28話 迷宮の異変
「それにしても……ご主人様、遅いですね」
「もうすぐお昼だというのに、レムくんったらどうしたのかしら?」
時刻は正午前――
アリシアとアンリが心配そうに様子で会話を交わす。
ギルドで依頼掲示板を眺めて来ると言って出て行ったレムがまだ帰って来ないのだ。
「ひとまず下ごしらえも終わったことですし、ちょっとご主人様を迎えに行って来ます」
「あ、それだったら私も……」
「いえ、アンリは家で待っていて下さい。ご主人様とすれ違うかもしれませんし、何よりその格好では外は歩きにくいでしょう?」
二人はレムが帰って来るのが遅いので昼食の下ごしらえをしていた。
これもアリシアからの提案だ。
レムの愛するアリシアと特別な存在であるアンリが、仲睦まじく二人で料理をしていたと知れば、レムがきっと喜ぶだろうと踏んだからだ。
自分もと付いて来ようとするアンリを、アリシアは制止する。
アリシアの言った通り、レムと入れ違いになってしまうことを避けるというのも理由の一つだが、問題はアンリの格好だ。
アンリは未だに修道服を着ている。
それだけであれば教会のシスターなのだろうと通行人も納得するのだが、彼女の首には隷属の首輪が嵌っている。
教会から追放され、奴隷落ちしたものには敢えて修道服を着せたままにする事で、この者は教会の教えに背いた不届き者だと見せしめにする風習がある。
例に漏れず、アンリもその格好のまま奴隷市場に売られていた。
もっとも、それは元シスターというステータスに魅力を感じる変態貴族などに売り込むための商法だったりもするのだが……それはさておく。
「わかりました、アリシアさん。この家でお留守番させてもらいます。けど、私はこの後も修道服で生涯を送るつもりです」
「……どうしてですか?」
「この格好は私にとって贖罪の証……。レムくんを裏切った私は、この修道服と首輪を着けて道行く人たちに侮蔑の視線を送られるのがお似合いなのです」
訝しげな表情で問うアリシアに、アンリはそんな風に自分の覚悟を告白するのだった。
修道服に隷属の首輪を着け続ける……それは彼女が自分の罪を認め、向き合う事にした覚悟の表れだったのだ。
何故かアンリの頬が少しばかり赤く染まっているような気がするが……アリシアはそれに気づかなかった事にした。
「わかりました。そういう事でしたら、ご主人様に修道服をもう何着か仕入れてもらいましょう。優しいご主人様はきっと反対すると思いますが、そこはアンリの覚悟を見せてください」
「はい、アリシアさん……っと、どうやらレムくんが帰ってきたようです」
二人が会話を終えたタイミングで、玄関の方から音がする。
「ただいま二人とも、あれ? もしかして二人で料理をしていたの?」
キッチンで向かい合っていたアリシアとアンリの姿を見て、レムが嬉しそうな表情をする。
アリシアの目論見通り、やはり二人で作業していたのが嬉しかったようだ。
「お帰りなさいませ、ご主人様っ、さぁこちらへ……」
「お帰りなさいレムくん、あっ、ずるいですアリシアさん……」
リビングへ入ってきたレムに向けて、アリシアが両腕を広げる。
二人は行ってきますと帰ってきた時にハグとキスをするのが習慣なのだ。
アンリはレムを抱きしめようとするアリシアを見て、思わず羨ましげに言葉を漏らす。
「は、恥ずかしいよ、アリシア……シスターも見てるし……」
「いいじゃないですか、ご主人様。それにハグをするのはわたしだけではありませんし」
「え? それってどういう――うむぅっ!」
アリシアの言葉の意味を確かめようとレムは彼女の豊満なバストによって口を塞がれる。
必殺強制メロンダイブ発動だ。
アリシアの柔らかさと、甘い匂いによってレムの少女のような愛らしい顔がトロトロに蕩けてしまう。
「さぁ、ご主人様、ただいまのチューですよ〜?」
レムの顔をメイド服に包まれたメロンの中から解放すると、アリシアは綺麗な桜色の唇をレムにの唇と重ね合わせる。
(だ、だめぇ……! レムくんが、レムくんがアリシアさんの色に染まっていっちゃう……っ!)
アンリは頬を染め息を荒くしていた。
おまけに悩ましげに太ももと太ももを擦り合わせて、モジモジする始末だ。
「ぷはぁっ! さぁ、アンリ、あなたも……チューもおでこにするくらいなら許してあげます」
「え? ア、アリシアさん……?」
「ふぁ……アリシア何言ってるの……?」
レムの唇から自分の唇を離すと、アリシアは満足そうな笑みを浮かべながらアンリへと話しかける。
それってつまり……私がレムくんを抱きしめていいってこと……? とアンリは戸惑う。
レムもアリシアの激しい口づけで頭をボーッとさせえながらも、彼女が言った言葉の意味を理解する。
「えっと……それじゃあレムくん、私ともハグ……してくれる?」
「シスター、えっと……」
不安そうな表情でレムに向かって両腕を広げるアンリ。
レムは戸惑った様子で立ち尽くしてしまう。
当たり前だ。アンリの本当の気持ちを知ることが出来たとはいえ、まだまだ気持ちの整理がついていない。
十二歳という年齢の幼さを考えれば、余計にそうだろう。
「あっ! そ、それより二人に伝えなきゃいけないことがあるんだ」
どうしようかと迷う最中で、レムはそのことを思い出す。
「どうしたのですか、ご主人様?」
「レムくん……」
アリシアがレムに問いかける。
アンリはレムに受け入れてもらえなかったことで、表情を曇らせる。
そんなアンリの様子に気づきながらも、レムは二人に説明を始める――
◆
一時間前――
「なんだ? やけに人集りが出来ているな……」
時間潰し、それと手頃なクエストが発注されていないものかと、ギルドにやってきたレム。
ギルドに入ると、依頼票の貼ってある掲示板の前に冒険者達が集まっていた。
「お前、このクエスト受けてみろよ」
「冗談じゃねぇ、そんなこと言うならお前が受けろよ!」
耳を澄ませればそんなやり取りが聞こえてくる。
「あ、レムさん! お久しぶりです!」
「ネネットさん、お久しぶりです。どうしたんですか、アレ?」
どうしたものかとレムが考えていると、カウンターからネネットが出てきて挨拶をしてくる。
いつも顔に浮かべている明るい笑顔が今日はない。深刻そうな表情だ。
「実は迷宮の様子が変なのです。ゴブリンが大量発生したようで、中には変異種のもいるみたいです。Cランクの冒険者チームが大怪我を負って帰って来まして……」
「Cランクの冒険者が……。なるほど、掲示板に貼ってあるのは迷宮の調査とゴブリン達の討伐依頼といったところですか」
「その通りです、レムさん。今日の夕方からこの都市の騎士隊が迷宮に赴く手筈になっていて、それに同伴する冒険者を募っているのですが……」
「誰も受けようとはしないと」
「はい……。そこでなんですけど、レムさん、この依頼を受けてもらえないでしょうか?」
「えっ、ぼくがですか? ぼくはまだEランクですよ?」
まさか自分に話が振られるとは思わずに、レムは間抜けな声を上げる。
「レムさんはCランク冒険者のクラッブを素手で圧倒してました。それに、前に買い取ったオークの死体……一体は頭から真っ二つに割られてました。そんなことが出来るのはBランク以上の実力を持っている者でなければ不可能です。ぜひ受けて頂きたいのです……」
「他の冒険者はどうなんですか? もっとランクの高い冒険者チームがいるはずじゃ……」
いくらレムが強いとはいえ、これだけ大きな都市のギルドであれば高ランクの冒険者がいるはずだ。
ぽっと出のレムに頼るより、そちらに力を貸してもらうのが当然なはずなのだが――
「たしかに、このギルドにはSランクの冒険者が所属しています。ですが今は大規模なクエストを攻略するために遠方に出られてまっているのです。こんな時に〝アリア〟さんと〝タマ〟ちゃんがいれば……」
「アリアにタマ……っ!? それって〝正義の武人アリア〟と〝聖獣タマ〟のことですか!?」
悔しげに歯ぎしりするネネットの言葉に、レムは驚愕といった様子で目を見開く。
この世界には大魔導士の他にもいくつかの英雄が存在する。
その内の一人……と一匹と言うべきだろうか。
魔神の黄昏の後、何度か魔神の配下である七大魔王と呼ばれる存在が蘇ることがあった。
そんな魔王の一柱を、一人のエルフの少女と、彼女と心を通わした聖獣が、力を合わせて滅したことがある
その少女と聖獣こそ、正義の武人アリアと聖獣タマなのだ。
そのような偉大な存在が、まさかこの都市で冒険者をやっていたとは……同じ英雄を目指していたレムとしては感動を覚えざるを得ない。
「ふふっ、どうやらレムさんも二人のことを話には聞いたことがあるようですね? 二人ともやったことはすごいのですが、とても可愛いんです! 見たらギャップでビックリしちゃうと思いますよ?」
「可愛い……ですか?」
「はい! 特にタマちゃんは、ちっちゃくてモフモフで――ってそんな場合じゃありませんでした! 依頼です依頼! どうか受けてもらえませんか?」
聖獣タマの姿を思い出したのか、ネネットは恍惚とした表情を浮かべるも、すぐ様ハッとした様子でレムに、ずい! と迫る。
「ち、ちなみに報酬はいくらですか?」
「達成度にもよりますが、最低でも白金貨三枚が約束されています」
「……ッ!?」
報酬を聞き、レムの目の色が変わる。
白金貨……金貨に換算すると十枚分の価値がある。
アンリを手に入れるのに使った額を半分以上チャラにすることが出来る金額だ。
「ネネットさん。ちなみに、ゴブリンの氾濫の原因を取り除くのに成功した場合は……?」
「原因にもよりますが、倍は堅いかと」
(よし受けよう)
白金貨六枚――場合によってはそれだけの収入が見込める。
アリシアとアンリの将来の為に、財産は必須だ。
レムに断る理由などないのだ。
一瞬、あまりに報酬の払いが良すぎないかと思うレムではあったが、迷宮を擁したこの都市の造りを考えれば、それぐらいしても当然ということにすぐに気づいた。
もし大氾濫でもしてしまえば、迷宮からモンスターが溢れ出し、都市の住人を襲いかねないからだ。
「レムさん、その顔は受けてくれる気になったということですね?」
「……はい、ネネットさん」
「では、今日の夕刻前にもう一度ギルドにお越し下さい。同行する騎士の方々をご紹介します」
◆
「……ということなんだ。場合によっては一日から数日帰らないかもしれないから、二人は留守番を――」
「何言ってるのですか、ご主人様? もちろんわたしも行きますよ?」
「レムくん、私も連れて行って!」
クエストに行く旨をアリシアとアンリに伝えたところで、二人がそんなことを言い出す。
「いやダメに決まってるだろ、特にシスターは戦闘経験なんてないんだから絶対ダメだ。付いてきても足手まといだし……」
「わたしを連れて行ってくれないならご主人様も行かせませんっ! ですが、ご主人様の言う通り、アンリは家で待っていて下さい。何の力も持たないあなたを連れて行くわけにはいきません」
アリシアは一人で行くというレムに反抗するも、アンリがついてくるのは止める。
戦闘経験を持たない人間など、迷宮ではただの的でしかないのだから。
だが――
「大丈夫よ。私、夜遊びする為に隣町まで夜の街道を行き来してた経験があるから、モンスターから逃げることくらい出来るわ……。それに、奴隷市場で私は〝スクロール〟で回復魔法、《ヒール》を覚えさせられたから……きっと役に立てるわ!」
前半に関してはかなり申し訳なさそうに、後半は自信ありげに言うアンリ。
修道女時代、彼女は夜遊びの為にモンスターの出没する夜の街道を渡って隣町のホストクラブまで通ってことが多々ある。
褒められた行為ではないが、そのおかげである程度モンスターから自分の身を守る技術を持っているのだ。
それと……アンリは奴隷市場に売られてすぐに、グウェンからスキルを覚えさせるためのマジックアイテム、スクロールで回復魔法を覚えさせられていた。
目的は買主の精力回復の為だ。
《ヒール》は傷の回復だけでなく、精力の回復も出来る。
性奴隷に精力回復をさせる為に《ヒール》を覚えさせるのは、奴隷商人はよく行う。
そうすることで、奴隷の価値を高めることが出来るからだ。
「ある程度自分の身を守ることが出来て、回復魔法スキルでサポートできるか……でもなぁ」
アンリがただの足手まといにならなそうだということは分かった。
だが、これから赴くのは異常な環境にある迷宮だ。
何が起こるか分からない。
そんな場所に連れて行くわけには……。
「お願いレムくん、これも私の贖罪の一つなの。レムくんと一緒に戦うことで罪を償わせて、それと私の罪に対する覚悟も知って欲しいの!」
アンリは譲る様子がないようだ。
「わかりましたアンリ、一緒に行きましょう。もしご主人様が連れて行ってくれないと言うのなら、後から勝手に付いて行ってしまえばいいのですっ。……ご主人様、一緒に行って連携を取るのと、わたしたちが後から付いて行って、勝手に動くの……どちらが安全だと思いますか?」
「アリシア……分かったよ、一緒に行こう。……でも、あまりに危険だと判断した場合は引き返すからね?」
アリシアの脅し……もとい主人を思う気持ちに、レムは疲れた様子で屈するのだった。




