謳歌:相克する因果3:東利也&寿小羽
謳歌:相克する因果3:東利也&寿小羽
ーーーーアカシックレコード:親が子をすてるときーーーー
どんよりとした雲空の下、少女は腕に抱いた赤子を見て、笑った。
そして、「ごめんね」と一言だけ言葉をかけると、用意しておいたバスケットの中に赤子を収めた。
赤子は、相も変わらずキャッキャと嬉しそうに、少女でありながら母親でもある存在に、小さな手を伸ばしている。それは少女からすれば胸を抉る仕草であり、自身がこれから犯そうとする罪を断罪する、審判のそれでもあった。
少女は一歩下がり、赤子から距離を置いた。
そして瞬間、その身を翻し、走り去った。
それが、全てである。
そしてこのとき、赤子は過去から断絶され、未来という業を担う運命に、片足を踏み入れたのだ。つまりは、ここが東利也の始まりである。
もちろん、東利也が発生するには、その前段階である少女と男性との「ある行動」が必要なわけであり、さらにはその行為に行き着くまでの、ささやかで幸せだった時も語るべきなのであろうが、しかし、それは捨てられしまった彼には、何の関係もないことである。
―――ことが成されてから十数年の時が流れるに至り、少女は利也のもとに現れていない。それは彼のことを気に求めていないが故の所行なのか、はたまた別の理由があるのか。
いずれにせよ、ハッキリしていることはただ一つ。
母親であった少女は、自身が母親であることを拒み―――自身の赤子を、ろくでもない世界に独り、放り出した。
そして。
その、ろくでもない世界は―――少なくとも、彼が放り出された世界は、彼を、見捨てはしなかったということである。
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謳歌:相克する因果3:東利也&寿小羽
兄さまは自身のことを、孤児だとおっしゃった。
理由は分からないけれど、自分は生みの親に捨てられ―――そして、育ての親に、拾われたのだと。
そのことを話して下さったときの、兄さまの中には―――
―――そこにあったのは、子を捨てた親に対する憎しみではなく、育ての親に対する、深い愛情だったように思う。
「寂しくは、なかった。
学校じゃ少しばかり浮くこともあったけどな。でも、寂しくはなかった。
……いろいろ不便だったりもしたけどな」
物心ついたときから、兄さまには血の繋がりが無い家族がいて、当たり前のように、兄さまと供にあった。
年上の家族達は横暴で容赦なかったし、下の家族は下の家族で、口を開けば憎たらしかったらしい。
もちろん、多くの家族がいるものだから、兄さまだけが優遇されることは無かったとのこと。
兄さまが小学校に入学したときも、その背に背負って歩いたのは、傷だらけのランドセル。初めて臨んだ運動会も、お下がりのボロボロの靴。筆箱なんて、輪ゴムで止めるような、蓋が締まりもしない只の箱。
「不満なんて、言い出せばきりがなかった。
でも、それだけだった。細々とした不満はいくつもあったけれど、でも、寂しくはなかったな」
寂しくはなかったと、兄さまは笑った。
孤児である兄さまの授業参観には、本来の、「親」は来てはくれない。けれど、生みの親の代わりに、血のつながっていない「家族」が、当たり前のように出席してくれたらしい。
―――たったそれだけのことに、どれだけ自分が救われていたのかを知ったのは、本当に最近だとも―――兄さまは、語った。
「今の世の中はさ、色んなモノが溢れてる。
お前の時代からすればさ、考えられないだろう?
飽食のシステムは飢餓を駆逐。
医科学の発展は病という領域を徐々に侵攻。
建築技術の向上は天災がもたらす死を緩和し、人に快適な生活を約束した。
そして……」
孤独という名の病が、徐々に人の心を犯しつつある、そんな時代になったのだと、兄さまは目を細めた。それは、神すらも殺す、最悪の毒らしい。
本来は、孤児であるはずの兄さまが、真っ先に受けることになるはずのモノ。そして、それは当たり前のことで、この世界に放り出された兄さまと同じ境遇の子供たちは、ほとんどがその毒に当てられて、「何か」を憎むようになるのだとも。
……私は、兄さまの手に、そっと自分の手を添えた。
ただそれだけのことが、とても大切なのだと言われたばかりだから。
そして、だからこそ。そんなことを、大切だと言い切る兄さまだからこそ―――私は今、兄さまの隣に居られるのだと、感じられる。
「まあ、なんだかんだで俺は恵まれてるわけだ。
で、まあ、なんだ。色々世話になったから、恩を返したくてな。
それで、今の学校に入ったわけ。ダメもとで受けた所だったんだけど、これが何か知らんけど受かってな―――友人からは、ドリームジャンボ当てるより凄いとかも言われたよ……なんか、釈然としないけどな」
そして、兄さまは、誇らし気に語りだした。
これまでに受けた、色んな恩に報いる為の、絵空事を。
それはきっと夢と呼ばれるもので、そして、その中には。
「だから、由香とも、一緒になりたいって思ってる。
俺が今此処にこうして居られるのは、あいつの――――「にいさま、今度は私の話も聞いて下さい!昔々の話ですけれど、兄さまのことを知って、兄さまにも、私のことを知ってほしくなりました!」」
――――私は、「わたし」でいるために、兄さまの言葉を遮った。
跳ね起きるようにして起き上がり、寝転がっている兄さまの顔を見下ろす。
……兄さまは、最初こそキョトンとしていらしたけれど、すぐに、「ほんと、お前は……」と苦笑しつつ、受け入れて下さった。
それに甘えて、私は色んなことをお話した。
話して話して、話し尽くした―――それとても楽しい時間で、幸せな時だったように、思える。
謳歌:相克する因果4:東利也&寿小羽