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13話 薔薇の花





 医者はそんな瑠璃を微笑ましく見守り、静かに部屋を出て行った。

 夫人も、音を立てないように部屋から出て、瑠璃と迅の邪魔をしないよう配慮する。

 瑠璃の部屋のドアを閉めると、夫人は医者を仰ぎ見た。 

「先生、お茶を用意していますから」

「いえ、お気遣いなく」

「まだ時間はあるのでしょう? せっかくですから、私に付き合ってくださいな」

 夫人が微笑むと、若い医者は躊躇いながらも頷く。

 案内された応接室へ向かうと、かすかに甘い匂いが漂っていた。




 瑠璃の部屋に入った迅は、落ち着かない様子でベッドの側の椅子に腰掛けた。

 陽の差さない部屋は薄暗く、淋しい感じがする。

 だが、瑠璃は太陽の光に弱いのだ。部屋が暗いのも仕方ないと思う。

「迅、学校はどうだった?」

 瑠璃はベッドの上で上半身を起こして、わくわくした顔をする。

「今日は、ドイツ語を習った。あと簡単な歴史だ」

 迅が答えると、瑠璃は嬉しそうな笑みを浮かべる。

 瑠璃はいつも、学校での授業の様子を聞きたがるのだ。病弱な体ゆえに、学校へ通うことが出来ないためだろう。

「雨藍は、あまり学校の話をしてくれないんだよ。ぼくが『学校に行きたい』って、ワガママを言い出すと思ってるから」

 ひどいよね?

 瑠璃は唇を尖らせて、迅を見つめる。その可愛らしい仕草に、迅は頬が緩みそうになった。

 だらしない顔をさらすわけにはいかないと、慌てて気を引き締める。

「瑠璃は可愛いから、月読も心配なのだろう」

 迅は、瑠璃の艶やかな黒髪を優しく撫でた。

「俺が月読でも、瑠璃を家の外には出さないと思う」

「どうして……?」

 瑠璃は不満そうな顔をする。

「それじゃあ、ぼくは閉じこめられているみたいだよ」

 拗ねる瑠璃に、迅は優しい笑みを浮かべる。

 瑠璃の顔を覗き込み、甘い声で言った。

「瑠璃は、可愛いから」

 そう言って、瑠璃の頬を撫でた。

 蕩けるような瞳で、瑠璃をじっと見つめている。

「迅……」

 瑠璃は、頬に触れる迅の手に、自分の手を重ねた。

 ひんやりとした手に、迅の温もりは心地良い。

「ぼく……」

「うん?」

「ぼくは、毎日、迅が来てくれるから。とても幸せだよ」

 瑠璃が、うっとりした声で囁いた。

 迅は目を細めて、ますます甘い眼差しを向けた。

「ねえ、迅。庭へいこう?」

 瑠璃は、もぞもぞと動いて、ベッドから降りた。

 迅が止める間もなく、裸足でテラスから庭へと出た。

「瑠璃っ! 履き物を、」

「いらない。迅も早く」

 手招きする瑠璃に、迅もそのまま庭へ出た。

 そろそろ陽が沈む時間帯だ。この頃になると、瑠璃はいつも庭へ降り立つのだ。

 外へ出ると、薔薇の匂いがきつくなる。甘い香りを放つ薔薇たちは庭中にはびこっていて、洋館を覆うように包み込んでいた。

「ネイサン。今日、咲いた薔薇は?」

 庭仕事をしていた使用人は、無言で立ち上がる。瑠璃に背を向けて、歩いていった。

 迅が瑠璃に追いつくと、使用人は、一輪の紅い薔薇を切って戻ってきた。

「ありがとう」

 瑠璃がフワリと微笑むと、使用人は頭を下げて、また黙々と仕事の続きをする。

 迅はその様子を見ながら、彼の仕事は薔薇の世話らしいと理解した。迅が瑠璃の元を訪れると、大抵は庭で薔薇に触れている。

「迅、こっち」

 瑠璃は、大事そうに薔薇を抱えて、紅い薔薇が植えてある場所へ座り込む。

 薔薇に溶けこみそうな臙脂の着物が、土で汚れてしまった。けど、瑠璃は頓着しない。すぐに薔薇の刺で指を傷つけるので、迅は注意して瑠璃の隣りに座った。

「これ。今日咲いた薔薇だって」

 瑞々しい深紅の薔薇を、迅に見せる。

 蕾がようやく開花し始めた薔薇は、見た目の鮮やかさからは想像もできないほど清廉で美しく、上品な甘い香りをさせていた。

「きれいな薔薇だ」

 迅が褒めると、瑠璃は自分が褒められたかのように唇を綻ばせる。

 小さな指先で、そっと薔薇の花びらをつかみ、一枚だけ摘み取った。

 迅の見ている前で、ゆっくりと口を開く。赤い舌をちろりとのぞかせて、花びらを口に含んだ。

「おいしいか?」

 迅は、瑠璃の唇を見つめながら尋ねた。

 瑠璃が、薔薇を食べるのは初めてではない。最初は驚いたが、いつも嬉しそうな顔をするから黙って見守ることにしていた。

「うん」

 瑠璃は、こくんと頷いて、迅に薔薇を差しだした。

「俺に?」

 また、こくんと頷く。

 迅は、差し出された薔薇の花びらを一枚摘んで、初めて口に入れた。

 味はよく分からないが、上品な甘い匂いが口の中で広がっていく。

 飲み込んだ迅を見て、瑠璃は満足そうだ。迅の見ている前で、瑠璃は次々に薔薇の花びらを摘んで口に含んでいく。最後には棘のある茎だけが残った。

 瑠璃の幸せそうな顔を見れば、それで十分だ。

「瑠璃」

「ん?」






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