13話 奴隷契約
「奴隷市場……来るのは初めてだな」
「それよりご主人様、顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫ですよアリシアさん。気にしないでください」
奴隷市場にやってきたレムとアリシア。辺りを見回すと人間はもちろん、獣の血をその身に宿した亜人〝獣人〟や、生涯を幼い見た目のまま過ごす亜人〝ドワーフ〟など、あらゆる種族が首輪を嵌められ檻の中に閉じ込められていた。
そして、檻の前には値札が掲げてある。自分と同じ人族がまるでもののように売られていることに、レムはショックが隠しきれないのだ。
中にはレムと同じくらいの歳の少女の姿なども見受けられる。もの悲しそうな表情を浮かべる奴隷たちに、レムは思わず目を伏せてしまう。
「おやおや、これはずいぶん可愛らしいお客様で……。本日は我が商会にどのようなご用件でしょうか?」
暗い表情をしているレムの耳に、そんな声が聞こえてくる。声の方向を見ると、そこには妙齢の美女が立っていた。
紫がかったブロンドの髪を綺麗に結い上げ、片方の目にはモノクルを、深くスリットの入った髪と同じ色の大胆なドレスを身に纏っている。
「我が商会……ということは、ここの主人ですか?」
「左様です。申し遅れました。私の名は〝グウェン・スレイバーズ〟と申します。以後お見知り置きを――」
美女――グウェンはレムに問われると、そんな自己紹介とともに慇懃な動作で礼をする。だが、レムは見逃さなかった。
一見礼儀正しい彼女の瞳が、自分とアリシアを品定めするような色に変わったことを。そして、どうやら本当に品定めしていたようだ。
グウェンはお辞儀を終えると同時に、レムに向かって笑みを浮かべながら、こう問いかけてくる。
「それで、本日はそちらのイービルエルフをお売りに来られたのでしょうか?」
と――
「……ッ! 彼女がイービルエルフだと分かるのですか?」
「ええ、もちろんです。イービルエルフは一見ダークエルフと同じに見えますが、肌の色と艶に若干の違いがあります。腕の紋様を隠していても、見る者が見れば一目瞭然でございます」
(なるほど、さすが奴隷市場の主人だ。やっぱりアリシアの正体を隠さなかったのは正解だな)
グウェンの言葉に、レムは自分の判断が正しかったのだと改めて確信する。この都市の中にもグウェンと同じようにアリシアの正体に気づく者は少なからずいるだろう。
気づいた者が、都市の騎士団にアリシアのことを通報する可能性もある。そうなった場合、レムとアリシアは処罰されることになっていたはずだ。
やはり、早い段階でアリシアの正体を明かし、こうして奴隷登録に来ていて正解だったのだ。
それと……。グウェンが幼い容姿をしたレムを売主として判断した理由だが、おそらくグウェンはレムの格好を見てそう判断したのだろう。
アリシアの服装が簡素なもの身につけているのに対し、レムの外套はかなり上等な生地でできている。
それに、アリシアの纏うレムを主人として敬う雰囲気を、グウェンの商人としての眼が見抜いたのだと思われる。
それはさておき。
まずはグウェンの勘違いを正さなければ。売るという言葉を聞き、アリシアが不安そうな表情している。
不安に揺れるアリシアの瞳にレムは微笑む。するとアリシアはどこかほっとした様子で笑みを返すのだった。
「ふむ……。どうやら彼女を売りに来たわけではなさそうですね? そうなると、目的は奴隷登録といったところでしょうか?」
「……そのとおりです。彼女を――アリシアをぼくの奴隷にするために今日は来ました。登録料はいくらぐらいでしょう?」
今のレムとアリシアのやり取りで、二人の関係を見抜いたらしいグウェンの言葉に、レムは一瞬驚くも、手続きを進めようと切り出す。
「奴隷の登録には金貨五枚が必要になります」
「金貨五枚……」
「あの、ご主人様……」
金貨五枚と聞いた途端、レムの表情が曇る。それを見逃さなかったアリシアがまたもや不安げな表情を……。
金貨五枚――なかなかに高額だ。このような大都市であっても金貨二枚あれば四人家族がひと月暮らしていけると言えば、どの程度の額か伝わるだろうか。
「これでも昔に比べればだいぶ安くなったのですよ? 〝隷属魔法〟の使い手が今ほど普及していなかった頃は金貨五十枚が相場だったのですから」
レムの表情を見て、グウェンも昔の相場を持ち出す。たしかにその頃は奴隷登録にかかる費用は馬鹿みたいに高かった。
実際、とある人物はその料金の高さにとんでもなく頭を悩まされたものだった。
「大丈夫です、アリシアさん。登録料を初めて知ったので少し驚いただけです。金貨五枚くらい払えますから安心してください」
そう言って、レムは腰にした革袋から金貨を五枚取り出す。アイテムボックスに収納していた方がひったくり予防にはなるのだが、敢えてレムはそうしない。
希少なアイテムボックスを使用しているところを見られる方が、売買目的の輩や盗人に目をつけられ面倒ごとに巻き込まれる可能性が高いからだ。
「たしかに……。金貨五枚、受け取りました。一応首輪代も入っていますが、他にもデザイン性の高い首輪を用意しています。別料金になりますがご覧になりますか?」
レムが金貨を支払ったところでグウェンがそんな提案をしてくる。通常、奴隷の首輪は鉄製の無骨な見た目のものがほとんどだ。
だが、中にはまるで首飾りにしか見えないような装飾が施されたデザイン性の高いものも存在するのだ。
「それは興味がありますね、ぜひ――」
「ダメです、ご主人様! わたしは普通の首輪で十分です!」
どうせならアリシアにも綺麗な首輪をつけてあげたい。そう思ってレムはグウェンの提案に乗ろうとするのだが、それはアリシアによって阻止された。
封印されていた上に記憶喪失――こんなわけの分からない自分の存在を受け入れてくれたレムに、これ以上金も気も使ってほしくないのだ。
レムとしては美しいアリシアにはそれ相応のものを身につけて欲しかったのだが……。彼女があまりに抵抗を見せるので、それはまた別の機会にすることにした。
「それでは奥へどうぞ。隷属魔法を付与しますので――」
レムとアリシアは奥の部屋へと通された。中は上質なテーブルにソファ、調度品の数々が飾られた品のある部屋だった。
「それでは、隷属魔法を発動します。腕をこちらに……」
ソファに腰かけたレムに向かって、グウェンが腕を差し出せと言う。アリシアの首には既に奴隷の証である鉄の首輪が装着されている。
グウェンに従って右腕を前に差し出すレム。彼の手に、グウェンは自分の両手を差し出し、こう唱える。
「隷属魔法、発動……」
その瞬間、レムの手の甲が輝き出した。輝きからは僅かに熱を感じる。そして、彼の横に腰かけたアリシアが「ん……っ」と艶かしい声を上げる。
見れば彼女の首輪も、レムの手の甲と同じ色の輝きを帯びていた。隷属魔法は主人と奴隷をつなぐ〝絆〟を作り出す魔法だ。
今、彼らの体の中にはマナによる絆が出来上がり始めているのだ。特に、奴隷側は体の中の構造にマナが大きく作用する。
アリシアのからだ全体に、微かな熱と、マナによってもたらされるなんともいえない感覚が駆け巡っているのだ。
「さぁ……これにて隷属魔法は完成です。手の甲をご覧ください」
「……! これが〝隷属の紋章〟か」
「左様です」
グウェンに言われて手の甲を見るレム。そこには漆黒色の幾何学的な紋様が浮かび上がっていた。
隷属の紋章――奴隷を持つ主人の体に刻まれる印だ。この紋章を持つ者は奴隷に対し、絶対の命令権を持つことになる。
命令の意思を持って、奴隷に言葉を紡げば、奴隷はその言葉に自分の意思とは関係なく従ってしまうことになるのだ。
「ふふっ……、ご主人様、わたしにたくさん〝イケナイ命令〟をしてくださいね……♡」
隷属魔法を受けた影響か、アリシアは頬を染めて息を荒くしながらレムの肩にしなだれかかり、彼の耳元でそんな言葉を囁いた。
あまりに淫靡なアリシアの表情と仕草、それに声色に、レムはゾクリっ! と小さく震え上がる。
そんな彼の様子を、アリシアはイタズラっぽい表情で見つめ、「ふふっ……」と、小さく微笑うのだった。




