ロックンロールは遠く響いて
扉を開ければ、赤髪のツインテールの子が着替えている最中だった。
「うわ、ごめん!」
「……ばかーっ!」
ぼくが慌てて扉の影に引っ込むと、次々とぬいぐるみやら枕やらスパナが飛んできた。あれが頭に当たりでもしたらと思うとゾッとするけれど、いまのロールの肢体が目に焼き付いて離れない。小さな頃から一緒にいるとはいっても、ぼくだってもう年頃の男の子なのだ。まぁ、だから、着替えを見られて怒ったのだろうけど。
「ちょっと、ロック。まだ朝ごはんには早いでしょ!?」
「今日は教会でお祈りがあるっていったじゃん、ロール」
「……忘れてた」
今日は月に一度のお祈りの日。
それはある意味でお祭りでもある。この小さな街のあらゆる人が手を止めて、過去の歴史と向き合う日。忘れないように。忘れてしまわないように。そして、ぼくたちが再び前を向いて歩けるように――。
『ロックンロールは遠く響いてー2015.10.10.31ー』
ぼくたちはこの小さな街に住んでいる。
いわゆるドームと呼ばれるものらしくて、天候は完全コントロール(最近さすがにちょっと調子が悪いけど)。四季もちゃんとあって、いまは春。大通りには数え切れないほどの桜が並び、地面はピンク色に染まっている。
「ほらほら、行くよ!」
きちんと彼女らしい衣装に着替えた彼女が、ぼくの手を引っ張る。慌てていたからだろうか、綺麗な赤髪が少し跳ねている。それを指摘するときっと彼女は怒りだすだろうから、ぼくは笑いをこらえたまま、桜に立ち並ぶ大通りを走っていく。
ぼくとロールが暮らす家は、この街の東地区と呼ばれる場所にある。円形に広がるこの街の中央には、大事な大事な大教会がそびえ立っており、そこから八方向に対して大きな道路が広がっている。
今日は月に一度のお祈りの日。
いつもなら活気づいているこの通り沿いの商店街も、今日はシャッターが降りている。ロールのど忘れのせいで完全に遅刻してしまっているぼくたちは、ゴーストタウンのような商店街を駆け抜けていく。ぼくの記憶の奥底に眠る風景が、ズキリと疼く。
「そんなに急ぐと転んじゃうよ?」
「大丈夫、大丈夫――、ってうわ」
地面に敷き詰められた桜の花に脚を取られたロールが進行方向に綺麗にすっ転び、短いスカートから投げだされた細い脚と桜色の縞々の下着が見えてしまって、ぼくは目のやり場に困ってしまった。
「言わんこっちゃない」
「でもでも急がないと」
街の中央にそびえる大教会は他の建物と比べ物にならないほど立派で、そして年季が入っている。司祭様のお話によると、そもそもこの大教会を基点としてこのドームは建てられたらしく、エネルギーの供給のほとんどを賄っているのだそう。なんでも地下深くには小さなおひさまがあるそうで、大教会の紋章である、中央に黒い丸、三方に扇型が配置されているあのシンボルは、その目印ということらしい。
――司祭様の言葉は難しくて、よくわからないことが多いけど。
「ようやく到着!」
「間に合ったかな」
肩で息をするぼくたちに、近所の商店街のおやっさんが『急げ急げ』というジェスチャーをする。みんな、大教会の聖堂に整然と座っている。ぼくたちはいつもどおり、一番入り口に近い二席に腰掛ける。そこでずっと手を繋いでいたことを自覚したのが、ロールが真っ赤になって手を話した。
「おほん」
ちょうど司祭様のお話が始まるところだった。
およそ300人ほどの人の頭のその向こうに、ぴっしりとした制服を着た司祭が、演台に立つ。街のみんなとは一線を画する衣装だが、最後までこの大教会のシステムに尽力した者の着ていたモノらしい。失われた文字が袖のところに書かれているが、ぼくたちにそれを読むことはできない(ǝɔuɐuǝʇuıɐɯ?)。
「感謝と、そして安らぎを――」
司祭が決まり文句を言うと、音楽とともに大きなホログラフディスプレイが三面立ち上がる。司祭が演台に付けられた宝玉のようなものに手をかざすと、特に操作をしているふうでもないのに、三つの画面に様々な文字列が走って、映像が映される。それは毎月のように見慣れた風景だったから、ロールはもう欠伸をしている。これじゃ、終わる頃には熟睡だ。
※
『厄災』と呼ばれるものがどうして起こったのか、もう誰にもわからない。
司祭のお話はいつもそこから始まる。
遺された数多くの映像記録も、『厄災』そのものの瞬間は捉えていない。機器を操作する人間が、あるいは解析する人間がいなくなったのだろう。そもそも『厄災』はヒトが起こしたものじゃなくて、隕石衝突などの自然災害だったって話もあるくらいだ。それくらい何もわからないまま、ヒトという種族はその栄光のひとときを映像に残して、多くが消えていってしまった。
「わたしたちはこれを語り継がなければなりません」
忘れないように。忘れてしまわないように。そして、ぼくたちが再び前を向けるように。
「感謝と、そして安らぎを――」
そうして司祭の言葉は終わる。人類の栄華の映画を映していたホログラフディスプレイが立ち下がり、ロックンロールな音楽もフェードアウトしていく。ロールはといえば、いつものことながら船を漕いでいる。肘で小突くと、ビクンと跳ね起きた。
「ふぇ!?」
「ロールさんはもう少し真面目にならなければなりませんよ」
司祭から直接そう言われ、街中の人々の眼がぼくたちに集まった。
「……はい。すみません」
顔を真赤にして俯くロールだった。
※
「いらっしゃい。ロック君、今日はほうれん草が安いですよ」
「じゃあ、それをって言いたいところなんだけど、ロールが苦手なんですよ、それ」
あれからロールだけ大教会に残されて、司祭の特別授業を一時間は受けていた。ぼくはといえば、大教会の外の噴水でぼーっとしていたけど、かなり退屈だった。空を見上げれば、そこはドームの天井。気象コントロールと連動して複雑な空模様が投影されるが、もうこの街も古いのか、ところどころ砂嵐が走っている。
――とはいえ、ぼくは本当の空を見たことがないから、実際もこうなのかもしれないけど。
結局、ロールが解放された頃には大教会のお昼の鐘が鳴って、お祈りが終わった人々はとっくにそれぞれの家に帰っているころだった。店も開かれ、ゴーストタウンのような街に活気が蘇る。そしてロールと一緒に家まで帰る途中、立ち寄ったのがいつもお世話になっている八百屋さんだった。
「ところでロールさんはどちらです?」
「あそこでコロッケ買ってます。肉が好きみたいです、あの人」
「育ち盛りなんでしょうね。では、こちらお買い上げで?」
お代の硬貨を渡して、野菜の入った袋を受け取る。
「ありがとう、ヒトーさん」
「まいどあり、です」
八百屋の主人は無骨な鎧だ。鎧そのもの。一度中身を見せてもらったことがあるが、空っぽだった。酔っ払うと、よく頭を外してサッカーをしたりする。本人はデュラハンだと言っているが、いったい何のために造られたのかよくわからない。
『人形』
それが、科学技術の頂点にたどり着いた人類が生み出した、最後の産物だった。ヒトのように思考し、ヒトのように行動するモノ。胸に格納されたコアが半永久的なエネルギーと、一部制限をかけられた思考を司る。パペット、ドール、マキナ、傀儡、様々な呼称が使われるのは、かつて世界の様々な地域で様々なヒトに愛されてきた証拠。
ヒトより頑丈だったという点と、大教会の地下で起動を待って眠っていた人形たちが多くいたものだから、『厄災』のそのあとも人形は比較的多く生き残ることが出来た。この商店街で店を出しているのもすべてが人形と呼ばれる存在であるし、あの司祭だってそうだ。
この街には、ヒトは、ひとりしかいない。
※
「ちょっとちょっと、これすごく楽しそうじゃない!?」
「なんだよ、ロール。もうそろそろお昼の準備をしなくちゃ――って、それは?」
じゃーん、と彼女は雑貨屋さんで埃まみれになっていた小道具を取り出した。木で出来ているようで細長く、弦が貼られている。棒の先に付けられているツマミは張力を操作するものだろうか。じゃじゃーん、と彼女がかきならすと、耳障りのいい音色が聞こえてきた。
「ギター?」
「そう、ギター。あの伝説のミュージシャンと同じ楽器だよ!」
じゃかじゃかとデタラメな音を出し続けるロールだったけど、その姿はとても楽しそうだった。伝説のミュージシャン。この街で知らないものはいない。眠り続ける街に目覚めをもたらした、ヒト。ロールはお祈りや難しい話は苦手だけれど、音楽はとても好んでいた。
「わたしの楽器、先月壊れちゃったじゃない?」
「ロールがめちゃくちゃに振り回したからね」
「だから、これ、買って? ね?」
と、小首を傾げてウィンクされると、なかなかノーと言えないぼくは、財布を開いて硬貨と相談をする。明日の食事、明後日の食事、ぼくとロール。よし、ロールには悪いが、しばらくはヒトーさんの野菜でやりくりすることとしよう――、とぼくが店主を呼ぼうとしたとき、中から暖簾を開けて、魔女の格好をした人が出てきた。
「それ、欲しいの?」
「はい。ロールが気に入ったみたいで」
「彼女の頼みなら断れないわ。安くしとくわよ」
と、宗教上の文様である林檎の書かれた石版をぽんぽんと叩いて、金額をこちらに見せてくれた。
「……えっと、ロール、しばらくは質素な食事を」
「はぁい」
※
『厄災』が訪れたとき、この街は眠りの底にいた。
『遊園地』――という言葉のもともとの意味はいまとなってはもうわからないが、この街で生きる人形たちはそのために用意され、いつか来る稼動日のために眠りについていた。外で世界が滅びていることも知らないまま、いつか来る、造られた目的が果たされるときまで――。
「おぅ、まだ生きてるドームがあったのか」
この街に灯りが満ちたのは、迷い込んだ生存者のヒトのその一言だった。まさに『光あれ』。その言葉とともに、この街は長い眠りから目覚め、多くの人形たちは、記念すべき第一号のお客さんである彼と、彼に背負われた赤ん坊を出迎えた。
彼は夜になると、ずっと一緒に持って歩いてきたというギターをかき鳴らした。ときに激しく、ときに切なく。それは大教会の記録庫にあるような楽曲のどれとも似ておらず、のちに人形たちはそれが彼の魂の叫びだったのだと識る。
「くだらない世界を壊すのはいつだってロックンロールだろ」
一人、また一人と、人形たちはそのライブに参加していった。楽器はもともとドームに用意されていたものを使い出す者や、中には自ら造り出す者もいた。とにかくなんでもよかった。下手でもそれは彼に言わせれば、それこそがロックンロールであり、音楽なのだと。変な音しか出ない楽器でもそれは彼に言われば、味がある、それがまさにロックンロールだと。
人形たちは音楽を奏でることを憶え、騒ぎ、楽しんだ。
ああ、これこそが珪素で形造られた、わたしたちの役割。この生きる拠点は、今日も大入り満員だ。この静かになりすぎた惑星の静寂を埋めようとするかのように、ぼくたちの騒音は虚しく響き渡る。転がる岩のように自滅していった人間たち、仕えるべき者たちをなくした従者は今宵も大声で騒ぎ続けるのだ。
やがて、ロックスターは倒れ、街にはヒトがひとり遺された。
※
柔和な笑顔で、爆音のようなドラムを叩くのはさっきの司祭様である。
この街に夜が訪れるころ――、つまり天蓋モニターに無数の星々と、人の横顔を模した三日月が踊る頃、祭りは後半戦を迎える。亡きロックスターを忍んでの、フェスが開幕するのだ。人々は大教会に再び集まり、ドーム中の照明が色とりどりに世界を照らす。
「電気を食らうので、一ヶ月に一度しか催されないんですって。10月に行うそれは、『ハロウィン』って言われていたんだとか」
とさっきの魔女が、箒型のギターをかき鳴らしながら、大教会前に設置された舞台の上に突撃していく。よくお世話になっているヒトーさんは隅のほうで尺八を吹いていた。渋い。ロールはようやく新しい愛機のチューニングが終わったのか、小脇に抱えてぼくのところにやってくる。
「来て」
手を引かれて、どんどんと騒ぎの中心から離れていく。石畳の通りを逆走していく。やっぱり敷き詰められた桜ですっ転びながら、結局、ぼくたちはぼくたちの家へとたどり着いてしまった。「こっち」と二階に上がって、屋根裏へ行き、屋根へ出る。
遠くで花火が上がっている。司祭様の爆音ドラムはここまで聴こえる。中心部だけ太陽のように輝いて、周りのものはその光を受ける星々のように様々な色に輝いている。ロールが、ギターを鳴らす。騒音に負けず、それだけは凛とぼくの鼓膜を奮わせる。
「ろけんろー!」
舌っ足らずな声でそう叫ぶ。
「ねぇ、知ってる?」とロールは空を指さす。ドームの天蓋。夜が散りばめられた映像の端々に砂嵐が走っている。そのあたりは昔、ミサイルか隕石でもぶつかったのか、特に酷いところだった。彼女が指差したのは、その中央――。
「あそこは天蓋盤が壊れていて、中の液晶も腐って溶けちゃったから、透けて外が見えるの」
彼女がここが好きなのは知っていたけれど、そんなものがあるなんて知らなかった。その小さくて遠い正方形の窓の向こうには、ほんものの空が広がっている。
「あれが、デネブ、ベガ、アルタイルで――」
指でなぞる。
「あれが地球」
あれが。あの赤茶けた惑星が。
「ろけんろー!」
「……ぼくは、まだあの人の音楽を憶えている。眠り続けるしかなかったこのドームに、生命を吹き込んでくれた魔法の音楽。ロールも、その背中で聞いていたんじゃないかな」
ロックの与えられた役割は、この遊園地の管理人だった。開業を前にして眠りこける住民たちとは違い、ひとり、本当のゴーストタウンを巡回し続けた。人形のコアは大教会の太陽のエネルギーの影響下にいる限りは永久機関とみなされるので、ぼくはたったひとりで十年近く、この物音ひとつしない街を管理し続けた。
そこに赤ん坊の彼女を背負ったロックンロールな旅人、すなわちはじめてのお客さんが現れることになり、この街は目覚めることとなる。彼がかき鳴らした音楽が魔法のように、眠れる人形たちに生命を吹き込んだ。少女の瞳は、いまもあの赤ん坊だった頃も、街の鮮やかな色彩を反射して七色に輝いていた。
「ねえ、ロック」
彼女が珪素型人形の名を呼ぶ。
「わたしは、何個目?」
ぼくは或る四桁の数字を告げる。
ぼくが彼女に出逢うのは、最初の一回目を数えずに、もうそんなになる。外の世界の出来事は知らないが、この街に遺されたヒトは彼女だけであり、彼女も放射線が由来で幼くして息を引き取った。
お客さんがいなければ、ぼくたちに存在意義はない。みなで一斉に永遠の眠りにつくことも検討されたのだが、最終的に取られた手段は、お客さんを造り上げること。あのときの彼女をベースに、周回を繰り返す度に少しずつ改良をして、ようやくここまで漕ぎ着けた。
――この街はもうずっとお祭りを繰り返しているが、新しい音楽が生まれたことは一度もない。
「そっか。わたしはうまく出来てる?」
「うん。そうだね」
この街にヒトはもういない。いるのは、神を模して創られた者たちを模して造られた者たちが、彼女を模して做った存在だけ。大切な、たったひとりのお客さん。
「ろけんろー!」
上り詰めた科学技術の頂から、転がる石のように滅んでいった造物主たち。
2015世紀を数えてもなお、この遊園地に新しいお客さんは訪れない。
「ロール、みんな、君のギターを待っているよ。舞台に行こう」
「うん!」
それでも、ぼくたちは不器用に騒ぎ続けるのだ。