4話 江藤清明
送ってくれてありがとう。そういうべきなのはわかっている。分かってはいるんだが……。アクアに姿を消すよう指示を出して、痛むこめかみを軽く揉んだ。全身に浴びた集中砲火の視線を思い出して、鳥肌のたった両腕をさすった。よりにもよって……依頼終了後の点呼で集まっている皆のど真ん中に落とす事ないだろう。まあ嫌がらせも兼ねてるんだろうなあ、ははは。
『そりゃあマスター、嫌がらせもされるよ、あれじゃあね』
「俺はあれがベストだと思ったんだよ。他のやり方が考えつかなかった」
『よくそれで今まで生きてこられたねえ、どんな生活してたのさ』
アクアリウムが外の様子を伺いながら、ため息を混じりに呟く。
どんな生活と言われてるもなあ、普通に生活してたつもりだけどな。腰と腕に装着してあるナイフも自前だし、ちょっとばかりの乱暴事は若気の至りというかなんというか。友人だってそこそこいるし、俺はちゃんと一般人だと思う、うん。
「普通に働いて普通に生きてた……はず」
『はず?』
「ただのフリーター」
『何のフリーター?』
えらく突っ込んでくるな。アクアリウムを見上げるとにんまりと笑った。
『言いたくなきゃ言わなくてもいいんだよ。まあ普通の職業なら隠す事はないからねえ』
……随分つっつくじゃないか。しかも姑みたいにネチネチと。
「だいたい前の世界の事なんて別にいいじゃないか。大事なのはこれからだ」
『コンテンツはそういう考えみたいだけど……まあいいや、僕がどうこう言えるものでもないね。ところで付き合ってる彼女、いたの?』
「残念ながらいません。やめろよ、悲しくなるから」
声かけられた事や遊びに行った事なら何回かあるさ。初めは俺も頑張って猫かぶりしてるけど、やっぱり慣れてくると本性が滲み出てくるんだ。で、鬱陶しいだのウザいだの言われる。回りくどい性格なのは自分でもわかってるけどなっ。
「別にいいんだよ。女なんかつくる暇無い。もっと他にやりたい事がいっぱいあったんだ、友人の面倒も見たかったし」
『その、話によく出てくる友人ってどんな人?』
アクアリウムからすれば何気なく問いかけただけだろう、相変わらず視線は窓の外を向いている。でも俺にとっては。
「江藤清明。普段はとにかく静かで無口なんだ、喋っても一言二言で終わり。でも、その沈黙が俺にはすごく心地良かったんだ。おおらかでちょっと頑固、あまり動じる事がなかったな。『リグレット』ってバンドのヴォーカルで、ギターもやっていた。ロックよりバラードが得意で、よくギターをつま弾きながら祈るように歌ってたよ。俺はその声が本当に好きなんだ、囁くような優しい声で。」
あいつだって望んだものはそんなになかった。毎日変わり無い日常を過ごして、ギターが弾ければそれで良いと、そう言っていたはずなのに。
「生きていて欲しい。俺がいなくてもいつもと同じように生きていてくれればいいんだ」
水に揺らめきながらアクアリウムが等身大に戻った。少し悲しげな笑みを浮かべて、その白い手で俺の頭を撫でた。慰めるように何度も何度も。
『セイメイを探してあげたいけれど、マリオノールには制限がある。異世界の人間を探せるのは、現マスターが本を手放すために検索する一回のみなんだ。しかもそれで探す事が出来る人間はランダムで、全員が表示されるわけじゃない。……コンテンツ』
『はいはいぃ、マスターのためなら例え火の中水のなかーですよ』
凹凸の素晴らしい体に何故かスクール水着を着用して、シュノーケルから泡をぼこぼこさせている。なんの趣味なのか水着の胸についている名札には平仮名でデカデカと『こんてんつ』と書かれている。えらく完全防備だが水嫌いなのか?と言うか何なんだ限定されたフェチしか喜ばないような衣装チョイスは。誰かに何か言われたのか?
『お話は聞きました。マリオノールの精霊達と話し合いの結果、まずはクロノア様を通して水の神殿に行きましょうという案が出ました。いかがなさいますか?』
クロノアか……。どうなんだろうな、正式に精霊使いを名乗っているんだから神殿で儀式を受けているはずだ。大精霊とは顔見知りであるはずだが、あの儀式の短さじゃ形式ばった挨拶だけで終わってるんじゃないのか。それともあの後に親睦を深めるための会があるとか……くそっ、場の空気の悪さに思わず早足で出てきてしまったが、もっと追求すれば良かった。まあ無理は承知でクロノアに頼んでみよう、何かしら利益はあるかもしれん。
「その案もらった。明日はクロノアと連絡を取ってみよう。」
コートのポケットを探ろうとして、手を止める。携帯なんか探してどうするつもりだったんだ、電話番号も知らないのに。それどころか居場所も知らないわけだが……いや、居場所はギルドで聞けばいいのか。あいつは田中さんの所で補佐的な仕事をしていると言っていたな。
『明日の予定も決まったし、丁度いいね。マスター、もうすぐ呼ばれるよ。返事、しなきゃね』
アクアリウムが優雅に指を指す先。つられてそちらに目をやると、体がグンッと引き上げられた。こっ、これは釣られた……つられて釣られた……?ツッコミをいれる間もなく、ストンと軽い音をたてて石畳に着地した。
……俺は一体どこから出てきたんだ。周りは目の前に広がるのは配布隊の面々。と言うことは、ここはパレードの最後尾か。最後尾の女が一瞬だけこちらに視線をやったが、すぐに前を向いた。
『水から水に移るのは簡単だよ。どんなに乾燥した所でも空気中に水はあるからねえ。いやあ、今日はよく眠れるねえ、気を張って疲れたでしょう』
くふくふと笑うアクアリウムにため息で答える。本当によく眠れそうだ、精神も身体もぐったりで、今すぐベッドで寝たいくらいにな。
「アヤノ、タッキさん」
「はい!」
タツキです。竜樹。そういえばクロノアも言い難そうにしていたな。最前列で拡声器らしきものを使い声を張り上げる中年の雇主に、手をあげて存在をアピールする。姿の見えなかった間のお咎めも無し。何事も無く続けて名前を呼ぶ雇い主に小さくガッツポーズ。よっしゃ、後は配布隊が終わればお開きだ。
なんて簡単に事が運ぶはずもなく。礼を言ってアクアリウムとコンテンツを本に戻し、配布隊の点呼が終わった後、解散の合図がされてさあ帰ろうと道を歩いていた時だった。
「ああっ、見つけた!」
可憐な声と共に、目の前を遮るように黒い影がふよふよと降下してきた。そういや忘れてたな……アイリス。
「ああ、お疲れ様。大変だったね」
「うん、お疲れ〜……じゃなくてっ!今までドコにいたの!?ずっと探してたんだよ」
「ちょっと貧血でね、建物で休ませてもらっていたんだ」
疑い深い目で見つめてくるアイリス、上目遣いも可愛いが流石に難しい。もう一押ししてみるか。
口元に手を当て、俯き加減で表情はあえて見せず。
「ごめん……、俺っていつもこうなんだ。すぐ体調悪くして皆に迷惑かけて……」
陰から表情を伺うが、腕を組んで未だに疑惑ありげな表情でこちらを見ている。駄目か……流石に説得力がないか、ギルドから役所まで顔色も変えず歩き続けて、体調悪かったんですなんて言っても説得力が無いな。
「うーん、納得して、くれないかな」
「納得してあげません。まあ、いいわ。なんか訳ありそうだし、ご飯奢ってくれたら聞かないであげる」
にっこり、と花のような笑顔で笑うアイリス。飯か……まあそれくらいならいいか。はい、何でもさせていただきますデス。
「いいよ、その代わり場所は任せていい?あんまり詳しくないんだ。あと、連絡先も教えてくれないか」
「いいわよ。約束、絶対だからね!」
花もほころぶような明るさで、アイリスが笑う。いよっしゃ、可愛子ちゃんの連絡先ゲット。心の中でガッツポーズをとっていると、目の前でアイリスの可憐な手がひらひらと踊った。
「ほら、手出して。……まさか知らないなんて事」
「いやあ、ごめん。分からない」
握手なら何度でもしてさしあげるが、どう見ても握手をする手つきではない。
「あー、最後まで説明書読まなかったわね!しょうがないなあ、大先輩が教えてあげる。腕輪ついてる方の手出して、手の平合わせるのよ」
はい!と元気よく差し出される細い手に手の平を合わせると、腕輪についている宝石に淡い光が灯った。よく見ると中央に音声認識とだけ書かれている。
「私と同じように唱えて。『情報交換……Address』」
一字一句間違えず唱えると、お互いの腕輪についている宝石が淡く明滅した。これで情報交換終了か、赤外線通信より早いな。一体どういう原理なんだ、動物の死体を情報化した時も思ったが。
「色々応用はできるけど、とりあえず連絡方法だけ知ってればいいわ。手紙を送る時は『情報送信……相手の名前』で大丈夫だから。でもこの腕輪じゃ30文字までしか送れないから、気を付けてね。もっといい宝石なら通信方式も多彩なんだけど」
通信方式と言われて思い出すのは、今朝がた使っていたザッツの指輪。あれはもしかしてこの腕輪の改良小型版にあたるのか。携帯より便利じゃないか!恐るべし異世界、想像以上にハイテクだ。
「ああ、そろそろ行かなくちゃ。じゃあまたね、連絡するから!」
胸元のポケットから銀の懐中時計を取り出して時間を確認。本を開いて術を発動させ、空へ上昇しながらアイリスがひらひらと手をふった。なんとまあ忙しない。笑顔で手を振り返して、後ろ姿が小さくなるまで見送った。
視線を巡らせた先の、飲食店の軒先に飾られたカラクリ時計は昼の一時を差している。フローの店で昼食を取った後、部屋にこもってもう一度ギルドの説明書を見直そう。今日はもう大人しくしていた方が良さそうだ。