きたことがある。
魔神の力は絶大で、人間側はあっという間に存亡の危機に立たされた。
そんな中、英雄が現れた。
彼は異界から降り立った救世主。
この世界には存在しなかった闇魔法という、彼のみが使える特別な力を駆使して、魔神の配下である七大魔王を殲滅し、ついには親玉である魔神までをも単騎で屠ってしまった。
いつしか人々は彼のことを、魔導士を超越せし魔導士――〝大魔導士〟と呼ぶようになった。
……つまり、現・勇者であるマイカの父親のことである。
アイテムボックスとは、彼の有していた収納魔法技術を、衣服やカバンなどに付与して、誰でも使うことができるようにしたマジックアイテムのことである。
通常であれば、目玉が飛び出るような額で取引される代物だが、大魔導士を父に持つマイカはそんな希少なアイテムを複数所持していた。
自分の騎士であるレムにも、その内のひとつを与えていたのだ。
「行け、スケルトン・ラット、シスターの後を追いかけるんだ」
『チューっ!』
レムの言葉に、スケルトン・ラットは小さく鳴くと、扉の下の隙間から廊下に向かって駆けていく。
「眷属眼、投影……」
続いて、手にした黒い水晶玉に向かって自身の中のエネルギー……〝マナ〟を注ぐ。
マナとはこの世界における、あらゆる生物が有する生命エネルギーのことを言う。
そして、スキルや魔法など特別な力を行使する際に、生物はマナを消費するのだ。
マナを注がれた水晶玉が、先ほどの魔法陣と同じように黒紫の輝きを放つ。
だがそれは一瞬だ。
光はすぐに収束する。
すると水晶玉に変化が現れた。
水晶玉の中に、下から見上げる形で、修道服姿の女性の後ろ姿が映し出されている。
そう、今しがたこの部屋の前を通り過ぎたアンリの後ろ姿だ。
今、水晶玉の中に映し出されてる景色は、レムが放ったスケルトン・ラットが見ているのと同じものだ。
この水晶の名は〝死友ノ宝玉〟という。
使用者が召喚したアンデッドの視界を映し出すことができるマジックアイテムだ。
これを使い、勇者パーティにいた頃、レムは索敵や敵陣の情報集めなどをしていた。
これであれば、アンリに気づかれることなく、彼女の動向を探ることができる。
コンコンッ――
『入るわよ?』
死友ノ宝玉の中から声が響く。
このマジックアイテムは、眷属の聞いた音声を拾うこともできるのだ。
やはり行き先はネトラの私室だった。
彼の部屋の扉を、適当な仕草で叩くと返事を聞くこともせず、アンリは中へと入っていく。
「シスター……?」
普段は優しい声と丁寧な態度で皆に振る舞う彼女が、このような態度、それに無遠慮な口調を使うなんて……。
いったいどういうことだろうと、レムは思わず声を漏らす。
『ふんっ、相変わらず無遠慮な女だ。ガキどもは全員眠ったのか?』
『あら、随分な言い方じゃない? まぁ、いいわ。子供たちは全員眠ったわ。まったく、物語を読んで欲しいだなんだの、こっちの身にもなって欲しいわ』
『くくく……随分荒れてるな?』
『そりゃ荒れるわよ、それに笑っている場合? 金づるが勇者様のパーティを追い出されて、おめおめ帰って来たのよ?』
昼間とは……というより、普段の様子からは想像もできない粗暴な口調でアンリに向かって話しかけるネトラ神父。
今、彼はなんと言った?
ガキども……? この教会で暮らす子供たちをガキと呼んだのか?
それに、これもまた先ほどと同じような雰囲気と言葉でネトラに応える、シスター・アンリ……。
いや、それも気になるが、彼女も何を言っている?
金づるが……勇者パーティを追い出されて、おめおめ帰ってきた……?
彼らのあまりの豹変ぶりにレムは絶句する。
それとともに、少しずつ理解し始める。
あの優しかったネトラが、子供たちをなんの躊躇いもなくガキと呼んだこと。
そして、自分の育ての親であり、優しいアンリが……自分のことを金づると呼んだことを――
『まぁ、慌てるな。たしかにレムは勇者パーティをお払い箱になった。だが、まだ使い道はある』
『ふんっ、どうせ冒険者にでもして、使い倒そうって魂胆でしょう?』
『くくくっ、なんだ、よく分かってるじゃないか。勇者パーティを追い出されたとはいえ、あのガキは霊装騎士、かなりの稼ぎが見込めるはずだ。その為にも、お前の協力が必要なことも分かっているな?』
『は〜いはい、昔みたいに、あの子をう〜んと甘やかしてやればいいんでしょ? ったく、薄汚い孤児の面倒を見てるだけでも嫌だってのに……その上、女としても意識させてやらなきゃならないなんて……』
『そう言うな、あのガキがお前にゾッコンだから、こうしてうまい酒が飲めるんだしな』
『あら、随分いい銘柄の葡萄酒を飲んでるじゃない、しかも二十年物? 私ももーらおっと♪』
『おう、飲め飲め! あのガキのお陰で、金はまだまだたっぷりあるしな。……それにしても、つくづく哀れなガキだ。惚れた相手はこんなクソビッチだってのに、それに幻想を抱いて、命がけで金を稼いでいたんだからなぁ!』
『やだぁ、クソビッチなんて失礼しちゃう。私はちょっとだけ欲望に忠実なだ〜け!』
そんなやり取りとともに――ネトラがアンリの肩に腕を回し、二人揃って酒を煽る姿が映し出される。
「…………」
心の底から敬っていた神父。
そして心の底から愛していたシスター。
そんな二人の姿は偽りのものだった。
そしてそんな二人に、影で薄汚いと嘲笑われながら、自分は命がけで戦ってきた。
それによって教会に支払われた報酬さえも、二人の酒代……この様子なら遊び代にもなっていたのだろう……。
食事の時、レムが違和感を覚えた理由がはっきり分かった。
国から教会に払われる報酬は一部とはいえ、それでもかなりの額になる。
子供たちが、今もまだ質素な食事を送っているなどあり得ないことだったのだ。
死友ノ宝玉に映し出された光景を前に、レムはまるで感情が抜け落ちたかの表情を浮かべていた。
尊敬、親愛、それに自身の初恋――
それらが全て穢された事実に、怒りを通り越して無気力となってしまったのだ。
そんなレムの瞳から、一筋の涙が伝い落ちたことに、彼自身気づくことはなかった。