3話 ディーヴァ⑤
『さあ、ケツの青い小坊主さん。お相手してさしあげますわ』
ザッツの纏う殺意を孕んだ気配が、ディーヴァに殺到し、息を吐く間もなく一気に距離を詰める。無表情だがあれは相当ブチ切れているな。変に行動が冷静な所は流石通り魔をしているだけあると、こちらも迎撃体制に入った瞬間。ものの見事にザッツが弾き飛ばされた。カーリングのごとく、土埃を巻き上げながら滑っていく後ろ姿が間抜けでちょっと笑えるがそれどころではない。一体何が起こった?ディーヴァは僅かな挙動も無かったが、これは精霊の力を使ったって事か?どういう原理かさっぱりわからんが、音で吹き飛ばしたって事か。現に飛ばされたザッツは頭を押さえたままガクガクと痙攣している。生きてるよな、アレ。
『マスター、威力調整のため先程より多目に魔力をお借りしますが構いませんね』
「ああ、好きなだけ持っていけ……って、何なんだこれは。精霊特有の超能力ってわけじゃないんだろ?」
両手を伸ばして神妙な顔つきをしていたコンテンツが、目を閉じたままでそうですねえと呟く。専門家にきいた方がいいのはわかっているがディーヴァはうずくまって動かない坊っちゃんを警戒するのに手一杯だし、俺は後ろに二人を庇っているせいで動けない。
『私も細部まで詳しく説明できるわけではないのですが、ディーヴァを戦闘用に教育した65代目のマスター曰く人間は音でぶっ飛ばせると仰っておられました』
音が人をとばす?どんなどういうアレなんだ。うろんげな視線を向けると、目の前でそういう現象が起こっているじゃないですがと言わんばかりに戦闘中の二人に目を向ける。確かにディーヴァがついと指を振るごとに警戒して立ちすくんでいるザッツが吹き飛ばされているが、耳を塞ぐほどの音もしないし轟音で建物が震えている様子もない。
『音を構成するいくつかの要素の中には、物理的に影響を及ぼすものがあります。えーとソウオンコウガイが良い例で、アレの何十倍もの音を出せば人一人ぶっ飛ばすのも訳ねぇぜと仰っておられました。』
「騒音公害って言っても物が震えたり頭が痛くなったりするぐらいだぞ。それを吹き飛ばすような音でやったら鼓膜が消し飛ぶどころか耳の機能自体がダメになってしまう」
『そこがディーヴァが音の精霊たる所以です。吹き飛ばす力を当てる部分は最低限人間の体面積ほどあれば良いわけです。そして音が鼓膜を破るギリギリで音を消してしまえば聴覚障害は軽度で済みます。簡単そうに指を振り上げているだけに見えますが、必要最低限の音響範囲、音の遮断と消音、鼓膜が破れない程度のボリュームコントロール等々瞬時に行なっているのですよ』
「……百聞は一見にしかずなんて言葉があるが、百聞しても一見しても理解できない俺は阿呆なんだろうか」
『理解する必要はありません、マスターの望みに私たちは全力で答えるだけなのですから。さあマスター、力の差を思い知った憐れな糞ガキに非情なるご判断を』
コンテンツがおどけて、ディーヴァを指し示す。可憐な指か指し示す先にあるのは、すっかり戦意喪失して地面にへたりこんでいる泥だらけのザッツと、満足そうな笑みを浮かべて扇をぱたぱたさせているディーヴァの姿だった。解説を聞いているうちに戦闘が終結しているわけだが。
「あれ以上の惨めな状況があるのか?」
『床に這いつくばって土下座しながら御免なさい女王様がディーヴァのベストです』
「だからSMごっこはやめなさいと」
鞭をビシバシし始めないか半ば本気で心配していたのだが、ディーヴァは威圧的な微笑みを浮かべたままザッツの目と鼻の先に立つのみにとどめた。
『ザッツさん。どうでしょう、少し頭は冷えまして?』
頭を上げてどんよりと腐った視線を投げかけるザッツに、無言でぱたぱたと扇をあおぐ。ディーヴァが痺れを切らしてにっこりと笑顔を一つ、頭を抱えて呻きだしたボロ雑巾には呆れを通り越して尊敬すら感じる。よくそこまで抵抗できるものだと。
『泥の味はいかがです?』
「はっ……これは一体何の力なんだ……?何なんだ、くそ、クソッ!!」
『愛の力ですわ。愛は尊いのですわ』
「こらこら、そうじゃないだろ。」
折角良い流れだったのに茶化すんじゃない。うっとりの両手を合わせたディーヴァに思わずツッコミが飛ぶ。さらに言葉をのせようとしかけて、右手側から飛び出した影に思わず手を伸ばす。
「クラムさん!?」
「大丈夫、少し話をさせて下さい」
毅然とした態度のクラムとショートソードを下げたライにディーヴァが邪魔にならないよう避ける。ああ、こちらも出撃か……抵抗される恐れはないが、相手の出方が怖い。コンテンツと視線を交わし、ディーヴァの傍に寄る。
「大丈夫ですか?」
「嫌だ、絶対に、行かせない。君は絶対に後で後悔するよ、不自由のない穏やかな生活を無くしてしまった事をね」
「では聞きますが、貴方はサンドームの種蒔きが上手ですか?歩けなくなった母の面倒が看られますか?何より私の話をちゃんと聞いてくれますか?……できないでしょう、ザッツさん。自分の要求が通らないと焦って暴走する人なのに」
「君が、君が俺を蔑ろにするからだろ!それに雑用なら召し使いに頼めばいい」
どこにそんな余力があったのか。ザッツが地面を叩いてひどく激昂する。ここまできてまだそんな台詞を吐けるのかとうんざりしてしまうが、何故か隣のディーヴァが熱の篭った視線をザッツに投げかけていた。何だろか、何かが女王様のお気に召したらしいが俺には到底理解ができないし理解したくない。
「蔑ろにしているのではありません。ザッツ様、私と貴方では考えも境遇も違いすぎる。ディーテに誓ってどんな事があっても一緒にならない。嫌いです、もう二度と会いません」
ライがクラムを引き寄せ、泥だらけの手が宙を掴んで落ちた。ライはザッツが出てきてからずっと喋らなかったが、言いたいことはきっと山ほどあるだろう。固く唇を引き結んで沈黙を続けているのもクラムを思っての事。ザッツはもう触れる事すら許されない。
両手を握りしめてぽろぽろと涙を溢し始めた泥被りの敗北者に、それぞれが警戒を解いた。俺はナイフを仕舞って、コンテンツが扇を閉じたディーヴァの肩に腰掛ける。
「すみません、アヤノさん。ザッツ様を家まで送ってあげて下さいませんか。護衛はここまでで大丈夫ですので」
ライがショートソードを鞘におさめて一息つき、クラムが申し訳なさそうに頭を下げる。依頼紙には書いてなかったがまあアフターサービスという事にしておこう、この状態で転がしておくのも気の毒だしな。
「分かりました。道中気を付けて下さい」
「依頼を受けて下さってありがとうございました。また何かあった時には指名させてもらいますね」
「ライさん、ありがとうございます。その何かがないよう祈ってますよ」
『お疲れ様でした〜』
浅く会釈をして二人が歩き出す。ひらひらと手を振るディーヴァの隣に立って、夕闇に消えていく二人の背中を見送った。何か事件が事件だけに後味悪いと言うかなんと言うか。横目でしくしくと泣き伏している大の男の背中を眺めて、やるせない気持ちを溜め息に込めて吐き出した。
このまま家には返すのはちと不味い。とりあえず風呂に入ってもらわないとな。腰につけた鞘を剥ぎ取り、転がっている剣を拾ってディーヴァに渡す。歩けるかと声をかけたが返事がないので、無理矢理立たせて半ば強制的に手を握って歩かせる。しかし見れば見るほどどろっどろで汚いな。宿に入らせてもらえるだろうか。
道行く町並みの明かりが目に痛い。剣を持ったまましずしずと何も言わずについてくるディーヴァのテンションがやけに低い。
「ディーヴァ、疲れたか?」
『いえ、大丈夫ですわ』
ほんのり微笑んでみせる表情に、どこかぼやけて見える。闇がひどく疎ましい、明るければどんな顔をしているのか分かるのに。 結局ディーヴァはそれっきり何も言わず、ザッツも泣き止んでぼんやりと虚空を眺めたまま足だけを動かしている状況で、コンテンツと二人顔を見合わせてどうしたものかと視線で語り合ったのだった。