9話 水晶の少女と剣の美女
「アレは……」
ミノタウロスどもを屠り、迷宮の奥へと歩みを進めるレムの視界に、とある物が見えてきた。
「やっぱり〝トレジャーボックス〟か。実物を見るのは久しぶりだな」
近づき、その姿を確認する。至るところを装飾された金属製の箱だ。
通称トレジャーボックス。迷宮はモンスター以外にも稀にこういった、箱を生み出すことがある。
中には強力な武器や高価な宝石などが入っていることがあり、これを見つけただけでひと財産掴めることすらある。
モンスターを狩り、その素材を売り買いすることで生計を立てるのが冒険者稼業というものだが、その多くはトレジャーボックスを見つけ一攫千金得る未来を夢見ているのだ。
だが、トレジャーボックスに巡り会える確率は非常に低い。生涯を冒険者として過ごしても見つけられない者がほとんどだ。
いくつかの迷宮をマイカたちと共に攻略してきたレムも、トレジャーボックスに出会うのはこれで二度目。
確率で言えばかなり運が良いと言えよう。まぁ、死を求める彼にとって運が良いも悪いも関係なさそうではあるが……。
「見つけちゃったものはやっぱり気になるな、中を確認してみよう」
何だかんだ言って、気になるものはやはり気になる。レムはトレジャーボックスの中を開けてみる。
「これは……金剛石かな?」
箱の中には拳大の金剛石があった。色は白と透明の中間といったところ。仄暗い迷宮の中だというのに淡い幻想的な光を放っている。
そしてその直後、それは起きた。
グラリっ……。
レムの視界――というよりは、周囲の空間が揺らぎ始めたのだ。
「な……っ!? 何だこれは!?」
突然始まった空間の揺らぎ。このままではマズイと判断し、レムは咄嗟にその場から飛び退こうとするが――
(ぐ……ッ、体が動かない……!?)
歪み始めた空間はレムの体の動きを奪った。どんなに動こうとしても逃れることが出来ない。
やがて歪みは渦のような奔流へと姿を変える。レムは為す術なく、その中心部へと飲み込まれていくのだった。
◆
(ここはどこだ……?)
奔流によって動きと視界を奪われたレム。少し経つと、その状態から解放された彼だったが、気づけば先ほどとは違う景色の中にポツンと佇んでいた。
周囲を見渡せば、岩肌の地面が広がっている。ここまでは先ほどと同じ景色だが、岩肌の至るところには、透明色の水晶がまるで花のように咲き乱れている。
そして――レムは気づく。広大なのその空間の中心に、一際大きい水晶が柱のようにそびえ立っていることに。
急いで水晶の柱に柱に向かって、レムは駆け出した。理由はこれほどまでに巨大な水晶が珍しいから……というわけではない。
水晶の中に、あってはならないものの影が見えたような気がしたからだ。
「やっぱり人だ……。なんでこんなことに……」
水晶のもとまで駆け寄ったレムは思わず声を漏らす。……そう人だ。水晶の中には一人の〝少女〟が裸のまま閉じ込められていたのだ。
「長い耳、それにこの褐色の肌、ダークエルフか……? いや、腕に紋様があるし、もしかしたら〝イービルエルフ〟かも……」
水晶の中に閉じ込められ身動き一つ許されない少女――薄い褐色の肌に、少し尖った長い耳、髪は輝くシルバーブロンド、もの悲しそうな形のまま開かれた瞳の色は幻想的なアメジストヴァイオレットだ。
歳は十六〜十八くらいに見える。そんな彼女の両腕には、白色の幾何学的な紋様のが刻まれている。
この世界にはエルフという種族が存在する。エルフには大きく分けて二つの種族が存在する。
白磁の肌を持つエルフ。そして褐色の肌を持つダークエルフだ。エルフ、ダークエルフはともに長寿な種族だ。
その上人間のように見た目が老いることはない。生涯を若々しい容貌のまま過ごす種族なのだ。
そんな二つの種族には肌の色以外に大きな違いが存在する。それは成長の速度だ。通常のエルフが人間と同じように青年期を迎えるのに対し、ダークエルフは見た目の幼少期が長い。
個体によってかなりぶれ幅があるがが、大体十三〜二十歳くらいまでは、幼い見た目のまま成長することとなる。
それ以外には大きな違いは存在しない。肌の色による毛嫌いや差別なども特には存在せず、互いに友好的な関係を築き上げている。
だが、エルフには他にもいくつか種類が存在する。その中の一つがイービルエルフ。今、レムの目の前で水晶の中に閉じ込められている彼女の様に、褐色の肌を持ち、体の一部に紋様が刻まれたエルフの呼び名だ。
イービルエルフは人族の中で忌み嫌われる種族とされている。その理由は、イービルエルフに〝魔族〟の血が混じっているからだ。
魔族とはモンスター同様に、人類の大敵とされている種族だ。魔族は人間を餌とし糧とする。
そして人間を殺すことに激しい快楽を見出す凶悪な性質を持っている。決して人と相容れることない種族……。
そんな魔族の血を受け入れ、生まれたきた子どもがイービルエルフの起源とされている。褐色の肌と白の紋様はその証だ。
魔族は人間と比べ、優れた腕力と強力なスキルを有している者が多く、イービルエルフもその特性を有しているとされている。
しかし。イービルエルフの性質自体は、エルフの血が混じったことで魔族の様な凶暴性はなく、人間に対する殺戮衝動もなければ、人間を糧にしないと生きていけないわけでもない。
だが、人類の敵の血を受け継ぐ者を人は本能的に受け入れることはなく差別の対象となっている。
そんな理由で、イービルエルフのほとんどは人里離れた場所で身を寄せ合って生きるていくのだ。
「なんて綺麗なんだろう……」
レムが静かに言葉を紡ぐ。水晶の中に閉じ込められた少女の姿を改めて確認したところで、彼が抱いた素直な感想だ。
その表情には先程までの暗い影はない。レムは彼女の容姿に心奪われていた。たしかにエルフは見た目の優れた者が多い種族だ。
だが、目の前の彼女はその中でもとびきりに美しい容姿を有していた。その美しさはレムが今まで見てきたものなのど全て霞んでしまうほどだった。
彼女の美しさに心奪われるあまり、レムの頭から死に対する欲求さえも忘れて去られていた……。
レムは思わず水晶越しの彼女に手を伸ばす。手が届かないと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
カッ――……ッッ!!
レムが手を触れた瞬間、水晶は激しい輝きを放った。光の激しさのあまり、レムは腕で目を庇う。
いったい何事かと思考を巡らせていると、光は次第に収束していく。改めて少女を確認すると、そこには先程まで何も変わらない自由と時を奪われた彼女が閉じ込められていた。
それを確認した直後だった――
『現れてしまったか、封印を解こうとする者よ……』
そんな声が、レムの背後から木霊する。
「――ッ!?」
咄嗟に身を翻しながら横へ大きく飛び退くレム。振り返ったその先に立っていたのは――白銀の鎧に身を包んだ一人の美女だった。
「お前は何者だ! いつぼくの後ろに現れた!?」
突如として現れた鎧姿の美女に、レムは右手を腰だめに構えながら問いかける。彼女が敵であった場合、すぐさま霊装武具を召喚して攻撃するつもりだ。
『私の名は〝レイ〟……。彼女の封印を守りし騎士だ。封印を解こうとする者よ、お前の力試させてもらう』
そう言って、美女――レイは、目の前の空間から静かに剣を引き抜いた。