無限想歌:超えるべきもの:兄妹
自分自身は何者なのかーーーということを明言することは、たやすいことではありません。
では、上の文の『自分』を「あのひと(他人)」に置き換えたときは?
漠然とではありますが、自分のときよりも、答えが出やすいはず……?
tips~超えるべきもの:自己から成る因果:寿小羽
因果というと、
なぜか「線」としてイメージされることが多い。それは、この世界の基盤が科学(あるいは類似の技法)の上に成立しているためだと思われる。
しかし実際は、それほど単純ではない。ある意味では、因果は二次元としても表現できるし、その積算としての、三次元でも表現しうる。
要は、スケールの問題なのだ。「線」まで落とし込める因果と、「立体」まで引き上げられる因果ーーーあるいは、その先もまた、然り。もし、科学でこれら階層間の連続性をひも解こうとすれば、どこかに捻れが生じるのが定石。
……そうであるからこそ、「屁理屈」は成立する。
Tips~超えるべきもの:縁:東利也
いつだって、人という存在は勝手なものだ。
自身が何者であるかも分からなぬくせに、他人には「こうあるべき」と説くーーーあるいは、「そう在ること」を切望する。
そして仮に、自身を定義できるものであったとしても、「そのモノが抱く自身像」と「真実のそれ」とはかけ離れていることが多いーーーそれは、葛藤として、定義したもの自身を苛むことになる。
そうであったとしても、避けてはならない。その葛藤は、たとえ答えが出ないものだとしても……それでも、確実に葛藤者は、その亀裂の先で、真実へと近づけるのだから。
東君が超えるべきものは、縁。
あるいは、それが与える影響力です。これは、「二次元(面のような)の因果」を想定しています。
んで、小羽ちゃんはまだ小さいということで、単純に自分自身を。
これは、一次元(線のような)の因果を想定しています。
まあ、実際のところ、二つにはあんまり差はないのですが、物語りの構造上、そういう設定にしております。その意味は、あとあと表現できればと思っています。
次回は、謳歌:歪曲する因果3:迷走する想い1:東利也&峰岸燈火です。此処から先しばらく、兄妹は別行動です。そして、それぞれの超えるべきものと向かい合ってもらいます。