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5話 図書館


 学生の時も勉強は得意じゃなかった。数学は解読不可能な暗号文になり、社会は専門用語で溢れたちんぷんかんぷんなただの文字の塊でしかなかった。英語なんて悪魔を呼び出すための怪しげな呪文の類いにしか見えない、日本人だから日本語だけでいいと授業の度に愚痴っていたのはご愛敬。

 得意じゃない、なんて曖昧な言葉を使うのはやめよう。勉強は大ッ嫌いだ。しかし勉強が嫌いでも、今回の場合は日本にいた頃とはワケが違う。ドライアイになりそうな目を何度かしぱしぱさせて、目の前にある分厚い本を閉じた。ちなみにタイトルは簡略版世界の神々である。やはり、探している神の項目は無く、代わりとなる神もいないようだ。とりあえず手をつけられそうな近場にある神の名前と神殿の場所をメモして今日はこれまでだろうか。

 腕を伸ばして大きく伸びをする。百合の花のような甘い香りと、その香りに紛れた埃くさい古書の匂いが鼻腔に広がる。

 ここは何と言うか、図書館を装った個人塾のようだ。室内は全体的に薄暗く天窓から入ってくる明かりを主として、全体的に渋い色合いの落ち着いた雰囲気である。本棚ひしめく広間から個室が並ぶ廊下が並んでおり、突き当たりには会議室が二つと研究発表を行うような大きめのホールがある。内蔵の渋い色合いを構成しているのは壁そのものと言っても過言ではない巨大な本棚と、狭い通路を形作るように列を作っている本棚、司書が何人か座っているカウンターと、ここまでは日本と一緒。目立って違うのは長机ではなく、小学生が入学祝いに買ってもらうような棚付き引き出し付き仕切り付きの勉強机だという点だ。

 ちなみに棚には異国語らしき辞書が数冊置かれ、引き出しの中には白い紙の束とインクにつけるタイプのペンとボールペンっぽいものが並んで置かれている。本の図書館のように「お喋り厳禁」や「静かに!」なんて張り紙はなく、利用者はお互い好き勝手に雑談し、人によっては個人的指導を受けているようだ。

 あと一つ、ちょっと気になるのがカウンターに貼ってある「助言致します 要予約」の張り紙。

 助言、してもらいたい。切実に。この図書館、蔵書が多すぎてどうしようもない。神話関連のカテゴリーは見つけたが、本の内容が児童向けの絵本から製本されていない研究レポートまでピンキリだ。中間地点はどこだと探してみても、「風の大精霊は人間嫌い!」とか「火の大精霊は神殿で女を抱きまくっている」とか、もうゴシップ記事と大差ない内容の本もある。それでいいのか大精霊。

 まあそんな本があるのも、さっき見た中に、書物と表現の自由を司る大精霊がいるせいだろうと思うが。

 ちなみにコンテンツにも分からないらしい。今まで何度かマスターに連れられて図書館に来たことはあるが、個人的に利用した事はないのでどこにどんな本があるかなんてさっぱりだと渋い顔をされてしまった。

 ……やはり、頼らねばならないだろうか。自分の脳足りん具合と活字嫌いと蔵書の多さが、行く手を阻んでいる。

 大雑把な神殿の場所を書いた走り書きのメモの束を机に引っかけていた鞄に突っ込み、腰に装着してその場を後にする。カウンターに座っていたのは、長い金髪を後ろで縛ったひょろい兄ちゃんだ。ちょっと陰のある、悪く言えばオタクくさいような印象を受ける。

「すみません、こちらの助言致しますって何ですか?」


「あ、ハイ。あの、私達ウォルター大学の学生が募って勉強や知識に関する師事や助言をしています。目安として一時間30ルクで、三時間までご利用できます。ご利用時間は朝九番から夜九番までです。前日予約が必要で、その際に希望する分野など師事したい項目を提出していただきます。ご利用されますか?」


 利用させてくださいと言いたい所だが、明日は都合が悪い。十中八九ペナルティのクロノアの手伝いが入ってくる事だろう、未だに連絡らしきものは無いが。


「いえ、また今度にします」


「はい、お待ちしております」


 少し気落ちしたような表情で、青年が微笑む。今日は残念だが、予定の見通しが取れたらまた来よう。

 図書館を出る頃には空がすっかり赤くなり、夜の帳がおちようとしていた。この通りは家路へ急ぐ人達ばかりで、皆疲れたような表情をして足早に歩いていく。通りによって表情が変わってくるんだろう、花街や飲食街はこれからが稼ぎ時だ。

 そういや小さな頃によく歌ったじゃないか。カラスが鳴くからかーえろっと。ここじゃあカラスらしき鳥は飛んでいないけどな。

 宿に帰って、メモを見ながら作戦会議と洒落こもう。急ぎ足で帰路につく仕事人たちに混ざりながら、頭の中でメモの内容を参照する。とりあえずあと三つの主要属性の神殿をまわりたいんだが正式な手続きをしないと今回の二の舞になりそうだ、当分こっち方面は保留だ。

 あと忍び込み易さと重要度で言えば、孤独と忘却を司る大精霊の神殿だ。異世界を渡る神の名前が忘れられている件について、何か詳しい話がきけるかもしれない。誰も彼もが神の名前を忘れている、なんて不可解な現象は何らかの作用がない限り起こらないんじゃないか。まあ世界の端から端まで神について聞いてまわったわけじゃないから、何とも言えないが何らかの形で関わっているとみていいだろう。

 夕闇が支配を始めた広い坂道をつらつらと思考を垂れ流しながら歩いているうち、淡いランプの灯る「猫の手」に帰りついた。時間にして夜6時、夕飯には間に合いそうだ。さて、今日のメニューは何だろな。歌い出せるくらい弾んだ気持ちで、宿のドアを開けて……全力で閉めた。

 鬼がいた。間違いない。羅刹鬼が仁王立ちしていやがった。腰のバックからマリオノールを取り出そうとして、さらに恐ろしいものが肌に触れてきた。振り切って数歩下がり、腕に絡み付いてきたヒヤリとするその物体を見つめる。濡れた皮膚や温からして度間違いなく、凝固した水でできた触手である。先刻ちらっと見えた羅刹鬼が、この間使っていたやつだ。とりあえず、マリオノール!


『CALL……あー、えーと』


 殺傷力が無くて、とりあえずここから逃げられる精霊……だあああっ!わからん!思い浮かばん!

 マリオノールを開けるも、伸びてきた触手に両手両足を縛られる。うわああっ、何だよこの特殊な性癖の人間が喜びそうなシチュエーションは!

 左腕の触手を引き剥がそうと、力を込めたが時すでに遅し。ギチギチと嫌な音をたてながら、宿のドアがゆっくりと開いていく。


「ふ、ふふふ、ふ。見つけたァア……さあ、観念して大人しくしなさァい……?」


 水色の髪を振り乱し、可愛らしい頬をひきつらせてヒタヒタとこちらに近寄ってくる鬼、いや悪魔。


「アンタねェ、わたしの貴重な時間無駄にして……一体どういう事よォ……」


 ひぎぃ、やめてください。襟元は掴まないでください。貞子みたいに下からねめつけるのもやめてください。何なんだこの迫力、普通に怒鳴ってくれた方が対処しやすいんだが。襟元の手がぷるっぷるしているのは首絞めにならないようにしているのか、疲労で力が入らないのどちらだろうか。


「話が終わったら、部屋まで来てって言われたでしょ……何で来ないのよ、もう!」


 説教の途中からいなくなったので何も聞いていませんとは言えないな。


「悪かった。ちょっと色々寄るところがあってな」


「色々って何なのよ。はああ……まあいいわ、お説教で沈んでいるかと思ったけど、案外平気な顔してるし」


 クロノアが掴んでいた襟元を離して仕方がないと言わんばかりに渋い顔をして、こめかみをグリグリと揉んだ。ついでに触手もただの水溜まりへと姿を変える。一見しただけじゃわからない難易度超のトラップなんて、恐ろしいにも程があるぞ。それにしても、今回は随分あっさり退いたな。


「あー、その。怒らないのか、精霊使いの儀式をめちゃくちゃにした事」


「なに?怒って欲しいの」


 黙って首を振ると、また一つため息をついた。俺だってため息つきたい、ついたってどうしようもないけれど。

 クロノアが首にかかっていた髪を後ろに流し、少し迷ったように小さな声を出した。


「アレ、キライだわ」


 何もかも曖昧にぼやかして、クロノアが呟く。アレは儀式であっていると思うが、キライとはどういう事だろうか。クロノアも精霊使いなら盛大なパレードをして水の神殿に行ったはずだ。それをキライとは。


「色々聞きたい事はあると思うけど、とりあえずご飯よ。もう耐えきれない!」


 腕を掴まれて、宿の食堂に行くのかと思いきや、隣の「猫の目」へ直行する。まあたまにはいいかとクロノアにずるずる引っ張られて入店すると、いつもながら騒がしい店内が一瞬だけ静まりかえった。気のせいにしては不自然なその一瞬を、目の前に寄ってきたフローがとりなすよう柔らかな声をかける。


「いらっしゃいませ。クロノア様、個室が空いておりますがどうなさいますか?」


「じゃあそっちにするわ。」


「こちらで御座います」


 特別なお客様、特別な笑顔、特別なサービス。全てクロノアのための物だ、俺の時には聞こえなかった猫なで声でフローがクロノアに語りかけている。要約すればどんな食事がいいですか、お口に合わないものはありますか、何でもお申し付け下さい等々緊張した敬語でつらつらと喋っている。普段のフローはそれこそ元気娘を売りにした粋の良い接客が特徴なのだが、今は押し込めて無理をしたお上品を演じている。日本もこちらも変わらないなあ、こういう所は。まあ、金を落としてくれる客は多い方がいいに決まっている。

 通されたのは食堂からドア一つ隔てた淡いランプの明かりが照らす落ち着いた空間だった。木造のイスと机には唐草模様が彫刻され、表面は触るのが嫌になるくらい磨かれている。素人目から見ても、そこそこ良いものだというのが分かる。

 俺ってやっぱり場違いだな……。黒いジーンズ、黒いコートの一般人と白いレースのワンピースを着た政治家の娘。何故だろう、無性に帰りたくなってきた。


「お金は気にしなくていいから」


 そう言われても、心底気になるんですが。クロノアの正面に腰をかけたはいいが、この上なく落ち着かない。小市民がこんな良い場所に座ってしまってスイマセン。床に座った方が気が楽になるかもしれん。


「食べられない物、無いわね?」


 黙って首を振ると、良かったとクロノアが微笑む。そういえば今日は初めての笑顔だなと、そんな事を考えた。





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