二十七 和解
ひーこの声が聞こえた。
「大和、やーまーと?」
大和が目を開けると、暗闇にひーこの顔が見えた。
「ひーこ」
「ごはんできたよ?どうしたの?昼寝?」
大和はベッドの中にいた。一人で。
「俺・・・一人?」
ぼんやり起きると、大和は自分が裸であることに気がついた。
「何で裸で寝ているの?早く着替えて降りておいでよ」
ひーこは半ば呆れ口調でそう言うと、扉を開けたまま廊下に出ていった。
「あれ?」
大和は状況を理解できなかった。
舞を抱いた記憶はあったが、その後の状況が思い出せなかった。
舞はだまったまま出ていったのか、それとも夢だったのか。
大和はようやく自分がした事の大きさを認識した。
「俺・・やばいかも」
***
大和はさんざん悩んだ挙げ句、義貴に電話をかけた。
「今、大丈夫か?」
思い詰めたような大和の声を聞いて、義貴は意外そうな声で返した。
「いいけど、どうした?」
そして少し沈黙した後、大和はようやく口を開いた。
「あの・・・さ。義貴のところの子供は、俺がいるだけでもだめかな?」
「いや、触れなければ大丈夫だと思う。この間はごめん。義彦も驚いただけだから」
「俺の方こそ悪かった。それで・・・相談したいことがあるんだけど、時間とれないかな?」
義貴は淡々と応じた。
「俺は構わないけど」
「ひーこ抜きで話がしたいんだ」
「相談は、ひーこのこと?」
「違う。純粋に俺の事。でも外では話にくいから、家に行ってもいいか?」
義貴はしばらく考えてから言った。
「土曜日は?ひーこは文化祭の係で抜けられないって言っていたから」
「分かった。忙しいのにごめん」
「いいよ。じゃあ、待っているから」
大和は電話を切ってため息をついた。
明日の金曜日から日曜日まで文化祭なのは、時期が良かったと大和は思った。
今の大和は、受験勉強に専念する気持ちではなかった。
***
土曜日。
大和は文化祭のオープニングだけ出ると高校を抜け出し、義貴のマンションに向かった。
大和が義貴の部屋の呼び鈴を押すと、トレーナーにジーンズ姿の義貴が出迎えた。
「どうぞ」
大和が久しぶりに会った義貴は、一段と大人びて見えた。
二人がリビングに向かうと、義彦はベビーベッドの上で、おもちゃを鳴らしていた。
「なんか、大きくなったな」
大和が前に義彦を見たときには首がすわっていなかったが、今では身体を起こしてベビーベットの柵に掴まっている。
大和は子供の成長の早さに驚いていた。
「はいはいができるから、ベッドに入れておかないと、どこに行くか分からない」
義貴はコーヒーを入れながら応えた。
大和は黙ってソファに座った。
そして義彦はコーヒーを入れたカップを大和の前に置くと、大和の向かいに座って言った。
「久しぶりに同級生と話をしたよ。
出かけるのは義彦の用事のことが多いから、会うのはお母さんと小児科の医者くらいだし」
大和は、女性と子供に囲まれている義貴を想像して少し笑った。
「ママ友とかいるのか?」
「そういうのはひーこの方が得意。俺は目立つけど、社交的じゃないから」
「そうか」
そして二人は少し沈黙した。
義彦の振るおもちゃの音が、部屋に響く。
しばらく思案していた大和は、思い切って言った。
「俺、舞ちゃんのことが好きだった。子供の頃から」
義貴は静かに大和を見ていた。
「綺麗で仲良しのおねえちゃん、みたいな気持ちでいた。
恋人になりたいとは思っていなかったけど、単なる友人じゃなかった」
大和はコーヒーを一口飲んで続けた。
「舞ちゃんから久しぶりに連絡が来て、二人で会った。外で会って、家に連れてきて——セックスした」
義貴はわずかに驚いた表情をしたが、黙っていた。
大和は少し躊躇いながら言った。
「何でそうなったのか、自分でも分からない。あのときの俺の理性はどこにいったとかと思う。
でも舞ちゃんを抱いたのは現実なはずなのに、気がついたら家のベッドに一人で寝ていた。
だから夢だったような気がしてしまう。
それ以来、舞ちゃんに連絡をとっていない。
舞ちゃんに何て言ったらいいのか、メールを書くにしても、内容が思いつかなくて」
大和は言葉を切って、続けた。
「義貴に相談するのも舞ちゃんには悪いとは思ったけど、他の誰にも言えないし。
俺はもう、どうしていいかわからなくて」
ふいに義貴は尋ねた。
「大和は、舞との関係をどうしたい?したことを後悔しているのか?」
大和はしばらく考えてから応えた。
「・・・・分からない。
でも・・・もしあの日、ベッドの中に舞ちゃんがいたら、俺は悩んでいないのかもしれない。
どうして黙って帰ったのか。それが気になって。でも訊けずにいる」
義貴はおもむろに席を立つと、背後にいた義彦を抱き上げて、床に下ろした。
義彦はベビーベッドから出られたことが嬉しいらしく、手にしていたおもちゃを放り投げて、はいはいを始めた。
まっすぐ大和に向かっていく。
「おい、子供が」
義彦が近づいてきて慌てた大和は、悲鳴に近い声を出した。
義彦は人が珍しいらしく、街で出会う人間にも興味津々だった。
だから義彦を床に下ろせばどう行動するか、義貴は読んでいた。
義彦は大和の前に来ると、その脚に掴まり立ち上がった。
大和は前のように光り出すのかと思って息を飲んだが、
「あー」
と声をあげた義彦は、普通の子供だった。
「あ・・・れ・・・?」
途惑う大和に、義貴は笑いながら言った。
「前に大和が来たときは義彦の人見知りが激しかったけど。今は大丈夫みたいだな」
大和にはそう説明したが、本当は舞の行動の意図を確かめるためだった。
大和は「みらい」という、義貴や義彦、そして舞たちが持つチカラを増幅させるチカラを持っていた。
以前、大和が義彦に触れた途端、義彦は増幅したチカラを抑えられなかったのだが、今は普通に接している。
成長したとはいえ、義彦はまだチカラのコントロールは難しいはずだった。
だから今の状態は、舞がチカラで大和のチカラを封じたことを意味していた。
舞は他人の意志をコントロールするチカラがあるが、相手に接することでより強大なチカラを発揮できた。
接触、特にセックスをすることで相手を操ることも、逆に他の能力者のチカラを抑えることもできた。
舞が大和とセックスをした理由はそこにある、と義貴は思っていた。
大和のチカラを抑えると同時に、舞はかつてないほど大きなチカラを大和から受けているだろう、と。
しかし義貴にはひとつ納得できなかった。
もしそれだけが目的なら、二人で会った時の大和の記憶を消せば良かったのに。
舞にはできたはずなのに、それをしなかった。
大和は義彦の手に触れて言った。
「なんか、普通の子供だな」
義彦は黙って大和を見ていた。
二人の様子を見ていた義貴は大和に言った。
「この時期に『はいはい』するのは他の子供より早いらしい。
おもしろいだろ?子供って。
俺は両親との思い出がほとんどないから、育児なんてできないと思ったけどできている。
一緒にいると、それなりに仲良くなるものだよ」
「習うより慣れろ、か?」
「そう」
義貴は大和の腕から義彦を受け取ると、義彦の手におもちゃを握らせた。
義彦は機嫌良くおもちゃを振った。
義貴は大和を見て言った。
「舞と、会う気持ちになるまで待ってもいいと思う。
今の大和と義彦みたいに、時間が経てば状況も変わるかもしれない。
状況の変化は良い方向だけではないかもしれないけど、気持ちの整理ができてから話をした方が大和は納得できるかもしれない。
その気になれば、舞とはすぐに会えるだろう?」
義貴が大和に自分の意見を言ったのは、これが初めてだった。
大和は義貴が、自分のことを真剣に考えて言ったことだと気がついた。
「・・・そうだな」
大和はふと、息を吐いた。
「ありがとな、二人とも」
大和が二人にそう言うと、義彦は黙っておもちゃを振っていた。




