三十二 再会
義貴が樹に指定した待ち合わせ場所は、小さな遊園地だった。
樹は久々にカジュアルな服装で外へ出た。
古着のジーンズを穿き、チェックのシャツにダウンジャケットを羽織った。
間宮に入って以来、樹はフォーマルな服ばかり着ていた。
樹は待ち合わせの場所に向かう間、ぼんやりと思っていた。
——こういうの、久しぶりだな。
普段、樹の周りにいるのは会社関係の人間だった。
大学では会話をする友人はいても、授業の後はまっすぐ間宮の会社に出かけていた樹には、コンパやイベントに参加する余裕がなかった。
遊園地に向かう人間は、若いカップルや小さな子供連れの夫婦ばかりだった。
平和の象徴のような人々の中、樹は義貴に指定されたベンチに向かって歩いた。
遊園地のほぼ中央にあるベンチに、みつきが座っているのが見えた。
端から見れば、待ち合わせをしているカップルに見えただろう。
みつきは樹の姿を見つけて立ち上がった。
彼女にしては清楚なワンピースに、白いコートを着ていた。
「みつき」
樹はみつきのいる場所まで早足で歩いた。
みつきははにかむような笑顔を樹に向けて言った。
「久しぶり」
樹は右手でげんこつを作ると、みつきの頭に軽く当てた。
「ばかやろう。俺はずっと探していたんだぞ」
「・・・私を?」
樹が頷くと、みつきは樹に抱きついた。
みつきは自分の変貌に比べて、少しも変わらない樹に嬉しいような、切ない気持ちで一杯だった。
「私・・・ずっと会いたかった」
みつきが泣き声で言うと、樹は黙って彼女の頭を片手で抱いた。
ふいに視線を感じた樹が顔をあげると、少し離れたところに義貴が立っていた。
義貴の目は冷静に、樹に伝えていた。
「お前が彼女を説得しろ」
樹は、義貴からかかってきた電話の内容を思い出していた。
***
それは昨日の夕方、講義が終わって樹が教室を出た直後の事だった。
発信は登録されていない電話番号からだったが、樹は不思議とためらわずに電話に出た。
「もしもし」
樹はその声だけで、すぐに電話の相手が義貴からだとわかった。
樹はとっさに声を出せずにいた。
「間宮だ。親父から番号を聞いた。
話がある。今、いいか?」
義貴は事務的に話を切り出した。
「ああ」
樹は応じた。
周りの光景は日常なのに、樹の意識は別の次元にいるように感じた。
義貴は淡々と言った。
「二階堂みつきを預かっている。
彼女は坂倉病院の付属施設に監禁されていて、逃げたようだ。
そこから脱走して、行く場所がなくて俺の家に来た」
「何だって?」
義貴の思いがけない言葉に樹は呆然とした。
みつきが研究所にいることは知っていたが、脱走して義貴の家に行くとは想像すらしていなかった。
義貴は続けて言った。
「彼女にはわずかに能力があるらしい。
研究所の人間が彼女に目をつけて所内に監禁した。
彼女は研究所にいるのが嫌になって飛び出してしまったようだが、研究所の内情を知ってしまったから、もう研究所を出ることはできない。
会わせてやるからお前が説得しろ」
「何を」
「死にたくなければ、研究所に戻れと」
樹は混乱した。
義貴は冷静に続けた。
「理由はどうであれ、お前が彼女を巻き込んだようなものだ。
だからお前が説得しろ」
樹は声が出せなかった。
「あるいは、みつきをお前が囲えるなら別だが」
義貴の言葉は、樹がみつきと結婚するか、妾にすることを意味していた。
「それは・・」
樹にとって、それは間宮家の後継者になることを諦めることだった。
今の樹は舞がいなければ、間宮の後継者にはなれない。
それは分かっていた。
樹は舞が妾を容認するとはとても思えなかった。
樹は義貴に言った。
「みつきに会いたい。場所を指定してくれ」
***
義貴は二人から離れた場所で、二人を見守った。
万が一、みつきが逃げた場合、彼女の動きをチカラで抑えるつもりだった。
義貴はひーこに、あらかじめ義彦と回るアトラクションを指定していた。
それは二人に何かが遭った場合、義貴が即座に動ける範囲を示していた。
みつきと樹は並んでベンチに座った。
最初に話しかけたのは樹だった。
「お前がいない間に、ご両親が亡くなった」
「知っている」
「そうか」
樹はみつきに会うときに言うことを考えていた。
しかし実際に会うと、言葉が見つからなかった。
すると、みつきは小声で話し出した。
「私・・樹に会いたくて、会わせてくれるっていう石井の言葉に乗ってしまった。
でも私は樹に会えないって言われて・・・研究所から逃げ出してしまった。
そして間宮さんとひーこさんに助けてもらった」
「そうか」
「私、ひーこさんにひどいことをしたのに。
ひーこさん、優しかった」
「そうか」
みつきは少し涙声で言った。
「今の私は、その報いを受けているのかもしれない。
研究所に戻ったら、殺されるか亮と結婚させられる」
「亮?」
樹は亮の存在を知らなかった。
みつきは言った。
「超能力者。間宮家の跡継ぎになるって頑張っていた。
でも亮は石井から『家督を継げない』って言われて、荒れていた。
私にも少しだけ超能力があるから、私を奥さんにすれば間宮家を継げるって。
私はそんなの嫌だって思って、研究所を抜け出してきた。
そうしたら亮が逆上して、私をかくまったひーこさんを殺そうとしたの」
「何だって?」
みつきは樹の問いには答えず、続けた。
「樹、私を殺して」
樹はみつきの真剣な表情に息を呑んだ。
みつきは淡々と続けた。
「研究所に行ったら殺される。なら今、殺して」
「そんなこと、できるかよ。
第一、今のお前は義貴の預かりになっている。
お前に何かあったら義貴の咎だ。
お前は義貴とひーこに助けられたんだろう?恩を仇で返す気か?」
みつきは樹の言葉にはっとなった。
「そうだ・・・そんなこと、できないね」
みつきは軽く笑った。
みつきが混乱していると感じた樹は、みつきの頭を抱き寄せて腕の中に入れた。
突然の行動にみつきは驚いたが、目を閉じて樹にしがみついた。
樹はみつきを落ち着かせるためにとっさにしたことだが、樹が女性を抱き寄せたのはひーこを抱いて以来だと気がついた。
***
みつきが樹に初めて会ったのは中学一年の夏、兄の部活の試合を見に行ったときだった。
みつきは身体が小さく、引っ込み思案で友達も少なかった。
みつきの名前は誕生日の「三月」と、出産予定日よりも早く生まれてしまったことから由来していた。
みつきは全ての自分のマイナス点が、自分の生まれつきであると思っていた。
年子の兄・輝は四月生まれだったので、学年は一つ違いだったが、実年齢は二年近く離れていた。
輝はスポーツ万能で成績優秀の自慢の兄だった。
その兄に紹介された樹は、名前が一文字違いの同じ三月生まれで人当たりが良く、みつきは一目で好きになった。
二人が同じ高校に入ったときは嬉しかったが、学校が全寮制だったので、みつきは毎日寮に通っていた。
そんなある日、兄が急死したときに、みつきを支えてくれたのは樹だった。
しかし樹は、みつきの気持ちに応えることはなかった。
樹にとって、みつきは友達の妹に過ぎなかった。
そんな彼女を樹は今、抱き寄せていた。
樹はみつきのぬくもりを感じながら思った。
——俺に必要なのは、こんな安らぎかもしれない。
間宮に入ってから、樹の周りは殺伐としていた。
常に緊張が強いられる社会。
恋人は綺麗で物わかりが良いが、触れれば自分の気持ちが読み取られるかもしれないという不安が常につきまとう。
樹は穏やかな休息場が欲しいと思っていた。
たとえばこの遊園地のように。
そしてその瞬間、樹は悟った。
——義貴がひーこを欲したのは、そのせいか。
義貴は生まれたときから、間宮の跡継ぎとして育てられた。
企業経営こそ参加していなかったが、会社の会議には幼少の頃から出席させられていた。
感情を殺し、常に冷静な判断を求められ、間宮家の行事を淡々とこなす義貴は、ひーこがいることで精神を安定させているのかもしれない、と樹は思った。
樹はみつきに言った。
「みつき、俺はお前と一緒にいることができない」
義貴は間宮家の跡継ぎとして能力も血筋も一番だったので、多少のわがままも容認されていた。
しかし樹の資質は、義貴に適わない。
みつきは樹の身体越しに彼の言葉を聞いていた。
義貴から言われていたので、みつきは驚かなかった。
樹は静かに言った。
「でもみつきが安心して生活できるように、取りはからうから」
樹は間宮家での地位はまだ低かった。
しかし後継者候補になった今、みつき一人を救うことはできると思った。
しかし、樹がみつきと逢ったのは、これが最後だった。
***
義彦は遊園地に来たのが初めてだったので、興奮しきりだった。
「ひーこ、次はあれに乗りたい」
義彦が指した先には観覧車があった。
「いいよ。行こう」
二人は手を繋いで観覧車まで歩いた。
ひーこは、義貴が樹との待ち合わせに遊園地に選んだことを不思議に思って尋ねていた。
「人がたくさん集まるのに。危ないんじゃない?」
義貴はきっぱりと返した。
「遊園地に来るのは、家族連れやカップルがほとんどだろう?間宮の手下は大人の男ばかりだ。
男一人や、背広を着ている人間は目立つから、手荒な行動を起こしにくい」
実際に遊園地に来て、ひーこは義貴の言葉の意味を理解した。
ひーこと義彦は従業員に先導されて、観覧車に乗った。
義彦は足下が安定しないことに少し怯えた。
「ひーこ、こわい」
「大丈夫だよ。外を見てごらん」
ひーこは義彦に寄り添って窓の外を見た。
そしてひーこは、目下にある人影を見つけて動きを止めた。
***
義貴は、みつきと樹のいる場所から少し離れたベンチに座り、目を閉じていた。
眠っていたのではなく、目を閉じていた方が人の気配に集中できたからだ。
義貴はみつきの動きと、ひーこ達の様子に気を配っていた。
義貴がみつきの動きに気がついて目を開けると、みつきが樹から離れて義貴の元に向かってくるのが見えた。
義貴は彼女が来るのを待っていた。
みつきは義貴に、まず礼を言うつもりでいた。
しかしみつきは、義貴の様子を見て言った。
「義貴さん・・・気がついていますか?」
みつきの言葉に、義貴は間宮の手先の存在を連想した。
「何が?」
義貴が尋ねると、みつきは義貴の予想外の事を言った。
「義貴さんの瞳が・・・紫色に見える」
「え?」
みつきはバックからコンパクトを出して、義貴に見せた。
そこには義貴が今まで見たことのない、濃紫色の瞳の自分が映っていた。
***
樹はみつきの後ろ姿を見送りながら、ぼんやりと思っていた。
——もっとチカラが欲しい。
そして、樹はある気配に気がついた。
——なんだろう?
樹は辺りを見回した。
警戒する気配ではなく、むしろなつかしい何かだった。
樹が見上げた先には、観覧車があった。
頂点に上っていく観覧車のゴンドラの一つに人影が見えた。
——ひーこ。
下から見上げる範囲では顔まで判別できなかったが、その人間の気配はひーこだと樹には分かった。
樹はひーこが遊園地に来ている事を知らされていなかった。
そもそも、義貴が自分のいる場所にひーこを連れてくるとは思わなかった。
しかし樹は確信を持っていた。
——間違いない。
樹はありったけの気持ちをこめて、ゴンドラに向かって念じた。
——ひーこ、ごめん。
義彦がひーこの様子に気がついて声をかけた。
「ひーこ?」
ひーこはある一点を凝視していた。
「樹くん・・・」
観覧車を見上げる人物は、樹だった。
ゴンドラからは、下にいる人の顔を判別できた。
ひーこは距離が離れているせいか身体への衝撃もなく、樹を冷静に見ていた。
樹の服装は、幼なじみの彼そのものだった。
もし大和と二人で樹に会ったら「久しぶり」と笑えるくらい、昔の彼だった。
ひーこは思った。
——でも今は、気持ちもこのくらい遠くにいる。
ひーこは黙ったまま彼を見ていた。
その時、ひーこは声にならない声を聞いた。
——ひーこ。傷つけて、ごめん。
樹が下で叫んでいるわけではない。
しかしひーこは、樹の声を聞いた気がした。
樹の苦しそうな表情を見て、ひーこは目に涙を浮かべた。
自分でもどうして泣いているのか分からなかった。
「ひーこ?だいじょうぶ?」
義彦の声にも応じられないほど、ひーこはガラスにもたれて泣いていた。
ひーこは泣きながら願った。
——昔のように戻りたい。幼なじみの頃に、帰りたい。
しかしひーこは、樹とはもう昔のようにはなれないことも分かっていた。
***
ひーこと義彦がゴンドラを下りると、みつきと義貴が観覧車の出口で待っていた。
みつきが穏やかな表情をしているのに対し、ひーこの目は腫れていた。
義彦は義貴に抱きついて言った。
「とうさん」
義貴は黙って義彦を肩車した。
すると、隣にいたみつきは不思議そうに尋ねた。
「ひーこさん?」
ひーこは取り繕うように笑った。
「ゴンドラに乗るときに、頭をぶつけてしまって。すごく痛かったの」
義貴はひーこの様子を冷静な目で見ていたが、静かに口を開いた。
「帰ろう」
義貴の言葉に、ひーことみつきは黙って頷いた。
最後までご覧いただきありがとうございました。
この話にはまだ続きがあります。
気に入っていただけましたら、次の話「チカラ2」もご覧下さい。
主人公は変わります。




