十 拉致
大和は食事を終えると、ひーこの入院用品を入れたバックをロッカーに入れた。
「母さんが番組の打ち合わせを終えたら一緒に学校に行ってくる。その後で病院に来るから」
大和はそう言うと、病室を出て行った。
ひーこは義貴が眠っているのを確認すると、ベッドの側のカーテンを引いた。
そして、病院の服から部屋着に着替えた。
寝間着も入っていたが、義貴の前では少しでもかわいい格好をしていたかった。
着替えるときに傷が少し痛んだが、痛み止めが効いていたので我慢できた。
服を着替えて落ち着くと、ひーこは急に恥ずかしくなった。
「なんで泣いちゃったんだろ、私」
ひーこは怪我をした後の記憶がおぼろげながらあった。
義貴が自分を抱えてあの建物から出たこと。
そして電話で舞の父親と話をしていたこと。
救急車に乗せられたこと。
救急車の中で義貴が手を握っていてくれたこと。
そして恐らく、自分が病室に来てから、義貴はずっとそばにいてくれたであろうこと。
ひーこは思った。
——あれだけのチカラを使って、亮と戦った後だというのに。
ひーこは、ずっと眠っていただけの自分に腹が立った。
「でも泣いたらすっきりした」
ひーこはそう呟くと、カーテンを開けて義貴のベッドの側へ行った。
点滴を受けている義貴は、規則正しい寝息をたてていた。
眠っている義彦は、普通の高校生の男の子だった。
ひーこは義貴の手に触れた。
「ありがとう」
ひーこは眠っている義貴にそう言うと、ベッドに戻り、自分も横になった。
***
次にひーこの目が覚めたのは、午後二時だった。
ふと目を開けると、病室のドアの前に、車椅子と看護師らしい人物と舞の後ろ姿が見えた。
ひーこは舞に問いかけた。
「舞ちゃん?」
舞は振り返って言った。
「義貴を診察室に連れて行くわ」
ひーこはその時、違和感を覚えた。
顔は舞で、しかも学校の制服を着ているのだが、どこか印象が異なった。
いつもと何かが違うと思っても、とっさに何も言えなかった。
そして扉が閉まった。
その音で、ひーこは違和感の理由に気がついた。
——間宮くんを呼び捨てにしている。
舞は義貴よりも年上だったが、舞が義貴を呼び捨てにしているのをひーこは聞いたことがなかった。
ひーこがベッドから起きたのと同時に、扉のノックが聞こえてドアが開き、タイミング良く舞が現れた。
舞は私服だった。
ひーこは呟くように言った。
「舞ちゃん」
舞はいつもの穏やかな表情で言った。
「ひーこちゃん、どう?具合は」
ひーこは舞の問いには答えず、舞に言った。
「舞ちゃん、間宮くんは?」
「え?トイレかしら?」
舞の言葉にひーこは混乱した。
「今、舞ちゃんと看護師さんが間宮くんを連れて出ていったの」
ひーこが言うと、舞が返した。
「私は今来たところよ?」
部屋が一瞬、静かになった。
そして次の瞬間、ひーこはロッカーから鞄を取り出すと、病室を飛び出した。
「ひーこちゃん、走ったら傷が・・・」
舞があわてて追いかけた。
ひーこが病院の入り口から飛び出すと、義貴は帽子を被され車椅子に座り、病院の駐車場に停まっていたワンボックスカーに乗せられているところだった。
そして車のドアが閉まると同時に、ワンボックスカーは発進した。
ひーこは病院の入り口に待機しているタクシーに飛び乗ると、運転手に向かって叫んだ。
「あの車を追ってください」
舞も後を追うつもりだったが、ワンボックスカーが発車した後の駐車場に看護師が倒れているのを見つけて、あわてて駆け寄った。
「ひーこちゃん・・・」
舞は意識をひーこに集中させた。
舞は義貴の意識がなくても、位置を特定できるはずだったが、なぜか義貴の居場所を感知できなかった。
それは、他の能力者に舞の「チカラ」が干渉されていることを意味した。
舞は驚きつつ呟いた。
「何かに邪魔されている・・・どうして」
今はひーこを追跡できたが、距離があまりにも離れすぎると居場所の特定が難しくなる。
舞は看護師を病院の入り口まで運び警備員を呼ぶと、父親の元へ走った。
***
ひーこは訳がわからないなりにも、身体が動いた自分を誉めた。
そして思った。
ーー義貴が自分の意志で病院を出たのでないならば、誰かに拉致されたのだろう。
自分がそうされたように。
今度は自分が間宮くんを助ける番だ。
ひーこは運転手に見つからないように、密かに財布の中身を確認した。
普段の所持金は、家の食費も任されているので五千円程度だったが、入院のための当座の生活品を買うために大和が一万円ほど入れておいてくれた。
さらにひーこはポーチに一万円札を隠していたので、しばらくは車を追いかけられるとひーこは思った。
しかしひーこには舞のような感知能力を持っていないので、あとは運転手の腕に頼るだけだった。
タクシーの運転手は愉快そうに言った。
「お姉ちゃん、探偵かい?」
「恋人がさらわれたの」
ひーこの返事に運転手は驚いた表情をした。
「こんな若い子が、すごい話だねぇ」
しかも追いかけている女の子は包帯だらけ。
運転手は気がついていないが、ひーこの足下はスリッパだった。
寝間着でないだけましだとひーこは思っていた。
「そうなの。だからおじさん、見失わないでね」
ワンボックスカーは、市街を離れるように進んでいった。
***
ワンボックスカーが車庫に入った瞬間、その女が歓喜の声をあげた。
「慶彦、ついに間宮を手に入れたわ」
それは運転手に向けた声だった。
しかし男は無言だった。
女は男の反応を気にせずに、うっとりとした声で言った。
「こんなに簡単に間宮が手にはいるなんて」
女は、固定した車椅子の上で眠っている義貴の頬に触れた。
そんな女を諫めるように男は言った。
「簡単でもないぞ、夕」
男は車のドアを開けて車椅子のロックを解除すると、義貴の乗った車椅子を車から降ろした。
「どうして?この子は間違いなく義貴だし、間宮の監視は抜けてこられたわ」
「間宮家の監視はおまえが感知して干渉できるからいいけど、それに気をとられて認識していなかっただろう。見ろ」
車庫は家の中と繋がっており、すぐ横にドアフォンがあった。
夕はドアフォンに映る女の子の顔を見て呟いた。
「この子」
夕は義貴の病室にいた女の子だと気がついた。
「橋本姫呼さんだ。つけてきていたよ」
男の声に、夕はかっとなった。
「どうして振り切らなかったの?」
男は笑った。
「努力はしたよ。でもタクシーの運転手が予想以上に頑張っていた。
それよりすごくないか?能力者じゃないだろ?彼女は」
夕はとっさに思った。
——うそだ。
夕は慶彦に詰め寄った。
「何を言っているの?慶彦、彼女に来られたら困るじゃない」
しかし慶彦は愉快そうに言い返した。
「まぁいいじゃないか。彼女を人質にすれば、義貴は言うことを聞かざるを得ない。
それより、彼女にあまり表を歩かれても困るな。
夕は義貴を例の部屋へ移せ。俺は姫呼さんの相手をする」
夕はため息をつきながら言った。
「わかった。慶彦に任せる」
***
タクシーの運転手の腕は、完璧だった。
義貴の乗った車を途中で何度か見失いそうになったが、土地勘があるらしい運転手は、道をうまく探し出して目的地に到着した。
ひーこは、ある家の車庫にワンボックスカーが入るところを目撃して、車庫のシャッターが降りたのを見計らってタクシーを降りた。
タクシーの運転手はひーこにひどく感心していた。
おまけに、
「こんなに気合いの入った女を男は放っておかないよ。がんばりな」
と激励された挙げ句、タクシー代の端数をまけてもらった。
ひーこはタクシーを見送りながら思った。
——運が私に向かっているかも?
しかし次の瞬間に、ひーこはその家の前で悩むことになった。
二階建ての一軒家。
ちょっと大きいがごく普通と思われるその家に、なんと言って訪ねたらよいか思いつかずにいた。
服装だけ見たら間違いなくひーこのほうが怪しかった。
チェニックとレギンスとはいえ、部屋着のひーこは少し恥ずかしかった。
しかしひーこは思った。
——でも間宮くん誘拐したのはむこうだ。
ひーこは思い切って、家の門を開けて中に入った。
すると、ひーこが玄関に向かう途中で、玄関のドアが開いた。
思いがけない状況にひーこが驚くと、中から若い男性が出てきた。
二十歳後半に見える彼は、背が高い上に肩ががっちりしているので、大和よりも大きな印象を受けた。
軽い癖毛のある黒い髪に黒い瞳が印象的で、眼鏡をかけた彼はとても物腰の柔らかい大人の男性だった。
彼はひーこを見て言った。
「ようこそ、橋本姫呼さん」
その瞬間、ひーこは密かに気を張った。
自分の名前を知っているということは、義貴のことを調べている人間なのだとひーこは理解した。
ひーこは疑問を素直に口にした。
「どうして私の名前を知っているんですか?」
「いろいろ調べたからね。義貴を捜しに来たのでしょう?どうぞ」
中に勧められて一瞬ためらったが、中に入らなければ義貴を捜せないので、ひーこは素直に入った。
慶彦はひーこの足下を見て笑った。
「姫呼さんはシンデレラじゃなくて、スリッパ姫ですか」
ひーこは足下のスリッパを指摘されて恥ずかしくなった。
「だって病院から出てきたし」
慶彦は家用のスリッパをひーこに勧めると言った。
「よく追いかけてきたね。その根性は評価するよ」
ひーこは家に上がり、部屋の奥に進むにつれて自分の身体が熱くなるのを感じた。
正確にはタクシーを降りたときから身体は熱かったのだが、緊張で熱を感じていなかった。
ひーこは彼に聞きたいことはたくさんあった。
あなたは誰なのか、なぜ義貴をさらったのか、そして義貴を誘拐した女性が舞そっくりなのはなぜか。
しかし、体が火照って喉が渇き、うまく言葉が出なかった。
慶彦の言葉は、ひーこには遠くで唱えている呪文のように聞こえた。
「でも自分がなぜ入院していたか思い出さないと」
ひーこは彼の声を聞くうちに身体の力が抜けていくような感覚に陥って立っていられなくなり、廊下の壁に手をついた。
ひーこは彼も能力者で、自分に何かチカラを発していると思った。
ひーこは彼に問いかけた。
「あなたにも・・・なにか・・・チカラがあるの?」
しかし彼は別の事を言った。
「これだけの怪我をしているのに動き回ったら熱も出るよ。それとも貧血かな?」
ひーこがずるずると床に座り込んだのを見た男は、ひーこの身体を抱きかかえようとした。
しかし、ひーこはとっさに彼の腕から逃げた。
亮のように身体を触られるのは嫌だった。
ひーこは顔を上げて、慶彦を見ながら振り絞るように言った。
「間宮くんを返してください」
慶彦は軽く笑うと、ひーこの顔を覗きこみながら言った。
「姫呼さん、俺は穂高慶彦といいます。
間宮家の人間ではないです。
今は君を義貴に会わせることはできないけど、俺は君に危害を加えるつもりはない。
このまま君を廊下に放っておけないから、部屋まで運ぶよ?いいかい?」
そう言われたひーこは安堵したが、表面上はそれを見せずに言った。
「自分で歩けます。肩だけ貸してください」
慶彦はひーこに自分の腕に掴まらせると、部屋まで案内した。
家の二階にあるその部屋は、病院の個室のような空間で、ベッドとサイドテーブルだけある六畳程度の広さだった。
ひーこが以前、亮に監禁された部屋と造りは似ていたが、この部屋には窓があった。
慶彦はひーこに言った。
「部屋の入口の鍵はかけさせてもらうけど、この部屋の中は自由にしていいよ」
自由にと言われたが、ひーこは動けなくなってベッドの上に倒れ込んだ。
慶彦はそのままひーこをベッドに寝かせると、一度部屋を出た。
そして氷嚢と体温計を持って戻ってきた。
慶彦はひーこに体温計を渡すと言った。
「ひーこさん、熱を測って。頭は痛くないかい?」
まるで医師のような質問にひーこは無言でいると、慶彦は笑顔で返した。
「俺は医者だ。専門は精神科だけどね」
ひーこは慶彦の表情を見て、彼を信用した。
ひーこが体温計で熱を測ると三十八度を超えていた。
ひーこは慶彦に体温計を渡した。
慶彦はそれを受け取り、ひーこの額に濡れタオルを置き氷嚢を乗せた。
「熱は怪我のせいだな。他の症状もないみたいだし。ちょっと休んで様子を見ようか」
「ありがとう、ございます」
ひーこは思った。
——人の家に押しかけておいて、寝かせてもらうなんて。私は何をしに来たのかしら。
ひーこは恥ずかしくなったが、しかしこのまま寝ている訳にもいかなかった。
ひーこは慶彦に尋ねた。
「あなたは間宮家の人ではないと言いましたね?なら、どうして間宮くんを誘拐したの?」
慶彦は少し驚いた表情をしたが、すぐに笑顔になってベッドの横の椅子に座った。
「本来、間宮家の人ならば、義貴に用事があれば呼べば済むことだし、さらう必要はないと思うけどね」
ひーこは慶彦の言葉に一瞬、納得した気になったが、質問を変えた。
「あの、舞ちゃんにそっくりな人は誰?」
ひーこが病室で会った女の事を聞いた。
「舞ちゃんとは、夏日家のお嬢さんだね?彼女は舞と義貴の従姉にあたる人物だよ。
義貴に用事があるのは彼女だ」
「どうして?従姉なら、あなたの言うとおり、直接呼び出せば呼べばいいじゃない」
ひーこが問うと、慶彦は淡々と話した。
「義貴や舞は彼女の存在を知らない。
義貴と舞の母親は姉妹だということは知っているね?
舞の母親である侑子は末娘、義貴の母親である美子は次女、そしてもう一人、長女がいた。
義貴を拉致した女性は、長女の娘で夕という。
しかし戸籍上はすでに死んでいる。
義貴も舞も彼女を知らない」
「・・・その、夕さんが間宮くんを?」
ひーこの言葉に慶彦はうなずいた。
「そう。そして義貴にしか頼めない事がある」
「あなたは、夕さんの恋人?」
ひーこの質問に慶彦は少し微笑んだ。
「いや。同士みたいなものかな」
そう言うと慶彦は席を立った。
「今、姫呼さんに話ができるのはここまでだ。
義貴が夕の頼みをすぐに聞いてくれたら義貴も姫呼さんもすぐに解放する。
でも義貴が聞いてくれないと、君達はここに留まることになる。
姫呼さんは返してあげたいけど、義貴の居場所を知っている君をすぐに返すことはできない。
義貴も君も突然の事で驚くと思うけど、夕はずっと待っていた。
義貴のチカラが最も弱くなり、連れ出せる機会を、ね」
慶彦はそう言って部屋を出ていった。




