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夜景

作者: エマイライ

「あぁーあ。また飛んだのね」

「ん、なにが?」

「飛び降りよ。しかも他人同士が一緒に自殺するの。母さんにはその神経が分からないわ」

 食べ終わった食器を重ねながら、母さんが言った。僕がその神経を持つ一人だということも知らずに。

「いろいろ、あったんだろ」

「でも、何で他人と飛ぶのよ?」

「知らないけど、一人だと怖いんじゃない?」

「なら、死ななきゃいいじゃない」

「でも、死にたくなるんじゃない」

 はぁ。そう。と言いながら母さんはニュースを見ていた。僕は自分が使った食器を流し台に置いて、部屋に戻った。

 僕が死を選ぼうとしている理由を、母さんは知らない。そして、ネットでそのパートナーを探していることも。

パートナーは絶対に他人じゃないといけない。僕の顔も、本性も、過去も、何もかも知らない方がいい。同情とか、悲しみとか、余計な感情があると、上手くいかない気がするから。

軽い気持ちで、飛びたい。ムカついたから、飛んでやった位の勢いで、死をあまり深くは考えたくはなかった。

「翔、デザートは?ケーキ買ったのよ」

 一階から、母が叫んだ。

「いらない」

 最近、母さんが僕の気を使うようになったのは、僕の態度がとても冷たくなり、登校拒否になってからだ。はっきり言って、母さんの態度が気持ち悪い。別に、僕はそんな優しさを求めてるつもりじゃなかった。

 パソコンの電源を入れた。

今夜もパートナーを探すために。

今夜は募集して、三日目。まだ、相手が見つからない。

僕の人生はすごく惨めだった。親の離婚、虐め、友達の自殺。そして、これらは僕に孤独しか与えなかった。

僕には、田舎が合わないみたいだ。というか、嫌いでしょうがない。

きっと、東京にいる人々は安らぎを求め、青い空を眺めながら蝉の鳴き声を聞きたいと思うだろう。

でも、そんな安らぎは僕の心を満たしはしないし、全部偽りでしかないと思う。

僕は小学校五年まで東京の池袋で育った。父は不動産の社員、母は専業主婦。

あの頃は何の悩みも無く、ただ平和な時間が過ぎていた。友達がいて、親がいて、ゲームがあって、携帯があって、着る物があって、食べるものがある。戦争も知らないし、地震などの災害の経験も無い。

あの頃は、ただサッカーボールを毎日蹴っていた。

「おいおい。サッカーやってたんだろう?」

「蹴り返せよ」

「そうだよ、見せてみろよ。そのサッカーで鍛えた足で」

この田舎に来てから、俺がサッカーボールになっていた。

休み時間になればキックオフ。とりあえず、蹴られまくる。もちろんルールなんてないオリジナルだから、ハンドも可。

放課後になればPK戦が始まる。一人ずつ俺を蹴って、苦しむ声をより出せたほうが勝ち。こんな虐めを受けていたおかげで制服はボロボロになってしまった。

「なぁ、東京帰れよ」

「何、つけてるんだよ?校則違反だろ」

「没収だ」

「あ、それはマジ駄目」

「はぁ?」

体が痣だらけになって、無抵抗の状態でも守らなければならない物がある。僕にとって、ミサンガが守るものだった。


「お父さんと別れる事にしたの。おばあちゃんの所に行くわよ」

母親の、この言葉が、平和な僕の人生を変えてしまった。

両親の関係は昼ドラに出てきそうな仮面夫婦。家の中では必要以上の会話が無い。

父親が帰ってくれば、母親は作っておいた夕飯を出して自分の部屋に戻っていく。

その間、二人が同じ空気を吸っている時間は三分以下。

ウルトラマンじゃないんだから。

毎晩、重い空気が漂っていたけど、別に二人に対しては何も思わなかった。

逆になんで別れないのだろうと疑問を抱いていた。

だけど、現実に親が別れるって、結構へこんだ。

親は僕の意見など聞かずに、勝手に転校手続きをした。そして、先生が勝手にクラスの友達に転校することを伝えた。

「元気でね」

「新しい学校でもがんばれよ」

皆、同じような言葉を僕にかけた。

別に、僕が何処へ行こうと此処の生活が変わらないのは知っていたし、自分の中で「悲しい」とか「寂しい」などの感情は一切無かった。

お別れ会が終わった後の放課後、誰もいなくなった教室から校庭を見ると、友達が楽しそうにボールを蹴っていた。

あそこに自分が混ざることはもうないのか。

なんて考えていたら、クラスメートの吉川鈴が教室に入ってきた。

「どうしたの?帰ってなかったんだ?」なんて聞けなかった。照れくさくて。

吉川を無視して皆からのメッセージが書かれた色紙をランドセルにしまった。吉川が笑顔で歩み寄ってきた。

その時、心臓はバクバクで、吉川にも聞こえてるんじゃないかと不安になった。

吉川とは五年間同じクラスで、同じ保険委員だった。友達の中でも評判がよく、それに可愛い。

「まだ帰ってなかったの?」

「うん」

「今日で最後だよね?」

「うん」

 最後まで吉川と上手く話すことが出来なかった。なんだか吉川に申し訳なかったので、さっさと帰ることにした。

「待って」

「ん?」

「これ」

 吉川が僕にくれたのは、手作りのミサンガだった。自分で編んだのだろう。数箇所順番を間違えている。

「ありがとう」

 吉川の顔を見て、僕は驚いていた。「でも、何で僕に?」と聞きたかったが、僕には言葉を発する事ができなかった。

 吉川の目から涙が零れていたから。すごく、綺麗な顔立ちだと改めて分かって、見惚れていたら、泣いた顔のまま教室から出て行ってしまった。

本当に嬉しくて、嬉しくて。どうしようもない感情を何かで表したかった。

だから、もう座ることのない机にコンパスの針で「ありがとう」と彫ってみた。

吉川は見ないかもしれないけど、それでも形に残る。また、此処へ戻ってこよう。そんなふうに思いながら彫った。

自分のために一人だけ、最後に泣いてくれた子がいた。僕の存在が消えることで、寂しいと感じてくれた子がいた事が、僕の生きる全てだったと思う。

 僕自身も、その時、初めて気づいたんだと思う。彼女と上手く話せなかったのは、吉川のことが好きだったからなんだと。

だから、彫りながら決めたんだ。自分の存在を認めてくれるミサンガを絶対に外さないと。

四年間、紐が切れても接着剤で何回もつなげた。ボロボロになったけど、今でもつけてる。きっと、これがなかったら、あの中学時代を乗り切れなかっただろう。


そして、僕は母さんの実家に引っ越した。正直、僕は田舎を甘く見ていた。田舎は何もないとか言うけど、本当になかった。

近所に、コンビニがない。自販機もない。何があるのか聞きたいくらい何もなかった。周りが畑や山だらけで、街灯もなかった。

「本当にここに住むの?」

「そうよ。いい所でしょ」

 どこが?なんて言ったら、怒られるだろうから黙っていたけど。四年間住んでいても、いい所が見つからないくらい、ひどい環境だ。

住む環境よりも学校はもっと最悪だった。転校してきて友達が出来ず、皆にシカトされ続けた。

「あの…入っていい?」

勇気を出して、サッカーで遊んでいるクラスメートに声をかけた。僕の顔を見て、皆が目を合わせた。

「駄目だ。人数が決まってる」

一番背の高い、川森が言った。他の皆は、無表情で頷いた。人数なんて関係ないことは分かっていたけど、俺は自分が嫌われていることが分かったから、何も言わなかった。

皆、泣きそうになっている僕を無視して、それぞれのポジションに走った。

それから、休み時間はいつも窓から皆が走っている姿を見ていた。楽しそうな笑い声とか、夢中になってる姿とか、すごくうらやましくて。だけど、その時一つの武器を僕は手に入れていた。

それは我慢だった。

その我慢は、中学のイジメに役立った。

中学に入ってから、僕は完璧なイジメを受けた。

便所に顔を突っ込まされたり、屋上からつらされたり。毎日、ボロボロになって帰ってくる僕を見て母さんは心配をしていた。

いろんな質問を投げかけられたが、正直ほっといて欲しかった。

もちろん、何も言わなかったわけじゃない。新しい学校へ通って三ヶ月経った時、母さんに「学校に行きたくない」と伝えた。

「何を言ってるの?まだ、慣れてないだけよ」

 こんな、簡単に答えを返された時、僕の中で変なプライドが出来てしまった。

その日から、母さんには本当の事を何も言わないことにした。助けてくれないのは分かっていたから。

痣が見つかって問いだされても「スポーツだよ」で終わらせるし、制服が破けてても「こけた」と言う。

学校には行きたくは無い。でも、そこ以外行く場所が無かった。何処にも飛べない僕は、そこにいるしかなかったから。

神様が俺に与えてくれた場所は、この糞学校しかないのだから。僕はそれに従うべきなんだと、自分自身を洗脳する毎日だった。


ネットの世界には、僕と同じように自殺したい人がウジャウジャいた。

「死にたい。死にたい。どんな風にすれば、楽に死ねますか?」

心のない人間が、そんな弱者に対し「氏ね」と書き込んでいる。アホらしい。氏ねなんて、オブラートに包まないで、本当に死んで欲しかったら、死ねってハッキリ言えばいいのに。

だから、僕が代わりに書いてあげた。

「死ね」

死ぬことは、楽への道。だけど、恐怖感が邪魔する。皆、誰かに背中を押して欲しいんだ。僕と同じように。

苦しい日々の中で、僕にも友達が一人だけ出来た。強くて、可哀想な友達。初めて会話したのは、確か去年の中二の時だった。

クラスメートからのイジメがピークに酷くなっていた頃だった。

「おい、大鳥。てめぇクセェんだよ」

川森の気まぐれで、思いっきり左頬にビンタされる事があった。

歯を食いしばってる間、吉川の事を思い出したりした。辛いときには、楽しい思い出を。

パーンッと廊下に響き渡るビンタの音。誰も、振り向きもしない。

「東京に帰れよ」

 それは僕も望んでいる事だった。此処は僕がいる場所じゃないし、此処にあるもの全てが糞だから。人間も、虫も、植物も、糞以下だ。

「臭いのはてめぇらだよ。糞が」

勇気がない僕は、最後の「糞が」だけを口から吐いた。

「ああ?聞こえねぇよ」

 そう言ってもう一発グーで川森が僕の腹を殴ろうとした時、他の誰かが川森を蹴っていた。

「お前ら、幼稚すぎるし」

蹴ったのは同じクラスの成田武だった。

え、なんで?なんで、蹴ったの?と思っていても、声に出す事ができなかった。

「何だ、お前。俺らがお前に手を出さないからって…」

 珍しくひるんだ川森が言う。

「手を出すな、なんて言った覚えねえよ。お前らの下らない喧嘩、買ってやるよ」

 川森たちが黙っている。成田が出す雰囲気に負けているんだ。

「ちょっと大鳥と話があるんだけど。向こう行ってくんない?」

川森は痰を僕の顔に吐いてどっかへ消えてしまった。

「汚ねぇ」

 僕達は分かっていた。川森が痰を吐きながら、体は震えていた事を。

薄いブルー色のサングラスが似合う成田はヤクザの息子。川森達に虐められはしないが、一匹狼の友達がいない奴。

「あ、ありがとう」

「一発ぐらい殴れないの?」

「成田君みたいに、強くないから」

「カポレラやっているから」

「え、カポレラ?」

 川森達が手を出せないのは、成田がヤクザの息子という理由もあるが、手を出したところで勝てないからだ。

成田の体系は華奢だが、喧嘩がめちゃくちゃ強いらしい。

だけど、それがカポレラの強さだとは知らなかった。

空手でもなく、合気道でもなく、カポレラっていうのが少し可笑しかった。

「あいつらには、プライドが無い。嫉妬心の塊だ」

「知ってる」

 少し笑った成田は鞄を手に取り、背を向けた。

「じゃ、俺は帰るわ」

「あ、まだ授業が…」

「授業に出る意味なんて無い。此処にあるのは全て糞だから」

 僕が半笑いで黙っていると「来るか?」と聞いてきたので成田の後をついて行った。

成田が向かった場所は駅前のゲーセンだった。成田が格闘ゲームを指差しクールに「あれ、あそぼっ」と呟いた。

僕は頷き、しばらく鉄拳で遊ぶ事にした。夢中でボタンを連打したが見事にKO負け。

負けて悔しがっている僕を見て、成田が学校では見せない笑顔を作った。

その笑顔を見て、僕の中で「友達」の二文字が脳に浮かび上がった。でも、まさかとも思った。

確信したのは、成田は悪い奴じゃないという事。人より強くならなきゃいけない理由があるから、今の成田になったのかもしれないなんて、ゲームをしながら一人で考えてみた。

鋭い目つき、人を近づけないオーラ。それが本当の成田なのかは僕には分からなかった。

次のゲームを始めようと百円を入れた時、ゲーセンの自動ドアが開いた。違う学校の制服を着たガラの悪い奴らが入ってきた。

目を合わせないように、ゲームに集中した。が、そいつらの足は確実にこっちの方向に近づいているのが分かった。

手汗が邪魔してゲームに負けた時、不良生の中の一人が成田の肩を叩いた。やばい、喧嘩が始まる。と思ったら、成田に向かって頭を下げてた。

「いつも世話になってるっす。あの…あれが欲しいんですけど」

「待ってたよ。とりあえず此処じゃヤバイから。トイレで渡すわ」

成田がついて来いというので、トイレまでついて行ったが、僕には事の状況が飲み込めなかった。

ゲーセンのトイレは汚かった。壁には落書きとへばりついたガム。誰かが改造したのか、ライトが赤く部屋を照らしていた。大便が流されてないし。此処なら、いつゴキブリを見てもおかしくない。

「いくら持ってる?」

成田が一番背の高い奴に聞く。

「三万くらい…」

 成田が舌打ちしながらポケットから、何かを取り出した。

「それじゃ…約束のこれね。あんまり浸かるなよ」

 ポケットから出てきたのは、カメラのフィルムケース。中身が何なのか分からない。

「親父さんに宜しく伝えてください」

「ああ。藍川にも宜しく伝えろ」

その後、俺達は公園に行きベンチに座った。成田は胸ポケットからラークを取り出し、何も言わずに一本僕にくれた。

「あいつらに、なに売ったと思う?」

「ああ。何なのか想像はつくかな」

「シンナー」

「え?」

「臭かっただろ?シンナーの匂い。あいつらの制服から」

「うん。シンナー渡したの?」

「いや、俺が渡したのは違うやつ」

「どこで手に入るの?」

「インターネットから」

「ネットで買えるの?」

「買える」

「成田君も、手を出してるの?」

「俺が欲しいのは、幻覚じゃなくて金。俺はあいつらと違う。あいつ等みたいに脳ミソは腐ってない」

「いつから始めたの?」

「中学入ってからかな。藍川っていう族の頭と俺の親父がつながってるんだよ。で、藍川や藍川の下の奴らは俺に頭が上がらないわけ。そんな状況を利用して、ちょっとゲーム感覚でディーラーみたいな事始めた」

「ふーん」

「最初は、シンナー。食いついて来たら、もっといいのがあるとか言って、大麻とかマジックマッシュルームを売る」

「ほぉー」

「軽蔑したか?」

「いや、意外だったから。最初に成田を見たとき、教室で本とか読んでて、優等生なのかと思ってた。噂が本当なんだって実感しただけ」

「噂か…学校の奴らと相手したって、何の特にもならない」

「確かに」

その日から、僕らは数年ぶりに友達を得た。暴力の無い関係。人を殴っている側と、人に殴られている側の二人が友達になるなんて、後々考えたらおかしな話なんだけど。

気がつけば、放課後に成田が僕の家に来るのが当たり前になった。ゲームをして、ネットで遊んで、ギターを弾いて帰っていく。

僕の生活が少し変わった。中学生らしい日々だった。其れは、きっといい方向なのかもしれないが、相手が相手なので、ある意味悪いのかもしれない。

成田との仲は良くなっていったが、学校では喋らなかった。

成田は一匹狼という仮面を剥がしたくないらしいし、僕も成田の存在で守られたくなかったから。

成田が遊びに来るたびに母さんは喜んでたっけ。

学校に行く準備をしていると鼻歌がキッチンから聞こえてきた。

「なに、ニコニコしてんの?」

「え?だって、あんたが友達を家に連れてくるなんて、無かったから」

「ああ、まあね。じゃ、行って来ます」

「行ってらっしゃい」

もし、成田がヤクザの息子だって知ったらうどうなるのだろう?きっと「縁を切りなさい」と僕の人生をまた勝手に決めつけるのだろうか。というか、そんな事で人の縁って切れるのか。なんだか、単純な世の中だ、と中学生ながらに思った。

僕は成田の写真を一枚も、持っていない。撮っとけばよかったと思う。

もし、成田がまだ僕のそばにいてくれたら、僕は絶対に自殺なんて考えないだろう。

でも、奴はいない。少ない期間の濃い思い出を残して。


「なあ、大鳥」

「え?」

「お前、なにコソコソ成田とつるんでるんだよ」

「いや、僕は…」

気がつけば、川森達に囲まれ押し倒されていた。床に頭を強打した。そんな僕を見て、川森達はケラケラと笑っていた。廊下を歩いているだけで絡まれるなんて、ついてない日だった。

いつもと違う川森の笑み。仲間の一人のそわそわした態度。いつもの、サッカーごっこではない事が分かった。

一人がタバコを取り出しライターをつけた。一服吹くと、それを川森が受け取り、普通に吸いはじめた。

「俺達が作った、お前の痣って…いつかは消えるだろ?」

「はぁ?」

 必死に抵抗したが、三人に抑えられたら逃げられない。

「はぁ?じゃあねぇよ。…俺達の思い出の形が消えるって、淋しいよなぁ。こうやって、遊んだ日々がなんかの形になればなぁーって思ったわけ」

 煙草の灰が僕の制服に落ちる。

「だからさぁ、大鳥…最高の痕をつけてなきゃ…ねぇ?」

 こいつは狂っている。僕が想像した以上に頭がいかれてる。

煙草の火がどんどん近づいてくる。その縮まる距離と共に熱さが伝わってくる。

五センチ、四、三…。

「やめ…やめろ。やめ…うわぁぁぁぁぁ!」

先生が駆けつけた時には、遅かった。タバコの根性焼きを思いっきり、首につけられた。

こんなの根性じゃねえし。拷問だ。

「目もよかったんだけど…。いつか刺されそうだし。だけど、そこなら病院に行けば、跡消えるんじゃない?」

最後にそんな言葉を残し、川森たちは教室に戻った。先生は倒れている俺の首を見て「誰がやった?」としか言わなかった。

本当は知ってるだろ、と思ったから、僕はあえて何も言わなかった。

その日の放課後、学校をサボった成田が家に来た。

僕の首を見て、誰にやられた?と先生と同じ台詞を連呼した。

「川森」

「糞ったれ」

見事に根性焼きが痛々しく残っている。これがあるという事は、一生この悪夢を忘れられないのだ。

「いいんだ。別に」

あきらめていた。もう、現実から逃げることは不可能だと分かったから。

吉川に会いたくても、会えないし。記憶も薄れていく。それと同じ。どんなに願っても、僕はこの腐った世界から逃げられない。何ひとつ、僕の願いは叶わない。

僕はパソコンの電源を入れ、成田はマンガ本を読み始めた。

「なあ、大鳥」

「なに?」

「翔って呼んでいいか?俺のこと武って呼んでも良いから」

「ああ。うん。いいよ」

別に成田の事は良く知らないけど。その時の言葉で、もしかしたら、こいつは誰よりも孤独なんじゃないかって、思ったのを覚えている。


顔を洗ったあとの鏡に映る自分を見てみた。気持ち悪い顔だ。声も、性格も、全てが弱弱しい。垂れた目。無駄にでかい鼻。大量のニキビの痕。一番ひどいのは、瞳だ。死んでいる。生きることを拒絶する瞳。

濡れた指で自分の首に触れた。そこに、あるはずの傷はない。

あの時の根性焼きを成田が消してくれた。

感謝することがありすぎて、申し訳ない。ってか申し訳ないよ。どうして、お前は今此処にいないんだよ。ありがとうって、まだ言えてねぇじゃん。

明日、もし僕が死んで、後悔した事を神様に報告しなければならないなら、それは一つだけだ。成田の名前を呼ばなかったこと。武!って呼ばなかったことだ。


いつも繰り返される目覚めの悪い朝に、重い足取りで学校へ行くと、校庭のほうから叫び声が聞こえた。

やじ馬が多くて何が起こっているのか分からない。ジャンプしても駄目だった。

人を掻き分けて行くと、そこには成田と川森が立っていた。川森の顔が青く腫れている。

「なあ、来いよ」

「くそったれ!」

川森が成田の顔面に向かって、拳を突き出した。成田はその手を余裕でよけ、軽い足取りで川森の後ろに回った。そして、後ろから思いっきり蹴りを入れた。

その後も成田の猿のような動きは止まらず、川森は蹴りを入れられていた。

川森が倒れるまで、成田のカポレラは止まらなかった。踊りみたいに舞っていた。

川森が倒れても、成田の顔は無表情だった。

「売られた喧嘩を買うかどうかは、相手を見たらいい」

成田が最後に痰を顔面に吐いた。赤く染まった拳をポケットに入れ、教室へ戻っていった。

俺のために殴ってくれたんだ。そう思うと涙が零れた。男の癖に…ダサッ…。

チャイムが鳴って、野次馬が消えても、僕はしばらく動くことが出来なかった。

一時間目の授業に川森はいなかった。

成田もいなかった。

休み時間になったら、成田を探そうと思った。

授業が、あと五分で終わる時に成田が教室のドアを開けた。皆、無言で成田を見ていた。先生の動きも止まっていた。成田はその視線にかまわず、堂々と席についた。

成田と三時限目の授業を抜け出して、ゲーセンに行った。そして、また知らない生徒が成田に声をかけ、薬と金を交換していた。仕事が終わった後、薬を売った金でファミレスに入って腹ごしらえをした。

「なあ、此処は何も無いだろ?」

「うん」

「何も無いから、皆イライラしてるんだよ」

「うん」

「川森たちも、満たされるものが見つからないから、お前を虐めている」

「うん」

「他校の生徒もだ。あいつらに出来ることは、バイクを乗り回してシンナー吸っていることぐらい」

「…うん」

「田舎が、こんな環境を作ってるんだ。俺達みたいに、刺激を求めて奴が住んじゃいけない。ジジイ、ババアしか住んじゃいけないんだ」

「それは思う」

「言ったっけ?俺、妹いるんだよ」

「え、知らない」

「妹は精神的に弱いんだ。学校に行かないで、ずっと思いつめてる。環境が環境だからな。耐えられないと思うよ。家はヤクザで、学校に行けば友達ができなくて。俺は精一杯、妹を守ったつもりなんだけど駄目だった」

「何処かに…連れて行けば良いのに」

「たとえば?」

「東京…かな?」

「そこしか、やっぱり無いか」

 あきらめた笑顔を作った成田を見て、自然に僕も同じ形の笑顔になった。

現在の東京に何があるのか、正直知らない。

だけど、何かあるかもしれないと思った。此処には無い苦しみとか、楽しみが。

「なあ、翔」

「ん?」

「それ。消したいか?」

成田が首を指した。

「うん。でも病院にいくのはなぁ」

 母さんに言いたくない。それに、病院にいく金なんて無い。

「そっか。あるぞ。消す方法」

「え?」

「翔の家でやろう」

そう言って、成田は残りのナポリタンを平らげた。羨ましい。僕には食欲がわかなかった。なんだか、今日は特別調子が狂っている。まあ、いつも狂ってるんだけど。

家に帰ってくると、誰もいなかった。机の上にメモ用紙が置いてあった。

「買い物に行ってくるから、お腹すいたら冷蔵庫にある肉まんでも食べなさい」

 上着と鞄をソファーに投げ捨てた。

「翔、消毒液とティッシュと絆創膏…あとカッター用意してくれ」

「あ、うん」

僕の部屋に成田を入れた後、言われた物を用意した。

成田は、箪笥からT‐シャツを取り出し俺の顔に巻いた。

「切り取るの?」

「痛いけど、我慢しろ」

 カッターの刃が出てくる音がした。

僕は唾を飲んで、拳に力を入れた。

首にカッターが当たる。成田は何も言わず、焼きの部分を切断した。

「痛てぇぇ!」

 消毒液をかけ、しばらくティッシュで首を抑えた。暫くすると血が止まったので、絆創膏を張った。

「明日あたり瘡蓋になってるけど、いじるなよ。何もしなければ綺麗に治るから」

「うん」

成田は、何も言わずに手についた血をティッシュで拭った。

次の日の朝、目覚ましに起こされベットから出る。

洗面所で、絆創膏を剥がすと、成田の言った通り焼の痕は瘡蓋になっていた。根性焼きって…消えるんだ。そんなことに感心しながら、ダラダラと支度をして学校へ向かった。

「なあ、翔」

「ん?」

休み時間に川森たちに殴られて、口から血が出た。口の中が最高に痛い。口内炎の痛さが五倍って感じだ。

放課後は川森たちから逃げるため、成田と屋上で空を眺めていた。

「妹を何処かに連れて行きたい。どこでもいい。レストランでも、ゲーセンでも、川原でも。手伝ってくれるか?」

「ああ。いいよ」

「本当か?何処がいい?」

「何処…がいいか…」

 空を見あげた。僕の考えは一つしかなかった。俺に羽が見えなくても、空を眺める権利はある。赤い空に溜め息を吹きかけてみた。


月光だけに照らされた道を歩いてみる。一応、懐中電灯を用意したが、月光も悪くは無いと思った。

携帯電話を見て、時間をチェックした。約束の時間まで、あと一時間ある。僕達は成田の妹にプレゼントを用意した。

自宅から歩いて二十分の所に糞学校がある。

十時二十分に予定通り学校に忍び込んだ。

三階の理科室の鍵を壊して、教室の中に入った。

さすがに、理科室は怖い。人体模型や、標本にされた昆虫達が今にも動き出すんじゃないかと頭の中でイメージしてしまう。

理科室の奥にある準備室を開けて、目的の物を手にした。時計はすでに五十分を指していたので、急いで屋上に上がった。

屋上の鍵はもともと壊れていたので、簡単に出られた。もうすでに、綺麗な星空が僕達を待っていた。

「よかった。曇ってない」

独り言を言いながら準備をしていると、成田達が現れた。

「おう。悪いな。遅れて」

成田の妹は、今にも壊れてしまいそうな細い身体をしていて、とても不健康そうだった。

「挨拶は?」

 小さな子供の面倒を見ている母親のように、成田が妹に声をかけた。

「…こんばん…」

「こんばんわ。大鳥翔です」

僕が先に名前を言うと、ぎりぎり聞き取れる声量で妹も自己紹介をした。

「…アリサです」

成田は苦笑いをしながら、まるで貴重な宝石を扱うかのように、アリサに触れていた。

「アリサ。どうだ、星が綺麗だろ?」

「怒られない?勝手に出てきて怒られない?」

「怒られないよ」

不安そうに兄に縋りつくアリサには、誰にも持っていない美しさがあった。

それは、化粧ではなく、純粋とか色気でもない、女性の美しさ。

「出来たよ」

「おう」

「あの中を覗いてごらん」

成田の言葉に対し、ゆっくりアリサが近づいて来た。僕達は夜の星空を眺めて、アリサの反応を待った。

「わぁ。綺麗」

細い指が望遠鏡をギュっと握り締め、夢中に中を覗いている。僕は成田と目をあわせ、おもわず笑顔を作った。

「それは、輪がついてるだろ?それは土星だよ」

 アリサは、しばらく望遠鏡の中を覗いていた。

僕らは、そんなアリサを見て癒されていた。

「なあ、アリサ。神様はな、人間だけを作ったんじゃないんだぞ。外を見てみれば綺麗な物がいっぱいあるんだ」

成田がアリサの頭を撫でながら言った。この世界は捨てたものではない。成田の言う通り、糞以外に綺麗なものがそこら中に転がっているのかもしれない。

ただ、僕はそれに目をやらないだけなのかも。

「お兄ちゃんも見て」

アリサが成田の服を引っ張って、笑顔を作った時、少しだけ嫉妬した。

もし、僕にも妹がいたら人生違かったかもしれないと思ったから。

家に帰宅したのは、夜の一時だった。一度、ベットに入って目を瞑って見たが、眠気はしばらく僕を襲わなかった。

正直、感動していた。あんな事で、アリサが笑顔になるなんて。

そして、あんなに美しい兄弟がいるのに、周りのせいで汚れていく。

美しい世界なんて本当はないんじゃないか。あったとしても、人間が人間を壊していくなら、もうないんじゃないか。

世の中の仕組みに疑問を抱いた。

 

それから三ヶ月間、僕は虐めを受けながら学校に通い続けた。外は雪が降っていた。

僕は登校拒否という道に行かず、手袋とマフラーをして、相変わらずの糞学校へ向かった。

毎日、自分に気合を入れた。

もうすぐ冬休みだ。もう少しで休める。

 教室に入って、あたりを見渡した。無駄なミニスカート、無駄な化粧、無駄な馬鹿騒ぎ、無駄なバカップルの会話。

成田は今日もいなかった。

数日前から、成田が学校に来ていない。

メールをしても、返事はなかった。

それが原因なのか分からないが、川森達からの虐めはエスカレートしていた。でも、別に良かった。殺してくれ。殴り殺してくれ。そんな風に思ったけど、川森はただ痛みをくれるだけで僕を殺してはくれなかった。

「成田がいなくて、残念だな」

「糞が。お前なんてな、生きてる資格無いんだよ」

 お前もな。いや、実は皆生きている資格なんて無いんじゃないか。じゃあ、死のうか?僕はお前を殺せるし、僕も僕自身を殺せる。いつだって殺せる。だけど、出来ない。人間は馬鹿だから、欲の塊だから、生きる事を選んでいるのかもしれない。糞が。

 散々、川森たちが僕を殴り蹴った後、トイレに連れて行かれた。

「なあ、なんか暑くねぇ?」

「冬なのにねぇ」

「そうだよな?大鳥」

「…いや、寒いです」

「はあ?」

 胸倉をつかまれ、川森の臭い息が僕の顔にかかる。

「…はい」

 じゃあ、脱げといわれたので、制服を脱いだ。僕は上だけだと思ったけど、川森たちは「ズボンも」とリクエストしてきた。

僕は久々に根性焼き以来の恐怖心を感じていた。殴る蹴るなら、まだ耐えられる。だけど、今回は何が起こるかわからない。

寒そうにしている僕をニヤニヤした顔で川森たちが見ている。

お前らは、少年を買いに来たゲイのおっさんか。

川森が掃除用のホースを水道口に差込み、蛇口をひねった。

「な、なに…」

 真水をかけられた。

心臓が止まるんでは無いかと思うぐらいの衝撃だった。

冷たく、そして体中が痛みで動かなかった。

「気持ちいいだろ?」

はい、としか言えない自分がすごく惨めで、辛かった。

 水が気管に入って、咽た。苦しそうにしている僕を楽しそうに川森たちが見て、僕はなんて可哀想な奴らなんだろうと思った。

これしか、楽しみの無い、ちっぽけな人生。

自殺を勧めようとしたが、また殴られるのが怖かったので黙っていた。

チャイムが鳴って、川森たちは満足気に便所から出て行った。

僕は濡れたまま制服を着て、家に帰ることにした。

濡れたまま、雪道を歩くのは最高にきつかった。足が動かない。頭が痛い。学校へ引き返したくない。早く、早く、家について欲しい。

 家に着いたときには、体がボロボロだった。シャワーを浴びて、風邪薬を飲んで、寝ることにした。

眠りに落ちそうになったとき、玄関のベルが鳴り響いた。

 無視をしたけど、鳴り止むことは無かった。窓の外から、僕の名前を呼ぶ声がしたので起き上がって、窓を開けた。

「成田…」

 目が紫に腫れている、成田がいた。僕は急いで、階段を下りて玄関のドアを開けた。

笑顔で立っていた成田を家に入れた。

「どうしたの?その傷」

「ああ。親父と喧嘩してな」

「それで、学校に来なかったの?」

「いや、来なかったのは色々あって。今日はその報告かな」

「そっか。まぁ、座ってて。なんか持ってくるから」

 戸棚を開け、お菓子を探した。だけど、あったのは買い溜めしていたノリと缶詰だった。

「アリサが、死んだ」

「え?」

「葬式も火葬も全部終わった」

 初めて聞く成田の泣き声だった。

僕は何を言っていいのか分からなかったから、戸棚を閉め成田の隣に座った。

「俺さぁ…」

「うん」

「俺はなんで此処にいるのか、わかんねぇんだ」

「うん」

「あいつ、自分の存在について考えてたんだと思う。きっと、この家が明るくないのも自分のせいなんだって思ってたと思う」

「…」

「あの日も、親父と殴り合いの喧嘩をしたんだ。そしたら普段、自分の部屋から出てこないアリサが、ナイフを取り出して叫んだんだ。アリサはこの世に生まれるべきじゃなかったんだ!って」

「うん」

 成田の涙や、震えている声につられて僕も泣いていた。というか、僕もアリサには死んで欲しくなかった。

何の罪もない、あんなに可愛い女の子が死んだ事が僕も悔しかった。

「その後な、ナイフを高く振り翳して…自分を刺したんだ」

「…うん」

「痛かったと思う。怖かったと思う。でも、死んだほうが良かったんだって本人は思ったんだと思う」

「どうして、そんな」

「俺のせいなんだ。全部、俺の…追い詰めちまった」

僕には、友達にかける慰めの言葉を見つける事ができなかった。男の涙がこんなに綺麗で、女の涙よりも純粋さを持っていると僕は初めて知った。

「俺は、アリサを一人にはしない。絶対に」

望遠鏡を覗き込んだ、アリサの喜んでいた顔を思い出してみた。生きている中で少しでも喜びを感じられたアリサに感謝してる。その喜びが僕らの喜びのようなものだったから。

「可哀想だよな。何が楽しみで生きてたんだろう?」

 本当に。でも、それは僕達にも言えることだ。

「なあ、翔」

「何?」

「俺が先に死んだら、お前どうする?」

「え?」

「なんでもない」

 しばらく、沈黙が続いた。僕は正直に答えるため適切な言葉を捜してみた。

「死んだら…死んだら、僕は悲しむ」

考えてみたけど、単純な言葉しか見つからなかった。

だけど成田が少し笑った。涙を見せた後だからか、すごく嬉しそうにみえた。


翌日、先生が朝のホームルームで、成田が自殺した事を伝えた。持っていた薬を全部飲み込んだらしい。

皆のリアクションは、そんなに大した事はなかった。

休み時間に、一人窓の外を見てみた。外で川森達が雪合戦で遊んでいた。

笑いながら走っている。それを見ながら僕は心の中で成田に聞いてみた。

「なんで、僕を置いて行ったんだ?」

 後ろから、女子の声が聞こえた。聞きたくもないのに、ウザイ声が耳に入ってくる。

「ねえ、やっぱり、頭おかしかったのよ」

「こわーい。薬、売ってたんでしょ?」

「ねえ、その薬物飲み込んで死んだんでしょ?」

「自殺じゃなくて、薬物の乱用じゃない?」

「うわー。超間抜けだし」

クサレマンコ達のいつもと変わらない陰口に、初めて僕の体が動こうとしている。

もう、限界だ。我慢なんてできない。

体がいう事を聞かずに、震えだしていた。

「わあああぁぁぁ!」

 相手は女子。

人を殴ったり蹴ったことはない。それは、暴力という物がどれほど人の心を傷つけるか僕は誰よりも知っているから。

でも今回は許せなかった。

成田は此処にいるクズどもよりも人間らしく、誰よりも悩んで苦しんだんだ。誰が僕を助けた?誰が成田を知っている?ふざけんじゃねぇ。

思いっきり助走をつけて、陰口叩いている女どもにドロップキックをした。

女は、廊下まで突き飛ばされ、そして泣いていた。もう一人のクサレマンコの髪をつかみ唾を吐いた。

「死んだ人の悪口を言うな。馬鹿どもが」

 時間が止まった気がしたが、でも気のせいみたいだ。確実に時計の針は進んでいたから。

 

先生に呼び出された。

「どうしたんだ?お前が問題を起こすなんて」

「・・・別に」

「遠藤たちに謝ってこいよ。蹴りを入れたりしたらしいじゃないか」

「あいつらは、成田を悪く言った」

「大鳥は仲が良かったのか?」

「ええ。彼しか僕を助けませんでしたから。先生みたいに、見て見ぬふりをするような人間じゃなかったですから」

「・・・川森達の事か」

「僕を人間扱いしたのは成田だけでした。あいつは、優しい奴です。先生も、皆も、全然あいつを理解しようとしなかった」

「だけどな、暴力はダメだ」

「先生。僕は、暴力がどれほど精神的に人間を追いつめるか、誰よりも知ってます。そんな僕が、あいつらの言葉を聞いて、自分自身を止められなかったんです。死んだ人間を馬鹿にする女を蹴って何が悪いんですか」

「・・・お前の気持ちはわかった。私のほうからも、遠藤たちに事情は話す。だけど、お前も謝れ。相手を傷つけたのには変わらないから」

 僕は、これ以上はなしても無駄だと思った。この人は、トラブルに巻き込まれたくないだけなんだ。そっか、ならいい。別に先生の人生の邪魔をする気はないから。べつにいい。ただ、彼を先生なんて二度と呼びたくはなかった。


成田の葬式に行った。家は古いが立派な門が立っていた。

成田の両親は葬式にもかかわらず派手だった。

父親は体格がよく、金のアクセサリーが目立っていて、母親のほうは、葬式だというのに真っ赤な口紅をつけていた。

僕は全てを睨みながら、成田に線香をあげた。

「悲しませるために、死んだのか?」

心の中で、成田に問う。だけど、成田の返事は無い。

「だったら…だったらさぁ。僕も連れてけば良かったのに」

目を開けると、風もないのに蝋燭の日が激しく揺れていた。

合わせていた手を離し、両親に礼をすると母親が俺を呼び止めた。

「あの…」

「はい」

「大鳥翔君?」

「そうです」

「あの子の机の上に、貴方への手紙があったんです。それとこれ」

 成田の母親から手紙と青いサングラスを受け取った。

母親は自分の席に戻り、僕は泣くのをこらえながら家に帰った。

葬式から戻り、まず部屋着に着替えた。

手紙を読む勇気がなかった。

きっと、泣いてしまう。だめだ。泣きたくない。

ベットに横になり、しばらく机の上に置いた手紙とサングラスを睨みつけた。

駄目だ。読まなくても、もう泣いてる。

涙が出てきてるよ。どうせ、読んでも読まなくても、泣くなら読んでしまおう。

手紙を乱暴につかみ、中を開けた。手紙は短かった。僕達が過ごした時間と同じぐらいの長さ。


翔へ

お前には感謝してる。本当に、ありがとう。死ぬ前にお前に会えてよかったよ。

まだ、やり残した事はあったんだけど、アリサを一人にしたくなかったから…先に逝く。ごめん。

だけど、俺の人生そこそこ満足だった。

お前が、本当の俺を知ってもらえた。

だから、それだけで十分だと思ったんだ。

お前は生きて、生きて、強くなって、糞どもを倒せ。

形見として、俺のサングラスもらってくれ。

天国で会おう。


武より


 涙と鼻水が流れて、流れて、泣くことを止められなかった。

手紙、短すぎるよ。なんで、お前は生きないんだよ。てか、生きろよ。アリサだって、そんな事願ってなかっただろ?なぁ、誰か僕に返事してくれよ。一人じゃん。また、一人じゃん。正直言うよ。怖いよ。怖いんだよ。一人であんな糞学校でどうやって…。てかもっと一緒にいたかった。それだけだよ。成田。

 サングラスをかけてみた。鏡に映った自分を見たが、全然似合ってなかった。駄目な自分を笑った。

あはは。あははははは。

その時、僕は誓った。

駄目な自分を捨てて、強くなろうと決心した。弱くて、自分を殺して、毎日についていけてない自分を捨てよう。

だけど僕には、いまいち分からなかった。

強さってなんだ?


それからの僕は、変わったと思う。

葬式の次の日、教室のドアを開けると川森達が僕を待っていた。

僕の肩をつかまれたので、睨んでやった。

「何、睨んでるんだよ」

「うっせーよ。どんな目つきだろうが、おめぇには関係ねぇだろうが」

 これは漫画の台詞。自分の言葉なんてない。

「はぁ?生意気…」

 川森には悪かったが、喋ってる途中で殴ってみた。

それから、僕の中のスイッチが入ったんだと思う。

倒れた川森の上に乗って、顔を殴り続けた。

 他の奴らは、僕の暴走に引いてた。

「や、やめろよ」

 小さな声で言ってた。やめろ?そんなこという権利あるかよ?人を苦しめてきたお前らに。

結局、僕を止めたのは先生だった。

「先生!離してください!」

「大鳥、やめろ!落ち着け!」

「離せ!離せ!離せ!離せ!離せ!離せよ!」

 そのまま、先生に引きずられながら教室を出た。それ以来、川森達は僕とかかわる事をやめた。

結構、川森が弱いことが分かった。殴るのは上手いけど、殴られるのは慣れてないみたいだ。

馬鹿だ。糞だ。最低だ。誰が?僕が。糞だ。今まで、何もしてこなかった。

あんな長い間、我慢して。こんな簡単に、変えられたのに。馬鹿だ。

 それから川森達は、ターゲットを変え他の生徒に手を挙げていた。あいつらは、成長してないみたいだ。ちっとも。

誰にも声をかけられなくなった僕は本当に一人になっていた。

成田みたいに、一人になった。誰も僕の名前を呼ばなかったし、誰も僕の存在をみとめてくれなかった。

それは心が空っぽになったみたいな感覚で。生きてる事が苦痛になっていた。

「死にたい」

 自然に僕の口癖が出来た。初めて出来た口癖だった。


綺麗過ぎる夜空を眺めてみる。

飛べる権利があるのは、羽を所有している者だけ。

僕には、鳥の様な丈夫で、蝶の様な綺麗な羽が背中に生えていない。

もし、神様が気まぐれで人間に羽を生えさせたら、僕は天国へ行きたい。いや、飛べるのだから世界を見てまわろうか。

母さんが買ってきたアイスを食べながら庭の縁側に座って、外を見てみる。急に東京が恋しくなった。

「翔、アイスキャンデー食べるか?」

「もう、食べてるよ。それに、キャンデーじゃなくてアイスキャンディーね」

 ばあちゃんが「そっかそっか」と言いながら自分の部屋に戻っていった。

今、僕は登校拒否をしている。学校という戦場で負けた。心に傷を負って。

成田が死んで、虐められなくなって、皆にハブられて…もう学校に行く意味がなくなった。

毎日何もしていない僕は、時々ばあちゃんと散歩に行く。

そして、僕はいつも畑の数を数えてみる。

「今もし、ここで道を聞かれたら僕はなんて言えばいいんだろう?」

「ん?」

「そこの畑を右に曲がって、で畑が見えたら左に。沼が見えたら、また右に。吉井さんの米畑の前に山下さんの家がありますってか」

くだらない事を考えていたけど、冷静に考えるとすごく嫌だった。

こんな田舎に住んでいても、楽しみなんてない。コンビニが遠い。坂道が多い。虫が多くて、夜にお店はやってない。開いてるとすれば、おっさん達が行く、スナックぐらいだ。夜の外灯も無く、交通手段も不便。

だけど、僕には一つだけ楽しみがある。それはインターネットの世界だ。

チャット、小説、音楽のダウンロード、掲示板、笑えるサイトなど、僕にとって此処が一番安らげる所だったりする。

時間があれば、掲示板を見て回る。掲示板には、色々なタイトルがあった。

メルトモ募集

セフレ募集

グラビアアイドルNさんの覚醒剤使用について

ネカマ

芸能人の噂

テレビ批判などなど、人々との交流が出来る。

マウスをスクロールしながら、自分がパートナーを募集した掲示板を探した。

「死にたい人の掲示板」

掲示板には、自殺願望がある人々がメッセージを書き込んでいる。遺書みたいなものだと思う。一緒に死んでくれる人を探したり、誰かに助けを求めてる人がいたり。中には、リストカットした後の写真が載っていた。ありえない。だけど、人の事言えないか。


タイトル:『虐待』 By うるるん

お母さんの再婚相手に虐待されています。一番苦しまないで死ぬ方法知っていますか?


タイトル:『痛いんです』 By 來来

三ヶ月前、五人の男友達にレイプされました。お腹と性器が痛いです。助かる方法が見つからないから死にたい。誰か助けて。


タイトル:『無題』 By ヴォイス

死ぬことを逃げ道にしないで。絶対に幸せが見つかるから。生きたくても、重い病で生きれない人に失礼だよ。


タイトル:『駄目ですか?』 By ミサ

彼氏に振られて、自殺未遂しました。皆は私のことキチガイだといいます。理由が軽いからといって、誰も私の辛さを理解してくれません。駄目ですか?失恋の痛みで死んだら駄目ですか?


最初、この掲示板に来た時、僕は死にたい人間の多さにびっくりしていた。この世で苦しんで、悩んで、辛いのに、死ねない人々がいる。何処にも羽ばたけない人間を作った神様は残酷すぎる。苦しいなら、飛べばいいのに。


タイトル:『私も。』 By ベル

私は空を飛びたい。ビルだらけの街から飛び立ちたい。でも死ぬ勇気がありません。どうですか?一緒に飛びませんか?


 ヘッドフォンをして、音楽の音量をMAXにした。僕は、この地から離れたい。死へ向かわなくてもいい。でも、楽の世界があるならそれは死後の世界な気がした。


タイトル:『僕でよければ』 By 翼

顔も見たことない僕でよろしければ、一緒に飛びませんか。きっと、お互いの背中を押せば、上手く飛べるはずです。

メールくれたら嬉しいです。

僕はイジメを受けています。今は、登校拒否してます。

生きてる意味のない生活から抜け出したい。


僕の携帯のメアドを教えて、パソコンの電源を切った。しばらく横になったら、すごく煙草が吸いたくなった。不思議だ。そんなに好きでもないのに。

 しばらく、死について考えてみた。死後の世界なんて本当にあるのだろうか?鬼さんとかいるのだろうか?閻魔さんは本当に舌を引っこ抜くのか。本当に地獄鍋とか、針山とかあるのだろうか。

きっと、僕は地獄に行く。誰かを幸せにしたことないし、逃げてばっかりだし。自分で自分の命を失おうとしてる。てか、短所だらけだな。僕。

地獄をイメージしていると、メールが来た。携帯の画面を見ると、知らないメアドからだった。


「いつ死にましょうか?私が飛びたい理由。両親の束縛ですね。もう、生きるのがイヤになったんです」


ベルからだった。僕は完全に開けられない目をこすり、メッセージを書いた。


「いつにしましょうか。僕はいつでもいいんですけどね。どこに住んでますか?飛ぶ場所決めないと。僕がそっちに行ってもいいし」

 

僕は、起き上がって彼女の返事を待った。五分後にメールが届いた。


「翼さんはどんな空を見て飛びたいですか?私は夜空のほうが好きです。ネオンに包まれた東京を見ながら飛びたい。部屋から見える東京のネオンが好きなんです。見たことありますか?レインボーブリッジから見たお台場の夜景。すごく綺麗なんですよ。翼さんはどうですか?何を見ながら死にたいですか?」


何を見ながら死にたいとか、考えたことがなかった。ただ、飛べる感覚を知りたいと思っただけだから。自由が欲しい。此処にいることが嫌なんだ。


「東京のネオンってそんなに綺麗なんですか?いいですね。僕の住んでる町は、田舎だから。でも、綺麗な星はありますよ。何を見て死にたいとか、考えたことはなかったな。でも、ベルさんが望むなら東京で飛びましょうか?」


テンゴクかジゴクか。死んだらどっちに行くのだろうか?此処にいるのが、ジゴク。ならば別にどっちでもいいかもしれない。

このまま生きていても、会いたい人にも会えない。生きている意味がない。楽しさも面白さもないなら、地獄のほうが刺激的でいいのかもしれない。


「じゃあ、明日またメールします。今週中に飛びましょう」


彼女のメールを読んで、僕は眠れなくなっていた。

「今週か…」

 もうすぐ、開放される。

後悔すること…会いたい人に気持ちを伝えられなかったこと。それと、成田の名前を呼べなかったこと。

どう喚いたって、後悔は消えない。そんな事分かってる。分かってるから、僕は飛ぶ。

がんばったって、誰にも認めてもらえない。人に憎まれるのが僕。人に見下されるのが僕。人に罵倒されるのも僕。

僕の幸せってどれだったんだろう?


「明日メールします」というのは、嘘だったみたいだ。

朝からパソコンに向かって、夕方にはテレビを見ていた。

その間、携帯は震えなかった。

数時間前に知り合った人の話を信じるほうが馬鹿なのだろうか?

時計が進んだ。どんどん進んでしまって、なんだか時間が可哀想になってきた。何もしないで過ぎていく時間。本当にこれでいいのか?

僕の心はイライラした感情に支配された。こんな事していていいのだろうか?このまま、僕は死んでいくのだろうか?イヤだ。こんなところで死にたくない。

立ち上がって、クローゼットからジャケットを取り出した。

大学ノートから紙を破り、雑な字でメモを書いた。

「ごめんなさい。感謝してます。僕のことは心配しないで」

 携帯と財布をポケットに入れ、玄関へ向かった。靴をはいている間、母親に呼び止められた。

「座りなさい」

もう、やめてくれ。もう、関わらないでくれ。もう、話なんかしたくない。

「何?」

「別に、学校行きたないならそれでいいわ。だけど、高校は行きなさい」

「なんで?」

「行くべきだからよ」

「で?」

「高校行って、大学行って就職するの」

「それで?」

「同じクラスの子は、もうほとんど進学先決めてるんですって」

「っそ」

「あんた、夢ないの?」

「ない」

「高校出た後、何してもいい。専門学校でもいいわ。お願いだから、高校行って」

「もう、その話やめよ」

「なによ」

 今は、マジな話は勘弁。もう、将来なんて僕にはない。僕には、死という道しかないんだよ、母さん。

もう、いいじゃん。もう、十分生きたじゃん。ね?

「今、ちゃんと決めなきゃだめよ。高校へ行きなさい。社会人になったときのこと考えなさいよ」

「今、じゃないよ。決めるのは」

「いつよ。今はいいかもしれないけど、子供じゃなくなるんだから。答えを出してよ」

「今の僕には何も決められない。答えが出たところで、僕に安定なんてないよ」

 死を考えてる息子に、将来の事を真剣に考えてる親を見てちょっと笑えた。

「そろそろいくわ」

「待ちなさい」

「考えとくから」

「どこ行くの?!」

 話の続きなんかどうでもよかった。母親の声をシャットアウトするために迷わず、ドアを閉めた。

母親の声を聞くのがこれが最後なんだと気づいた。でも、早く家の暗い空気から逃げ出したかったからこれで正解だ。外に出ると夜が綺麗だった。あの中の星に早く混ざりたいと思いながら、駅へ向かった。

 電車の中で、MDを聞きながら母さんの事を考えていた。今頃、母さんはどうしてるんだろう?飯でも食べてるのかな?僕の部屋のメモ見つけたのかな?てか、僕って結構親不孝もんだな。

 ベルにメールをした。今から飛ぶけど、どうする?って。もし、彼女が来なくても僕は一人で飛ぶつもりだ。東京のネオンにつつまれながら飛びたい。

もう、後戻りなんて出来ない。

「いいよ。会おう」

彼女からのメールがすぐに返信されてきた。待ち合わせの場所と時間を決め、携帯を閉じた。

死へのカウントダウンが進んでいく。盛り上がってる気持ちと、不安な気持ちが混ざった。そうゆうのを緊張って言うんだっけ?その緊張で何回もトイレで吐いてしまった。


新幹線で、二時間半。意外に東京が近かったことが分かった。東京駅で山手線に乗って、池袋に向かった。

生まれ育った街は、頭の中に入っている記憶とはまったく違う街になっていた。

「どこだ。ここ」

 自分の通っていた小学校はあった。工事をしたのか、建物は綺麗になっていた。

校庭に行くと、あの頃のままで懐かしかった。

サッカーに夢中だったあの頃の思い出に浸っていたら、携帯が振るえ、ベルからのメッセージが届いた。


「いまどこ?」


 僕が池袋の小学校にいる事を伝えると、代々木にあるビルの屋上に来るように指示された。

もう、僕の命はないも同じ。僕の人生のゴールは、あと少し。

 学校を出て、代々木に向かった。電車の中にテレビがあることに驚いてしまった。

携帯でビルの地図を検索した。ビルの前に着くと、塾生達が出てきた。

もし、僕が東京にいたらこうゆう場所に通ってたのかもと思った。

エレベーターは生徒が使っていたので階段で登ることにした。十階まで登ると、屋上のドアが開いていた。

外に出ると、白いコートを着た女が夜の街を見ていた。

「はじめまして…」

 僕は驚いた。そして、彼女も驚いていた。

「もしかして…翔くん?」

「え、吉川?」

 偶然の再会に僕はなんて言えばいいのかわらなくて、混乱してしまった。

吉川は綺麗だった。昔の可愛さを残して、とても綺麗になっていた。

「吉川がベル?」

「うん」

僕は笑っていた。彼女も僕につられて笑っていた。会いたかった人に会えてしまった。

「どうする?」

 僕も思った。どうしよう。このまま、吉川と飛ぶのも悪くない。だけど、今までの想いの方が強くて、正直な気持ちが溢れ出た。

「んー…正直な話さ。吉川には死んで欲しくないかも」

「え?」

「これ、覚えてる?」

 僕は袖を捲くって、五年間外さなかったプロミスリングを吉川に見せた。

「え…嘘」

「これが、あったから奇跡的に俺は今生きてる。いじめにも耐えられたし。あの時さ、すごく嬉しかったんだ。吉川が泣いてくれた事が」

「つけててくれてたんだ…ありがとう」

 僕のほうが言いたかった。ずーっと言いたかった。もう、会えないと思っていたから諦めていたけど。本当に感謝している。

「僕がいなくなって、泣いてくれた吉川に死んで欲しくないんだ」

 僕は彼女の手を取った。

そのまま、僕達は屋上から見える東京を眺めた。

吉川が言っていた通り、夜景はとても綺麗だった。

「宇宙から見ると、東京が一番光ってるんだって」

「そうなんだ」

 僕は大切な人を殺すほど、ひどい人間じゃない。

「生きよう。吉川」

 彼女は、何もいわなかった。

「私…飛ぶわ」

「僕が泣くとしても?」

「もう、耐えられないの。束縛に」

「誰からの?」

「親よ。ずーっと携帯がなるの。さっきから」

「心配してるんじゃない?」

「違う。こんなの心配じゃない。普段友達と遊びにいくだけで、携帯が鳴り止まないのよ。出ても、出ても、どこにいる、何してるって聞いてくる。家にいなきゃ、私の自由なんてない」

「家…出ればいいのに」

「まだ、中学生だよ。無理よ。一人で生きていくなんて」

「いや、高校で寮に入ればいいんだよ。なにか逃げ道はある絶対に」

 僕は学校から逃げたくて、吉川は家から逃げたがってる。なら、逃げようじゃないか。

「逃げよう。どこかにあるよ。逃げ道」

 死が全てじゃないなんて言わないけど、こんなに感動する日があるなら、もう少し生きてみてもいいんじゃないかと思った。

「僕は、これから東京で生きる事にする」

「私は…これから探してみる。でも、見つからなかったら…」

「みつかるよ。みつけようよ。僕、本当に吉川には死んで欲しくないんだ。俺も探すよ」

 吉川が笑った。僕は安心した。

「じゃあ、ゲームね。長生きしたほうが勝ち」

これから、また荒い波に飲み込まれても必死に泳がなきゃいけなんだ。

なんとなくわかった。成田の手紙で、お前は強くなれの一言が。きっと、成田は僕に死んで欲しくなかったんだ。

それは、僕が本当の成田を知っているから。いや、彼を理解したからだと思う。

僕も同じだ。僕を思ってくれていた吉川には死んで欲しくない。僕を認めてくれた人。強く、生きて欲しい。

僕は吉川の手を握ったまま家まで送ることにした。

「大丈夫か?」

「うん。たぶん大丈夫」

「なんかあったら、いつでも連絡して来いよ」

 家に入っていく吉川の後姿を見て、今夜のことが全てが奇跡だと思った。

会いたい人に会えた。

僕は不意に父さんの事を思い出した。

 携帯に入っている、父親の住所を調べて会いに行くことにした。


父さんの家は新宿にあるマンションだった。

部屋番号を押して、インターホーンを鳴らした。

「はい」

「僕です。翔です」

「翔?…どうしたんだ。今あけるから早く入りなさい」

 自動ドアが開かれ、中に入った。エレベーターに乗って、父親が住んでいる階で降りる。

ドアの前に立って深呼吸をすると、ベルを押していないのにドアが開いた。

「でかくなったな」

「お父さんは…老けたね」

 そう、四年半ぶりに会った父を見て少しショックだった。皺の多さと顔全体の肉が落ちていたから。

時の流れの速さを感じた。

「そうか?まぁ入れ」

 部屋に入ると、さっき見た夜景が窓に映っていた。

「綺麗だね」

「ああ。だから、ここ借りてるんだよ」

 父さんがお茶を出してくれた。

「派手なサングラスだな」

「うん。派手だね」

 静かな夜だと感じた。だけど外は騒がしい。この部屋の空気は暖かくて、静か。

「お父さん」

「ん?」

「さっき。死のうとしたんだ。でも…死ななかったよ」

「…どうしたんだ?なんか、あったのか?」

「父さんに聞きたい事があったから」

「ん、なにを聞きたかった?」

「僕が死んだら、悲しむ?」

「そりゃ、当たり前だろ。お前に会いたかったし。親父らしいことしてなかったし。後悔だらけだろうな。お前に今死なれたら」

「そっか…じゃあ死ぬのやめて正解だったね」

「ああ…俺より先に死ぬのはよせ」

「うん」

 なんだか、悲しくて、嬉しくて。

僕が今まで走ってきた道のりを考えると、短く感じるんだけど。すごく、すごく疲れたんだ。

「こっちに住んでいい?」

「ああ」

「生きるなら、職探さなきゃな」

「そうだな」

「生きるなら、夢見つけなきゃな」

「そうだな」

「今まで、死ぬことしか考えて無かったから。無駄に時間をつぶしちゃったよ」

「それでいいんじゃないか?」

「いいの?」

「俺を見てみろ。親父の目を気にして生きても、幸せそうに見えるか?」

「…わかんないよ」

「お前の母さんと結婚したけど、別れて。いつも同じ仕事して。これが俺の人生なのかと思うと後悔だらけだよ。だけど、お前にはまだ時間がる。これから生きる目的を探して遠回りしたっていいじゃないか」

「間に合うかな」

「間に合うさ。絶対」

 僕は泣いていた。父さんの前では、涙なんて見せたくなかったのに。父さんは僕を抱きしてくれた。その時、分かったんだ。僕が今まで求めてきたのは、暖かい手だという事を。別に、辛くて死にたかったんじゃない。別に、悲しくて死ぬんじゃない。僕が此処にいる事を当たり前に思われたくなったんだ。

 精一杯泣いて、精一杯自分が息している事を確かめた。戦って、戦って、何も勝ち取らなかったけど、だけど生きてればいいんだよね?

 お父さんが風呂に入っている間、僕はベランダに出て東京の夜景を見ながらタバコを吸った。

 ここがスタートで、きっとここでゴールを迎える。走ろう。死ではなく、生の道へ。

僕の変わりに、タバコを窓から投げ捨てた。サヨナラ、今までの自分。さよなら、今までの過去。




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