27話 愛すべき者の為に、奴隷エルフが下した決断
「あ……おはようございます。レム……様、アリシアさん」
「おはようシスター。それと……呼び方は前と同じでいいよ」
「……おはようございます。それにしてもこの料理は?」
朝――
二階の寝室から降りてきたレムとアリシアに、深く頭を下げながらアンリが挨拶する。
テーブルの上を見ると、パンやスープ、それに簡単な付け合わせが並んでいる。
「レム君……ありがとう……。アリシアさん勝手ながら朝食を作らせてもらいました。お二人の口に合えばいいのですが……」
レムに昔と同じように呼んでいいと言われ、アンリは瞳を潤ませながら礼を言う。
それとテーブルの上に用意された料理だが……。
レムに仕える為に、まずは朝早く起きて、料理を用意するところから始めてみたというところらしい。
「ご主人様のご飯を作るのはわたしのお仕事なのに……」
アリシアが小声で不満を漏らす。
彼女にとって、レムの食事を作るのは生き甲斐の一つだ。
そんな役割を横取りされる形になったのが腹立たしいのだ。
「まぁアリシア、そう言わないで……せっかく用意してもらったんだから食べさせてもらおう。これからは二人で交代で料理番をしてもらうのもいいかもしれないし」
「……ッ! レム君、それって……」
レムの言葉に、アンリが目を輝かせる。
「あぁ、今朝アリシアと決めたんだ。シスターをとりあえずしばらくの間、この家に置こうって、昨日シスターの本音も聞けたし、アリシアからそうするように頼まれたしね……」
「え……? アリシアさんから…………?」
アンリは困惑する。あれだけ自分に対し嫌悪感を露わにしていたアリシアが、この家に仕えさせることをレムに頼み込んでくれた……いったいどういったことだろう? と――
「その辺のことについては、あとでお話があります。朝食を終えたら、わたしと一緒に二階の部屋に来てください」
「……分かりました」
「アリシア、イジメたりしないでね?」
「もちろんです、ご主人様、少しお話をするだけです」
アリシアに呼び出されて、不安げな表情を浮かべるアンリ。
そんな彼女の様子を見て、レムは一応アリシアに釘を刺す。
「シスター、なんで立ってるの? 一緒に食べよう」
「え……でも、いいの? レムくん……」
「逆に立って見られてる方が居心地悪いから一緒に食べて欲しいな」
「わかったわ……」
自分だけ、使用人のようにテーブルの近くで立ったままのアンリに、レムは席に座るように促す。
アンリは戸惑いながらもそれに従い、自分の分の食器も用意すると席に着く。
「薄いね……けど、美味しい……」
「……ッ! レムくん……」
スープを口にするレム。
なんとも味が薄いスープだった。
だが、優しい味だ。
昔から孤児院で飲んでいた、質素なスープと同じ味だ。
レムの瞳に、薄っすらと涙が浮かぶ。
昔の思い出、アンリへの思い、そして裏切り――
様々な思いが胸の中に溢れかえってきたのだ。
「ご主人様、こちらへ……」
「アリシア……うん」
レムが涙を浮かべたのを見て、隣に座ったアリシアが両腕を広げてレムを胸の中に誘う。
レムはそれに従い、彼女の体を委ね、甘えきった表情をする。
その姿は恋人同士、そして母と子ども――そんな風にアンリの目に映った。
(ああ……もうレムくんには私は必要ないんだ……)
アリシアに抱擁されるレムを見て、アンリはそのことを察する。
かつて自分が担っていた役割も、今となっては自分以上に美しく、愛らしいエルフの少女が担っている。
それだけではない。
レムは自分ではなくアリシアに初めてを捧げていた。
十年間以上、自分が育ててきた以上の絆が、レムとアリシアの間には存在するのだ。
泣き崩れそうになるアンリだが、なんとかそれを耐える。
レムを裏切った自分に、彼の前で泣く権利はないと思ったからだ。
◆
「それではご主人様、わたしは彼女と話をしてきますが、本当にお一人にして大丈夫ですか?」
「……うん。大丈夫だよ、アリシア。ぼくはギルドで依頼掲示板でも眺めて来るからゆっくり話してていいよ」
アリシアにあやされ、朝食を食べ終わった頃――
心配そうな様子でアリシアがレムに問いかける。
アンリの前で、赤ん坊のようにアリシアに甘えてしまったことに気づき、レムの顔は羞恥で赤く染まっている。
「それでは……アンリ、行きますよ?」
「はい、アリシアさん……」
アリシアはレムに一礼すると、アリシアはアンリを連れ二階へと上がって行く。
レムは時間潰しの為にギルドへと足を運ぶ。
◆
「私をどうするつもりなのですか……?」
二階の、普段使われていない方の寝室へと入ると同時に、アンリがアリシアへと問いかける。
顔からは血の気が引き、不安そうな面持ちだ。
「殺します――と言いたいところですが、それはしません。あなたには利用価値があります」
「利用価値……?」
「もう気づいているでしょうが、あなたに利用され裏切られてなおも、ご主人様はあなたのことを特別な存在だと感じているようです。その証拠にあなたを買い取り、なおかつまだシスターと昔の呼び名で呼んでいます」
「…………」
アリシアの言葉に、アンリは黙り込んでしまう。
アリシアの言う通り、レムはまだアンリのことを大切に思っていた。
そしてそれはアンリ自身も気づいていた。
そんなレムの甘さ――否、優しさに、胸の奥がズキリと痛む。
アリシアの言葉で、自分の子どものように愛していたはずの少年に、なんて仕打ちをしてしまったのかと、改めて自覚したのだ。
「アンリ、これは命令――というより、わたしからのお願いです。もう一度……もう一度ご主人様を振り向かせなさい。そして寵愛を賜るのです」
「え…………?」
アンリが呆然とした様子で声を漏らす。
アリシアの言っている意味が理解出来なかったのだ。
この少女は今なんと言った? もう一度振り向かせろ? 寵愛を賜れ……?
(まさか……それはつまり――)
「アンリ、ただの奴隷ではなく、ご主人様に愛される奴隷になりなさい。わたしと二人でご主人様を虜にするのです」
アンリがようやく言葉の意味を理解しかけたところで、アリシアが言う。
その表情からは真剣な雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「ア……アリシアさん、なぜそのようなことを? あなたは奴隷なのでしょうが、レムくんと愛し合ってますよね? なのになんで他の女をあてがうような真似を……」
アンリの疑問は当然だ。
確かに、隷属魔法の効力で、アンリがレムを愛しているという確証は得られた。
だが、それが分かったところで、万一にもアリシアにとって恋敵となり得るアンリを受け入れる理由にはならない。
だと言うのに、受け入れるどころかアリシアはアンリともレムに関係を持たせようとしている。
どう考えても理解出来ない事だ。
あるいは、そういった性癖でも持っていたのだろうか?
もしそうならド変態エロフにもほどがある……。
「ご主人様にとって、生きる理由はわたしだけのようです。あなたや勇者たちに裏切られ、捨てられたことで死ぬことすら考えていたと聞きました」
「ッ…………レムくん」
アンリはその場で崩れ落ちた。
それほどまでに自分の行為がレムを追い詰めてしまっていたのかと……。
そして理解した。そんな中で、レムに希望を与えたのが目の前のエルフの少女なのだと。
地面に手をつき、嗚咽を漏らすアンリ。
そんな彼女に向けてアリシアは言葉を続ける。
「……そんな状態のご主人様が、もし仮に何らかの理由でわたしを失ったらどうなると思います?」
「きっと……アリシアさんの後を追って……」
自ら命を絶ってしまうだろう。
アリシアのみが心の支えとなっているレムからすれば、それは当然の結末であることが、アンリには容易に想像できた。
「その通りです。そんなこと絶対に許せません、ご主人様には何があっても生きていて欲しい……。だったら、わたしの他にも大切な存在を作ってしまえばいいのです」
「……ッ! アリシアさん、レムくんのことをそこまで……!」
今のアリシアの言葉で、アンリは完全に理解した。
レムが生きる理由を多くする為に、殺してしまいたい程に憎い自分を、彼の愛すべき対象に据えようというアリシアの考えに。
(なんて少女なの……ここまで愛すべき人のことを思って行動できるなんて……)
アリシアの決意――
常人であれば、決して出来るものではない。
それだけに、彼女のレムに対する愛は本物なのだ。
今の自分ではこの少女には敵わないだろう――
アンリはそれを思い知った。
だが……。
「わかりました。またレムくんに愛してもらえるように誠心誠意努めます。そしてアリシアさん、いつかあなた以上に愛される存在になってみせます。それが私の贖罪であり……レムくんへの愛情です」
アンリは誓う。
罪を償うこと。
もうどんな言葉にも、権力にも、脅しにも惑わされないこと。
そして、一生をかけてレムを愛することを――




