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第四章 ぬくもり

あの日のことが、頭から離れなかった。

「ひとりじゃない」

玲王のその言葉は、何度も何度も思い出される。

教室にいても。

家にいても。

ふとした瞬間に、胸の奥があたたかくなる。

次の日。

教室のドアを開けた瞬間、少しだけ緊張した。

昨日みたいに、またうまくいかなくなったらどうしよう。

そんな不安が、ほんの少しだけ残っていた。

でも。

「凛」

後ろの席から、手が動く。

玲王だった。

それだけで、ふっと力が抜ける。

「おはよう」

いつも通りの手話。

私は少しだけ笑って、返す。

「おはよう」

——大丈夫。

そう思えた。

授業中。

前よりも、少しだけ落ち着いて黒板を見られるようになった。

分からないところがあっても、すぐに不安にはならない。

ちらっと後ろを見ると、玲王がいる。

それだけで、安心できた。

休み時間。

玲王がノートを差し出してくる。

『さっきのとこ、分かった?』

私は少しだけ首をかしげて、書き返す。

『ちょっとだけ』

玲王は小さく笑って、ペンを動かす。

『じゃあ教える』

少しだけ自信ありげな顔。

それがなんだかおかしくて、私は笑ってしまう。

机を寄せて、ノートを並べる。

玲王が説明を書いていく。

ときどき手話も交えながら。

ゆっくりで、分かりやすくて。

気づけば、ちゃんと理解できていた。

「分かった?」

私はうなずく。

「うん、ありがとう」

そう伝えると、玲王は少しだけ照れたように視線を逸らす。

そのやりとりが、うれしかった。

昼休み。

今日も、自然と一緒に食べる。

特別な約束なんてしていないのに。

それが当たり前みたいになっている。

『今日、部活ある?』

玲王が書く。

私は首を振る。

『ない』

『じゃあ』

少しだけ間があって。

『帰り、寄り道しない?』

少しだけ驚く。

でも、その気持ちはすぐにやわらぐ。

「いいよ」

そう手話で返すと、玲王が少しだけ笑った。

放課後。

二人で並んで歩く。

いつもより、少しだけゆっくり。

コンビニに寄って、お菓子を買う。

どれにするかで、少しだけ悩む。

そんな時間が、楽しかった。

公園のベンチに座る。

風が少しだけ気持ちいい。

子どもたちが遊んでいる。

声は聞こえないけど、楽しそうなのは分かる。

玲王が、ペットボトルを差し出してくる。

私は受け取って、小さくうなずく。

しばらく、何も話さない時間が続く。

でも、その沈黙は嫌じゃなかった。

ふと、玲王が手を動かす。

「あのさ」

少しだけ迷ってから。

「昨日、ごめん」

私は首を振る。

「ううん」

言葉が、うまく出てこない。

でも、それ以上は必要なかった。

少しだけ間があって。

「助かった」

その一言を、やっと伝える。

玲王は少しだけ驚いて、それから小さく笑う。

「よかった」

その表情を見て、胸がじんわりとあたたかくなる。

帰り道。

いつもより少し近い距離で歩く。

気づけば、前よりも自然に隣にいられるようになっていた。

ふと、玲王が手を動かす。

「また、来よう」

私はうなずく。

「うん」

その約束が、すごくうれしかった。

——でも。

その頃から。

私は、少しずつ気づき始めていた。

玲王がいない時間が、前よりもつらいことに。

教室でひとりになると、不安になる。

周りの会話が、急に遠く感じる。

笑っているのに、どこか取り残されている気がする。

でも、

玲王がいれば、大丈夫。

そう思ってしまう。

それが、少しだけ怖かった。

放課後。

玲王と別れて、一人で帰る道。

さっきまであんなに楽しかったのに。

急に静かになる。

足音も、風の音も、聞こえない。

ただ、世界が遠くなる。

スマホを取り出す。

何か送ろうかと思って。

でも、やめる。

——重いって思われたらどうしよう。

その考えに、自分で少し驚く。

前は、こんなふうに思わなかったのに。

家に帰っても、どこか落ち着かない。

今日のことを思い出す。

玲王の表情。

手の動き。

言葉。

何度も、繰り返す。

気づけば、笑っていた。

——好き、なのかもしれない。

その考えに、胸が少しだけざわつく。

うれしいはずなのに。

同時に、不安も大きくなる。

もし、いなくなったら。

もし、離れたら。

私は、どうなるんだろう。

その答えを、考えたくなくて。

私は、目を閉じた。

——きっと大丈夫。

そう、自分に言い聞かせるみたいに。

次の日。

目が覚めたとき、少しだけぼんやりしていた。

昨日のことが、まだ胸の中に残っている。

公園での時間。

玲王の「また、来よう」という言葉。

思い出すだけで、少しだけ笑ってしまう。

制服に着替えながら、ふと手が止まる。

——早く、会いたい。

そう思っている自分に気づいて、少しだけ戸惑う。

こんなふうに、誰かに会いたいと思うのは、初めてだった。

教室のドアを開ける。

自然と、後ろの席を見る。

玲王はもう来ていた。

窓の外を見ている。

その横顔を見ただけで、胸の奥がやわらかくなる。

ふと、玲王がこちらに気づく。

目が合う。

少しだけ驚いた顔をして、それからすぐに笑う。

手が動く。

「おはよう」

私は少しだけ早歩きで席に向かいながら、返す。

「おはよう」

そのやりとりだけで、安心する。

席に座って、教科書を出す。

でも、なんとなく落ち着かない。

後ろが気になる。

気づかれないように、少しだけ振り返る。

玲王と、また目が合う。

一瞬、止まる。

それから、どちらともなく視線を逸らす。

それが、少しだけくすぐったかった。

授業中。

今日は、昨日よりも少しだけ集中できない。

黒板を見ていても、ふと玲王のことを考えてしまう。

さっきの表情とか。

帰り道のこととか。

自分でも分かるくらい、変だった。

休み時間。

玲王がすぐに来る。

いつもより、少しだけ早い気がする。

ノートを差し出してくる。

『今日、元気?』

私は少しだけ笑って、書く。

『元気』

少し迷ってから、もう一行。

『玲王は?』

それを見て、玲王が少しだけ驚く。

それから、笑う。

『元気』

短い言葉なのに、なんだか嬉しかった。

昼休み。

今日も、自然と向かいに座る。

特に約束したわけじゃないのに。

それが当たり前みたいになっている。

『昨日、楽しかった』

玲王が書く。

私は少しだけ驚いて、それからうなずく。

『私も』

そのあと、少しだけ沈黙が流れる。

でも、嫌じゃない。

玲王が手を動かす。

「また、行く?」

私はすぐにうなずく。

「うん」

その約束が、少しずつ増えていく。

それが、うれしくて。

同時に、少しだけ怖かった。

午後の授業。

グループでの話し合いがあった。

昨日よりは、少しだけましだった。

でも、やっぱり全部は分からない。

口の動きを追う。

でも、途中で見失う。

笑いが起きる。

私は、少し遅れて笑う。

そのとき。

隣の子が、一瞬だけ私を見る。

何も言っていないのに。

なぜか、胸がざわつく。

——ちゃんと、できてる?

また、その不安が戻ってくる。

ふと、玲王の方を見る。

玲王も、少しだけ困った顔をしていた。

でも、すぐに気づいて、こちらを見る。

軽くうなずく。

それだけで、少しだけ楽になる。

——大丈夫。

そう思える自分と。

でも、玲王がいなかったら?

そう考えてしまう自分がいた。

放課後。

今日は、少しだけ早く帰ることになった。

玲王は用事があるらしい。

ノートに書いて見せてくる。

『ごめん、今日は先帰る』

私は首を振る。

「大丈夫」

そう手話で伝える。

玲王は少しだけ申し訳なさそうにして、それから手を動かす。

「また明日」

私はうなずく。

「また明日」

その言葉が、少しだけ遠く感じた。

教室を出る。

ひとりで歩く廊下。

昨日までなら、なんとも思わなかったはずなのに。

今日は、少しだけ。

静かすぎる気がした。

校門を出て、一人で帰る。

周りには人がいるのに。

やっぱり、どこか遠い。

ポケットの中のスマホに、何度も触れる。

メッセージを送りたい。

でも、やめる。

——迷惑だったらどうしよう。

その考えが、離れない。

家に着いても、落ち着かない。

何度も時計を見る。

まだ時間はそんなに経っていないのに。

ため息をつく。

そのとき、スマホが震える。

画面を見る。

玲王からだった。

『ちゃんと帰れた?』

その一言だけで、胸がいっぱいになる。

私はすぐに打つ。

『うん、帰れた』

少し迷ってから、もう一行。

『ありがとう』

送信する指が、少し震えた。

すぐに返信が来る。

『よかった』

それだけなのに。

安心して、少しだけ笑った。

——やっぱり。

私はもう、戻れないのかもしれない。

玲王がいないと、不安になる自分に。

気づいてしまったから。


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