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チカラ  作者: 長月ニーナ
11/32

十一 解放

義貴は夢を見ていた。

ひーこの身体についた傷から流れる血をチカラで止めようとするのだが、止血した側から傷ができ、ひーこの身体から血がどんどん流れていく。

義貴は為す術もなく、ただひーこを抱きしめていた・・・。

ふっ、と義貴は目を開けた。

一瞬、夢であったことに安堵した。

しかし、そこに見える天井は、病院ではないことにすぐに気がつき、辺りを警戒した。


——寝ている間に、どこかへ連れてこられたのか。


このような形で連れてこられたのは初めてだったが、義貴は動揺しなかった。

義貴は今までこれだけの能力を使ったことがなく、そしてかなり能力を消費した今なら拉致される可能性はあり得たからだ。

普段の義貴を誘拐できる人間は、なかなかいない。

義貴が最も弱る発作の時でも、近づけばチカラで飛ばされるのが関の山だ。

ひーこが発作で飛ばされなかったのは、極めて例外だった。

研究所で亮と戦った時も、義貴はチカラをセーブしながら使っていた、つもりだった。

大きな誤算は、ひーこが怪我をしたことだった。

義貴は、ひーこの怪我の治癒にかなりの能力を費やしてしまった。

でも夏日の病院なら大丈夫だと過信していたのだ。

義貴は視線を動かすと、左側に女性が座っていた。

髪が長く、顔つきは舞によく似ていた。

上は白いブラウスだったが、下のスカートは鮮やかな赤で丈が短く、おおよそ舞が着る服のタイプではなかった。

女は淡々と言った。

「起きたわね、義貴」

義貴は冷ややかに言った。

「誰だ、あんた」

義貴は自分を誘拐した人間が、舞に良く似た人物であることに警戒心を高めた。

舞と血縁関係にあれば、舞と同じ能力者である可能性が高いからだ。

「坂倉夕。あなたの従姉弟よ」

「知らないな」

「そう、知らないはずよ。私は死んでいるの。あなたの母親に殺されてね」

坂倉姓は母方の名字であることを義貴は知っていた。

「あんたの母親は誰だ」

義貴はわざと質問をした。

夕は応えた。

坂倉麻子さかくらあさこ

義貴の母親の姉である麻子は、義貴が生まれた年に亡くなっていた。

義貴は布団に入ったままで言った。

「俺に何の用だ?」

義相手の出方を待っていることもあったが、自分が裸であることも気になっていた。

しかも両手には金属の輪がはめられていた。

義貴は布団の中でブレスレットに触れながら考えた。


——なんだ。これ。


義貴がブレスレットを気にしていると、夕はためらいもせずに言った。

「私と寝て」

義貴はさすがに驚いたが、表情には出さなかった。

夕は続けた。

「正確にはあなたの子供が欲しいの。間宮家の血を受け継ぐ子供が」

夕はそう言うと、義貴の顔の横に両手をついた。

夕が見つめると、義貴の身体は動かなくなった。

夕は義貴の髪が触れるほどに顔を近づけると、語りかけるように言った。

「今のあなたは『チカラ』が弱くなっている。

正確には『チカラ』が弱いのではなく、体力が戻らないから自身のチカラが扱いにくくなっている。

いつもは下宮の『チカラ』が効かなくても、今はどうかしらね」

夕が持つ下宮の『チカラ』を使えば、男を操るのは簡単だった。

下宮の女性は『チカラ』のせいもあるが、いずれも妖艶な雰囲気を持っていた。

夕は自分の顔を義貴に近づけると、自分の唇を義貴の唇に押し当てた。

義貴は避ける素振りをしなかったが、目は開けたままで、夕が舌を口の中に入れようとすることは拒絶した。

夕は唇を離すと、顔をつきあわせたまま義貴に言った。

「キスの時は目を閉じて欲しいわね」

義貴は言い返した。

「これをキスというのか」

夕は義貴の言葉を無視して義貴の布団をめくり、義貴の肌に自分の舌をゆっくりと這わせた。

「女を知らないの?教えてあげるわ」

「いらない」

義貴は下宮の『チカラ』をまともに受けたことがなかった。

間宮の人間は下宮の『チカラ』を受けても意識を操られることはなかったが、体力も『チカラ』も回復していない義貴には、夕を拒絶することはできなかった。

せめて自身の力で夕を引き離そうと、目を閉じて意識を集中させ、両手を夕の肩に向けてゆっくりと動かし始めた。

夕はしばらくそうしていたが、義貴の様子を見ておもむろに身体を離した。

「今はこのくらいにしておくわ。でも、いずれあなたは私を抱くことになる」

夕はそう言うと、部屋の扉を開けて出ていった。

扉の閉まる音と同時に義貴は身体を動かすことができるようになった。

義貴は起きあがり、ベッドの上から部屋を見回した。

義貴のいる部屋には窓がなかった。

この家がどこにあるのか判らないが、義貴は外を感知することができなかった。

それでこの部屋が、義貴を確保しておくために用意されていることが判った。

自分が裸なのも、夕の目的とは別に、逃げ出さないようにするためもあった。

義貴は思った。


——間宮のチカラをよく知っている。あの女が自分の従姉弟であることが事実だとしても、誰か手助けしている人間がいるはずだ。


義貴は夕の言葉の意味を計りかねていた。


——いずれあなたは私を抱くことになる。


何かの理由で夕の言うことを承諾することになるというのか、と義貴は考えてある結論に達した。


——ひーこも連れてこられたのか。あり得ることだ。同じ病室にいたのだから、人質として連れて来るのは容易だろう。


義貴が考え込んでいると、唐突に扉を叩く音がしてドアが開き、慶彦が現れた。


***


慶彦は手には食事を持ち、にこやかな表情で言った。

「はじめまして。義貴くん」

物腰の柔らかい慶彦に、義貴は違和感を覚えた。

彼の持つ独特の雰囲気、義貴は彼に能力者の雰囲気を感じ取っていた。

「あんたは能力者か」

義貴の問いに慶彦は頷くと、ベッドの横のテーブルに食事を置いた。

「間宮ではないけどね。俺の名前は穂高慶彦。聞いたことはないはずだ」

「橋本姫呼はここにいるだろう?」

義貴が尋ねると、慶彦は少し不思議な顔をした。

「夕がそう言ったかい?」

「いるんだな?」

慶彦は義貴を見て少し笑った。

「二人とも、よほど研究所でいじめられたな。人に対する警戒心がすごい。

まぁ、君はもともとだろうけど、姫呼さんはかわいそうなくらい怯えていた」

慶彦は一区切りつけてから、続けた。

「姫呼さんはいるよ。ただし俺たちが拉致したわけじゃない。

もともと夕の狙いは君だけだった。

夕が看護師の一人をチカラで操り、君の点滴に睡眠薬を加えた。

その間に夕が看護師と二人で寝ている君を車椅子に乗せた。

そして検査に行くふりをして君を病室から連れ出し、俺が非常口に用意していた車に君を乗り込ませる——はずだった」

慶彦は義貴に食事の置かれた盆を義貴に渡しながら言った。

「毒も薬も入っていないから、食べなさい。

で、姫呼さんは恐らく、病室を出るときに異変に気づいたのだろう。

タクシーで後をつけられたよ。

家の表にいられても困るから上がってもらっている。

大丈夫、姫呼さんには危害を加えるつもりはない」

義貴は食事に手を付けないまま、慶彦に尋ねた。

「彼女の具合は?」

「熱が高い。できれば病院に帰してあげたいけど、彼女はここの場所を知っているからね」

慶彦の言葉に義貴は黙った。

慶彦は続けて言った。

「夕は姫呼さんの記憶を消して放り出せと言いかねない。

彼女の存在は邪魔だからね。

俺は彼女を人質にする気はないけれど、それもアリだし、道ばたに放ってはおけないから。

あいつはずっと君を監視していた。

自分の願望のためではあるけれど、彼女にはそれなりの理由があるんだ」

「あんたは俺に用事はあるのか?」

「いいや」

慶彦はポットからカップにコーヒー注ぎ、一つを義貴の盆に置いてもう一つを自分で飲んだ。

「君とは会ってみたいとは思っていた——俺は「上宮」の生き残りだ。

だが戸籍上は、上宮とは縁がない。

せっかく家督争いに巻き込まれずにすむのだから、このまま間宮家に関わらず、自分の人生が平穏に過ぎればいいと思っている。

間宮に多少なりとも恨みはあっても、ね」

義貴は少し驚いていた。


ーー「上宮」家の人間がいたとは。


慶彦は淡々と続けて言った。

「『チカラ』も持っているよ。だから君を隔離できる部屋を作れたわけだし。

でも上宮の『チカラ』は、現代の日常生活では役に立たないな。

今更スプーン曲げをして見せても話題にならないしね」

「あんたはあの女とどういう関係だ」

「同士、かな」

「あの女の用件を、あんたは知っているんだな?」

「ああ」

慶彦はコーヒーカップを見ながら言った。

「あいつの本当の願いはおまえの母親への復讐だ。夕の母親は美子に殺されたと思っている。

実際は自殺したから間接的に、だがな」

「仮に、あの女が俺の子供を産んで、どうするんだ?男とは限らない」

間宮の能力は男系にしか受け継がない。

間宮の人間との間に子供ができても、女性が生まれれば間宮の能力は発現しなかった。

「さぁね。女の考えていることは判らない。でも彼女はずっとそうしたがっていた。

だから俺は手を貸した」

慶彦はそう言って、思いだしたように軽く笑うと、続けて言った。

「姫呼さんは良い子だな。すごく真っ直ぐで。とてもわかりやすい。

スリッパを履いたままタクシーに乗って追いかけてきてね。おまえを返せと言っていたよ」

義貴は慶彦を見すえて言った。

「俺たちを放っておいてくれないか?」

慶彦はしばらく義貴を見ていたが、ゆっくりと言い返した。

「君が誰にも手出しされないくらいの地位につかないと、似たようなことは続くだろう」

慶彦は立ち上がって言った。

「姫呼さんには何もしない。

ただ君が決めないと、二人とも家に帰すことはできない。

今の君は簡単にここからは出られないよ。

そのブレスレットは、君の居場所と能力を抑制できる。

今の君の『チカラ』では、ブレスレットを外せない。

君が決断を長引かせれば、姫呼さんが苦しむことになる」

そう言うと慶彦は部屋を出て行こうとした。

その時、義貴は顔を上げて彼に声をかけた。

「彼女に会わせてくれないか。絶対に逃げない、約束する」

慶彦の動きが止まった。

義貴は続けた。

「夕の願いを聞くのなら、彼女を傷つけることになる。

その前に、彼女と話がしたい」

慶彦は険しい表情で義貴を見た。

「今の姫呼さんを見ない方がいいかもしれないぞ」

「なぜ」

「姫呼さんが会うと言ったら会わせてもいい。

そのかわり、約束は守ってもらう。

・・・とはいえ、そのままで会わせるわけにはいかないよな。

ガウンを貸そう」

慶彦はそう言うと、部屋を後にした。


***


慶彦の言葉に夕は激怒した。

慶彦は義貴とひーこを監視している部屋で、夕に問い詰められていた。

「なんでそんな約束をするの?ガウンまで渡して。

裸にすれば逃げられないって脱がせたのは慶彦じゃない」

慶彦は夕をなだめた。

「義貴の要望は聞くべきだろう?こっちは義貴にお願いしている身なわけだし」

「彼が彼女に会って、何になるの?」

「それは義貴が決めることだ。

二人にしたところで簡単に逃げ出せるほど、ひーこさんの体調は良くない」

「あの子は勝手に来たんじゃない。だから放り出せばいいでしょ」

夕は不機嫌そうに黙った。慶彦は夕の肩を叩いた。

「義貴は間宮の跡継ぎだが、夕の復讐には直接関係がない。

俺たちが彼らを無理矢理巻き込んでいるのだから、義貴の依頼は可能な限り聞くべきだろう?

義貴にはガウンを貸したけれど、あれで表に出たら目立つさ」

夕は黙って慶彦を睨んだ。

慶彦は穏やかに微笑みながら言った。

「ひーこさんは俺が預かる。夕は義貴との交渉だけ考えればいい」


***


慶彦はひーこがいる部屋の扉をノックすると、部屋に入った。

「姫呼さん」

ひーこに意識はあったが、返事をしなかった。

熱がすでに三十九度を超え、意識がもうろうとしていた。

さらに悪いことに、痛み止めの効果が切れて、傷が痛みだしていた。

「つらそうだね」

慶彦はそう言うと、スポーツドリンクの入ったグラスにストローを挿して、ひーこの口元に持ってきた。

「少しでも飲めないか?このままじゃ脱水症状を起こしてしまう」

ひーこは軽くうなずくと、スポーツドリンクを飲んだ。

ひーこが飲み終えると、慶彦は彼女の額の汗をぬぐいながら言った。

「義貴が君に会いたいと言っている。

悪いけど義貴をここに連れてくることができない。

君が義貴の部屋まで行ってもらわないといけないのだけど、会う気はあるかい?」

ひーこはためらわずに返事をした。

「会います」

慶彦は頷くと、車椅子をひーこのベッドの脇まで持ってきた。

ひーこは身体を起こそうとしたが、傷が痛んで一瞬怯んだ。

そこに慶彦が両手を差し出した。

「車椅子に乗せる手助けをするだけだ。君が不快に思うことはしない。

だから、触れていいかい?」

慶彦の言葉にひーこはうなずくと、素直に慶彦に抱えられて車椅子に移った。

ひーこは礼を言った。

「ありがとう、ございます」

ひーこは慶彦が本当に自分の身体を心配しているのがわかり、少し安心していた。

慶彦は頷いてひーこに毛布を掛けると、車椅子を押した。

義貴の部屋は廊下の一番奥にあった。

扉を開ける直前、慶彦は言った。

「義貴も、君も、巻き込んですまないと思っている。

でも夕も必死なんだ。

理由も判らずお願いするのも気の毒だけど、彼女の気持ちもわかってくれると嬉しい」

そう言うと、慶彦は義貴の部屋の扉を開けた。


***


——今のひーこさんを見ない方がいいかもしれないぞ。


慶彦が言った言葉の理由は、ひーこを見た瞬間に義貴にも理解できた。

車椅子に座っていたひーこの具合は、今朝よりも明らかに悪くなっていた。

ひーこは身体を起こすこともできず、自身を抱くように踞っていた。

「ひーこ」

義貴が声をかけると、ひーこは紅い顔をあげて、かすかに笑った。

最初に尋ねたのはひーこの方だった。

「身体、もう大丈夫?」

義貴はひーこの熱い頬に触れて言った。

「それは俺が言うことだ」

ひーこの頬は驚くほど熱く、義貴は怯んだ。

ひーこの額には、汗で濡れた髪が貼りついていた。

ひーこは義貴の手に触れて、目を閉じると呟くように言った。

「冷たい」

「ひーこが熱いんだよ」

義貴はそう言ってひーこを抱き上げると、自分が寝ていたベッドに横たえて布団を掛けた。

慶彦は新しい氷嚢とタオルを義貴に渡した。

ひーこが慶彦を見ながら言った。

「ずっと、面倒みてくれたの」

義貴は慶彦に礼を言った。

「ありがとう」

義貴は氷嚢とタオルを受け取ると、ひーこの額に乗せた。

「何かあれば、そこの電話で連絡して」

慶彦はそう言うと、部屋を出て行った。

二人きりになると、ひーこは振り絞るように言った。

「まみやくん・・・病院に戻ろう」

義貴はひーこを抱きしめたい衝動に駆られたが、ひーこの体調がそれを許さなかった。

自分の感情を必死で抑えた義貴は、黙ったままでひーこの頬に貼ってある絆創膏に軽く触れた。

ひーこはこめかみにも傷があって病院では頭に包帯を巻いていたが、今は氷嚢を乗せるために包帯を外したようだった。

義貴は見える範囲の傷を確かめるように、ひとつひとつ指で触れた。

ひーこは目を閉じると、傷に貼ったガーゼに義貴が触れても反応しなかった。

義貴はひーこのガーゼのいくつかに血がにじんでいるのを見て、胸が苦しくなった。

自分にとって一番大事な人が、体中に傷を作り、今高熱で苦しんでいる。

しかも元凶が自分にあるのだ。

義貴は呟いた。

「・・・俺が代わってやりたい」

義貴はほぼ半日寝ていたこともあり、身体はだいぶ楽になった。

もし『チカラ』が使えれば、ひーこの傷を少しは癒せたかもしれない。

しかし義貴は『チカラ』をほとんど発揮できなかった。

食事の乗った盆を触れずに動かすことはできたが、持ち上げるほどの『チカラ』は出なかった。

今の義貴には、ひーこを連れて力ずくでここを出ることは難しかった。

しかし夕の要求に応えることは、したくなかった。

もしひーこと出会わなければ、あるいは夕の要求には簡単に応じていたかもしれない。

義貴は以前、自分の母親がある男とベッドにいる姿を視てしまった。

その時、義貴は密かに家から出る決心をしたのだった。

母親に複数の愛人がいることは知っていた。

だから行為自体に嫌悪するほど子供ではなかった。

義彦はある出来事を思い出して、嫌な気持ちになった。


——あいつだけは、許さない。


義貴が思い出したくない記憶を巡らせて苦悩していると、身体を動かしたひーこの腕が義貴に当たった。

ひーこの苦痛の表情を見た義貴は、ひーこの傷の疼きがひどくなっていることに気が付いた。

義貴は声をかけた。

「ひーこ」

ひーこは眠っていたのではなく、自身の体に襲ってくる痛みに黙って耐えていた。

熱による体力の消耗も加えて、すでに義貴の言葉に反応できなくなっていた。

義貴はひーこを見ながら考え続けた。


——早くひーこを病院に戻さないと、いたずらに苦しめることになる。

しかし自分が夕を抱けば、ひーこはどう思うだろう。


そして、決めた。


***


夕と慶彦は、ひーこと義貴の様子を別室のモニターを通じて見ていた。

「あの子、具合が悪いのは本当なのね」

夕が慶彦にひーこの事を聞いたのは初めてだった。

「そう。でも安静にしているしかない。

怪我の治癒と体力の消耗が重なっているから、多少の発熱は仕方がない」

「痛み止めは?」

「注射はここにはない。

飲み薬はあるけど、彼女は食べ物を受け付けないから、胃がやられてしまう」

その言葉に反応したかのように、部屋の電話が鳴った。

電話の相手は義貴だった。

「俺の条件を受け入れるのならば、そちらの要求を聞こう。

まずはひーこをこの部屋から出してくれないか」


***


慶彦と夕が義貴の部屋に入ると、義貴は意識が混沌としているひーこを車椅子に乗せていた。

慶彦はひーこを連れて部屋から出て行こうとする。

扉を開ける瞬間、義貴が言った。

「彼女を休ませたらあんたもここに来てくれ。二人に話がある」

慶彦は黙って部屋を出て行った。

「条件、って何?」

夕が義貴に尋ねると、

「二人が揃ってからだ」

と言ったきり、慶彦が来るまで口を開かなかった。

しばらくして慶彦が部屋に戻ってきた。

「慶彦も来たわよ。早く条件を言いなさい」

夕がせかすと、義貴は夕を睨むように見ながら言った。

「あんたを抱くのは一回きりだ。それで子供ができようができまいが俺には関係ない。

もし子供ができても戸籍上の認知はしない。

能力が欲しいのなら認知は必要ないはずだ。

そして、このことはひーこに絶対に口外するな。

俺はひーこを裏切ってあんたを抱くわけじゃない」

するとすかさず夕が返した。

「構わないわ」

夕には、一度でも自分を抱いたらその後も抱かせられる自信があった。

下宮の女性には房中術の能力がある。

セックスをすることで相手を操ることも、または相手のチカラを高めることも可能だった。

義貴は最後に慶彦を見て言った。

「最後の条件だ。俺があの女を抱くところを、あんたは見ていること」


慶彦が息をのんだ。

先程までと明らかに表情が異なっていた。

「検討する」

慶彦はそう言うと、夕の手を掴んで部屋を出て行った。

「ちょっと、慶彦。はなして」

慶彦は夕の手を掴んだまま別室に連れて行った。

「協力してくれるでしょ?慶彦。こんな機会、二度とないわ。ようやく私の願いが叶うの!」

夕は慶彦の手を振り払った。

「絶対に妊娠してみせる。できる手は打ってあるわ。彼も抱くと言ったのよ」

「俺は絶対に同席しない。そういう趣味はない」

「どうして?私たちは恋人じゃないわ」

「あいつも人に見られて興奮する質でもなさそうだ。義貴は俺に賭けたんだ」

「何を?」

「おまえを止めることを」

慶彦は真剣な表情で夕を見た。

「なあ、夕。復讐は俺たちで終わらせないか?」

慶彦の言葉に夕は呆然と呟いた。

「・・・今更何を言っているの?」

「義貴には罪はないよ。これで夕が子供を産んだとして、間宮家や美子にばれてみろ。

おまえは幽閉か実験台か。子供はどうなると思う?」

夕は慶彦に詰め寄った。

「あなたはどうなの、慶彦!上宮の実親に捨てられて、子供の時にさんざん苦労して!くやしいと思わないの!」

慶彦は淡々と言った。

「親は俺の将来のために手放したんだ。

確かに子供の時はつらかったけど、でもその後の里親にはよくしてもらったよ。

義貴には両親がいて、生活には不自由はないだろう。でも幸せだったと思うのか?」

言葉を切って、続けた。

「義貴は単純な恋愛感情で、ひーこさんとつきあいだしたのではないと思う」

夕は慶彦をにらんだままでいた。

「さっき、ひーこさんを義貴の部屋へ連れて行ったときの義貴の表情を見てわかった。

どうして義貴がひーこさんとつきあったのか。

彼は愛情に飢えている。

彼を見る限り、俺たちが上宮や下宮にとどまっていたとしても、幸せだったとは俺には思えない」

夕はしばらく無言のままだったが、はき出すように言った。

「私は納得しない。

義貴自身には罪はなくても、間宮家の跡取りとしての責を負ってもらう。

もうすぐなのよ!ここまで来て」

興奮する夕に、慶彦は言った。

「おまえを愛している」

夕の動きは止まった。

「なに?」

慶彦は夕の手を取った。

「今の俺ならばおまえを幸せにできる。仕事もあるし、生活には困らせない。

なぁ、二人で普通の家庭を作らないか?」

夕は慶彦の言葉を飲み込めずにいた。

「何を言っているの?」

「義貴に会ってはっきりした。

おまえが間宮の子供を産んでも、幸せになれると俺には思えない」

「ずっと一緒にいたのに。何で今になって・・どうして」

「おまえが復讐に必死だったから、言えなかった。

でも今までのおまえの辛かった分を、俺が引き受けるから。

一緒に生きよう」

そう言うと慶彦は夕の前に立ち、夕を抱きしめた。

一瞬逃げようとした夕を、しかし慶彦は離さなかった。

部屋の隅にあったベッドに夕を押し倒すと、その存在を確かめるように夕の服を脱がし始めた。

夕が本気で下宮の『チカラ』を使えば慶彦を拒絶できた。

しかし夕は『チカラ』を使わなかった。

夕は頭の中で慶彦が言った言葉を反芻した。


——今までのおまえの辛かった分を、俺が引き受けるから。一緒に生きよう。


そう言ってくれた慶彦が愛おしかった。

夕は黙って慶彦の頭を抱いた。


***


義貴のいる部屋には時計がなかった。

ここに連れてこられてどれだけ経つのか、あの二人が部屋を出てどのくらいの時間が経ったのか、判らなくなっていた。

義貴にとってはかなりの賭をしていた。

間宮の『先読み』の『チカラ』では、人の気持ちは読めない。

自分の行動で夕がどう転ぶのか、義貴には判らなかった。

義貴は苛立つ気持ちを抑えるために、ひーこに気持ちを集中させた。


——今の俺にできることは早くひーこを楽にさせる事だ。

でもあの女を抱いた後で、俺はひーこの前に平然と出られるだろうか?


義貴がそう思っていると、部屋の扉が開いた。


***


部屋に入ってきたのは慶彦一人だった。

「君の勝ちだよ。二人を帰す」

慶彦は義貴にそう言って、着替えを渡した。

「急いで支度して。ひーこさんは先に車に乗せてある。

ブレスレットは君を解放するまで外さない」

義貴は急いで服を着た。

慶彦にいろいろ聞きたいことはあったが、黙っていた。

そして慶彦は義貴に目隠しをしながら言った。

「夕のこと、許してやってくれ。もう君を拉致することはないから」

義貴は黙って頷いた。

「上宮の血を引いているのなら、目隠しをしていても、足下の物を感じることはできるだろう。

視覚で家の詳細な構造を覚えられると困るから、目隠しはつけて。

車からの景色を覚えられても困るから、俺が指示するまでそれは外さないこと。

そして言葉を発しないで。

間宮から身を隠している俺たちにとって、間宮から監視されている君を捕まえることも、解放することも大変なんだ。判るね」

義貴がうなずくと、慶彦は義貴の手首を掴み部屋から出た。

そして慶彦は、義貴を車まで誘導すると、後部座席に座らせた。

義貴は傍らの席に暖かい気配を感じて軽く触れた。

熱い身体を確かめると、義貴はためらわずにそれを抱きしめた。

見えなくても、チカラを奪われていても、義貴がずっと感じていた意識・ひーこであることが分かった。

義貴はしばらくそうしてから無言でひーこの身体をゆっくりと倒し、その頭を自分の膝に乗せた。

慶彦は二人の様子を見てから車を発車させた。

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