keyA-1,D-1共通:絆の奇跡
俗に言う想定の範囲内?
keyA-1,D-1共通:絆の奇跡
ーアカシックレコードー絆の奇跡
魔法という概念は、『世界』と『世界』の間にある「相互理解」を持って成される、普遍的な現象の一つである。ただし、この定義は今日において「広義的な意味」と解釈され、いわゆる魔法という現象の「本質」として用いられることは無いくなった。
その理由は、単純である。
いわゆる権力者ーーーセントラルにおける魔法使いや、あるいは、彼らの弟子である魔術師を"名乗る"技術者たちにとってのそれは、『自身』と自身を『内包する強大な世界』という、ひどく狭い領域にのみ限定されているのが常であるからだ。
そう。
そう、彼らにとっての魔法使いとは、「世界より奇跡をくみ上げるもの」であり、そのことをもって「0の対価で1の益を得るもの」ーーーつまりは、価値の創造を世界の肯定を持って許された存在ーーー転じて、世界の秩序の施工者なのである。
……しかし、それは、本来の魔法の一端でしかない。
本来の魔法は、「価値の創造」などを意図して生み出されたものではなかった。
ましてや、奇跡の類いでもなかったのである。
本来の、魔法とはーーー「誰か」という存在が二人も居れば生まれでる、ありふれたもので。
それは、ある意味では「0より1を生み出す奇跡」だったのかもしれないけれど。
それでも、それは奇跡であることを望まなかった。
それは奇跡ではなく、普遍であり、だからこそ。
ーーーそれは、魔法だった。
兄と妹ーーーその二人から成る、ただの魔法。
ーーー兄が、妹の名を呼んだ。
正確には兄に名を呼ばせたのは彼の恋人で、その恋人は彼の妹の義姉でもあったのだけれど。
そしてさらに、その現象を正確に記述するならば、彼らの意図とは全然関係ない場所で、兄が妹の名を呼ぶことを望んだものたちもいて。そして同時に、それを忌避する者達もいて。
でも、だから、けれど、故に。
錯綜する順接と逆接の因果の果てに、
東という少年は、その魂に刻まれた「傷」をたよりに、少女の名を呼んだ。
そして、念に埋もれた少女は、その声に応えた。
それは結果的に「憎悪の念より少女をくみ上げる」ことにつながり、その果てに、彼らは。
かつて、人の業により引き裂かれた彼らは、再び物語を紡ぐ機会を得た。
もう一度、「あのとき」をやり直す機会を。
そう、今度こそ、幸せになるためにーーーーこの、500年の苦しみの、対価として。彼らは、しあわせに、なるのだとーーー
ーーー gold gateーーー
真名励起の適応を許可。
東による魔法の使用が承認されました。
念より寿小羽を抽出後、世界を再構成。
存在強度は65%---許容範囲内です。
あと、すこしですね。