6話 迷思考
夢のような一時も、舞台裏から見ればカラクリ仕掛けの玩具のようなものだ。まあよく考えたら、俺にまで幻を見せる必要は無かったな。ふわふわと蝶に化けたイリュージョンと、蔦と蔓を侍らせて気絶した二人を運ぶドリアードに導かれて夢遊病患者のようにふらふらと歩き出す青年。焦点の定まらない目で導かれるままに森を抜け、草原を歩く彼には何が見えているのだろうか。いやに緩んだ顔つきでペラペラと言葉を垂れ流していたが、八割くらい聞き流した。会話の内容から分かったのは、イリュージョンが大精霊の使いって設定だと言う事と、学校に通っている苦学生で将来は薬を売って生計を立てたいんだと言う事くらいだ。ああ、立派な夢だなと思うが、元よりあまり興味はない。
言葉の中から青年が学生である事は分かったが、課題のためにこんな時間まで東奔西走するなんてな。何故か8月31日に友人と血眼になってやった夏休みの宿題を思い出した。毎日3ページの自主ノートと束になった4教科のプリント、自由研究etc...内容的には普通だが、夏休みを全て遊びに費やした俺に死角は無かった。いや死角しか無かった。7月中に全ての宿題を終わらせた友人に、珍しく言葉でなぶられながら嫌々終わらせたもんだ。その苦い思い出がまた胸を焦がす醜い感情にならないよう、そっと感情に蓋をして重い気持ちをため息に乗せて散らす。こうして思い出すのは昔の事ばかりで、気持ちが鬱いでくる。
夢のようで夢では無い話。幻のようで幻では無い話。人生みな胡蝶の夢だと言うが今この瞬間こそ夢で、現実の俺は全身火傷だらけでベッドに横たわっているかもしれないな。点滴とモニターに繋がれ、ただ息をしているだけの存在に成り果てている……夢だと良いのにと現実逃避し続けている今とどっちがマシだろうか。
ふいに目の前に影が差した。顔を上げる間もなく、逞しい白手袋の手がパチンと小気味良い音を立てた。
『上官殿、呆けている暇はありませんぞ』
イージスが、現実逃避を許さないとばかりにまっすぐ見つめてくる。同時に青年が、イリュージョンの前に跪いている姿が視界の端に映った。
「美しき大精霊の御使い様。どうかその尊き御力を外敵に脅かされぬよう、マナが尽きぬよう力無き民草をお導き下さいませ」
たかだか蝶々一匹に仰々しいものだな。風の大精霊の態度を見るからに、人間に尽力するようなモンじゃなさそうだが。それともあの精霊が規格外なんだろうか。熱視線を向けている青年は絶賛放置プレイ決定だ。もうこれ以上の支援も手助けも必要無い。だからセラはそこで後ろ髪引かれないように。
正面門でゲートから送られるデータのチェックをしている青い制服姿の二人に、行き倒れがいると声をかけてその場を後にした。背中にイリュージョン達を引き連れ頭にコンテンツを乗せて、ぐだぐだと言葉もなく宿へと向かう。
部屋に入り、ずらっと並んだ精霊たちに着席するように促し、そこら辺にコートと鞄を放り出した。髪を掻きあげてベッドに座った所で、コンテンツが開口一番。
『さ、マスター。どうぞご遠慮なく』
……別に。なんて回答したらどんな反応をするだろうか。もとより理由なんてあって無いような物だ。
「この世界を引き裂いて憎みたくなるくらい心地の良い夢を見ただけ」
唖然と言うか、呆けたと言うべきか。周りから声にならないため息が上がる。
『憎みたくなる心地の良い夢……ですか?』
『夢見が悪かったって事かしら』
『そういうのが続くようだったら言ってね。安定剤とか睡眠薬とか処方するから』
『そういう時は両手を合わせて心静かに呼吸を落ち着けるのです。さすればおのずと心に平穏が戻りましょうぞ』
『はあ、はい』
ドリアードが興味無さそうなのが一番泣ける。気違い認定されるよりはマシだけどな。
「まあホームシックみたいなもんだと思ってくれ、話は以上だ」
右手に引き寄せたマリオノールを開き、精霊達が戻るための言葉を唱え、コンテンツ以外の精霊たちを本の中へ帰す。そんなくだらない理由でと責められたく無かった。
『マスターは、向こうの世界に帰りたいですか?』
両手を握りしめておずおずとこちらを伺うコンテンツに、ゆっくりと目を閉じる。
「友人が生きていたら日本に戻っていつも通りの生活がしたいとは思うよ」
でももし友人が死んでいたら……俺は、どうしたら良いだろうか。一番考えたくない選択肢で思考が詰まっている。この世界に留まるか、後を追うか。いや、後なんか追ってどうするんだ、生まれ変わりなんて信じていないのに。とめどなく流れる思考の波に正解なんて落ちてやしない。
言葉を待つコンテンツの顔を見つめて、曖昧に笑う。
ベッドに置いてある時計が、ちょうど7番を差していた。下の食堂が開いている頃だろう。今日は何だか酷く疲れた、精神的にも身体的にも。
「飯、行ってくる」
『今日の献立は何でしょうね』
カバンにマリオノールをつめこみ、小さくなったコンテンツが頭の上に乗っかった。
人並みの生き方が出来れば良いと思っていた頃が懐かしい。遅刻しない程度に起床して、最低限の仕事をこなした後は適当に遊んで寝て一日が終わる。網を張り巡らせた綱の上を渡るような緩い危機感と証明書つきの安全な生活、そして怠惰に繰り返す日常プログラム。ダルい、としか思えない時間の中に、夜道を照らすカンテラのような暖かな感情を与えてくれる友人達の存在をプラスする。たったそれだけの要素が、何一つ揃わない。
いっその事、希望なんか見えない方が良かったかもしれないな。異世界を渡る神なんかいないと。
地の底の底まで落ちていく思考に、思わず苦笑いが零れた。軽く額を叩いて、思考を一旦リセットする。今日は飯を食ったら寝てしまおう、今は何を考えても悪くなる一方だ。
前髪を軸にして、ぐりん!と勢いよくコンテンツがぶら下がった。
『マスターは無口過ぎなんです。私もマスターの事を理解する努力をしますから、マスターも理解してもらう努力をして下さい』
努力か。一番苦手な言葉だな。コンテンツに曖昧な笑みと返事で答え、両手をポケットに突っ込む。
『今度暴れる時は、ちゃんと言って下さいね!心の準備とか精霊の準備とかあるので把握したいだけですよ』
逆さまのままで頭をなでなでされて、思わず苦笑いが浮かぶ。今日は本当に迷惑をかけた。なるべく善処しよう。