七 誘拐
社会科見学で水族園を選んだ生徒はやる気がない、と言われれば肯定せざるを得なかった。
国内有数の規模を誇る水族園の敷地内には、ジェットコースターをはじめとする様々なアトラクションが併設されており、さながら遊び場だったのだ。
しかも指定されたのは集合時間だけなので、生徒達はどの順番で敷地内を回るのが最も効率が良いかについてだけ頭を使うのだった。
ひーこも数人の友人とともに水族園内を移動するルートで悩んでいた。
ひーこ達は友人の意見「乗り物は午前中の方がいいよ。今日は午後から雨が降るかもしれないし、ご飯食べてからだと気持ち悪くなるかも」に賛同し、最初にアトラクションを回った。
***
ひーこと友人は、昼食をとるためにフードコートに向かう途中で、大和と義貴にすれ違った。
声をかけたのは大和の方だった。
「お、ひーこ。これから飯?」
ひーこは二人に尋ねた。
「そう。レストランは混んでいる?」
「人気の店はね」
「ありがとう」
ひーこは大和とそう会話をしただけで二人と別れたが、レストランに入ってからのひーこの友人達の反応がすごかった。
「間宮くんと大和くんって、二人で歩いているとなんかアイドルっぽくない?」
「あの二人、前から仲良しなの?ひーこのせい?」
「さぁ」
ひーこは気がつかなかったが、体育の時間は二組合同なので、男同士で話をする機会は多かった。
今日は大和が義貴を見かけて声をかけていた。
大和はジェットコースターが苦手なので、友人と別行動をしていたところに、ひとりで歩いていた義貴が通りかかったのだ。
友人の一人がため息をつきながら言った。
「ふたりともベクトルの違うかっこよさがあるなぁ。弟は性格が明るくて、彼氏は知性が見え隠れして。ひーこ、ずるい」
ひーこは途惑いながら言い返した。
「大和は弟だからしょうがないよ。大和が好きならアピールすれば?」
すると友人達は、悲鳴とも歓声ともとれる声で叫んだ。
「ひーこ、あんた内輪で一番奥手だと思ったのに、最初に彼氏ができてずるーい!」
「さらにアピールすれば?ですって!この余裕がむかつくわー」
ひーこは顔を赤らめつつ、黙ってメニューを選び始めた。
この時までは、ひーこは平穏な一日になると思っていた。
***
異変が起こったのは、食後に向かった水族館の中だった。
水族館の入り口には、水のトンネルを通る長い下り坂のエスカレーターがあった。
ひーこたちがエスカレーターを降りて最初のブースに入った途端、エスカレーターから悲鳴が起こった。
ひーこと友人達がエスカレーターの踊り場に戻ると、同級生達が将棋倒しになっているのが見えた。
入り口側は勾配があるので、下からはよく見えないが、エスカレータの上の方から人が倒れこんでいた。
ひーこは、
「水族園の人を呼んでくる」
と友人に言って水族館の奥に走った。
すると、すぐに職員らしい制服を着た男性を見かけたので声をかけた。
「すいません、同級生がエスカレーターで将棋倒しになっているのですけど」
ひーこはそう言ったと同時に、身体から力が抜けて膝をついてしまった。
——あれ?
ひーこは倒れながら、一緒に食事をした友人の一人が水族園の入り口にあったトイレに行って、まだ合流していないことを思い出した。
——あの子、将棋倒しに巻き込まれてないといいけど・・・。
と思ったのを最後にひーこは意識を失った。
ひーこが倒れるとすぐに、水族館の制服を着た男性はひーこを介抱する素振りを見せながらバックヤードに運んだ。
ひーこは暗闇で見た彼に気がつかなかったが、その男性は間宮亮だった。
亮は、養護園の管理人から義貴のチカラについて知らされていた。
義貴は人の意識を感知するため、かなり正確に居場所を特定できる。
例えばひーこに意識があれば、かなりの距離でもその位置を知ることができた。
しかしひーこに意識がない場合、義貴はひーこの居場所をある程度予測して、かなり意識的にチカラを使わなくてはいけない。
しかも周囲に人が多いと、特定の人間の意識を選別するのが難しくなる。
義貴の持つ能力の特徴を知った亮はある計画を立てた。
学校行事の日、ひーこの友人の一人に催眠術を施してひーこと一緒に行動するように暗示をかけて義貴と離す。
さらに水族館へは入場者が増える昼食後に向かわせ、館内に入る直前に睡眠薬入りのタブレットをひーこに渡して食べさせて、水族館の中に入ったところで意識を失わせる。倒れたひーこを水族館の職員のふりをして連れ出す、つもりだった。
睡眠薬入りのタブレットを他の人間にも渡してしまった場合、その人間も眠ってしまうのだが。
亮にとってこの騒ぎ自体は予想外だった。
しかし、亮は思った。
——義貴は外にいるはずだ。水族館の入り口で騒ぎが起きてしまい怪しまれるだろうが、すぐには中に入れまい。
亮の計画は効を奏した。
***
義貴は水族館の異変にすぐに気がついた。
悲鳴とほぼ同時期にひーこの意識を感じられなくなったので、ひーこが将棋倒しの中に巻き込まれたのだと思っていた。
だが、入り口付近にいたのは義貴だけではなかった。
舞もまた、水族館に入るところだったのだ。
大和や数人の客とともに、倒れている人を水族館の入り口にひきあげていた義貴に、舞はそこを離れるように言った。
「義貴くん、ちょっと」
義貴は入り口を気にしながら舞の後に続いた。
「夏日、なに?」
「ひーこちゃんは、水族館の中にはいない」
「何だって?どこにいるかわかるか?」
舞の能力は特定の人間の位置を感知するために、相手の意識や感情を必要としない。
視ることのできる範囲は義貴よりは狭いものの、人混みの中でも特定の人間だけを視ることができた。
間宮家と下宮家のチカラの違いだった。
義貴が問うと、舞は辺りを見回した。
「男の子に抱えられて、車に乗せられている」
「車?」
義貴と舞が水族園の入場門に向かうと、一台の車が門を出ていった。
「あれよ」
舞が指を指した車の中を、義貴がチカラで視た。
その直後、義貴は舞に言った。
「ありがとう、舞。ひーこと俺はすぐに戻れないかもしれない」
人前では従姉弟の舞を名字で呼んでいた義貴が、名前で呼んだのはひーこを見つけた安堵で気持ちが緩んだことを意味した。
「ひーこちゃんをさらったのが誰か知っているのね?判った。先生達は私に任せて。後で必ず連絡してね」
「ああ」
義貴は走り去った車の方向を睨みながら思った。
——取り戻す、絶対に。
義貴は水族園の門を抜けて駅に向かった。
すぐに追えなくても、義貴には彼らの行き先が判っていた。
ひーこと亮を乗せた車を運転していたのは、養護園の管理人を自称した男だったのだ。
亮は車の後部座席でひーこを抱えながら、機嫌良く言った。
「義貴は気がついたかな。それともエスカレーターで倒れている奴を一人ずつ探している頃かな」
自称・養護園の管理人は車を運転しながら冷静に言った。
「どうでしょう。美子様が何というか」
「美子が視たいって言ったんだ。お兄ちゃんの能力を」
亮にとって、義貴の存在は羨望の的だった。
間宮・下宮そしてもうひとつの家——かつて存在した上宮家に伝わる能力をもつ人間を増やそうと、美子はそれぞれの家系の冷凍精子・卵子を使って体外受精し子供を誕生させた。
ところが、能力者の遺伝子を組み込まれた多くの子供達が死産、もしくは重度の障害を持って生まれてしまった。
さらに最も成功した二人のうち、一人は生まれてまもなく美子の姉に持ち出されて心中してしまい、残った唯一の成功者が亮だった。
しかし亮の持つ「念動力」は本来間宮ではなく、上宮家の能力だった。
亮には間宮家の能力「先読み」がない。
亮はそれを知らされていなかった。
間宮の能力は「念動力」であり、義貴の「先読み」は偶発的に発現したチカラだと思っていた。
そして亮は自分のチカラを高めて、義貴をしのぐ能力を発揮すれば、自分が「間宮家」の次期継承者になれると思いこんでいた。
亮は思った。
——この女がいれば、あいつは必ず養護園に来る。
すると養護園の管理人が亮に尋ねた。
「誘拐は美子様の望みではありません。義貴様を呼び出すとして、姫呼さんをさらってどうするのですか」
亮は眠っているひーこの頬を撫でながらつぶやいた。
「どうしようかな」




