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とりあえず完結させることが目標。

 深い森の奥で、ずんと音が響いた。

 日は既に天上に昇り、短く刈り込んだ頭をじりじりと焼いている。ここ数日まともな睡眠を取れていない俺には拷問だが、手にしている野太刀の重さでなんとか意識を保つ。

「師匠……どうですか?」

 後ろを振り返り、そこにいるはずの師匠に尋ねた。

「まずは、百本おめでとう、というところかの」

 そういいながら師匠は座っていた切り株から立ち上がり、尻についた汚れを払った。白髪で、顔はしわくちゃで小柄な師匠は、ほとんど黒に近い紺の道着を着ているというのに、その額には汗ひとつ浮かんでいない。対する俺は百九十ある身長に筋肉の鎧と白の袴だけを身にまとい、それを滝のような汗で濡らしていた。まだまだ修行が足りない、と内心でつぶやく。

「百本は最後の一本以外は指示通りきっかり一時間毎に切り倒せておったし、どれも一太刀のもとに切り倒せておった。最後の一本のみ二分早かったが、まあ及第点じゃろ」

 師匠は微笑を浮かべて言っているが、俺は内心ほぞをかんだ。最後の一本は、気が勢でしまっていたのは、自分でも良く分かっていたからだ。

「次に、駄目にした野太刀は五本。これは満点以上じゃ。じゃが、もう少し狂気に任せても良かったじゃろうな。ならば、そこまで疲れることもなかろうし。まあ、おぬしは考えすぎるきらいがあるので、むしろ良く考えずに振れた、というべきかの」

 なるほど、もっと狂気に任せても良かったのか。これは気付かなかった。小声で何度かつぶやいて覚える。

「そして、」

 師匠は唐突に何かを顔に向けて投げてきたが、これを首の動きだけでよける。

「残心じゃが、これも十分じゃ。これにて、無想無念流免許皆伝とする」

 その言葉に、俺は野太刀を鞘に収めて正座し、野太刀を左側に置いて頭を深々と下げた。木の枝がすねに当たるが、気にならない。

「ありがとうございます」

 次に頭を上げると、師匠は少し恥ずかしそうにしながら俺に立つよう言った。謝りながら急いで立ち上がると、 師匠は、続けてこう言った。

「では、昼食でも食いながら、今後の話をしようかの」

 その言葉に、俺は空腹を思い出した。


   * * *


 俺たちは、山のふもとに降り、一軒の茶屋で師匠のおごりの蕎麦をすすっていた。椅子に引っ掛けてある野太刀の入った袋が若干鬱陶しい。

「いつ来ても、ここの蕎麦は絶品じゃのう」

 師匠の言葉に頷きながら、全力で咀嚼する。ここの茶屋の蕎麦はワサビっぽい何かの辛さが蕎麦の旨味を引き立てている、文句なしの絶品だ。一緒についてきている山菜の天ぷらも肉厚なくせにすじがなく、程よい甘味が食欲を掻き立てる一品で、これだけでこの店がやっていけるのではないかと思うほどだ。実際、この天ぷらを目当てに来る客も多いそうだ。

「それで」

 と師匠が切り出したのは、蕎麦を食べ終わり、一息ついているときだった。

「おぬしは、これからどうしたい?」

 この質問に、俺はどう答えればよいのか分からなかった。

「いや、修行のことだけでなくとも良いのじゃぞ?」

 師匠は、困ったような顔でそう言った。その言葉にさらに悩み、悩んだ末に、俺はこう切り出した。

「……正直に言うと、何もしたいことがもありません」

 師匠はその言葉に何か言いたそうだったが、何も言わなかった。

「このまま二年半順調に高校生活が行けば、普通に卒業するでしょうし、その後何かの職業に就くなら警察官、くらいしか思い浮かびませんし、ならば警察官になるために何かしよう、という気にはなりません。あえて言うなら、もっと修行がしたいくらいですが……」

「その修行も行き着くところまで行ってしまっているから、難しいのう……」

 そう師匠が続けると、二人して頭を抱えた。俺にとって、今まで師匠から無想無念流の免許皆伝をもらうことだけが生きがいであり、楽しいことで、高校まで一応来て、一応勉強もやっているがそれを楽しいと思ったことはないし、スポーツや武道は怪我をさせてしまわないか不安でそれどころではないという、なんとも残念な人生を歩んでいる。それを残念だとは思わないが、退屈だと感じ始めているのは事実だった。

 そうやってしばらく二人で頭を抱えていると、師匠が思い出したように口を開いた。

「ひとつ、おぬしに合っているであろうことがある」

「それは何ですか?」

 いつも通りの口調で尋ねたが、正直あまり期待していなかった。

「ただし、それを選ぶと、おぬしは今ある関係を全て捨てることになる」

 かなりもったいぶった言い方だったが、師匠の口調は至極真面目なものだった。

「今あるもの、と言われても、俺はこの通り死に装束で、この服が切れるようやり残したことはありませんし、捨てるとすれば師匠との関係くらいです」

 そう言うと、師匠は泣きそうな顔になったが、それは事実だった。まだ記憶も定かでないころに師匠に引き取られて、初めて稽古をつけてもらったとき、無想無念流の道着である死に装束を着たときから、俺はやり残すことがないようにしてきているし、それに修行ばかりしていたせいで、親しいと言えるのは師匠くらいしかいない。なので、捨てるものがほとんどなかったのだ。

「なので、話だけでも聞かせてくださいませんか?」

 すると、師匠は顔を引き締めて、こう言った。

「おぬし、異世界に行かんか?」

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