王子だけど、地雷を踏むヒロインより悪役令嬢の義姉の方が素敵。 2
続いてみました
さてこんにちは、グナエウス王国第二王子のシャングリア・グナエウスです。
先日学園の人気者、男爵令嬢ヘレン・アドリア嬢と階段でエンカウントし、爆弾と言っても過言ではない日記帳を拾った。その日記帳にはなんとこの世界の未来が!何ともあほらしく下手したら一人の傾国によって滅亡しかねない未来が書かれていた。この国重鎮の息子たちが悉く、ヒロイン、ヘレン・アドリア嬢に誑かされ、悪役令嬢のパトラ・ミオス嬢は国外追放されるそうな。
ふざけないでいただきたい。
彼女に凄まじい妄想癖があるのか否かは置いておいて、兎にも角にも、この日記帳にあるようなことになってたまるか。絶対に私が阻止してやる。
とか思ってたけど、思ったよりヒロインが脅威になりそうにない。手練手管などかけらも持たない夢見がち少女だった。
そんなヒロイン、アドリア嬢の攻略対象である私、第二王子シャングリア・グナエウス(女)は今どういう経緯を経てか、王立アクティウム学園の中庭のベンチに、アドリア嬢と共に座っていた。
ヘレン・アドリア嬢には姦計を弄すような頭も手練手管も持っていない。そのためお昼休みに私を誘い出すのも上手なわけがない。強いて言うなら押しが強い。ただ、なんというか、彼女が正直ほとんど無害だとわかってからは邪険にするのも少し申し訳なってくるのだ。彼女の行動を見る限り、彼女はあの日記帳に書いてあるままに動いているのだ。そのシナリオに沿おうと必死なのだが、如何せん相手は生きた人間。そう簡単に彼女の思い通りにはならない。しかし彼女は大真面目でものすごく必死。……逆にそれがかわいらしく見えるのだ。ああ、頑張ってるなあ、と。気分は妹を見守る姉である。
だがしかし、ほいほいその独特な可愛さにやられた私は彼女から見れば割とちょろい攻略キャラクターだろう。彼女の本懐である「恋愛感情」は全くの0だし、これから「恋愛感情」を抱くことは絶対にないだろう。
「あの、これほんのお礼何ですけど……、」
「これは、」
おずおずと恥ずかしそうに私に差し出されたのは女子力の塊である。
言い換えよう。手作りクッキーである。
ここでこの瞬間のわたしの気持ち。
「あ!これこの前日記で読んだところだ!」
です。
気分はさながら、試験問題に先日自分が勉強したところが出た生徒だ。
私、シャングリア・グナエウスの攻略方法は彼女の日記には書かれていなかった。どうやら彼女には攻略の方法がわからないようだ。ある意味当然と言えば当然だ。彼女は私が女ではなく男であると信じてかけらも疑わないのだから。アプローチの方法がずれるずれる。いや、どれだけアプローチされようと愛しの思い人がいる私が揺らぐことはないのだけれど。
閑話休題。
この状況は彼女の爆弾のような日記に書かれていた二つ目の「イベント」である。
一つ目は「階段から落ちそうになったヒロインをシャングリアが助け、知り合いになる」というイベントで。今回のイベントはそれと連動しており「階段で助けてもらったお礼を後日する。その時にヒロインは手作りクッキーをシャングリアに渡す。」とあったのだ。
ちなみに備考として、「手作りクッキーなど食べたことのなかったシャングリアは手作り特有の温かみにふれ、好感度アップ!」
アップ!じゃねえよ。
別に上がらねえよ。
好感度が上がったのがわかるのか否か知らないが、何なんだその設定は。手作りクッキーくらい食べたことあるわ。温かみってなんだ?焼きたてか?そもそも男爵令嬢の作った得体の知れない手作りクッキーを王族がホイホイ食べると思うのか?だとしたら随分とおめでたい頭だ。と、そこまで一瞬にして考えたが、改めて。アドリア嬢は頭がおめでたいのだ。その前提を危うく忘れるところであった。
「甘いものは、お嫌いですか……?」
少し不安げなアドリア嬢。演技はまあまあうまいのだ。ただ想定外なことに対応できないだけで。
「いえ、甘いものは私も大好きですよ。」
にこ、と王子様スマイルをかますと、顔を赤くしながら「よかった」と言ってヒロインスマイルを浮かべて。あーはいはい。可愛い可愛い。
「…………、」
「…………!?」
何やらじっと私を見てくるアドリア嬢。何なのか、と思っていたがハッとする。
日記には「手作りクッキーなど食べたことのなかったシャングリアは手作り特有の温かみにふれ、好感度アップ!」としか書いておらず、どこで食べる、とは書かれていなかったのだ。そして彼女のリアクションを見る限り、今、ここで、私は食べなくてはならないらしい。
いやいやいや、おかしいだろ。普通に考えて食べるわけないだろう。
「あら、アドリアさん!まさかシャングリア様に何が入っているかわからない異物を食べさせるおつもりですの!?」
救世主の義姉上が降臨なされた。
悪役令嬢、パトラ・ミオス嬢。私の兄であるシュトラウス・グナエウスの婚約者である。
彼女の耳は本当早耳以上だ。この学園、いや私たちの行動範囲すべての音を小さな耳で拾っているのかというほど、耳ざとい。わりと本当にどこから現れるのか、ヒロインことアドリア嬢が、失態・失言をされるとほぼ100%飛んできて「あら、アドリアさん!」と言いながらヒロインのお粗末な暴走を全力で潰しに掛かるのだ。とてもありがたい。
「い、異物なんて、いくらなんでも酷過ぎます!普通のクッキーですよ!」
「なあああにが酷過ぎるですって!?酷過ぎるのは貴女のおつむの出来ではございませんこと!?シャングリア様というこの国において他に代わりのいない尊いお方に、赤の他人が作った食べ物を食べさせようなど、言語道断でございますわ!!」
いつ見てもかっこいいです義姉上様!多少きつい言葉であるけれど全部正論。これでもかという正論。
手作りクッキー事変in学園の中庭。
当然、周りには一般の生徒たちもいる。
次期妃であるパトラ・ミオス嬢と、皆に優しい男爵令嬢ヘレン・アドリア嬢のキャットファイト。当然、360度から好奇の視線が向けられる。
……ということはなく、皆「またやってるよ、あの二人」位にしか思っていない。そして好奇の視線ではなくじゃれあう子猫たちを見る温かい視線である。
この「きつめの正論」VS「空回りした好意と無知」のバトルはもはやアクティウム学園の名物と化している。一般生徒曰く、このどちらも憎めない感じが可愛いらしい、とのことだった。
パトラ・ミオス嬢は何も意地悪をしたいわけではない。ただ困っている私や兄上を助けようとしているのだ。そしてアドリア嬢に大しても、貴族社会における適切な距離感や常識を教えてあげようとしているのだ。一方のアドリア嬢も私たちを困らせようとしているわけではない。いや、彼女の思惑通りに行けばものすごく困るのだけど。彼女の行動原理は好意からなのだ。悪意があるわけではない。ただやり方や彼女の持つ常識が非常にまずいだけで。
やいのやいのと言いあう二人を見ながらとりあえず収まるのを待つ。正直、止めても止めなくても最終的に私も巻き込まれるのだ。ならばギリギリまで傍観して平和に浸っていたい。
「嫉妬なんじゃないですか!?貴女のような生粋のお嬢さまはキッチンにすら入ったことがないのでしょう?」
「なぜそのような話になるのですか!?あなたが料理をしようがしまいそんなことはどうでも良いのです!わたくしが先ほどから申し上げているのはそれを『シャングリア様に渡した』ということが問題なのです!それを万が一、万が一シャングリア様が食べて体調をお崩しになられたらどう貴女は責任を取るおつもり!?」
私を含めて中庭にいる生徒たちがうっ、と呻く。ツンデレだ。ツンデレの本領発揮だ。
ぷりぷり怒っているようだけれど、私のことを心配しつつも、無謀なことをしたアドリア嬢のことも心配しているのだ。もし万が一のことが起こったら、平民上がりの成り上がり男爵家は簡単につぶされる。いや、下手したら暗殺か何かという嫌疑を掛けられ処刑されかねない。
何だかんだでパトラ・ミオス嬢はアドリア嬢のことも心配しているのだ。
どこからか「ツンデレ、ツンデレ……!」「ツンツンミオス様可愛い……!」という声が聞こえてくる。もしここに兄上がいたらそんな風に呟いた生徒たちは後ろから肩を叩かれるだろう。どうなるかは、まあ兄上のその時の心の余裕次第である。
「そんなことになりません!私はこれでも家事炊事は得意なんです!お腹を壊すようなもの作りませんっ!」
しかしパトラさんの優しさはアドリア嬢に伝わらない!!
また生徒たちはうめき声をあげる。ツン度合いが強すぎて、デレてもわかりにくい。だがしかしツン9割デレ1割、それこそがパトラ・ミオス嬢なのだ。
そもそも最初から論点がずれているのだ。
「王子に不用意に食べ物を渡すな」という論に対し「料理下手じゃないので食べても大丈夫」という論。意思の疎通ができていない。当然、この戦いに終着点が見つかるはずもない。
正しいのはパトラさん。だがきつい。
間違っているのはアドリア嬢。だが悪意ゼロで憎めない。
前回のキャットファイトは最終的に「どちらの方が可愛いのか」というそこまで至った経緯が一欠けらも想像できない勝負だった。さて今回はどのような話題で私の方へ回ってくるのか。
しかし暇である。以前は二人の喧嘩をびくびくしながら止めるタイミングを探していたがもはや諦めているため、喧嘩に巻き込まれるまで手持ち無沙汰なのだ。
渡されたかわいらしい包みのクッキーを眺める。女子力。溢れんばかりの女子力を感じる。かわいらしく愛嬌のあるアドリア嬢に笑顔でこれを渡されたら大抵の男たちは陥落するだろう。
しゅるり、とリボンをほどく。中からは星型やハート形の型抜きクッキーと白黒のアイスボックスクッキーが出てきた。かわいらしく女の子らしいラインナップ。
こっそりと、いろいろと衝撃を受けていた。
わたしとアドリア嬢の力の差。
もちろん、物理的な力で言えばアドリア嬢など足元にも及ばないのだが、女子力。女子力である。
自慢ではないが、私には女子力がない。いや、見ればわかるのだろうけれど。
剣を振り回すのは得意だ。だが包丁で飾り切りなどできない。矢を的の中央に突き通すのは得意だ。だが針と糸と布を渡され糸を針に通し布を貫くなどゴミを生産することにしかならない。暴れ馬を乗りこなすことはできるが、昨今の婦女子の流行りなどひとかけらも乗ることができず流行の波に沈んでいく。
恐らく火あぶりはできてもクッキーを程よく焼くなどとてもできないだろう。
これ、17歳の貴族の娘ではなく歴戦の武人の説明と言われた方が納得できる。唯一の救いは私に壊滅的な女子力であると言う自覚があることだろう。
女子力、女子力というものはやはり魅力的だ。
……やはりヒューイさんも女子力がある婦女子の方が良いだろう。
小さなころ、護衛部隊の訓練に参加したときヒューイさんに「ヒューイさんの好みってどんな人?」と先日のアドリア嬢と変わらぬ質問をしたところ、私の頭を撫でながら「そうですねぇ。やはり訓練に一生懸命で御強い方ですかね。」と答えたのだ。それゆえに私は一層熱心に訓練に打ち込み、今では護衛部隊の中でも正直10本の指に入れるほどの腕だ。すべてはヒューイさんに好かれたいがため。しかし今思えばわかるのだ。ヒューイさんは私に発破をかけただけだったのだと。ヒューイさんの言葉の通り頑張っていたが、結果的に一欠けらの女子力も持たぬ王子らしい王子になってしまった。
確かに主や部下としては強い方が良いだろうが、その、お、およ、お嫁さんとしては、アウトだろう、たぶん。そういうの求めてない。絶対に。
女子力はどうやったら得られるのだろうか?やはり女子力の高い人間の肉を食べればいいのだろうか?
なんとしてでもゼロどころか地面にめり込んでいるレベルの女子力を見れるようにせねば、そう決意した。
現実に帰ってきてみると、彼女たちはまだ口喧嘩をしていた。二人とも顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている。
そろそろ飽きてきたし、パトラさんには手伝ってもらいたいことがあるのだ。
手に持っていたアドリア嬢の手作りクッキーを一つ持ち、大きな口を開けて何かを言おうとしていたアドリア嬢の口に突っ込んだ。
「んぐッ!?」
「しゃ、シャングリア様!?」
目を白黒させながら私を見る二人に微笑む。はしたないが結局はこれでいいのだろう。
「アドリア嬢、おいしいですか?」
「んん……んく、お、おいしいです。」
「それは良かった。」
開けた袋をもう一度取り、持っていた鞄に突っ込む。
「そろそろお昼の時間も終わりますし、これくらいにしましょう。アドリア嬢。クッキーは後で美味しくいただきます。」
「は、はい!」
嬉しそうにするアドリア嬢と対照的にパトラさんは不機嫌だ。
要するに、クッキーに毒が入っていない、入れられていないことが分かればいいのだ。アドリア嬢は口にいれたクッキーを吐き出すことなく飲み込んだ。つまり彼女に毒を入れた、という認識が、悪意がなかったという証明になる。ひとまずパトラさんにはこれで溜飲を下げてもらいたい。
「……それからアドリア嬢。料理をする云々で人を軽んじるのはあまりいただけませんね。」
「す、すいません……、」
「謝るならパトラさんに、ですよ。」
「……申し訳ございませんでした。」
不服、と隠そうともしないアドリア嬢にパトラさんはフン、と鼻を鳴らす。それに対してアドリア嬢はギリィ、と歯を食いしばるからまた。見てる分にはやはり面白い。ひとまず喧嘩は終わったが、結局なぜこのような喧嘩になったのかという点が解決されていない。だが何が問題であったかを私自身が言うわけにはいかないし、パトラさんのツンツン具合ではやはりアドリア嬢には伝わらないだろう。要はアドリア嬢が自分で気づかなければならないのだ。
「それと、パトラさんは料理ができないと一度でも言いましたか?」
「え、」
「シャ、シャングリア様何をおっしゃっているのですか!そ、そんなの使用人がするに決まっているではありませんの!」
ああ、なんとわかりやすいパトラさん。広場の生徒たち全体に広がる「あ、料理とかなさるんだ」という察する空気感。女の子らしい云々の前に気位高い令嬢が台所に入るなど、というプライドが事実をいうのを拒んでいるのがありありとわかる。
「ほらやっぱりじゃないですか!」
そして察しないアドリア嬢。安定の平行線、対立戦線。
「できないとは言ってませんわ!」
売り言葉に買い言葉で結局ぽろっと言ってしまうパトラさんに悶絶する生徒数名。すでに次の授業が始まるのが近づいているが、広場の生徒たちは聞き耳を立てており皆こっそり事態の行方を見守っている。しかしこれでは集団遅刻が発生してしまうだろう。それは良くない。何より鎮火しかけたところに油を注いで申し訳なくなる。ツンツン悪役令嬢と敵対心を抱くヒロイン、「ごめんね」「いいよ」という仲直りが成立するわけもない。
「よ、余計なこと言ってすいません……、」
「シャングリア様が謝られることではありません!こちらこそ騒いでしまって申し訳ございませんでした!」
猫が脱げかけるのも早いけれど被りなおす早さにも定評のあるアドリア嬢。私からの評価だけれど。
なんのかんのと言いくるめ、アドリア嬢に広場からの退場を促すとあっさりと校舎へ戻って行った。それもそうだ。彼女はもうすでにイベントは終えたのだから広場に留まる必要はない。「手作りクッキーの温かみで好感度アップ!」のほどは知らないが、手作りクッキーを渡すと言う目的は果たされている。悪役令嬢ことパトラさんの乱入があったため長引いただけなのだろう。
「シャングリア様、わたくしもそろそろ、」
「すみません、パトラさん。今週末の予定は空いていますか?」
「特にございませんし、シャングリア様のためならばいつでも空けられますわ。」
不思議そうながらも嬉しいことを言ってくれるパトラさん。ツンツンしなければ普通なのだ。少なくとも、妹である私に対してはツン度が非常に低い。ツンデレデレだ。
「どうかなさったのですか?」
「……女子力の向上についてご協力願いたいのです。」
それだけ言うとすぐに察されたようで目が生き生きとする。言わんとすることはわかったのだろう。パトラさんは、というより女性方はそうなのかもしれないが、色恋ごとに関するレーダーの性能たるや、目を瞠るものがある。
「わたくしなどでよろしければいくらでもお手伝いいたしますわ!」
「パトラさん……!」
「大丈夫ですわ!普段男らしいシャングリア様だからこそ、お料理など家庭的なことにギャップを感じます!きっとヒューイ様もイチコロですわ!」
一を言えば十を知る。それはありがたいのだが、ここまで詳しく察されていると、察しが良すぎるのも考え物である。
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さて週末、女子力の向上にパトラさんが力を貸してくれた。女子力の塊、クッキーづくりである。
作戦はこうだ。クッキーを作る。ヒューイさんに渡す。以上だ!
やることはアドリア嬢と変わらない。しかし馬鹿にすることなかれ。剣を持ち、口実を作らないとなかなかヒューイさんに会いに行けない私としては高難度のミッションだ。唯一の救いは絶対にヒューイさんは私を無下にできないという身分の関係によるクソ事情だ。それを差し引いてもヒューイさんは優しいから無下にすることはないだろうけど。セーフティネットは偉大である。
だがしかし本当のミッションは渡すところではなくそれ以前のことであった。いやむしろ想像はしていたが、こう、なんというか、想像以上だったのだ。
話は変わるが、パトラ・ミオス嬢は高貴な身分でありながら台所へ足を踏み入れる。もちろん、最低限で本人の言う通り基本は使用人の仕事であり、それを奪ったりはしない。ただしたまにお菓子を作るのだ。
本来であれば、料理をするような方ではない。そんな方が料理をする理由。それは私と変わらない。
兄上、シュトラウス・グナエウスだ。
随分前だが兄上がそれとなく催促したところ、兄上に夢中なパトラさんは料理などやったことはないけれど、挑戦するようになり今ではなかなかの腕をしている。本人は認めたがらないけれど、兄上のために料理を頑張っている。それを知っている身内としては悶絶ものである。パトラさん可愛い。
一見すると、婚約者のために健気に頑張っている少女だが、婚約者にいろいろと問題がある。手作りの料理が食べたい、と言うのはそう珍しくもない願いかもしれないが、兄上だ。
「可愛い可愛い僕のパトラが!僕のために慣れない料理をする!幸せ!僕のためにっていうのが本当にいいよね。料理をするときは僕のことを考えてるんだ!パトラが僕のことを好きなのは知ってるけど、できるならもっとが良いよね。朝起きて夜寝る時まで、いや寝てる間もずっと僕のことを考えていると良い!何から何までずっと彼女の心の僕がいて、むしろ僕を意識しない時間が一秒たりともあるなんて許せない。可愛い可愛いパトラ!もっともっと僕のことを好きになると良い!僕はもう僕の心を余すことなくあの天使に捧げてるんだから、パトラももっともっともっと僕に溺れるべきだよね!」
前から思ってたけど私の兄上は大分、いやかなり頭がおかしい。パトラさんが可哀想になるくらいいかれてる。毒蛇の牙に掛かる小動物さながらである。しかもおそらくパトラさんは気づいていない。助けてあげたいと思わないでもないけれど、あの兄上を敵に回すのは恐ろしいし、私としては姉としてパトラさんを迎えることには賛成しているのだ。天秤にかければギリギリ後者に傾く。
「恋するシャングリアなら僕の気持ちもわかるよね!」
同意を求めるな、一緒にするなど声高に言いたい。わたしは少なくとも兄上よりクレイジーでない自信はあるのだ。
閑話休題。
何が言いたいかと言うと、兄上のために料理を練習したパトラさんは世間一般的にみても料理上手だ。これだけはパトラさんの名誉のために言っておく。
そしてパトラさん監修のもと出来上がったものがこちら。
「…………、」
丸焦げの何か、石炭のような何か、黒い何か、黒鉛のような何か、暗黒物質。
炭素の5乗、炭素のストレートフラッシュである。
クッキー事変パート2in王宮のキッチンの一画。
Q:あなたが作ったのはクッキーですか?
A:いいえ、炭素です。
「………………、」
パトラさんが黙り込む。優しいパトラさんでさえ何も言えない。フォローすることもツンすることもできない。
焦げ臭いにおいの中、誰も何も言えなかった。
「……あの、初めてですからこんなこともありますわ……、」
「ありがとうございます、パトラさん……、」
なんとか月並みのフォローをしてくれるがその顔には「正直ここまでとは思わなかった」と書いてある。だがそれはわたしも同感だ。自分の料理がここまでとは思わなかった。いや、これを料理と呼んでいいのかも怪しい。
「……炭専門の錬金術師とかになれますかねえ?」
「……あ、新しい道だとも思いますわ。」
炭しか作れない錬金術師。ポンコツ以外の何者でもない。
パトラさんが手伝ってくれたのだ。こんなことになるはずがない。そう言い聞かせながら作られたのは黒い何かたちである。食べ物ですらない。すくなくとも、これを見た人は決して手を伸ばそうとはしないだろう。
小麦粉と卵とバターと砂糖からなぜ炭が精製されるのか。不思議の極みである。ちなみに、いったんパトラさんが作ったところ、おいしそうなクッキーができた。しかし私が製作工程に手を付けた途端、出来上がるのは物質Aだ。もう料理が下手とか上手とかそういうレベルではなく私という要素が料理をぶち壊しにしている可能性が出てきた。
それから試行錯誤に試行錯誤を重ね、数時間かけてできた一番まともなものは、小麦粉と卵とバターと砂糖を混ぜて焼いたものだ。焼けたものだ。重要なのはそれがクッキーと呼べないこと、ただそれだけである。
「シャングリア様!大丈夫ですわ!黒くありません!あまり!」
「本当、本当パトラさんすいません、不甲斐ない生徒で……。これだけ教えてもらったのに、」
「そんなことございません、シャングリア様!確実に進歩してますから!」
そこまで行ったところで、パトラさんを遅く返すわけにも行かず泣く泣くお見送りした。最終的に、パトラさんのフォローは内容ではなく私の努力方面に向けることにしたらしい。教えてもらった上にフォローに頭を悩ませてしまってごめんなさい。
とりあえず、炭素以外の何ものでもない物体たちはゴミ箱にさようならした。無駄にしてごめんなさい。でも人間の身体にお前たちを消化する機能はないと思うんだ、許せ。
残った「小麦粉と卵とバターと砂糖を混ぜて焼いたもの」を私は籠に入れて城内を歩いていた。ギリギリまあ捨てるのもアレだ、ということで何とか処理しようと思い部屋に向かっていたのだ。半分くらいは兄上にあげよう。なんだかんだ言って兄上は優しからこの「小麦粉と卵とバターと砂糖を混ぜて焼いたもの」も食べてくれるだろう。
ヒューイさんに渡す?そんなこと言ったっけ?
こんなものを渡したら好意があるどころか殺意があると捉えられてもおかしくない。もはやテロレベルなのだ。
しかしそんなときにばかり会ってしまう。
「シャングリア様。」
「ヒューイさん……、」
「……僭越ながら、あまりお元気がないように見えますが、何かあったのですか?」
ああああヒューイさんかっこいい優しい……、だけど今も私は元気よく返す力もない。
「あー、いえ、パトラさんに教えてもらってクッキーを作ったんですけど、全然うまくできなくて……、ハハハ、」
苦笑いしながら手に持っていた籠を見せる。情けな過ぎて笑いしか出てこない。これじゃあ本当にギャップじゃなくて見たまんまだ。柄でもないことをしていたことが急に恥ずかしくなる。
「クッキーですか……お一ついただいてもよろしいですか?」
いつものヒューイさんなら絶対言わないような言葉に瞠目する。
「いや、その、失敗作で、本当においしくないんですよ。」
あれよあれよと籠を奪われ、クッキーになるはずだったものを見られてしまう。らしくもなく顔に熱が集まるのを感じた。よりにもよってあんな失敗作、生ごみと言われても仕方ないようなものを見られるなんて。可愛くはなれずとも、せめてヒューイさんの前では格好つけていたかった。
呆れてるだろうな、と思いながら、うつむいてた顔をそろそろ、と上げるとヒューイさんがクッキーになるはずだったものの一つを手に取って、
「あ、」
食べた。
茫然としながら咀嚼するヒューイさんを見るがすぐに我に返る。
「ヒュ、ヒューイさん!吐き出しても大丈夫ですよ!?おいしくないでしょう!?」
あたふたとする私など知らないように、ヒューイさんはそのまま飲み込んでしまった。どうすればいいのか、と途方に暮れていると、頭に大きな手が降ってきた。
「シャングリア様。失敗なんかじゃありません、おいしいですよ。」
美味しくなんてないだろうに、ヒューイさんは私の頭をポンポンと撫でて笑ってくれた。
羞恥で赤くなっていた顔がさらに赤くなる。
「あああああヒューイさんイケメンかっこいい優しすぎる!!本当!かっこいい!気を遣わせてごめんなさいでもめっちゃ嬉しいですぅぅうう!!」
という荒ぶる言葉を理性で死ぬ気で抑え込みにやけそうになる口を引き締めた。
「……ありがとうございますっ、」
「いえ、こちらこそ、突然のご無礼をお許しください。」
世間一般から見ればヒューイさんの行動は無礼の極み。第二王子の持っていたものを無断で奪ったのだから。しかしそれはヒューイさんのやさしさ故で、彼に頭を下げられてしまってはかなわない。
「そんなっ、そのおいしいって言ってもらえて、本当にうれしかったです!」
「いえ、おいしかったのは本当ですから。」
今日のヒューイさんは悩殺スマイルを出し惜しみしていない。廊下で彼に会って5分ほど。この間に私の心は数十回吐血している。イケメン過ぎる。かっこいい優しい今すぐ結婚してほしい。
「きっとお嬢様も喜ばれることでしょう。」
「そうですね、よろ……え?お嬢様……?」
あーかっこいい、かっこよすぎる、とか考えていると、ヒューイさんとの会話が微妙にかみ合わない。
お嬢さまって、だれ?
「ふふふ、御隠しにならずとも、大丈夫です。偏見などはありませんので。」
「え、偏見……?え……、え?」
やたらと良い笑顔、と言うより微笑ましい者を見守るような笑顔。
そう、例えるならヒューイさんの話をしているときの私を見る、パトラさんの笑顔に似ている。
「護衛部隊ヒューイ、陰ながらシャングリア様の恋を応援しています。」
「えっえええ!?」
話していると判明した。
ヒューイさんは私の思い人を「姉貴肌の色素の薄い、刀を扱うゴリラ」だと思い込んでいるのだ。
「ちょっ、ヒューイさん、違っ……!」
「そう御焦りにならないでください。ヒューイ、自分の心の中だけにとどめておく所存です。」
「違うっ本当に違いますっ!私が好きなのはどこぞの令嬢ではありませんっ……!!」
『私が好きなのは他でもない、貴方ですヒューイさん』ということもできない私はヘタレ。
なんでっ何で「姉貴肌の色素の薄い、刀を扱うゴリラ」だと思うの……!?「年上で、背が高くて、銀髪青目。気高く強い方、ですかね。あと大人っぽく落ち着きがあって、あと刀が扱える方」ってどう考えてもヒューイさん以外にいないじゃん……!!なんで気づかないの!?鈍感の申し子なの!?
微笑まし気に私を見るヒューイさんの誤解を解くのに結局小一時間かかった。聞き出したところ、ヒューイさんにその話をしたのはアドリア嬢らしい。少し見逃したら調子づきよって小娘……!おまけに余計なことを吹き込んで……ギルティ、一発ギロチン処刑台への片道切符をラッピングして送りつけてやる……!
クッキーなんてもうどうでもよくなっていた。
ただ、すべての誤解が解けたところで「申し訳ございません、私の勘違いでしたか……」といいながら恥ずかしがるヒューイさんのウルトラスーパーレアな表情が見れたので、私の心は海よりも、空よりも広くなり何もかもの罪を許してやろうと言う気持ちになった。
ちなみに残りのクッキーを兄上に食べさせたところ、コンマ一秒で「まっず!?」と言われたので笑顔で食べたヒューイさんの優しさ。本気でプライスレス。
読了ありがとうございます!