四 相談
事件の翌日、授業が終わった教室で、義貴はひーこに宣言した。
「これから毎日一緒に帰ろう」
二人はこれまでも時々一緒に登下校をしていたが、ひーこは同性異性に関係なく友達がいたので、二人がつきあっていることに気がつかない生徒も多かった。
義貴は成績も良く、クラスで一目置かれていたが、目立つ存在ではなかった。
ひーこと義貴のつきあいは周囲にも隠してはいなかったが、特に広めることもなく、さらにクラスで二人はほとんど会話をしなかったので、二人の関係を知らない人間のほうが多かった。
義貴がクラス全員に注目されたのは、高校に入学して以来、これが初めてだった。
「はぁあ?」
まだ頬が腫れていたひーこは、その日はただでさえ目立つ存在だった。
科目が変わるたびに、先生から「どうしたひーこ、その顔」と名指しで驚かれ、そのたびに、階段で滑って転んで顔を打ったいう作り話を繰り返していたからだ。
驚くひーこに、義貴は淡々と言った。
「また転んだら心配だから」
義貴はひーこのごまかしに便乗した説明をしたが、教室ではまるで義貴がクラス全員の前でひーこに告白しているかのような雰囲気になった。
ひーこは顔を赤くしながら荷物を持つと、あわてて義貴を教室の外に押し出した。
「ちょっと、何?いきなり。びっくりするでしょ」
ひーこの慌てぶりとは対照的に、義貴は淡々と言った。
「ああ言われているのに、あえてひーこを誘う友達もいないだろ?」
「わざと、なのね」
「もちろん。ひーこが友達と帰りたいときは、そう言ってくれていいよ。無理強いするつもりはないし、離れていてもひーこが無事かどうかわかるだけのチカラはあるから」
ひーこは混乱しつつ尋ねた。
「例のチカラで?そんなこともできるの?」
義貴は穏やかに言った。
「昨日もひーこを見つけられただろう?一緒にいなくても、ひーこに何かあったらどこにいても絶対に見つける。でも、一緒にいればチカラを使う必要はないから。できたら休みも日も、もし一人で外出するのなら俺を呼んでくれないか」
二人は教室を出た勢いそのままに校門を出た。
ひーこは義貴の言葉に照れていた。
——どこにいても、絶対に見つける。
ひーこは一人で顔を赤くさせながら、義貴に尋ねた。
「一緒に帰って、どうするの?」
義貴はさらりと返した。
「今まで通り、普通に帰るだけでいい。用事があるならどこでもつきあう。夕飯の買い物とか。俺も買い物するし」
義貴は一旦話を区切り、そして思い当たったように尋ねた。
「女同士なら何かするわけ?」
と義貴に言われて、ひーこはとっさに返せなくなった。
家事をしなくてはいけないひーこには、友達と長々と話をする機会はそれほど多くなかった。
ひーこは思いついたことを口にした。
「あ、アイス食べる、とか」
「へぇ。アイス食うか?」
「今日はいいよ」
義貴の行動は功を奏し、それ以来二人が一緒に帰るのは日課になった。
ひーこは友人から「お昼は彼と一緒じゃないの?」とからかわれたが、義貴はひーこが校内にいる間は一緒にいることはなく、昼休みになると一人で学食へ行った。
それはまるで、ひーこと友人との交流を妨げないようにしているようだった。
実際ひーこにとって、義貴との登下校は考えていた以上に心地良かった。
友達と行くのは気が引けていた銀行も、商店街で食料を選ぶことも、義貴がいるだけで楽しかった。
義貴は料理に関する知識がほとんどなかったので、野菜の見分け方を説明するだけでもデートの気分を味わえた。
実際、定期考査が近いこともあり、デートらしいことをする余裕はさほどなかった。
しかしひーこは、二人のこれが「恋」なのか疑問に思っていた。
——間宮くんは私があんな事件に遭ったから、私を守るためにいるんだ。別に『好きだから一緒にいたい』っていう訳ではないのよね。
***
定期考査の最終日は金曜日だった。
ひーこはその日、昼休みの廊下で舞を偶然見かけたので、思い切って声をかけた。
「舞ちゃん、私、相談があるの」
舞は驚いた様子だったが、義貴の事だと知ると笑顔で了承した。
ひーこが義貴の相談ができる友人は、彼女しかいなかった。
その日の放課後、ひーこは義貴に言った。
「今日は舞ちゃんと帰ろうと思うのだけど」
義貴は舞の従弟なので、ひーこは一瞬「俺も行く」と言われるかと身構えた。
しかし義貴は引き留めることもなく「そう。じゃあ、また来週」と言って教室を出て行った。
***
舞とひーこは、学校の近くのアイスクリーム屋にいた。
舞は学内では有名な美人で、ひーこの友人の中にもファンはたくさんいた。
容姿端麗で成績優秀な舞と、全てにおいて平均的なひーことの関係を不思議に思う友人もいるくらいだった。
舞は笑顔で言った。
「久々の話題が恋愛相談だって言うから、びっくりしたのよ」
「舞ちゃん、うれしそうだね」
「ひーこちゃんから恋の悩みを聞くとはね。大人になったなぁ」
大人びた表情の舞にひーこは尋ねた。
「舞ちゃんは好きな人いるの?」
ひーこの問いを舞は笑顔でかわした。
代わりに舞が尋ねた。
「義貴くんが義務で一緒に帰っているって?」
舞の問いに、ひーこは少し膨れた表情で言った。
「好きで一緒にいたい、っていうカンジじゃないもん」
ひーこはアイスのコーンをちまちまと食べていた。
舞は優しい眼差しでひーこに言った。
「どうして?つきあいたいって言ったのは義貴くんでしょ?
義貴くんは気持ちを表に出すのが苦手なだけで、素直にひーこちゃんと一緒にいたいのよ」
「そうかなぁ。手とかつないだことないし、なんかトモダチみたい」
ひーこが抱きしめられたのは、義貴が熱を出した時の一回だけ。
キスはもとより、手をつなぐことさえなかった。
ひーこから手をつなごうと何度も思ったが、義貴の雰囲気がそうさせなかった。
不機嫌そうな表情のひーこを見ながら、舞は笑顔で言った。
「ひーこちゃんは、義貴くんにどうしてほしいの?」
「どうって・・・」
「手をつないでほしいなら、そう言ったら?義貴くんが拒絶するとは思えない」
「そうって・・・」
「義貴くんは、ひーこちゃんが望んでいたら、そうすると思う。
人の感情に敏感だし。頭もいいでしょ?
でも、ひーこちゃんが何を望んでいるのかは、言わないと分からないよ」
ひーこはうなずいた。
義貴は高校入試でその年度の最高得点を取ったらしい、とクラスの噂になっていた。
噂の真意はともかく、定期考査ではだいたい成績優秀者の中に入っていた。
ひーこの成績は可もなく不可もなく、という程度だった。
大きな特技もないひーこには、義貴が自分を好きになる理由が見つからず不安だった。
ひーこは自分に問うように言った。
「間宮くん、何で私とつきあうって言ったんだろう。
お弁当をあげたから?病気の時にお見舞いに行ったから?」
舞はひーこを見て尋ねた。
「ひーこちゃんはどうなの?」
舞の声はいつもと変わらなかったが、雰囲気と表情は厳しかった。
ひーこは驚いて舞を見返すと、舞は続けて言った。
「どうして義貴くんとつきあうことにしたの。つきあおうって言われたから?」
「それは・・・」
「自分の気持ちがはっきりしないから、義貴くんの気持ちを不安に思うのかもよ?
本当の問題は、ひーこちゃんの中にあると私は思う」
舞は、義貴が軽い気持ちでひーことつきあうことを宣言できる状況ではないことを知っていた。
——義貴くんは、ひーこちゃんがいてくれるだけで、いいの。
しかしそれは、ひーこが自分で気がつかなくてはいけないと舞は思った。
舞はいつもの穏やかな表情に戻って言った。
「あとはひーこちゃんが考えなきゃ。そろそろ帰りましょう。送るわ」
舞の言葉にひーこは慌てた。
「ええっ、ひとりで帰れる」
「義貴くんのかわり。ひとりで帰るなと言われているでしょう?大和くんにも会いたいし」
「じゃあ、うちでご飯食べない?今日はカレーにしようと思っていたし。
帰りは大和に家まで送らせるから」
舞の家には家政婦がいたので、舞は家事をする必要はなかった。
舞は嬉しそうに頷くと言った。
「嬉しい。三人でご飯食べるの、久しぶり」
子供の頃は双方の家族で旅行に出かけるほど仲が良く、それぞれの片親が亡くなって以降、舞は双子の祖母が作った料理を食べに来たりしていた。
侑子の死後、家事が滞った充は早々に家政婦を頼んだのだが、舞が他人を家に受け入れるのを拒否した。
さらに舞は、学校に行くことを拒み、双子とその祖母以外の人間をことごとく避けた。
一人っ子の舞にとって、母親の存在が大きかったのだ。
しかし舞が中学にあがる頃からは、新しく舞の家に来た家政婦に慣れ始めたこともあり、橋本家に行く機会は減っていった。
そしてひーこは知っていた。
大和は口にしたことはないけれども、密かに舞に好意を持っていた。
大和は背が高く、端正な顔立ちをしていた。
この年頃の男の子にしては人当たりも良いのでもてていたが、特定の女の子とつきあうことはなかった。
ひーこは無意識に言った。
「こんな美人が近くにいたら、ね」
「なぁに?ひーこちゃん」
不思議そうな顔をする舞にひーこは言った。
「なんでもない」




