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6話 セラ


 目を開けて、一瞬。寝起きの気だるさが吹っ飛び、身体中を掻きむしり叫び出したいくらいの悔しさと悲しみが心を埋め尽くした。こんな夢、こんな後悔ばかり誘うような夢なんか見たくなかった。別れる前のシーンを完全に演じきっただけで、言うべき事も確認する事もない。酷い夢だ、何も変わっちゃいない。あいつはあんなに楽しそうに花を抱えて笑っていた。ユタもテルも佐野も、ライブが上手くいくようにと前を向いていたはずなのに。誰が、一体誰が……!

 向ける対象の無い憎悪と悔しさが、ぐるぐると頭の中を廻る。叩きつけた拳は布団に受け止められて痛みすら無い。全身に嫌悪感が広がる前に歯を食い縛って乱暴に衣服を剥ぎ、服を身につける。いつもの場所にナイフを装着するその最中に淡い光を放つマリオノールから、驚いた様子のコンテンツが飛び出してきた。


『マスター!?』


 返事したくない。口を開くとコンテンツに当たってしまいそうだ。憎むべき相手は別にいるのに、その相手は遥か彼方で姿すら分からない。カバンとマリオノールをひっつかみ、足取り荒く部屋を後にする。コンテンツが後ろからついてくるのを確認して、できるだけ駆けないよう早足で移動する。時間は夕方の4時、日が暮れるまでまだ幾時間かあるし、暗くなろうと別に構わない。

 何かを痛めつけたくて仕方が無かった。日本なら喧嘩をふっかける不良の溜まり場やウサ晴らしできる場所があったが、この町には何もない。何も知らない。まだ人の姿が疎らな町中を駆け、門を飛び出して唯一知っている場所へと向かった。

 何故、俺はこんな場所にいるんだ。あのバンドには所属していない、役割パートも無い。でも俺はあの四人が、迷い苦悩して作り上げていた物をずっと見守ってきた。一人のファンとして、近い所からあいつの行く末を楽しみにしていたんだ。

 それが俺のささやかな幸せ。それ以上は絶対に望まないから、俺をあの場所に帰してくれ!

 滲んだ視界をコートの袖で拭い、擦っても擦っても取れない歪みを無理矢理振り払った。歪んでいるのは俺じゃない、この世界に決まっている。個人の人権を虐げるような場所なんてろくな物じゃない。


「待ってろよクソが」


 見つけたら落とし前、つけさせてやる。テルの分、佐野の分、ユタの分、友人の分は倍にして返してやる。





 森に単身突っ込んで、腕に仕込んだナイフを取り出した。野良犬を相手に喧嘩した事はないが、もうそんな事もどうでも良い。この引き毟るような胸の痛みがマシになるなら、もうどうにでもなれば良い。獣道をかき分け、水音のする方向へと向かう。ひんやりとした空気と湿った匂いを辿っていると、木陰から黒い影が躍り出た。


『マスター、召喚を!』


 焦ったようなコンテンツの言葉を無視して、飛びかかってきた一匹のブラックファングに切りかかる。要は爪と牙が届くよりも早く、ナイフを振り抜けば良い。飛び込んでくる横腹に刃を滑らせた。骨に当たって減速するかと思ったが、恐ろしくなめらかな軌跡を描いて血飛沫が散る。グズグズと立ち上がりかけたブラックファングの脳天に刃を突き立て、体を蹴り飛ばす。尚も痙攣する毛並みを、足で転がし血の匂いを広げる。辺りに広がる不快な臭気が体にまとわりつかないように払った。


『ま、ますた……』


 最後に一発、ガツンと頭を踏みにじってから左手をかざしてデータにおさめる。いつも通り宝石に表示された名前に、あんなズタズタの何だか分からない肉の塊でもいいのかと苦笑いが浮かぶ。ガサガサと騒ぎだした茂みに、高揚と同情の入り交じった不思議な感情を向ける。

 お前らも仲間を殺されて腹が立つか?奇遇だな、俺も同じだよ。

 少し大きな一匹が茂みから飛び出し、続けて率いられるように六匹が姿を現す。こちらは流石に群れで行動しているせいが、すぐには襲ってこない。三匹が牽制している間に、後の三匹が後ろ側に回ろうとしているようだ。


『……ッ、マスター、お許し下さい!代理召喚『CALL……イージス』』


 背後でコンテンツが何かを召喚する。代理召喚、初めて聞いたがマリオノールの知識にはあるらしい。息をするように代理召喚に対する知識が浮かんだが、そんな事はどうでもいい。今は心底どうでもいい。

 牽制する三匹の中に飛び込んで、避けた一匹を追いかける。乱闘の途中で何度か見えない壁がブラックファングの爪を弾いたが、確認している暇なんて無い。思うままにナイフを振るい、蹴りを浴びせながら呪いの言葉を吐いた。

 死ね、死ね、死ね、死ね、皆死んでしまえ。あいつらの夢をぶち壊した神も消滅してしまえ。みんな、みんな、汚い肉を撒き散らして苦しんで死ねばいい。

 血を孕んだ湿った空気が鬱陶しい。いや、空気だけじゃない何もかもが嫌になる。この黒い獣、自分本位な神、無関心なこの世界の人間たち、原生林のような森の空気、日本とは似ても似つかない町、こんな事をしている自分。何もかもくたばってしまえ。




 どのくらい暴れただろうか、踵を返した最後の獣にナイフを投げつけたが、傷が浅かったのか血を流しながら逃げてしまった。ああ、最悪。

 コートを脱いで汗だくで火照った体に風を送ると、少し頭が冷めた。……こんな事をして、何になるんだろうな。ケンカの後はいつもこうだ、どうしようもない虚しい気持ちに苛まれる。ナイフの血をその辺の草の葉で拭いて鞘におさめ、ため息をついた。とてもじゃないが、少し離れた場所に立っているコンテンツとイージスに話しかける気にはなれなかった。発作のようなものだから、なんて誰が信じてくれるだろうか。黙ってそこら辺に落ちている肉の塊をデータにしていると、急に東の方が騒がしくなった。人間の声と、複数のブラックファングの声が重なり合って聴こえる。


『マスター、もしかしてさっき逃がした奴と戦ってるんじゃないですか』


「別にいい、こんな所に一般人が来ないだろ。自分でどうにかするさ」


 とは言ってみたものの、どう考えてもさっき撒き散らした血の匂いのせいだな。面倒だがほったらかしにするのは気が引ける。

 残りの死体を手早く回収し、カバンに入れたままのマリオノールを取り出した。


『CALL……イリュージョン、ドリアード』


 少し萎縮したように表情を強ばらせているドリアードと、唇を引き結んで緊張した面持ちのイリュージョン。そんなに身構えられると、さっきまでの自分がいかに酷い状況だったかよく分かる。

 ……あまりにも身勝手だ。


「皆ごめん、ちょっと付き合ってくれ」


『私達はいつでも大丈夫です。後でお話聞かせて下さいね』


 黙って頷くと、ようやくイリュージョンとコンテンツが顔を見合わせて頷いた。それにどんな意図があるか知らないが、了承してくれて良かった。それに話したい事もある。マリオノールを脇に抱えて、声のする方へ走る。


「イリュージョン、どうやってもいいから俺が見えないようにしてくれ」


『了解!』


 ドリアードが走る俺の前に出て草を倒し、進路を拓く。視界の先にいたのは踞ってシールドを展開し、光の矢放っているローブ姿の青年と倒れて意識の無い剣士と槍使いの三人だった。少しばかり到着が遅かったらしい。三人を遠巻きにしているブラックファングの群れを確認して、剣士と槍使いの近くに寄る。

 殺れ。ブラックファングを指差してドリアードに指示を出し、コンテンツを補助につける。イージスは気取られないよう青年が張ったシールドの前にさらにシールドを重ねたようだ。イリュージョンはピッタリと俺に張り付いて、目を閉じている。ブラックファングが木々の鋭い枝に貫かれて絶命していくのを青年が気を取られている間に剣士と槍使いの容態を確認する。剣士の方は鎧が幸いしたのか、手足の裂傷による多量の出血と気絶で済んでいるが、問題は槍使いの方だ。吐き気と悪感を抑えて、槍使いから視線を外す。臓物と血をを垂れ流している人体なんて流石に見慣れてない。確かマリオノールに治療できる精霊がいたはずだ。


『CALL……セラ』


 状況を察してか、音も光も無く精霊がゆらぎと共に現れる。白衣を身につけ、首に聴診器をぶら下げた人の良さそうな医者そのものといった感じの男が現れた。……セラって女の名前じゃなかったか?


『急患だね。しかも超がつく重症だ、二人共』


 俺にはちらりと目礼だけを返し、嬉しそうな声をあげて槍使いをいじくり始めるセラもとい変人。大丈夫かこいつ、鼻歌を歌いながら治療とかどう見ても……。森の深緑にこれでもかと浮いているフレッシュホワイトの裾を視界の端に留めながら、遠巻きにローブの青年を見やる。

 ついさっきまで辺りを見回したり声をかけたりしてブラックファングを倒した人物を探していた様だったが、膝から崩れ落ち地面に両手をついてしまった。うつむいたままでいるため赤い髪が地面に付きそうなくらい垂れている。と、そのまま地面に突っ伏して声を立てず泣き出した。


『マスター、ちょっと可哀想ですよ。いつまで姿を隠しているつもりですか?』


 人差し指を唇に当て、コンテンツに首を振る。できればこのまま面倒事に巻き込まれず密かにさようならといきたい所なんだが。鼻歌と共に加速していくセラの腕を眺めて、とりあえず施術が終わるのを待つ。それにしても、だ。この世界の人間は生命力が強いのか、冒険者で何らかのマジックアイテムを所有していたのか知らないが、腹をかっ捌かれてまだ生きているというのは恐ろしいものだな。こちとら場所が悪ければ刺されただけで死ぬと言うのに。


『セラ、後どれぐらいかしら』


『おっと、久しぶりだねイリュー。剣士は終わったよ、後はこの可愛い桃色のハラワタちゃんをキレイキレイして入れてやれば完成ッ!綾野竜樹くん、この後この二人に付いて回ったりしないよね』


 フルネームで呼ばれるとは思わなかった。苦笑いを交えて首を振ると、無邪気そうな顔がしょんぼりと萎んだ。肩を落として全身で残念ですと訴えながら、手は止めない。なかなか器用だな。


『そうかあ、残念無念ハラキリゲイシャ。増血やら何やら後処置したかったんだけどな』


 しぱぱぱっと縫合を終えて、セラが立ち上がる。後処理があるのか……人体って繊細だし、経過観察とかしなければいけないのなら様子を見た方がいいのか。未だ泣き崩れている青年を見、血にまみれて薄汚れてはいるが怪我や傷の類いが無くなった剣士と槍使いを見る。……別にそこまで面倒見なくても良くないか、最低限の責任は果たした。

 どうしようかと、腕を組んで悩んでいるとドリアードが側に寄ってきてコートの裾を引いた。


『あの、このままだと、またブラックファングにやられます。……森から出さないと、大変です』


 置いていくつもりだったが、やっぱり無理だろうか。面倒だなあ、放って置いちゃダメだろうか。

 ちろんと横目で精霊達を見やると、セラの笑顔が一段と輝いた。コンテンツとイリュージョンも勢いよくうなずいている。イージスはというと、会話に参加する気は無いようで周囲の気配を探っていた。精霊諸君は助ける方向で賛成多数らしい。

 ……OK、ちょっと強引だがやってみよう。

 青年から少し離れ、精霊達を引き連れて円陣を組む。藪の影に隠れれば囁き声は聞こえなくなるだろう。


「指示の内容について、言いたい事が多々出てくると思う。相手に俺の存在が悟られないで、尚且つシンプルな方法があるなら申し出て欲しい。特にコンテンツは他の精霊も考慮して意見を出してくれ」


 気合いの入った精霊たちの返事に頷き返して、一人一人指示を出す。

 やがて、たった一人にしか聞こえない人在らざる者達の不満と非難と困惑に満ちた声が藪の影から響き渡った。




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