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3話 一日の終わりは緩やかに


 どーしたもんかね、こりゃ。若干ピチピチのYシャツとズボンを着た警戒心たっぷりの坊っちゃんもとい子犬ちゃんを眺めて、溜め息をついた。ディーヴァのキスの余韻に浸る時間もないとはこれいかに。ためしに怖くないぜーちちちちと手招きしてみたが、ビクンと盛大に体を震わせて剣を構えたままさらに後退りしてしまった。そんなに警戒せんでもいいじゃないか、さっきの戦闘じゃ俺は何にもしてないぞ、俺はな。


「とりあえず、どうする?家に帰るか?」


「こんな格好で」


 俯いて聞き取れないほど小さく呟いた言葉を拾って、ああ確かにと頷いた。外を歩くには少し恥ずかしいかもしれんな、俺のコートじゃ焼け石に水だし。


「家に連絡は?」


 剣を鞘におさめ、のろのろと腕を上げて右手中指に嵌めていた指輪を外し、白いキャッツアイの石に指を添えて目を閉じた。指輪からルルルルと鈴を鳴らすような高い音が聞こえる。おお、何かイメージ的に電話?電話なのか?小さくて肌身離さず使える分、携帯より便利そうだ。何が起こるのかと胸を踊らせて見ていたら、ザッツが音の消えた指輪のついた方の手の平を上に向けた。手の平から僅かにノイズが聞こえる気がする、受話器に耳を当てて会話をする形式に慣れた現代人にはいささか奇妙な光景ではあるが。


『……お呼びでしょうか、ザッツ様……』


「泊まる」


『……承知致しました……』


 簡潔かつ温度の感じられない会話を交わして手の平を閉じると指輪はそれっきり光を失ってしまった。随分事務的な会話だったけど、連絡ついたんなら別にいい。


「いつまでも突っ立ってないで座ったらどうだ」


 ほらほら怖くなーい、怖くなーいとさっきの続きでゆっくり手招きするが、壁に張りついたままでこちらを睨み付けて固まっている。あー面倒くせー埒があかん、急に打ち解けろったって無理なのは分かるが時間がかかってしょうがない。俺だって疲れているし飯だって食ってない、風呂に入りたい。さあて何から済ませようかねと時計を確認すると、もう八番と半分を指していて、食事終了まで後30分しかなかった。


「ちょっと出掛けてくるから、適当に座って待っててくれ。コンテンツ、何かあったら知らせろ」


 傍らの本が入っているカバンからにゅるりと手が生えて、左右に手を振った。いやいやそのおざなりな返事は何なんだ、俺が一体何をした。折れそうになる心を自分自身で一生懸命持ち上げて気合いを入れる。警戒心たっぷりの刺々しい視線を放つザッツを刺激しないよう、そろそろと脇を通り抜けて部屋のドアを開けた。


 麗しきカップル達の癒し空間くつろぎムードの漂うエントランスホールを抜けてカウンターを通り過ぎようとした時、フローの親父さんがちょいちょいと手招きしているのが見えた。何じゃいなと寄っていくと、耳を貸せと言わんばかりにさらに手招きされる。


「君ね、何かやっかい事に巻き込まれていないかい。あの青年、どこかで見覚えがあるんだけど」


「ああ、大丈夫。誘拐じゃなくて道端で拾ってきただけで、ちゃんと親にも連絡済みだ」


「拾ってきたって……まあ何もないならそれでいいけどね。いいさ、何か必要な物はあるかい。今日は満室で部屋は用意できないけど簡易ベットくらいならサービスするよ」


「ありがとう。ついでに大きめのバスケットにパンを詰めて持ってきてくれないか、金は明日払うから」


「ああ、ジャムもつけようね。金はいいよ、君のいつもの夕飯代で事足りる」


「悪いな」


「いいさ、訳ありなんだろう?後で持っていくよ、早く行ってやんなさい」


 笑顔でひらひらと手をふる親父さん。感謝の気持ちをこめて軽く会釈し、その場を後にする。よっしゃーい、これで怯えた子羊君とじっくり根掘り葉掘り話ができる。足取り軽やかに階段を登って……部屋の前に人が集まっているのが見えた。あ、猛烈に嫌な予感がする。本当やめてください、ただでさえやる事も問題も一杯だってのに。

 部屋に近付くにつれて男と女の叫び合いが聞こえてくる。声の調子からしてザッツとコンテンツか、このまま回れ右してフローの店に行きたいけれどそういう訳にもいかないだろうなあ……。見知らぬ人の間をすり抜け突き刺さるような興味深々ですと言わんばかりの視線をくぐり抜けてドアに手をかけた。

 部屋の奥にいたのはザッツとコンテンツだが、珍しい事にコンテンツが実体化している。そしてさらに珍しい事にコンテンツの振り下ろした剣をザッツが白羽取りしたままで固まっている。うわーい、何この地獄絵図。運命の神様は一体俺に何を求めているんだ、もう本当どうすればいいんだか。


『さあ、さあさあさあ!死にたいと仰るのなら私が引導を渡してさしあげます!大人しく刀のサビとなりなさい、愛用の剣で死ねるなら本望でしょう!』


「いきなり出てきて勝手な事言うなああああ!クラムと一緒に死にたいんだよ、一人じゃなくてええ!!」


『一人も二人も一緒です!ウフフヒヒヒ神妙になさいな、痛いのは一瞬です』


 ……ヒヒヒとか笑う女の子ドン引きやわあ……。とりあえずギャラリーに愛想笑いで誤魔化して部屋に押し掛けてこないようにドアを閉め、しっかりチェーンをかける。わざと足音をたてながら二人の前にいくと、コンテンツがギチギチと音がしそうなくらい力強くこちらを向いた。


『思ったより早かったですね、マスター。後ちょっとで人間の解体ショーをお見せできる所でしたのに』


「何その黒魔術もびっくりのグロパフォーマンス。コンテンツさん、とりあえずその剣をこっちに渡して下さい、ザッツさんはそこに座って落ち着いて」


 渋々といった顔でコンテンツが無造作に剣を投げてよこす。乾いた音をたてて投げ出された刃物を部屋の奥に蹴り飛ばし、荒い息をついているザッツの両肩を押さえてベットに座らせる。


話からするに落ち込みすぎて死にたいって?で、コンテンツがブチキレた。そんな感じでいいのか」


『もうさっきからウジウジグダグダと鬱陶しいったらありゃしません。さっきから言いたかったけどほんっとーにアンタ男なんですか!股間に大事なモンついてるんですか!?一緒になれなかったならそこでスッパリ諦めるのがスジってもんでしょうが、このタマ無しが』


「こらこら、失恋したばっかりの人間にタマ無しだのサオ無しだの可哀想な事を言うんじゃない。そっちは大丈夫か?唯一の取り柄の顔に傷なんかついてないか?」


 隣に座っているザッツが何故か涙で目を潤ませて震えていたが、心当たりなんて微塵も無い。さて子羊ちゃん子羊ちゃん何で泣いているのってね。


「お前ら……わざとやってるだろ……!」


「さあ何の事やら」


『わざとも何も私のやりたい事しかしてませんが』


「あのなあ「はいはいお遊びはここまでだ、本題に入ろう。」


 さらに言い募ろうとしたザッツの言葉を遮って一度手を打つ。からかったのは事実だがいつまでも同じ話をしている訳にもいかないだろう。せっかく流暢に喋りだしたんだ、この機会を逃したくない。


「さてザッツよ。今日はここに泊まるとして明日はどうする。家まで送っていこうか?」

「いや……家にも帰らない。そうだ、お前らならクラムの行き先を知ってるんじゃないのか。どこに行ったんだ、教えてくれ、頼むから」


 すがり付いてくる手を払って、思わず溜め息をついた。未だ彼の頭の中は恋の迷宮に捕らわれているらしい。物わかりが悪いなんてレベルはとうに超している。これはある種の病気か精神病か?説得できる気がしない。


「俺が請け負ったのはお前を追い払う事だけだ。依頼主の住所や転居先なんて知る由も無いね。言っとくが娼館に問い合わせても無駄だからな、押し掛けて迷惑かけるなよ」


『ああもうしつこい人間ですね!マスター、こいつ埋めてしまいましょう。その方が世のため人のためですって』


 目を釣り上げて気に入らないですと言わんばかりに怒鳴りつけているコンテンツ。またもや険悪なムードになりかけている。いやこっちがいい加減にして欲しいんだが。


「まあそう言うな。とりあえず今日はここに泊まれ。また明日どうするか考えよう。」


 良い案とは言い難いが仕方がない。明日は明日の風が吹くと言う事で。口をへの字に引き結んだまま黙って頷くザッツに、盛大な溜め息をつきたくなった。もういいや、これにて一件落着という事にしておこう。

 一段落ついて未だ不機嫌なコンテンツを本に戻し、部屋の隅に飛んでいったままの剣を鞘におさめて入口の近くに置いた。とりあえず風呂に入ろうかとバスタブに湯を張っていると、ドアをノックする音が聞こえた。ドアのチェーンを外して返事をすると、高身長の金髪男が簡易ベットとワゴンに乗せたパンと各種ジャムを持ってきた。無駄な動きの無いプロらしい仕事振りでベットを配置すると、スタスタ歩いてきてと俺の前に立ちふさがった。何だ一体、何か伝言か? 無表情でこちらを見下ろしてくる顔は何か言いたいことがある訳でもないらしく、ダンマリを決め込んでいる。何なんだ、本当怖いんですけど。そのまま暫くにらめっこを続けているとザッツが甲高い音をたててワゴンの上に何かを置いた。


「ワゴンは部屋の前に置いておく」


「はい」


 ザッツに恭しく頭を下げた高身長がワゴンの上に置かれた銅貨一枚を取り、こちらに不快感を植え付けるような視線を送って部屋から去っていった。


「ボーイにチップをやるのはマナーだ、教わらなかったか?」


「残念ながらそういう習慣は無かった。今度から気を付けるよ」


 ザッツがさいですかと言わんばかりに鼻を鳴らして、ワゴンからパンを一つ取り上げた。チップが必要なのか、外国じゃそういう習慣があるらしいけど……なかなか面倒だな。ジャムの乗った皿にパンを4つ確保して残りの5つをワゴンごとザッツに渡す。


「じゃ、風呂に行ってくるから。それ食べるなよ」


「誰が食うか」


 ジャムをつけてお上品にパンを食っていたザッツが吠える。元気が出たようで何よりだ。湯の溜まり始めた浴槽を確認して下着と肌着とタオルを用意して浴室に放り込む。久しぶりの風呂を堪能して丁寧に体を洗い、脱ぎ散らかしてあったザッツの服と自分の服を洗濯カゴに突っ込んで浴室から出る頃には時計の針はとうに9番を過ぎていた。ザッツはグスグスと涙を滲ませて俺の布団に入って寝息をたてているし、枕元のマリオノールはザッツの就寝を妨害するように淡く明滅している。

 何で部屋の主が簡易ベットなんだよ、おかしいだろ普通は逆だろが。枕を抱え込むようにして眠っているデカイ図体を蹴飛ばしてやりたいのは山々だが、起きられてまた恨み辛みを聞かされるのは真っ平だ。仕方なく手元にマリオノールを引き寄せて机の上の冷えたパンを食い、ワゴンと皿を部屋の前に置いた。

 明日はきっと良い日になりますように。空に向かって両手を合わせて細やかな願い事を唱える。布団に入ってマリオノールを枕に目を閉じるとやんわりと明滅が消えていった。

 一呼吸もしないうちに意識が闇に染まり、そのままくったりと眠りへ落ちていった。




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