十六 日記
舞から電話があったのはこれより一ヶ月ほど前、十一月に入ったばかりの土曜日の朝だった。舞は電話口で泣いていた。
「母さんの日記を読んだの。母さんは、美子おばさんと侑子おばさんの秘密を知ってしまったから死んだのかもしれない」
「日記って今になってどうして?」
「母さんが自分宛に郵便を送ったの。何年後かの自分に送るという郵送システムがあるらしくて。
昨日が母さんの誕生日で、それに併せて送ったみたい。
中を開けてみたら日記があって、私宛の手紙が入っていたの」
「落ち着いて。今から家に行く」
義貴は急いで夏日家に向かうと、蒼い顔をした舞が出迎えた。
「叔父さんは日記を知っている?」
義貴が尋ねると、舞は首を横に振った。
「父さんは学会で昨日から出かけているの。でも父さんにはこんなの、見せられない」
舞はそう言うと義貴をリビングに案内した。そして机の上には厚手のノートがあった。
「読んで、いいか?」
舞は頷いた。義貴は手紙から開いた。
***
舞
あなたがこの手紙を開くときは、恐らく私はこの世にいないでしょう。
そうならないことを願って、荷物の受取人を私にしています。
私は舞に幸せになってほしい。
下宮のしがらみが、能力があなたに苦難をもたらすかもしれない。
私がいれば、できる限りのチカラで守ってみせる。
でももし私がいなければ。
あなたが自分のチカラで幸せになれるように、この手紙を書きます。
私には美子おばさんの他にもう一人、麻子という上姉がいたの。
どちらも優秀なお医者さんだった。
麻子姉さんは自殺したと聞かされていたわ。
でもことはそう単純ではなかった。
舞、美子おばさんに気をつけなさい。
この手紙と日記を読んだらすぐに燃やすこと。
あなたがこの事を知ったことが美子おばさんに知られたら、何をされるかわからない。
あなたは今や下宮のチカラを持つ唯一の継承者だから殺すことはしないでしょう。
でも、あなたを薬漬けにして、義貴くんと結婚させるくらいのことはするかもしれません。
これは警鐘を鳴らすための記録だと思って、日記を読んでください。
舞、未来はあなたの近くにあります。
夏日侑子
***
麻子とは、義貴を誘拐した坂倉夕が母親と言っていた人物だった。
義貴は続けて日記を開いた。
「前半は普通の日記なの。美子おばさんと麻子おばさんの話が出てくるのは、母が病院の附属研究所に出入りする頃からよ」
義貴は付箋のついているページをめくった。
***
(日記の内容は割愛します)
***
義貴は叔母の日記を読んで少し驚いていた。
——侑子さんは「式神」が使えたのか。
「式神」とは下宮の能力者が情報を仕入れるために使う技だった。
陰陽師などが使う式札が名前の由来だが、気の一部を相手に送り、状況を監視できるチカラのことをこう呼んでいるに過ぎない。
美子はかつて夫の監視に使っていて、愛人の存在に気がついたと言っていた。
義貴は思った。
——侑子さんは「みらい」を隠していたから殺された?
日記はここでとぎれていた。
夏日侑子が事故死するのは、この一週間後だった。
***
義貴は叔母の日記を閉じると、舞に尋ねた。
「侑子おばさんが亡くなった経緯を聞いて良いかな」
舞は義貴が冷静に分析しようとする姿勢を頼もしくも、少し怖くも思った。
「私が体育の授業中に怪我をしたの。
ちょうど母は千紗都さんと秀一郎さんと食事をしていたらしくて、車で来ていた秀一郎さんが学校まで送ってくれることになったの。
その途中でトラックが二人の乗った車に突っこんできて・・・」
「そのトラックの運転手は?」
「わからない。私は母親が死んだ前後の記憶が曖昧で、事件の事を調べることもしていなかった」
「そうか」
「でも・・千紗都さんが・・・」
舞はおぼろげな記憶の中で、千紗都が自分と父親に土下座している姿を思い出した。
千紗都は、自分の夫が運転していた車に侑子を乗せて事故に遭ったこと泣いて詫びた。
事故はトラックが秀一郎の車に背後から突っこんで起きたもので、秀一郎には過失がなかった。
しかし、千紗都は夏日家の妻と母親を奪ってしまったことが辛かったのだ。
充が泣きながら千紗都を起き上がらせていたのを、舞は呆然と見ていた。
しかし、たとえ秀一郎に過失があったとしても、舞は千紗都を責める気持ちにはならなかった。
千紗都が夫も、友人のことも大事に思っていたことを、充と舞は知っていたからだ。
舞は千紗都にすがって一緒に泣いた。
千紗都は舞を、自分の子供のように抱きしめていた。
舞は、母親の代わりに自分を抱いてくれた、そして実の子供を置いても自分の気遣いをしてくれた千紗都を誰よりも信頼した。
そして千紗都の子供達の事も。
双子の父親が死んだのは、自分の母親のせいかもしれなかった。
それを思うと、舞は落ち着いていられなかった。
舞は珍しく我を忘れて叫んだ。
「母さんが麻子おばさんの研究を知って、黙っていたから殺されたの?
秀一郎さんが死んだのは母さんと一緒にいたせい?
母さんがひーこちゃんと大和くんのお父さんを巻き込んだの?」
「舞」
義貴は舞の肩に手を置いた。
そして舞の瞳を覗きこみながら言った。
「侑子さんがひーこのお父さんを殺したわけじゃない。
舞がひーこ達にすまなく思う必要はないよ。
それより、侑子さんや麻子さんが亡くなった理由を詳しく調べてみよう」
義貴の力強い言葉に、舞は涙声で言った。
「義貴くん・・・」
「母親が何をしてきたか。これから何をしようとしているのか。俺は知っておく必要がある」
舞は義貴にとって、残酷な告白をしたと思った。
日記から察するに、侑子の死は義貴の母親・美子が関係していると思われたからだ。
しかし、舞がひとりで抱えているには事が大きすぎた。
父親は妻や子供に伝わる能力の事は知っているが、美子の性格を把握しているわけではない。
もし妻の死に美子が関係すると知ったら父親がどう出るか、舞には予想ができなかった。
舞は、今でも父親が母親を愛していることを知っていた。
リビングには今でも母親を含めた家族の写真を飾り、命日の墓参りを欠かさない。
父親が、母親が亡くなってすぐに家政婦を頼んだのは、再婚するつもりがないからだと聞かされた時、舞は拒絶していた家政婦を受け入れる決心をした。
「ありがとう、義貴くん。私もできることはするわ。母さんの気持ちがわかるかもしれないし」
この日に舞は決心した。
——もし義貴に何かあったら、絶対に私が助ける。
***
義貴は侑子と麻子の死んだ経緯を調べた。
侑子と橋本姉弟の父親の死亡記事は、すぐに見つかった。
***
トラックが乗用車に衝突 二人死亡
国道×号線で建築会社職員の運転するトラックが、会社員の橋本秀一郎さんの運転する乗用車に追突した。
乗用車ははずみで電柱に激突し、橋本さんは出血多量で死亡、助手席に乗っていた無職の夏日侑子さんは頭を強く打って死亡した。
現場は右カーブの手前であることから、県警はトラックの運転手がアクセルとブレーキを誤ったものと見て、業務上過失致死容疑で取り調べている。
橋本さんはアナウンサーの橋本千紗都さんの夫で、事故当日は三人で昼食をとった後、橋本さんが夏日さんを自宅に送る途中で事故に遭ったとみられる。
***
義貴は事故を起こした人物の会社名を調べた。
もしこの事故に美子が関係するのならば、運転手とどこかで接点があるはずだった。
すると、あっさり見つかった。
当時、坂倉病院の改築工事を請け負っていた会社だったのだ。
しかも事故の状況は、トラックがわざと車をカーブにある電柱に押し出しているように見えた。
美子がチカラで運転手に暗示をかけ、事故に見せかけて追突させることは可能だった。
そして事故を起こした本人は事故直後に退社し、ほどなくして自殺していた。
侑子と双子の父親の事故の状況は、これ以上何も出ないと思われた。
麻子の事件は、怪事件としてメディアに取り上げられていた。
美人女医・娘を道連れに自殺か?
×日午後、×橋から女性と幼児が川に飛び込むのを近所の住民が目撃して110番通報した。
×川の近くにある坂倉病院に勤務する医師の若林麻子さんと娘の夕さんの行方が分からなくなっており、警察では事件に何らかの関係があるとみて行方を捜索している。
麻子さんは不妊治療で有名な医師として知られている。
***
結局、麻子と夕は発見されず、事件は迷宮入りしていた。
麻子が夕を川突き落とし、自らも飛び込んだことは複数の目撃証言があった。
また、麻子が乳児らしいものを抱いていたという証言もあったが、坂倉病院やその周囲でいなくなった乳児はいないという。
麻子が双子を妊娠・出産したという話は見つからなかったが、この事件より一年ほど前から、病院勤務はしていないようだった。
実際に夕が生きていたわけだが、どういう経緯で現在に至ったか、調べる必要はあった。麻子の生死は分からないが、もし麻子が夕と一緒にいないのならば、夕に一族のことを教えた大人が背後にいたはずだった。
美子に気づかれず、夕をかくまえる人間は限られていた。
***
義貴が調べた範囲で出した結論は、侑子と双子の父親の事故死は母親が企てた可能性が高いということだった。
美子は最初は、千紗都か充に危害を加えて侑子に口止めをしようとしたのだろう。
しかし侑子がいよいよ邪魔だとなって、本当に「口止め」をしたのだ。
美子には侑子と千紗都と事故死させることはできたが、千紗都は当時人気のある局アナウンサーだったので、事故に不自然な点があればマスコミに詮索される可能性があった。
この事故でさえ、ゴシップ記事の最初の見出しは「人気アナウンサーの夫、一般女性と事故死」だったのだ。
侑子と千紗都の夫の組み合わせは、千紗都への警告も含めて有効な手段だったに違いない。
義貴は思った。
——もしひーこが俺たちの家に関わりを持つようになって、父親の事故を疑問に思ったら。
ひーこの父親を殺した相手の息子かもしれない自分の立場に、義貴は目の前が暗くなった。
***
「間宮くん?」
義貴は我に返った。
ひーこを抱きしめたまま、侑子の日記のことを思い出していたのだ。
ひーこは身体を起こして義貴の顔を見て言った。
「寝ているかと思った」
義貴はひーこの頭に優しく触れながら言った。
「ずっとこうしていたい」
「・・うん」
義貴の言葉に、ひーこはこのところ感じていた不安が飛んでいくような気がした。
義貴がひーこにゆっくりと唇を近づけた時、ひーこの携帯が鳴った。
「・・・ごめん。母さんだわ」
着信音から母親と推察したひーこは、諦めた様子で電話に出た。
「もしもし、母さん、何?」
「ケーキ買ってきたの。間宮くんも一緒でしょ?彼を連れて家に戻ってきなさい」
母親は一方的に言うと電話を切った。ひーこはため息をついた。
「もう、強引だから」
ひーこの様子を見て義貴は少し笑った。
「ひーこの母さんの声は通るな。しっかり聞こえた。さすがアナウンサーだ」
少し暗い声でひーこは返した。
「家に戻らないといけない」
「送るよ」
義貴がいつものように言うと、ひーこは義貴を見て言った。
「家でケーキを食べていって」
ひーこ誘ったが、義貴は家には入らないと思っていた。
ところが義貴はひーこの予想に反して承諾した。
***
義貴はひーこの家まではほぼ毎日来ているが、家に入ったのは、ひーこが退院して以来のことだった。
「ただいま」
ひーこがドアを開けて家に入ると、大和が出迎えた。
「おかえり。義貴も、ごめんな。デートを邪魔するなって母さんには言ったんだけど」
大和がすまなそうな顔をした。
ひーこはこの時はじめて弟が自分の恋人を名前で呼んでいることに気がついた。
義貴は少し笑って言った。
「おじゃまします」
ひーこは義貴の声を聞いたとき、今までにない大人びた雰囲気に、少しだけどきっとした。
三人がリビングに入ると、千紗都はコーヒーと紅茶を用意していた。
「間宮くん、いらっしゃい」
千紗都は笑顔で義貴を迎えた。
「お久しぶりです」
「もう、母さん、強引だから」
ひーこは少しふくれた顔をしたが、千紗都は笑顔のままだった。
千紗都はケーキを取り分けながら言った。
「おいしくて有名なケーキ屋で買ったから、間宮くんにも食べて欲しくて。
四人いれば四つ切りで済むじゃない?三等分は難しいのよ」
「ありがとうございます」
義貴はそう言いながら、千紗都の様子を窺っていた。
麻子と侑子が死んだときの話を一番知っているのは千紗都だ。
重要な情報を知っている可能性がある。
しかし義貴は、どう切り出したら良いものかと思案していた。
義貴はふと、リビングに飾ってあった写真に目を向けた。
それは家族写真と、夏日家と一緒に撮ったキャンプでの写真だった。
ひーこと大和はテレビを見ていたので、義貴はさりげなく写真を手にした。
すると千紗都の方から話しかけてきた。
「昔は舞ちゃんの家と一緒によく出かけていたの」
「そうですか。俺は侑子おばさんと話した記憶があまりなくて・・・侑子さんはどんな人でしたか?」
義貴はさりげなく尋ねた。
「そうね。とても頭が良くて。もの静かだったけど、美人だったからとてももてたわ。
じゃじゃ馬だった私とは性格が正反対だったのに、どうしてかウマが合ってね。」
千紗都は懐かしむように言った。
「そうですか。麻子おばさんのことはご存じですか?」
義貴が尋ねると、千紗都は少し暗い顔をした。
「少しだけね。麻子さんは年が離れていたから、侑子は可愛がられていたみたいで仲が良かった。
麻子さんは優秀な産科医だったから、私も診てもらうつもりで坂倉病院に行ったけれど、ちょうど麻子さんが博士号をとるために国内留学をしていたから診てもらえなかった。
それでも坂倉病院でこの子達を産んけれどね」
「麻子さんはどんな人でした?」
「坂倉姉妹はみんな頭がいいと思う。
けど麻子さんは少し話をしただけでいろいろなことが理解できていたみたい。
頭の回転の良い人だったわ」
義貴は、姉妹の中で麻子が最もチカラがあると聞いていた。
チカラと頭脳には直接関係ないとは思うが、勝ち気な美子には不愉快な存在だろう。
「麻子さんは事故で亡くなったときいています。会ってみたかったな」
義貴は母親から麻子の死んだ理由をこう聞かされていた。
すると千紗都は不思議そうな顔をした。
「・・美子さんがそう言ったの?」
「違うのですか?」
千紗都の表情から、麻子の死について何か知っているのだと義貴は思った。
「事故というより事件かしら」
千紗都はそう言うと黙ってしまった。
この時、ひーこはテレビを見ているふりをして千紗都と義貴のやりとりを聞いていた。
義貴の伯母である麻子とは、夕の母親ではないかとひーこは思っていた。
ひーこは義貴が千紗都と話をしたがった理由はなんとなく判った気がしていた。
義貴はそれ以上千紗都に聞くこともなく、ケーキを食べて一段落してから帰った。
帰り際に、玄関まで送ったひーこに義貴は言った。
「今日はごちそうさま」
「うん」
「・・メリークリスマス」
突然の義貴の言葉に、ひーこは驚いた。
「なにそれ?」
「俺、初めて人に言った気がする。クリスマスに人と食事をしたのはいつの頃か覚えていない」
「え。間宮くんの家は仏教とかなの?」
義貴は首を横に振った。
「違う。楽しかったよ」
義貴はひーこの頭に手を乗せてそう言うと、手を挙げて義貴は帰って行った。
侑子の日記の内容は長くなるので割愛しました。
披露できる機会と要望があれば掲載します。
ぜひ感想等をお聞かせ下さい。




