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6話 クラスト神聖帝国とオデット王国


 朝食もそこそこに仏頂面のクロノアに連れられて来たのは、町で一番高い所にあるご立派な役所だった。初めて見たときは観光気分でデカイナァなんて月並みな感想しかなかったが、二三日経つだけで持つ印象はガラリと変わるものだ。俺にとっては威圧感を持つ権威の象徴で、足がすくみそうになる。肩に乗ったコンテンツが頬を一撫でして大丈夫ですよと声をかけてくれるまで、ぼんやりとその巨大な全容を眺めていた。

 見上げるほどの巨大な時計が飾られたエントランスホールを抜け、書類を小脇に抱えた高級そうな服を着た人達が忙しそうに歩いている廊下を渡り、こじんまりとした部屋に通された。白い壁に囲まれた小さな部屋の真ん中に黒い皮張りのソファが一対、ガラステーブルを挟んで置かれている。そのソファに座っていたのは、予測済みというべきか久しぶりの田中氏だった。


「おはようございます」


「……おはようございます」


 一瞬何を言われるだろうかと身構えたが、相変わらずの笑顔でこちらを見つめている。実は一番得体が知れないのはこの人かもしれないな。促されるままに腰を下ろすと、田中氏が机の上におかれていたA3サイズの紙袋をこちらに差し出してきた。中身は何だろうか、少し重い。


「急な話ですみませんが、時間がありません。早速ですが本題に入ります。これから貴方にはクロノアの助手として『戦争』についていってもらいます。オデット王国と神聖帝国の小競り合い程度の戦争ですが、良い勉強になるでしょう。あくまで目立たないように、とにかくクロノアから離れないよう、やり方は貴方にお任せます。どうぞ貴方らしくよく考えて行動するように」


「せ、せんそう?クロノアが?」


 戦争、だと。クロノアの助手って、クロノアは仕事で戦争に行くのか!?こんな年端もいかない女の子に殺し合いをさせるのか。


「連隊を送るより精霊使いを送った方が効率いいに決まっているじゃない。確かに精霊使いを外に出す事に反対している人もいるけど、帝国と協定を結んでおいて損は無い。クロックは強いけど、一枚板じゃいざというときどうしようもないのよ」


「難しい事は考えず社会見学とでも思って下さい。遅かれ早かれ巻き込まれる事です。……コンテンツ」


 田中氏の人差し指が光を帯びたまま、ツイと横に滑る。小さな動作だったが、その指に溜められた魔力は相当の物。ふいに体の芯が熱くなり、精神的にマリオノールとの繋がっている部分がひきつれるように痛んだ。


『はいはい、何ですか先代サマ』


 口許をひきつらせ、いかにも作り笑いといった感じのコンテンツが姿を現す。……やはり、先代マスターもマリオノールに干渉できるという推測は当たっていたらしい。それにしてもあまり良い気分じゃない、体の中を菜箸か何かでかき混ぜられているようだ。


「所有者に陶酔するのは自由ですが、諌める時を見極めなさい。甘やかすのは貴女の勝手ですが、それが綾野君のためなのかよく考えなさい」


『意見を述べる危うさを認識させたのは何処のどなたでしょうね。使われずに放置されるのはもうご免ですから、この件に関しての御高説は拒否させていただきます』


 ぴしゃりと叩きつけるように叫んで、コンテンツがマリオノールへ戻っていった。何も聞きたくないと言わんばかりに勢いよく閉じられたマリオノールを小脇に抱えると、田中さんは深くため息をついた。

 田中さんは、マリオノールとうまくいかなかったのだろうか。それはどういった理由で、何が原因なのだろうか。だが苦悩を滲ませてため息をつく田中さんにそれを聞くのは憚られた。彼は彼で俺は俺だと思っても大丈夫だろうか、同じ足跡を踏みしめて歩く事だけはしたくないのだが。


「お父様……」


「大丈夫ですよ、クロノア。さて、綾野君。今回の依頼を受けますか?報酬の方も出しますので、悪い話ではないと思いますよ」


 どこをどうねじ曲げたら悪い話じゃなくなるんだ。悪い条件しかないじゃないか。


「申し訳ありませんが、今回の話は無かった事にしてくれませんか。日本の平和な時代に生まれ、争い事など児戯に等しいものしか体験した事がありません。命を賭け、まして人の命を守るなど今の私では到底無理です」


「アンタって言い訳ならベラベラ喋るのね」

 そりゃそうだろ。こう言う時に主張しないでいつ主張するんだ。大体戦争ってのはプロがやる事だろう、傭兵や軍師が力を振り絞って名誉を勝ち取るもんだ。そこら辺のぽっと出が手を出していいもんじゃない。


「私たちが今ここで、ハイそうですかと引き下がるのは容易い事です。ですがこの先、それで通用するでしょうか、ね」


 よく考えて下さいとやんわり笑みを浮かべて、えらく含みのある言い方をした。それで通用するようにしてやるさと言えないのが、この世界の怖いところ。まあ現実なんて上手くいかない事が殆どだけどな。


「私の話はここまで。後はクロノアの指示に従って下さい」


「失礼します」


 椅子に腰かけて書類を手にした田中氏に、クロノアが軽く頭を下げる。俺も軽く会釈してその場を後にする。何とも言えない心の底に澱んだわだかまりは、廊下に出て深呼吸をしたところで晴れる事はなかった。

 鬱々とした気分でクロノアの後をついてゆき、田中氏の部屋から廊下二つほど跨いだ狭い客室に通された。


「ここに座ってて。何か持ってくるから」


 お気遣いなくーと言う暇も無く、踵を返して部屋から出ていってしまった。まあいいか、やりたい事もある。


『CALL……コンテンツ』


 シュッポン!と空気が抜けるような音と共に罰の悪そうな顔をしたコンテンツが姿を現した。さっきの事を問いただそうとかそう言うワケじゃないんだがな。


「コンテンツ、神聖帝国とオデット王国について教えてくれないか」


 クロノアに一から説明させるのは面倒だろう。基本知識くらいは頭に入れておかないと後が怖い。コンテンツが少しホッとした様子で息を吐き、表情を引き締めてビシッと敬礼をする。


『了解です。クラスト神聖帝国は光の大精霊を信仰している宗教国です。ギルドの発祥の地であり、傭兵や行商人がよく立ち寄ります。昔は山の麓にある川辺の小さな村だったんですが、ギルドによって発展していき今では軍事と商業に秀でた大国に成長しました。議会と皇帝が国を治め、退任する時は議会から相応しい者を選びます。国民の気質は生真面目で働き者といった所です」


 議会から皇帝を選ぶって、基準は何なんだろうな。政治的手腕に長けてるとか議会の中で頭一つ出ているとか、そういう基準だったら議会内は政治的にドロドロしてそうだ。くわばらくわばら、お近づきにはなりたくない。


「対するオデット王国は東に荒野、西に平原を持つ農耕と狩猟の国です。国民は皆セタタやパク・チを飼い、畑を耕します。冬には荒野の動物やモンスターを狩って鍛冶や織物を作るそうですよ。気質は素朴ながらも、勇壮で血気盛んな者が多いようです」


「セタタとパク・チとは?」


『セタタは馬とヌーを足したような大型の騎獣です。馬車を牽くのに使われていて、この辺でもよく見かけますよ。パク・チは牛ですね、肉や乳を取ります』


「分かった。ありがとう」


 足を組み、腕を組んで視線を机に投げる。この世界でも戦争、戦争か。田中氏には行きたくないと駄々をこねてみたが、内心じゃ同行する気満々だ。借りを返す良いチャンスで、まだ学生のようなクロノアを戦場に送り出すのも気が引ける。最初から快諾すれば良いだろうと言われそうだが、長らく戦争など体験していない日本人がそう快く頷くはずが無い。それに戦闘狂だと勘違いされても困る。

 戦場に出たらなるべく穏便に済ませよう。できる事なら味方の被害は最小限で、クロノアの手を汚させず、自分は目立たないように。果たしてそんな事が可能だろうか。


「コンテンツ。今度は今までに無いくらい精霊を出していこう、出し惜しみなんてしている余裕は無い」


『そうですね……戦場は帝国と王国の境にある草原になりそうですから、精霊の力も思う存分奮えそうです』


「俺も振り回されないように頑張るしかないな。サポートよろしく頼む」


『了解です』


 帰ったら使えそうな精霊を選んで頭の中に入れておこう。万が一の時にはコンテンツがいてくれるだろうが、やれるだけの事はやっておかないと。

 コンテンツと二人で今までの戦争体験についてあーだこーだと話をしている間に、クロノアが茶器を持って部屋に入ってきた。ソファに腰をかけ、茶器を配ってから一息つき。クロノアがパン!と机に手をついた。


「説明するわよ!アヤノは5日後の早朝4番に、戦闘準備をして役所の前に来る事!私と合流したらそのまま魔方陣で神聖帝国の砦に向かうわ。後は大将軍の指示に従ってそのまま戦場に直行よ」


「アイアイサ、ボス。……ところで、今回の戦争の理由って何なんだ。領土争いか何かか?」


「今回は防衛戦よ。オデット王国は豊かな平原で牧蓄をしているんだけど、今のままじゃ土地が足りないの。平原の半分を治めている神聖帝国が気に入らなくて、こうしてよくチョッカイを出してくるのよね。はた迷惑な話だわ」


 ため息混じりにクロノアが言葉を切る。どっちが悪いわけでも無い、か。まあ宗教戦争よりは分かりやすくて余程良い。


「アヤノは必要最低限以外は喋らなくていいからね。必要以上に付き合う必要も無いし、よそ行きの格好付けでお愛想言わなくて良いから」


「あれは必要最低限の人当たりの良さなんだが……」


「必要無し!もう挨拶されても一礼だけで構わないわ、フォローくらいなら幾らでもするから」


 クロノアが拳を握って力説している。ははあ、そこまで言うなら甘えさせてもらうか。お偉いさんに政治的に絡まれたら太刀打ちできないだろうしな、不要な問題を抱え込む事もない。当たり障り無くだ。


「それで、その紙袋なんだけどね」


 傍らに置いてある田中氏からプレゼントされた紙袋を持ち上げて、机の上に置く。


「白い外套と砦と砦周辺の詳細な地図、神聖帝国の戦時規則……とりあえず目を通しておいて。他に何か質問は?」


「ありません、今の所は」


 おどけて両手を広げると、あっそとつれない言葉が返ってきた。気の強そうな可憐な顔なのに、今は眉間にいっぱい皺をよせてストレス溜まってますよと言わんばかりの顔で肘をついている。やっぱり戦争は嫌なんだろうなあ、俺だって嫌だ。


「はー……何でこんな事に……。何で私が面倒見なくちゃいけないのよぅ……」


 ぼやく声はどー考えても俺を責めている。うん、間違いない。嫌なのは俺かよ。

 少々理不尽な言い種に腹立つが、確かに俺みたいな素人がのこのこ付いていったら色々迷惑もかけるだろうよ。行けって言ったのはお前らだけどな。

 これ以上、愚痴を聞いて俺までストレスを溜める気はない。知らん。横にある紙袋とマリオノールを手に取って、コンテンツに帰るぞと視線を送った。


「じゃあ、またな」


「ええ、さようなら。明日は昼の1番にこの部屋に来てちょうだい」


 黙って頷き、後ろ手でドアを閉める。あの様子じゃ田中氏に相当反対しただろう。それでも意見を聞いてもらえなかった、そんな所か。


『中間管理職はツライですねー』


 幾ばくかの同情を滲ませて、コンテンツが感慨深く頬に手を当てる。何か同じものを感じとったらしい。


「俺もああ言う悩みは御免だ」


 元凶の吐くセリフじゃないけどな。男は上を目指せと言うが、下っ端の方が楽で良い。ある程度の生活、ある程度の給料、ある程度の貯金。もうそれだけで十分だ、多くを望むとそれだけ苦しい思いをしなければならないからな。これからずっと、そこそこ刺激的で平穏な生活が続く事を祈りたい。……まあ、何の神に祈ればいいか知らないけどな。




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